夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

65歳以上の5人に1人が認知症に 長寿化が進む中での「認知症リスク」、高齢者の私は学び、やがて溜息ばかり重ねて・・。

2017-08-20 15:21:24 | ささやかな古稀からの思い

先程、ネットの【マネーの達人 】で、『シニア』を愛読している私は、
『 65歳以上の5人に1人が認知症に 長寿化が進む中での「認知症リスク」をどう考えればいいのか。 』
と題した見出しを見てしまった。

私は東京の調布市に住む年金生活のまもなく73歳の身であるが、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
そして雑木の多い小庭の中で、古ぼけた一軒屋に住み、日常を過ごしている。

そして私たち夫婦は、お互いに厚生年金、そしてわずかながらの企業年金を頂だいた上、
程ほどの貯金を取り崩して、ささやかな年金生活を過ごしている。

こうした中で、私は70歳を過ぎた頃から齢を重ねるたびに、物忘れが多くなった、と改めて気付き、
独り微苦笑する時もある・・。

たとえば家内とテレビの旅番組を共に視聴したりしている時など、
あそこも行ったよねぇ、と私は家内に言ったりした時、その地の情景などは鮮やかに重ねることができても、
肝心の地域名が言葉に出来ないことが、もどかしさを感じる時もある。            
           
こうしたこともあり、もとより私は認知症に遭遇しないように念願しているが、
やはり認知症に関しては、気になり精読してしまった。

             

この記事は、生命保険・損害保険・住宅(不動産)・住宅ローン、
そして税金や相続、登記などに精通されているリップ ラボ代表の小木曽 浩司さんの寄稿文であり、
【マネーの達人 】の『シニア』に、8月20日に配信され、無断であるが転載させて頂く。

《・・65歳以上の5人に1人が認知症に 長寿化が進む中での「認知症リスク」をどう考えればいいのか。

昨年以降、生保会社や損保会社から
続々と「認知症リスク」に関連した保険商品や特約等が続々と発売されており、
異例の大ヒットを遂げているようです。


これは、長寿化が進む中で、自分や家族が認知症になった場合の費用負担などに対する
漠然とした不安感が根強いことの表れでしょう。


今回はその「認知症リスク」についてお話したいと思います。

☆65歳以上の認知症患者数はどんどん増加する見込み

図をご覧ください。

これは内閣府が作成した資料ですが、これによれば65歳以上の認知症患者数は、
平成24(2012)年の時点で、全国に約462万人と推計されております。


平成37(2025)年には約700万人前後とされ、13年で約1.5倍にも増える見通しです。

これは、65歳以上の高齢者のうち、5人に1人が認知症に罹患する計算となります。

あくまで推計ですので、現実との乖離はあるかもしれませんが、
現在ご家族の中に60歳以上の方がいらっしゃれば、
約20%の確率で遭遇するかもしれないということです。

            

☆認知症状が重い場合、介護費用は倍以上

家計経済研究所の調査では、要介護1の場合で、
1か月の介護にかかるお金は「平均2万1000円」とされていますが、
同じ要介護度でも、認知症状が重い場合は「平均5万7000円」と認知症状が中程度以下と比べて
倍以上も違うと報告されています。


平均寿命と健康寿命との差、すなわち健康上の問題で日常生活に影響がある期間は、
最新の統計から推計しますと男性が8.84年、女性が12.35年となります。


この期間すべてに、上記の介護費用がかかる訳ではありませんが、
少なくともライフプランニングにおいて、男性は5年程度、女性は8~10年程度は
介護費用を組み入れて、シミュレーションしてみて対策の是非を判断されても良いのではないでしょか。

☆認知症となれば周囲の方へもかなりの負担が出ます

単純な介護だけでも費用負担や就労制限、精神的負担等周囲の方々にとってはかなりの重荷ですが、
認知症の場合は、さらに監督責任が重くのしかかる場合があります。


民法714条で、重い認知症の人のように責任能力がない人の賠償責任を
「監督義務者」が負うと定めてあります。


記憶に新しいのが2007年に愛知県大府市で起きた列車事故の訴訟事例です。

介護する家族に、賠償責任があるかどうかが問われた裁判です。

最終的には、最高裁判決で妻や長男は上記の「監督義務者」に当たらず、
賠償責任なしとされましたが、
一審、二審では、それぞれそれなりの賠償責任が言い渡された経緯があります。


状況等によっては、結果が大きく異なることがある裁判において、
これは、認知症徘徊者をお持ちのご家族にとっては、
かなりのプレッシャーになり得る事例です。

            

☆「認知症リスク」をどう考えればいいのでしょうか?

ここまで話してきた認知症リスクですが、それでは一体どう考えればいいのでしょうか。

私は次のように分けて考えたらいいのではないかと思っております。

(1) 費用負担リスク
(2) 監護・介護負担リスク
(3) 資産管理リスク

当たり前ですが、個々の資産状況や家族状況等によって、
どこまで考えなければいけないかは異なります。


■(1) 費用負担リスク

介護費用等を含めたライフプランニングの結果、
必要であれば冒頭で触れました認知症リスク関連の保険で、補填するのがひとつの選択肢です。
(お金の準備は、保険商品だけが得策とは限りませんが、目的ごとに準備することには有益です)

 
■(2) 監護・介護負担リスク

先に述べました賠償責任リスクと人的負担やそれに伴って発生する諸々の諸問題も
考えなければならないでしょう。


賠償責任リスクについては、発生した場合高額になる可能性がありますので
認知症リスクまで補填できる賠償責任保険特約などを付帯されるといいでしょう。


人的負担やそれに伴って発生する諸々の諸問題とは、施設に全て任せる場合は別ですが、
家族等で監護・介護する場合は、その監護・介護する方のライフプランの変更、経済的悪影響、
その方への感謝や誠意の表明などです。


このことを軽くみますと、後々、家庭状況や相続・遺産分割にまで
悪影響が出る可能性がありますので、お気を付け下さい。

 
■(3) 資産管理リスク

お金や人が揃っていたとしても、資産管理上の問題が発生することも想定されます。

法定・任意後見制度、民事(家族)信託制度、遺言制度等の利用の検討も含めて
どのように管理していくのがいいかを考える必要もあるでしょう。


このことも相続・遺産分割に悪影響を及ぼす可能性があります。

           

☆最後に

まずは、認知症リスクに対しては費用面だけでなく、
トータル的な視野と対策が必要であることを理解し、
御自身にはどのリスクがどの程度あるのかを具体的に想定してみて下さい。


漠然とした不安感で、保険に加入するだけでは、
周囲の方が安心できるとは限りませんので…。・・》

注)記事の原文に、あえて改行を多くした

          
 
私は午前中のひととき、平素の買物を家内から依頼された品を求めて、
私は独りで歩いて7分前後にある最寄のスーパー2店か、

或いは最寄駅まで15分前後歩いて、数多くスーパー、専門店で買い求めたりしている。

最寄駅までは、利便性ある路線バスは頻繁に走行しているが、季節のうつろう情景を眺めたり、
歩くことは何よりの健康の源(みなもと)と信愛している私は、原則として路線バスに頼らず、
ひたすら歩いて往還している買物メール老ボーイとなっている。

そして買物メール老ボーイの責務を終えた後、帰宅後も私は独りで外出して、
自宅から3キロ以内の周辺にある遊歩道、小公園などを散策して、季節のうつろいを享受している。

こうした根底として、いつの日にか認知症、或いは脳梗塞などの難病に遭遇したら、
ささやかな願いも叶えられなく困窮するので、ひたすら歩き、ときおり大股で歩いたり、
或いは足早に歩くことが多くなっている。

         

今回の記事を読み終わった後、《・・認知症リスクまで補填できる賠償責任保険特約・・》
と保険加入を勧められても、裕福でない私は、溜息をしたりした。

これ以外も、費用負担、監護・介護負担、資産管理の難題も多く、溜息ばかりした。

やむえず何とか認知症にならない方法は・・思案したりした。
そして何かと単細胞の私は、私自身の長所でも短所であることを思い重ねたりした。

私は年金生活をしている中、相変わらず亡き母の遺伝を純粋に受け継いだ為か、
恥ずかしながら男の癖に、おしゃべりが好きで、
何かと家内と談笑したり、ご近所の奥様、ご主人など明るく微笑みながら談笑したりしている。

或いは、知人とか友人と時折お逢いする時は、しばらく、と私は笑いながら逢ったりして、
日中はコーヒー、夕暮れからはビール、水割りのウィスキーを飲みながら、談笑をしたりしている。

ときおり国内旅行を私たち夫婦は重ねてきたが、
旅先でも、私は食事処、ロビーなどて隣席した見知らぬ方でも、
話しかけて談笑したりしている。
                          
こうした中で、好奇心をなくしたらこの世は終わりだ、と信条している私は、
体力の衰えを感じている私でも、その時に応じて溌剌とふるまったりしている。

                                         

そして日常生活を惰性で過ごすは私自身としてのは、一日が終わった後は、むなしく、
たとえ年金生活でも、メリハリのある時を過ごすことを指針としてきたので、
こうした思いを継続すれば、認知症・・無縁でいられるかしら、と微苦笑したりしている。


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