どくだみ茶とハイネケンビール

来し方の思いや世相への老年の主張

みまもり

2017-11-30 20:50:38 | 日記
 登下校時の小学生の「みまもり」を続けて約十数年になる。「みまもり」と言っても道路横断時の交通整理がほとんどである。始めたころの小学校1年生はすでに高校も卒業しているので向こうから挨拶されても一瞬名前も思い出せず、後から「ああ・・あの子か」と彼らの幼き頃がよみがえることもある。
私の職場(立哨している場所)に朝夕立っていると大抵 年輩のご婦人の散歩している方から「いつもご苦労様です」と声を掛けられることもある。「有難うございます」と返事はするが、今では児童たちのためではなく自分のためだと思っている。

 というのも毎朝6時半に起床し立哨に出かける規則正しい生活が送れるし、曜日ごとに下校時間が異なるので学校から送られる行事予定や下校時間を曜日ごとに確認することで「今日は何日、何曜日?」と自問することも少ない。将に「情けは人の為ならず」である。

 時には児童の母親とおぼしき方から「いつもありがとうございます。おかげで安心して子供を学校にやれます」とお礼の言葉ももらえるやりがいのあるボランティア活動である。
 
 さらには沢山の子供達と友達になれることも楽しく、彼らの元気な挨拶が一日の活力になっている。偉そうに言えば年金は社会からの給料であり、年金を支えてくれる子育て世代に恩返しが必要であり、それに少しは見合う活動が年金生活者の私の義務でもあろうと考える。
 
 そして長い間子供達と接していると面白いことが沢山ある。
低学年の児童では「おじさん、朝から夕方までここでずーっと立ってるの?」とか「おじさん給料をもらってるの?」(「ウン1億円貰っている」と返事しておいたが)など。
 また「おじさん、歳いくつ?」の質問も多い。「おじさんは95歳だ」とでたらめをいうと「フーン・・」と本気にする子もいれば、高学年の女の子からは「それなら奥さんはいくつ?」と返され、思わず「60才くらい」と言ってしまったところ「35も年が離れているのはおかしい」とバレてしまった。(さすが女の子の追及は小さいころから厳しい)
 「名前は?」と尋ねるので「私はオジヤマ・サンゾウだ。略してオジ・サンと呼んでくれ」と言ったら次から「オジヤマさん!」と声を掛けられた。あまり子供にウソをついてはいけないと反省している。
 
 まあしかし子供であるから、転んで泣いたり、溝に落ちたり、登校せず他所に遊びに行った子を捜索したり、泣きながら帰る子を家まで届けたりもありで、手もかかることもある。
 でも夏休みを隔てて登校する子が休み前よりグーッと背が高くなっていることなど、成長する過程を見ると嬉しいものである。

最後に一つ
 逆に私をからかう子供もいて、ある日6年生の男の子二人がニヤニヤと笑いながら近づいてきて「おじさん、巨乳と小さいのとどっちが好き?」ときた。私が「残念!おじさんは牛乳が好き」と答えたら「ヤラレタ!」と帰って行った。

時々ファンレターももらうので紹介します。
 

 
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする