どくだみ茶とハイネケンビール

来し方の思いや世相への老年の主張

私の遺言

2020-08-31 21:29:03 | 東アジア
 中国、韓国を永年見てきた世代として一言、言っておきたいことがある。
まず中国であるが、私の青春時代にはラジオが主体であった。しかも北京放送が日本の放送に交じって聞こえて来ていた。日本の放送に乗る状態であるからかなりの出力であったのであろう。そして、夜にそれがよく聞こえていた。
 そのころは毛沢東の紅衛兵が盛んな時でもあった。その時の放送の言い癖というかワンパターンのフレーズは「米国の覇権主義」であった。確かに孤立無援の中国共産主義国(ソ連もそうであったが国境紛争があった)としては客観性も無きにしも非ずであった。
 ところが今では中国が、南沙諸島などを中国領と言っているがここはベトナムとフィリピンの中間地域であり、中国からは程遠い海域である。これを中国領というのは極めて難がある。これを「中国の覇権主義」と言わずして何というのか?
 即ちその場その場の一貫性のない主張である。そして毛沢東の後継者である華國鋒も、4人組の江青なども失脚し、鄧小平に至るが、この鄧小平も日本に製鉄などの技術移転などを頼り、中国に力がつけばそれまでである。決して日本に媚びることはない。
 韓国は歴代の大統領(金大中まで)は就任するたびに昔の日本人の先生(彼らが受けた日本併合時代の教師)に電話し、「先生、韓国でお世話になった豊田(金大中の日本名)です。おかげさまで大統領になりました」と報告をしている。韓国では日本人の先生は例外的に差別もせず熱心に、韓国人の生徒を懸命に育てたとの言い伝えがある。だから先生に大統領になったと伝え、先生に喜んでもらいたいのである。
 しかし私は当時の併合時代に一生懸命に頑張ったのは先生だけではなく、当時の日本人全体が、遅れた韓国人を引き上げようと頑張ったと思っている。それが彼らの朝鮮王朝のふがい無さ、第三者(日本)による歴史の積み重ね(当事者性の無さ)がいつしか彼らの歴史の捏造につながってきたのではと思っている。
 
先日伝えた愛猫「ビチ」君が今月半ば永眠しました。享年18才でした。人間の歳に換算すれば
の私とほぼ同じ同級生でした。合掌

昨年の写真ですが地元のアジサイ寺に行ってみました。

コメント
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