あなたがたは、朝の静寂の素晴らしさを忘れてはいまいか。
夜が明けるときの、あの素晴らしさを忘れてはいまいか。
暗闇のなかから、東に太陽が昇りきたって、次第しだいに地平から照らす、
あの情景を見ることがなくなって久しいのではないだろうか。
幼いときに見た記憶はあるであろう。
しかし、成人してよりのち、
そうした情景を見ることもなく過ごしているのではないか。
新たな発見をしたいと思うのであるならば、
さあ、一度、目を覚ませ、
朝の静寂のうちに。
朝日が当たる前に目を覚ませ。
きょうの一日が始まる、その瞬間を眺めてみよ。
庭に出でよ。
道路に出でよ。
公園に出でよ。
田畑に出でよ。
そこに、生命たちが目を覚ましてゆく姿が見えるであろう。
そこに、田園の交響楽を感じることがあるであろう。
そこに、
あなたがたが創られたことの意味と、
あなたがたの生命の意味とを、
見いだすことができるであろう。
それは、忘れて久しかったものであるのだ。
そうして、あなたがたは、一日、汗を流して働きなさい。
一日、汗を流して働き、充実感を味わいなさい。
あの充実感を忘れて、また久しいのではないだろうか。
都市のストレスのなかに、
みずからの充実感を失って久しいのではないだろうか。
そう、あなたがたは、あの充実感を忘れてはならない。
額に汗し、そして夕べを迎える一時の、
あのうれしさを忘れてはならない。
高貴なる職業にみずからを就けよ。
もし高貴なる職業がないとするならば、
みずからの仕事のなかに、
高貴なるものを見いだしてゆけ。
聖なるものを見いだしてゆけ。
聖なる汗を流せ。
そして、夕べの満足感を取り戻せ。
それは素晴らしいものであったのだ。
その夕べの満足感のうちに、家路に就き、
素晴らしき団欒を持て。
それもまた、最高の幸福であるはずなのだ。
あなたが充実した時間を過ごすときに、
家族はまた、それをいち早く察知することであろう。
あなたの喜びの表情を見ることであろう。
あなたの、きょうの成果を聞いては、
共に喜んでくれることであろう。
その妻の笑顔を見たときに、
あなたの一日の疲れは、必ずや癒されるに違いあるまい。
語らいのうちに夕食を終え、家族の団欒を過ごしたのちに、
さあ、一時を取れ。
その一時を、高貴なるもののために。
その一時を、たぐいまれなる叡智の書物を読むために。
その一時を、魂を揺さぶる詩を読むために。
その一時を、偉大なる人の人生を知るために。
その時を持て。
その魂の時を持て。
素晴らしい一時を持て。
そして、安らかな眠りに入ってゆくのだ。
あすには、また素晴らしい夜明けが待っている。
大宇宙と一体となり、天地創造の時を知る、
その朝が、また訪れてくるのだ。
そのときの目覚めが素晴らしいものであることを祈って、
深い深い眠りに就いてゆくのだ。
(仏法真理)
---owari---
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