ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

核廃絶論ふたたび

2017-01-08 18:33:33 | 日記
有り難いことである。読者諸兄のコメントのおかげで、本ブログは久々に盛り上りを見せた。久々というより、初めてのことだったのではないだろうか。コメントを寄せてくれたkさん、そしてomg05さんに、まずはお礼を申し上げたい。
せっかく盛り上がったので、コメントで話題になった核武装問題について、このまま議論を続けたい。論点を整理するために、まずは議論の出発点になった朝日新聞の社説を確認することから始めよう。朝日新聞は1月6日付の社説《核兵器なき世界へ 逆行させず交渉前進を》で、核兵器禁止条約制定交渉をテーマに取り上げ、この条約は「核廃絶に向けた大きな一歩となる」と述べている。これについて、私は次のように述べた。「核廃絶に向けた大きな一歩」となるべきこの条約の、その制定交渉にこそ、無視できない大きな障害がひそんでいるのだ、と。ここで言う障害とは、ほかでもない,核の威力で安全を保とうとする、いわゆる核抑止論である。「核の威力で安全を保とうとする抑止論から抜け出さない限り、核廃絶は近づかない」と朝日は述べるが、悲しいかな、いまだに核抑止論から抜け出せていないのが、国際政治の現状である。そうである限り、核兵器禁止条約の制定交渉が始まった現時点においても、国際社会は依然として核廃絶から遠いままだと言えるのではないか。

では、核兵器禁止条約の制定交渉は、なぜ楽観視を許さないのだろうか。これまでの経緯をふりかえってみよう。「2017年に核兵器禁止条約交渉のための会議を開催する」とする決議案に、日本は反対票を投じた。反対票を投じたのは、核を保有する米、英、仏、ロの4カ国と、日本のように、この4カ国の「核の傘」の下にある国々である。
それでは日本はなぜ、この決議案に反対票を投じたのか。それは、この核兵器禁止条約が各国に「核兵器の平等な禁止」を義務づけることで、核不拡散条約(NPT)に基づく5大国の支配体制を揺るがすものになるからである。核不拡散条約(NPT)は、戦勝5大国だけに核兵器の保有を認め、それ以外の国にはこれを認めないなど、第二次世界大戦が作り出した不平等な世界状況を固定化しようとするものであり、これに対して、核兵器を保有しない国々の反発は強い。インドやパキスタンは反発から、この条約への批准をいまだに拒否しているほどである。
さて、懸案の核兵器禁止条約である。日本はこの条約の制定交渉に反対の姿勢を示したが、日本と同様これに反対票を投じた国々に共通しているのは、核の威力で安全を保とうとする、いわゆる核抑止論を固持する姿勢である。核兵器禁止条約の制定交渉には核抑止論の障害が潜んでいる、と私が述べたのは、そういう意味である。
さてさて、核兵器禁止条約は(1)「すべての国の核保有を禁止する」ことで不平等な状況を打破しようとするものだが、不平等な状況を打破しようとするのであれば、そのほかに、(2)「すべての国の核保有を認める」というやり方もある。読者コメント欄で、kさんが提起したのは、この(2)のやり方によって、本当に不平等は解消されるのか、という問題であった。kさんが言うように、すべての国が核兵器を保有するようになれば、大国が武力にものを言わせて弱小国の主権を脅かすといったことはなくなるだろう。「窮鼠猫を噛む」の諺を使えば、「窮鼠」(窮状に陥った弱小国)は窮状を打開しようとして、「猫を噛む」(核兵器を使用する)かも知れないから、弱小国を窮状に追い込んだり、弱小国の窮状を放置したりすることもできなくなるだろう。
しかし、弱小国の窮状にどう向き合うか、ということであれば、それに目をつぶってこれを座視するようなことは、現状でも行われていないのではないか。「基本的人権の尊重」を旨とする国連憲章が、それを許さないのではないか。国連憲章が歌う人権尊重など、ただのお題目に過ぎない、と高を括ることはできない。

昨年の8月末にあった北朝鮮の洪水被害のことを思い返せばよい。大洪水による甚大な被害で、北朝鮮の人々は窮状に陥ったが、国連世界食糧計画 (WFP) はこの窮状を救うため、14万人分の食料を提供するなど、大規模な援助の手を差し伸べている。支援の手は、国連機関によるものとは限らない。日本や韓国は北朝鮮の非核化を優先する姿勢から、援助を拒否したが、中国は北朝鮮に対し、2000万元(約3億円)相当の緊急支援物資を無償提供すると発表している。
このように、現状でも、弱小国の窮状はじゅうぶん国際社会の目配りの対象になる。たとえこの弱小国が、核兵器の開発に邁進して、多額の国費をそれにつぎ込んでいても、である。
だったら、という意見があるかも知れない。すべての国が核兵器を保有するようになっても、状況に大きな変化はなく、現状とさほど変わらないのだったら、核兵器を保有するのに国費を費やすだけ、無駄なのではないか、と。

こうして、核の非保有国は非保有の現状に甘んじ、核不拡散条約(NPT)の不平等体制は維持されることになる。(2)「すべての国の核保有を認める」というやり方をとっても、ゴールへの道は遠い。不平等は固定されたままである。

これに対しては、「低コストで核兵器と同等以上の破壊力をもつ兵器が開発されれば、弱小国でも核兵器と同等の破壊力を持つ兵器を保有することができるようになるのではないか」という意見もあるだろうが、どうだろう。そうなったときには、「軍備の不平等」は解消するとしても、「人類が大量破壊兵器の脅威にさらされる」という現状に変わりはなく、人類の生存状況はなんら楽観視を許さない状況にあると言わなければならない。
コメント (1)
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