ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

国家と国民の絆

2016-12-04 16:33:22 | 日記
国家の民、国民であるとは、どういうことなのか。たとえば、中国と日
本。この二つの国は現在、友好関係とはほど遠い関係にあるが、両国の
国民同士が、親密な友好関係を結んでいる場合がある。

東京新聞のきょう(12月4日)の社説《週のはじめに考える 地方が支
える日中関係》は、日中それぞれの国の地方の国民が、親密な交流を重
ねながら、両国の絆を支えている具体例を、いくつか紹介している。

たとえば、中国近代芸術の巨匠・呉昌碩を慕う多くの日本人が、呉昌碩
の関係者と交流を深め、領土をめぐって日中関係が悪化したときでも、
この関係を存続させたケース。

また、日本での留学経験を経て、二十年前に出版社・日本僑報社を創設
した段躍中さんが、民間交流に尽力し、日中関係の悪化などものともせ
ず、日中文化の懸け橋となる三百冊余の本を陸続と出版してきたケー
ス。

東京新聞の社説は、国家指導者が「自国第一主義」の傾向を強めている
昨今の趨勢を指摘し、こうした趨勢にあってこそ、地方同士の民間交流
が「安全弁」として、(補完的でありながらも)重要な意味を持つのだ
と強調している。

この東京新聞の社説を読んで、私は、国家と、国民であることとはどう
関係するのだろうかと考えた。

国家同士の関係にかかわらずに深められる国民同士の交流、ということ
で言えば、ビジネスを通して知り合った両国の民間人同士が、飲み会の
席などで親交を深める、といったケースも考えられる。二人が男女であ
る場合には、それが恋愛関係に発展して、めでたくゴールインといった
こともあり得るだろう。

国家は、限りなく自国の国益の増大を追求する。国家と国民は、それぞ
れ別個の論理で動いている。国家が、国民とは別の論理に従って、自国
の国益の増大を追求するとき、その結果としてある国とある国との利害
が衝突し、国交断絶や戦争寸前という事態に至ったとき、両国の国民同
士の交友関係はどのような作用を及ぼすのか。

B国と敵対関係にあるA国で、次の指導者を選ぶ選挙があり、好戦派
のp氏と戦争慎重派のq氏が立候補したとき、B国の国民と親交を結ぶ
A国の国民が多ければ、戦争慎重派のq氏が当選する蓋然性は高くなる、
とは言えるだろう。

この問題領域に考えるべき点は多いが、「アメリカ・ファースト」で
突っ走る、あのトランプ次期アメリカ大統領の場合はどうだろうか。東
京新聞には、この問題を考えるための縁(よすが)として、日米におけ
る民間交流の事例を、いくつか紹介していただけると有難い。
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