真実は判らないとしなからも続報がいろいろ流れていますが、気になる物を 3件ピックアップしておきます。
先ずは、「誰が王立軍(重慶市副市長)の米国領事館接触を北京に通報したか?」という、 [宮崎正弘の国際ニュース・早読み] - メルマ!。
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」
平成24(2012)年 2月14日(火曜日)通巻第3556号 (2月13日発行)
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誰が王立軍(重慶市副市長)の米国領事館接触を北京に通報したか?
薄き来は、常務委員会入りを諦めたのか? 王洋が巻き返したのか?
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王立軍の失脚がおおきな政治問題入りしたことは先週までに伝えたが、政治的に追い詰められた王立軍が重慶からとなりの成都へ飛んで、米国領事館へこっそりとはいり、そこに長い時間、滞在したあげく周囲に説得され、自ら領事館のそとへでたことが、その後、明らかになった。
亡命を申請したが習近平訪米前のタイミングでもあり、米国が拒否したという報道もあるが、真偽のほどはだれも分からない。
その後、王立軍は「長期休暇」にはいったが、これは異例の措置、そもそも権力闘争の舞台中枢にある人間が、ちょっと休みがとれるほど「中国三国志」の世界は現在でもヤワではない。
明らかに「失脚」と解釈出来る。
さて問題は、誰が、王立軍が米国領事館へ「相談にいった」ことを北京中枢に通報したのかである。
博聞新聞網(2月13日)は、米国大使館が北京の外交部へ連絡したのが最初で、これが外交部から権力中枢、常務委員会法紀委員会へとリレーで連絡され、ついで九人の常務委員秘書へそれぞれ通知されたという。
中央政治局の常務委員会政法関係の責任者は周永康(江沢民派)であり、周は江沢民にも伝えたという。
さらに同紙は奇妙な薄き来の動きを伝える。
薄は黄奇帆(重慶市長)に連絡を取って、成都の米国領事館へ警備を急派するよう要請し、自らも代理人を急遽、成都へおくりこんだ。彼らは領事館内で王と話し合ったそうな。
一部の報道にあったように、もし、これが本当であるとすれば、薄と右腕の王立軍とは、すでに対立関係に陥っていたことを示す。
<中略>
さて最大のポイントは王立軍ではない。
次期政治局常務委員を狙っていた薄き来の政治生命が絶たれるかどうか、である。
古くは江沢民が政敵=陳希同を葬った折も、副官だった王実森北京副市長は「自殺」した。陳希同は北京市書記にして古参幹部、上海からいきなり二段階特進でやってきた江沢民をバカにして、ことごとく彼に嫌がらせをした。
江沢民の右腕だった曽慶紅はトウ小平とはかり、北京の銀座と呼ばれるワンフーチン(王府井)開発で香港財閥に便宜を図り賄賂を取ったとして逮捕し懲役十六年、陳は刑期の終わった今でも内蒙古省の監獄に閉じこめられたまま。江沢民がまだ生きているからである。
<中略>
胡錦涛の政敵だった陳良宇(上海市書記)失脚は、頭でっかちで政治力のない共青団が、当時の権力中枢を牛耳った上海派の鼻をあかせたが、同時にばらばらだった上海派の利権グループを再度、結束させてしまい、下馬評にもなかった太子党のダークホース習近平が浮かび上がって、いつしか胡錦涛の頼みの綱=李克強の上を歩み、いまや次期総書記は間違いないという座を得た。
▼二転三転、逆転逆逆転の権力闘争
つまり三国志演義にも類型のドラマが見られるように、いま勝利組が明日も勝利しつづけているドラマは中国では成立しにくく、往々にして逆転劇がおこる。しかけたほうが、ほくそ笑んだ直後に、仕掛けられた次の謀略が幕を開く。
陳失脚後、おとなしくなったと思いきや、江沢民は自派から次期後継を捜し出して党内合意を瞬く間に形成し、習近平をポストに就かせることで陳失脚劇を幕引きしたのだ。
その後、江沢民病死説が流れても、胡錦涛派が李克強の巻き返しに動かず、静観した。辛亥革命百周年の式典に江沢民が現れ、その院政の影響力を誇示して見せたが、共青団は騒がず、しかし広東省の王洋書記と組織を司る李源潮の次期執行部入りを黙々とオルグしていた。つまり彼らの力の限界をみせた。
この間にひとり気を吐いたのが「唱紅打黒」を唱えた重慶の暴れん坊、薄き来だった。
このタイミングで太子党の合意は、たとえ太子堂のプリンスのひとりとはいえ、将来明らかに習近平の政敵になる薄き来は邪魔であり、胡錦涛らの共青団にしても、煙たい存在となる。
したがって上海派主導で薄き来の政治生命を絶つこと、これは太子党利権グループが共青団を巻き込んだ権力中枢の合意であろう。げんに王立軍の後釜は共青団人脈から選ばれ、上海派の差し金であるにも関わらず彼らは表面的な人事介入から無縁の立場を装うことが可能となっているように。
秋の第十八回党大会を前にして、どっかりと政治的嵐の季節が始まった。
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太子党の中での、習近平氏と薄煕来氏の争いに、中国共産主義青年団も巻き込んでの政争だという話なのですね。どこかの国でも政権与党内で内輪もめしていて、野党と与党の一部で首相の免責をやりかけたりしてましたが。
しかし、新政権がスタートするまでには淘汰されるのですね。どこかの国では、内部分裂したまま双方与党の席に固執して、国益より党内融和(=抗争)を優先しています。
王立軍重慶市副市長の米国領事館接触を北京に通報したのは、米国領事館だったというのは、産経も書いていますね。習近平に貸を造ったと。折から、習近平は米国詣でをしていますが、スタートからハンディを背負わされてしまった?
【北京=矢板明夫】中国中南部の重慶市の王立軍副市長が6日に米総領事館に一時駆け込み、その後中国当局に身柄拘束されて「休養」が発表された事件が中国内外で大きな波紋を広げている。中国の次期指導部を決める秋の共産党大会を控え、各派閥による激しい権力闘争が表面化したと指摘されているほか、事件が習近平国家副主席の訪米直前に起きたことから、米中関係にも微妙な影響を与えるとの見方も出ている。
王氏は遼寧省公安局幹部だった1990年代に数々の難事件を解決したことで、後に遼寧省長になった薄煕来氏に評価され、薄氏の腹心の一人となった。薄氏は薄一波元副首相の子息で党の高級幹部子弟で構成される「太子党」の中心人物の一人。今年秋の党大会で最高指導部入りが確実視される大物政治家の一人だ。
王氏は2008年、重慶市書記に転出した薄氏に引き抜かれる形で重慶市公安局副局長となり、薄氏の功績とされる黒社会(暴力団)一掃キャンペーンを主導。暴力団との癒着を理由に複数の元重慶市高官を逮捕し、裁判で死刑に処したことが大きな反響を呼び、王氏はメディアに「英雄」と宣伝され、副市長兼公安局長に抜擢(ばってき)された。
しかし、王氏の強引な手法は数多くの冤罪(えんざい)事件を生み出したとされ、党内から多くの批判が寄せられた。昨年末から「経済問題で党中央規律検査委員会の調べを受けている」との噂がインターネットで出回り、今月2日に兼任していた公安局長を突然解任された。「王氏への捜査は、その親分である薄氏の中央入りを阻止したい政敵が主導した可能性が高い」(共産党筋)という。
王氏が今回突然、米総領事館に駆け込んだのは、捜査の手がいよいよ身辺に迫り、このままだと自分も処刑されるとの危機感があったためとされる。しかし、結果的に米総領事館を巻き込んだことは、薄氏の政治生命に大きなダメージを与えるだけではなく、習近平氏が率いる太子党の求心力にも影響を及ぼす可能性がある。
米大使館は、亡命を求める中国の知識人を受け入れたことがあったが、王氏は米国総領事館内に約24時間とどまっただけだった。政治亡命の要求を米国が拒否した可能性が高い。習氏訪米を前に、米中間の外交問題にさせなかったことで米国は中国に大きな「貸し」を作ったともいえ、習氏との交渉では米国側が有利になったとの見方もある。
王氏の強引な手法は数多くの冤罪(えんざい)事件を生み出したと言うのですが、黒社会に果敢に立ち向かっても潰されてしまうのが重慶市という歴史が繰り返されているという説は、既に書きました。
重慶副市長 パトカーに取り囲まれた米領事館に一夜滞在後行方不明 - 遊爺雑記帳
しかし、王氏が薄煕来氏の批判をネット上で流したとか、薄煕来氏が王氏の捕獲を手配したとか、タッグを組んで打黒をして英雄になったはずなのに、二人の間が破綻していたかのような情報がありますが、理由や真偽は未明の様ですね。
義経と頼朝を想い起しますが、事件が世界中に知れ渡ったことで、薄煕来氏の今後も危うくなり、太子党の威信も失われ、習氏も米国に借りが出来たところは頼朝とは異なりますね。
三つ目はWSJの見方。
中国、習体制への移行に難題も - WSJ日本版 - jp.WSJ.com
ここでは、「王氏は米国の保護下に入ることで時間稼ぎをし、重慶警察当局と薄氏の指示による身柄拘束を避けようと北京の中央当局の支援を求めたのだとの見方もあった。」と紹介しています。
そして、「これは中国の政治動向をめぐるイデオロギー上の対立を示す、とアナリストは指摘している。薄氏は重慶で毛沢東主義を推進し、革命歌を歌う「唱紅」と大衆動員を展開していた。彼の主要な政治ライバルである広東省の汪洋共産党委員会書記はもっとリベラルなアプローチを推進しており、法の支配と土地の権利保護を強調している。 」とも。
薄氏の直接の対立相手を、汪洋共産党委員会書記とし、毛沢東回帰とリベラルとのイデオロギーの進路の違いを争点にあげています。打黒も旧体制の改革だと思うけど...。
更に、「一部のアナリストは習副主席が薄氏を快く思っていないと指摘する。薄氏の野心と派手な個性は習副主席のアジェンダ(政策目標)にそぐわない可能性があるからだ。」と。
王氏と薄氏の離反については、「王氏が最近公安局長のポストを外された理由は不明のままだ。諸説紛々だが、一説には、薄氏追い落としのための証拠集めの1つとして、北京中央が王氏の捜査開始を計画していたという。ただし、一部アナリストによれば、捜査の動きが薄氏に漏れ、薄氏は王氏を重慶で拘束させようと企てたともうわさされている。」のだと紹介しています。
ここは、上述の、王氏が領事館に駆け込んで、北京中央の支援を求める時間稼ぎをしたという話に繋がります。
米国を巻き込むことになってしまい、あろうことか新政権のスタートに際し、米国に借りをつくってしまった習近平新政権。ただでさえ難題山積なところに、前途多難を思わせますね。政権スタートまでにもまだ何か起きるのか、目が離せませんね。
# 冒頭の画像は、薄煕来氏と王立軍氏
この花の名前は、ジニア・プロフュージョン・コーラルピンク
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