伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

読売書法展開催国立新美術館で見学、古代ミステリー 海の縄文人、丸木舟を飛鳥山博物館で探索。

2023年08月27日 | 日本史の考察

先日愛知に暮らす妹から連絡があり、読売書法展で読売奨励賞受賞したそうで会場は《第1会場》国立新美術館《第2会場》東京都美術館である。
アクセスは意外と都合よく北総公団鉄道町屋駅にて東京メトロ千代田線「乃木坂駅」6番口直結して雨天も気にせずにドアツードアである。
この国立新美術館での開催は初日とあり、まずまずの人手が多く、受付は混雑し詳細を調べるも手間取りました。



「カナの部」は国立新美術館での開催の為、今回交通は電車で向かった、実は帰りに飛鳥山の博物館探索も実行したく早めの朝9時頃出発する。

どうも忘れがちな常備品、この時期は氷入り麦茶の水筒と扇子と帽子は必需品である、いつでもどこでも飲める冷たい水筒は真夏の必需品で、この時期は給水は大切で、また熱中症予防にもなる。



経路は北総線白井駅から出発し、町屋で千代田線に乗り換え乃木坂下車で国立新美術館到着は車より便利でこの近くは駐車場も少なく電車でのアクセスは便利である。 設計監理:黒川紀章が波の様なうねうねとしたガラス張りの建物は有名である。会場は1・2・3fと使い出品もかなり多い、他の上野の東京都美術館でも繰り広げる様です。



案内で場所を検索し2B -4会場を見つけ1Fで役員関係の作品を見ながら妹の作品を見た、妹曰く読売書法展で読売奨励賞は前から欲しかった賞であると言っていた今回やっと念願が叶った様である。



前回の日展の会場が少なかったと思うほどである、出展数が多い様に思う。
妹の書が読売奨励賞を頂いた作品でした。恥ずかしながら筆者は書の知識は全く無いのですが・・・(笑)。



先ずはおめでとう!次は日展ですね、頑張って下さい。

モダンな国立新美術館を後にして、次は駅までの距離があり少し歩くが大江戸線の六本木駅から乗車し麻布十番駅で南北線に乗り換え王子駅着、昔は王子駅はJR駅と都電しかなかった様に思うが便利になった交通網である。

この辺りで昼食にする、王子駅近のお蕎麦屋で冷たい山かけ蕎麦を頂く、それと近くで温かい珈琲を注文するが上手くは無かった。
この王子辺りは余り昔から縁遠く場所は下町なので美味しいお店のあると思うが、全く皆無で駅近くで、こ綺麗な蕎麦屋に入った、蕎麦の量は盛りも良く満足であった、食事の後の蕎麦湯は実に好物でしっかり頂きました。蕎麦湯を飲みたくそばを食う、今後新蕎麦の時期となるが楽しみでもある。



それから飛鳥山に向かう、展望台まで簡易なモノレールがあり乗車するとエアコンが良く効き快適であった。乗車時間は2分程度であるが・・・。
確かに東京と言う割には都市は意外にも木々が多く植わり公園等も備わっている為森林地帯が多く存在する街である。

勿論この王子、飛鳥山も江戸時代に整地され桜の名所として公園になった事は有名ではある。



本で読んだがこの飛鳥山は江戸時代の享保年間に行楽地として整備され春は庶民の桜の名所にもなっている、一度春の桜の時期に訪れるのも楽しいかもしれない。
来年新一万円札になる園内に残る旧渋沢栄一旧邸もあるそうだが、今回は博物館探索に決めており飛鳥山博物館に向かう。



桜の時期は上野公園とも人気な桜の名所としても有名である。モノレール下車して博物館にはゆっくり歩けば7〜8分程で到着する、飛鳥山は小高い丘上になっていて途中青々とした樹々が涼やかで児童公園には都電も掲示されていた。
途中にわか雨が降り出したが5分ほどで小振りになり目的地に到着する。

それを見ながら通過し、意外と簡素な建物が飛鳥山博物館であった。入場料は300円也でしたが高齢者は150円の割引です。撮影したい方は入り口にて撮影許可証を頂いてください(フラッシュ禁止です)。

少し前に青森の三内丸山遺跡の集落を訪れたが、この縄文時代は実にミステリアスで大変面白い世界であり、学生時代に簡単に学んだ日本の歴史を今学んでいる様である。現在日本には1万箇所以上ある遺跡巡りも実に興味深さがある、未だ発掘作業は途中で、これらの事が明らかになれば我々大和民族のルーツが解明出来ると思えば益々興味深い。

これこそ日本が世界に発信できる日本文化そのものである様にも思う。次の時代に世界に発信できる国は伝統文化のある日本が相応しいのかも知れない。



筆者が唯一BSのNHK番組放映を楽しみに観る、英雄たちの選択  追跡!古代ミステリー 海の縄文人放映した船の展示が飛鳥山博物館で見られる、丸木舟の情報を知りたく、是非現物を見たかった為に今回やっと念願が叶った。

意外と船の幅もあり深く削れているのが特徴的で、或程度の波にも十分波対策は得られるであろうと想像できる。丸木舟で台湾沖縄の横断は可能であるであったのだろう?海上公開について食料、飲料は如何に補給したのか不思議なことは多く益々興味深くなる様である。
この丸木舟のポテンシャルはどの程度の性能があるか色々想像するだけで我々の祖先海の縄文人は何を考えていたのであろう?そうの様な事を思うとロマンで胸が高鳴るのを覚えた。

以前丸木舟での台湾〜沖縄航海は横断成功したとの報道があり、驚くとともに実証されたことでの丸木舟の海上航海は事実となった訳である事が判明した。
勿論日本から見渡す太平洋上には火山活動が盛んな小さな島々が続いて存在し丸木船で島から島へ伝わりながら洋上を丸木船での往来は可能であった事であろうと想像できる。
或程度の水、食料を積み未開の海のの航海を楽しみも含め正に海への浪漫であったのであろう・・・・・。



基本的には日本列島は周りは海に囲まれた島国であり、食料は勿論海からの恵みに恩恵を受けた人々であろう。島々を渡りながら進めば西太平洋のミクロネシアにある米国領の島グアムまでも航海可能である。又台湾ルート航海を考えれなマニラ、フィリピン、インドネシアの航海も可能である。夢は広がる世界観でもあろう。

以前から山内丸山遺跡も丸木舟による海からの道が出来ていた記憶も新しい、今回興味深く見学したが、益々興味を抱いたことは、海上での獲物確保と、海洋交易である、黒曜石等勿論大切な琥珀等も産地から輸送したのであろう。

物の運搬は舟が一番手軽であるが、日本列島は島々が多く北から南まで随分長い、海を自由に航行できれば一番手軽だとも思う、日本列島を取り囲む「海」と古代人の関わりを示す新発見が相次ぎ、「海」を通して古代人のこころの解明に注目が集まっている。


丸木舟に関する上記パネル掲載にはムクノキ使用とあるが、ムクノキの葉は、葉の表面に光沢はなく、両面とも細かな剛毛があってザラザラしており、乾燥させた物はトクサと同様、紙ヤスリ代わりに桐の箪笥などの家具、象牙、鼈甲(べっこう)、漆器の木地などを研磨するのに使われるそうです。
舟表面を磨き防水並びに表面を研磨し水の抵抗を防いだのかも知れない、現在の研究では人類は1,400CCが脳の重さと言われるが最近人類の脳の重さは若干減っていとも言われる、縄文時代当時は覚えることも多く現在と違った脳の働きも必要とした時代であったのかも知れない、正しく海の縄文人の知恵なのであろうか?と驚く次第である・・・。

今回は、海の縄文人の世界に迫る・・・。
1万年以上続いた縄文時代の後期、突如、貝で作ったアクセサリー「貝輪」の一大ブームがあったそうである。なかでも、美しい輝きを発するオオツタノハの貝輪は珍重され、勿論展示もあり、東日本一円から出土している。この謎に包まれた貝の生息地を求めて各地を探し回っている考古学者もいる。



テレビ画面ではオオツタノハ採取の瞬間を放映していたが、オオツタノハを加工した「貝輪」は実に綺麗な真珠のような色で光り輝いていた。

このほか、全国各地から多数出土した縄文人の丸木舟、さらに技術的に現代のものに負けない骨格製の漁労具などから、知られざる海の縄文人の謎めいた事実も探ってみた。


この丸木船の形状を見ればわかるが木の中心部は船の舳先の下になっているためUの字の上の部分まで船が構成され、波にも負けない構造をしている事は解明できる、実験ではこの木を見つけ、木の伐採工事から丸木船にするまで磨製石器を使用し製作してする時間は20人程の人材で一ヶ月以上はかかると言われる。
その後航海後のメンテナンスを考えれば社会組織も必要になるのであろう。後は航海術、夜間の方位を調べる方法等必要事項も多い様に想像出来る。

しかし一番不思議に思うは、石器時代に「火」を扱うこと、「各種の道具」を扱うことの知識は如何にして湧いたかの疑問だ・・・今後も科学が進み多くの事が解明できればその様な謎も解明できるのかもしれない。


丸木船の舳先の部分です、波の影響も防ぎ安定な航海を考えての制作方法であろう。また当時は海の面積も多く締め、海上輸送が頻繁に行われた様である。

食事の支度、時期世代の子供も考えれば約100人程の人口は必要であり、また船の加工も表名を燃やし防水磨き摩擦抵抗も無くした跡もある様です。同時に海運も従事していたのであろう。造船技師、航海技師もいたのであろう、益々興味尽きない縄文文化であろうか、磨製石器で生活した先祖達に驚くのである。



筆者も思うは昔から海洋国であった事は事実であり、水路を利用した生活は今も続くが湿地帯である江戸に徳川家が入り、関東は隅々まで水路で繋技、上下水道を整備して利根川の流れまで変え、生活圏は住みやすい江戸時代で花開き明治、昭和時代まで続いていた。また海洋では暖流と寒流がぶつかり実に良い食料にも最適な漁場も見逃せない条件であろう偶然の重なりとは言え平和な国であった。

縄文時代は人類が獲物を求め移動生活と言われたが当時は海産物等豊富で移動しなくとも食卓は豊で穀物は栗など木のみが豊富であり栽培も盛んに行われた次第である。日本は間違いなく海洋国であり海と共に背活を営んでいたと想像できる。


ここで古い関東地方の5〜6000年前の地図であるが、手賀沼も大きな湖と分かる水源地はご存じ柏のこんぶくろ池である。関東地方は海の湖に囲まれた世界であり手賀沼、霞ヶ浦とは繋がっていた事がわかる。

此処とは別の場所にある「江戸東京博物館」に掲示される縄文海進とは、最終氷期(現在からみて最も新しい氷期。数万年前~1万年前ごろまで続いた)以降の海面上昇に伴い、縄文時代早期~前期に現在の海岸線よりも奥まで海が侵入したことを指す。



「この図の見どころは、縄文時代の貝塚遺跡の多さを実感していただくことです。それに加え、自分自身の住まいが当時はどういうところであったか(海!)探していただけると楽しめるかと思います。そして周辺の貝塚に興味をもって訪れていただければ幸いです」上記のようなコメントが残されていた。
確かに埼玉にも海は存在し、茨城も霞ヶ浦も内海で陸地は北側の日立市からの陸地で千葉も上総が先に繁栄し島の状態に近い。三浦半島から海を船で航海すれば近い上総である、関東地方は海が広がり遠浅の海洋生物が多く食料事情も良い事が想像出来る。当然貝塚も多かったのであろう事が判明する。

一番驚くは奥東京湾が表示されて川越奥まで続くまで海並びに湿地帯であった様に示されている、勿論現在の埼玉は海であった様である。丁度ここ飛鳥山付近は海岸近くであった様に地図には明記してある。


次の展示物は黒曜石の原石である、以前にも述べたが神津島で最高の黒曜石が取れる場所そして世界最古の記録を持つ場所です。恩馳島は、神津島の前浜から見える離れ小島で、天候によって神津島からの距離感や見え方が変わる不思議な島までこの丸木舟の航海は正に命賭けである。

後はブレスレット「貝輪」の事ある、聞くところ貴重なオオツタノハの貝輪は大規模な集落でも1~2点しか発掘されていない。更に詳細な生息地も定かで無く大変貴重な人気の貝であったようである。
見知らぬ小島の大潮の干潮時に現れるオオツタノハは貴重品であったと言われる、一変的にはベンケイガイの貝輪が一般的であったと言われる。


縄文時代の研究は始まったばかりで今後新しい情報が期待できる面白さがある。


飛鳥山博物館にも様々な貝塚の展示があった。中から人骨も出土している、の本の土壌は弱酸性で骨は溶けて無くなるのですが、貝塚周辺位は人ことも見つかっている。



これは栗の木の化石である、当時栗の木は巨木でありそれも山内丸山遺跡の謎の高層建物も栗の木を用いて製作している。

縄文から弥生時代に変わるが、面倒な穀類の農作物作りは地球の温度変化によって自然に生活様式が変わって行ったのであろう、土器も低温で仕上げた土器から高温で仕上げる様になり薄く丈夫などきに変わって行ったのであろう。
穀類の長期の保存ができる米主体の生活に変わり緩やかに過ごしやすい時代に変わって行ったのであろう。


続いて弥生時代に移るtp、土器は薄く食事は現在に近づいてくる。


食事の支度の展示品である、現在のキャンプに近い。


農機具の展示もあるが、形は今でも使えそうである。


そして面白きは江戸時代のお花見等に使ったお弁当等の展示がある。

江戸時代はやはり白身の魚が多く赤身魚はカツオが多いよ聞く、マグロのトロ部分は痛みやすく脂身の為に処分されていたと聞くが、保蔵手段が無かった事が最大の理由であろう、写真を見ても分かるが大変美味そうである。


甘いデザート(お饅頭)の重もあり実に美味そうである。思えが一般的に和食は昔から余り変化はないらしい。


今現在海外から日本への旅行客も増えているそうでが、意外と和食に人気があるようで、和食の栄養のバランスも良く健康維持には良い食文化と言われるそうである。現在支那は食品は全面的に輸入禁止状態であるが、美味しい海産物は日本で消費しましょう、健康のためにもバランスの良い海産物を摂取しましょう。


地下部分が博物館で構成された手軽な博物館でした。帰りは今回2回目の乗車する都電を利用しました。


王子から乗車した都電ですが、意外と混んでいました、町屋までおよそ20分程で到着する、何か懐かしい都電で旅であった、町屋からは北総線経由で今回の散策は終了します。
話は変わりますが、現在ネットでもお馴染みの如く「中国の崩壊」「中国地方都市不動産の闇」等の記事が多く新規雇用の就職率も異常に低いが、お隣の国の支那では日本の食品全面輸入禁止処置が実行され騒いでますが、美味しいお魚は日本人が食べましょう、又旅行先にも日本には渡航禁止法案が提出されたと聞く、大歓迎である。日本人の生活リズムを乱す常識知らずで、大騒して五月蝿い団体支那人の来日禁止は実に良い法案である。早く法案成立が望ましい。
支那の政策はナイス近平である、ブラボー!

夏の終わりに聴きたくなる音楽は・・・ボサ・ノヴァの創始者稀代の奇人ジョアン・ジルベルトの弾き語りの独特の調べをを聴く。

2023年08月22日 | JAZZ・ボサノヴァ

この海岸は愛知県西浦ビーチであるが昔初夏に20センチ位のシロギスが釣れた場所でもある、最近自然環境が良すぎ、海水の透明度が良くなり昔鉄道唱歌で歌われた「海の綺麗な蒲郡」という文言通りになった様だが、筆者が思うにそもそも三河湾は水深が浅く自然の影響が受けやすいことがあるのであろうか、大手マスゴミが2〜30年前から叫んだ環境問題も影響が強い様である、この三河湾産の魚介類は江戸湾と比べ味が濃い様に思う例えが穴子は富津産と比べ絶品の味である、しかし最近余り海の水が綺麗になりすぎ名物の美味しい「アサリ」等が摂れなくなっている様です。
ガソリン車ディーゼル車に乗り多くのCO2を海に与えプランクトンを発生させなければ海水資源も無くなってしまう、大変美味しい三河湾名物の「シャコ」「ワタリガニ」も同様で全く水揚げできない状態と聞くがこれはCO2不足プランクトン不足である様に思う、勿論環境問題も大切ではあるが度がすぎて、程々の良いバランス維持はは肝心である。化石燃料は適度に使用が好ましい。

考えてみれば明らかであるが、現在マスゴミは支那が福島の汚染水問題を非難するが支那の台湾問題、米日韓の首脳会談を非難する抗議をマスゴミは放映するばかりで、本質は何も解説出来ない番組が現状である、早々国会の記者クラブは解散するべきだ全くの無駄なものである。又最近問題の木原誠二事件を警察は揉み消し始めたとも言われているが?事実なら警察の権威も落ちたものである。

夏から秋まさにこの時期何故か聴きたくなる音楽は懐かしいボサ・ノヴァ音楽かも知れない。
1950年代の末、ブラジル南部の大西洋に面した風光明媚な大都市、リオ・デ・ジャネイロの裕福な家庭のアマチュア・ミュージシャンたちによって生み出されたサンバとは違いお洒落感のあるボサ・ノヴァ曲です。
1960年代に、アメリカのサックスジャズ・ミュージシャンを経由して世界じゅうに広まりました。



ボサ・ノヴァの創始者、ジョアン・ジルベルト 来日公演の記憶(2003年〜2006年)〜「ジョアンのサンバ」は永遠に〜

白人ギタリスト、チャーリー・バードや白人テナー・サックス奏者スタン・ゲッツが、ブラジル発の“新音楽”ボサ・ノヴァに興味をもち、相次いでボサ・ノヴァを取り入れたアルバムを発表し大ヒットしたのです。
私たち日本のファンは、ゲッツ、ジョアン、アストラッドが共演した「イパネマの娘」や、アメリカ留学から帰国したアルト・サックス奏者、渡辺貞夫を通してボサ・ノヴァの存在を知ったのでしたが、その下地として、映画『黒いオルフェ』によって描かれたエキゾチックなブラジル音楽シーンの影響も大きかったと思います。
当時初めて聴く新しいリズムはジャズとも違い新鮮な音に酔いしれた事えお記憶する、後日深夜テレビ11PM等の番組バックでもハモンドオルガンでのボサ・ノヴァが流れお洒落感が感じる番組の様でした。



筆者がボサ・ノヴァ音楽を最初に聴いたのが略60年前の高校生時代に聴いたLPレコードのスタン・ゲッツ&ジョアン・ジルベルト『Getz/Gilberto』であろう。

当時1964年4月にLPについてこうレビューしている。「スタン・ゲッツの官能的なテノール・サックスと、ブラジルの有名人であるジョアン・ジルベルトの優しいエッジの利いたヴォーカルが組み合わさり、美しいブラジリアン・ミュージックを作り出している」もしかすると彼ら自身も、他の人たちも皆、『Getz/Gilberto』がそこまで成功するとは当時は思っていなかったのかも知れない。



ボサ・ノヴァの創始者」として大きく扱われました。中には「ブラジル音楽を改新して世界へ広めた功績者だから国葬にすべきだ」なんて書いた音楽評論家もありました。
ジョアン・ジルベルトは常識では考えられないほどの変人なのに神様扱いされています。マスコミに報道された彼の奇行だけでも分厚い本になるくらいだそうでです。
確かに日本でもジョアンのレコードを聴いてからボサ・ノヴァのファンになったという人が少なくありません。そしてソフトでおしゃれなBGM(バックグラウンド・ミュージック)として今でも愛好されている国は日本以外にないのかも知知れないでしょうい。でも本場ブラジルでは1960年代末には完全に消えてしまったのです。
どこまでがサンバ、どこからがボサ・ノヴァであろうか1960年代にサンパウロへ移って以来、録音スタジオやレコード会社の経営で成功したワルテルが亡くなる直前に、私にもらした興味深い言葉があります。「ジュアゼイロ時代のジョアン・ジルベルトはギターの基本スリー・コードしか知らなくて、昔のボレロなどを声を張り上げて歌っていたんだよ」と。



筆者がボサ・ノヴァ音楽を聴き出した頃はGetz/Gilbertoが最高のボサ・ノヴァ曲と思っていたが、年齢が重なりジョアン・ジルベルトの弾き語りに哀愁を覚えると、少しボソボソした歌が過ぎゆく夏を偲び、実に良い塩梅に聴こえる。
確かに歳を重ねボサ・ノヴァ音楽を聴き込むとジョアン・ジルベルトが何故か懐かしさを感じる様に聴こえるは何故であろう、流石年の功であろう。



勿論この様な音楽には英國のSPENDOR SP3/1Pに繋ぎ聴いている何故か優しいアコースティックギターの音と合う感じに聴こえる。
ゆったり時が流れやがて秋の気配が近づく頃に聴くは哀愁があり実に寛げるのがジルベルトのボサ・ノヴァなのかも知れない。ギターとヴォーガルが心地良く聴けるSP3/1Pのスピーカーの音を聴くにはヴォリュームを若干抑え目にして聴くこともお勧めする。但し使用パワーアンプは真空管が好結果が得られる様である、今回はプッシュプルのLUXKIT A3500を繋ぎ聴いている。
大昔愛用のLUXMAN MQ60三極間も密度の良いパワーアンプでしたがA3500がより自然な雰囲気に鳴る様に思います。



ボサノヴァの生みの親ジョアン・ジルベルトが、トミー・リピューマのプロデュースのもとアメリカで録音して完成させた珠玉の名作。
プロデュースをTOMMY LIPUMAが担当し、アレンジにクラウス・オガーマン、録音にAl Schmittという米国ポップスの名匠たちを迎えて制作された1977年の作品。ジョアンならではの独自解釈で歌われるジャズスタンダードの"'S Wonderful"をはじめ、ライブでは頻繁に取り上げ本作で初録音となったイタリアのブルーノ・マルティーノが作曲した名曲"Estate"、ラテンのスタンダード"Besame Mucho"など名品が並ぶ。ボサノヴァの人気曲も取り上げる一方、それ以外の楽曲も彼ならではの繊細にしてメロウな歌世界に染め上げ、新たな命を吹き込んでいる。オガーマンによる流麗なアレンジも冴え、1970年代のジョアンを代表するアーバンな響きの名作に仕上がった。



ジョアン・ジルベルト/Amoroso(イマージュの部屋)

 1’..S Wonderful / ス・ワンダフル
 2.Estate / 夏のうた
 3.Tin Tin Por Tin Tin / チン・チン・ポル・チン・チン
 4.Besame Mucho / ベサメ・ムーチョ
 5.Wave / 波
 6.Caminhos Cruzados / 十字
 7.Triste / トリスチ
 8.Zingaro(Retrato Em Branco E Preto) / 白と黒のポートレート

 Joao Gilberto(vo,g)
 Jim Hughart(b)
 Grady Tate, Joe Correro(ds)
 Ralph Grierson(key)
 Claus Ogerman(Arranged,Conductor)
 Helen Keane, Tommy LiPuma(Producer)
 Al Schmitt(Recorded,Mixed)

ボサノヴァの生みの親ジョアン・ジルベルトが、トミー・リピューマのプロデュースのもとアメリカで録音して完成させた珠玉の名作。ボサノヴァの名曲からガーシュインに至るまでヴァラエティに富んだ必聴作
ジョアン・ジルベルト奏でるギターと甘い囁き ―ジョアン・ジルベルトの数ある作品中では売れ線の部類に入るのであろうか。



アルバム・プロデュースがトミー・リピューマ、アレンジがクラウス・オガーマンという豪華版だが、私は気に入らない。ジョアン・ジルベルトの芸術は彼特有の歌唱とギター演奏によって基本的には完結するものであり、他の要素は必ずしも必要ではない。ましてオーケストラによる伴奏など・・・。
ジョアン・ジルベルトの本当の意味でのリスナーになれるかどうかの試金石はこの辺りにあると思うが、いかが。
ジョアン・ジルベルトの歌が本当の意味でのリスナーになれるかどうかの試金石はこの辺りにあると思うが、如何でしょうか。ブラボー!

今まで何度も繰り返し掲載したが、J.S.バッハ:(平均律クラヴィーア曲集第1巻)良音律鍵盤楽器曲集を再度考察する。

2023年08月19日 | 2022J.S.バッハ関係


一般的にJ.S.バッハと聞けば、重厚な近寄り難い音楽家と思われる方が多いと思うが、この様な音楽を基本から楽しむ意味でも広く知れ渡った作曲家もいないのでは無いかと思う。しかしバッハを知る上で肝心なことはあの大作曲家バッハはおよそ100年忘れられた音楽家でした、有名な話はメンデルスゾーンが、なによりも「マタイ受難曲」を上演することによって、それまで忘れ去られていたヨハン・セバスティアン・バッハを再発見させてくれたという功績を忘れることはできません。確かにバッハの音楽は同曲を何度も聴く事により音楽の美しさ等が体験できる面白さを味わう事ができる音がではある。

例えばカンタータのBWV147のメロディを聴けばそれに続くメロディはすぐに続く様に皆知った曲などもその他の曲も聴いたことのある曲が多いのです。曲を聴いた後にこれもバッハ作曲と知り驚くことが多い。逆に言えば1.000曲以上の多くの曲を作ったことがわかると思う。

前回に続きJ.S.バッハの音楽を聴く。今回は鍵盤楽器の演奏です。
 BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
 BA2. BWV 232-243 ミサ
 BA3. BWV 244-249 オラトリオ
 BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
 BA5. BWV 525-771 オルガン曲
 BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
 BA7. BWV 995-1000 リュート曲
 BA8. BWV 1001-1040 室内楽
 BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
 BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲

今回はBA6です、一般的には平均律クラヴィーア曲集第1巻と呼ばれているすべてを聴くには若干時間は長いがこれぞ鍵盤楽器の旧制約聖書と言われる鍵盤奏者用の教育曲目でもあり演奏を聴くことでも楽しめる曲である。



タイトルにはバッハによる「平均律クラヴィーア曲集」第1巻の直筆の表紙。音楽を学ぶ生徒の教材として、また高い演奏スキルをもつ者の気晴らしに良い、と記してある。

誠に残念な事にバッハ作曲の曲名は、専門的要素の強いタイトルが誠に多く、確かにバッハは教育者としての立場での曲にタイトルを名付けた様にも思われる。例えば「J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻」と日本語に翻訳されているが、バッハの名付けたタイトルは(Das Wohltemperierte Klavier (The Well-tempered Keyboard )直訳すれば「良音律鍵盤楽器曲集」という事になるそうである。簡単に言えば平均律とは、1オクターブを12の半音に均等に分ける調律法で、19世紀後半からポピュラーになってきたものです。しかし1オクターブを12の半音に均等に分けると大変汚ない音楽人ってしまうと言われる。平均律、というのは、本来そのような「音律の1方法」なのですが、クラシックの中で「平均律」と呼ばれている曲集があります。
調律方法と区別するために、日本では「平均律クラヴィーア(鍵盤楽器)曲集」と呼ばれることが習慣になっていますが、ドイツ語の原題を忠実に訳すと、「良く調律された鍵盤楽器のための曲集」という意味になります。前奏曲とフーガという2曲1組で、すべての長調と短調、合計24の調で書かれ、第1巻と第2巻があるので、合計48組の前奏曲とフーガからなっている、大きな長い曲集です。指揮者にしてピアニストだったハンス・フォン・ビューローという音楽家は「音楽の旧約聖書」と呼んだぐらい、重要な古典となっています。
この平均律のように、宗教的でなく、声楽も登場しない純粋器楽においても、この曲集のような大傑作を残しています。「平均律クラヴィーア曲集は、「その後のすべての音楽家に影響した」と形容しても言い過ぎでないぐらい、見事な作品群なのです。



バッハの死後しばらくは忘れ去られていましたが、バッハが再評価されるとともに、演奏機会も増え、かのショパンは、「毎朝平均律クラヴィーア曲集から必ずピアノを弾き始める」と言い残し、彼自身「24の前奏曲」という曲集を残していますし、近代ソ連の作曲家ショスタコーヴィチなども「24の前奏曲とフーガ」というバッハを意識した曲を残しています。



最近音楽は良く聴いているが、現在の装置で好きな曲を聴くにはさして不満もなく、貧困老人としても経済的に余裕も無くこれ以上のグレートアップは出来ないが一番肝心な事は、誰の演奏する音楽を聴くことが良いのであろうかを判別も大切に思う様になった。確かに「良く調律された鍵盤楽器のための曲集」は誰の演奏が筆者には合っているのかを探すことも新しい試みとなっていることも確かである。



筆者の古いオーディオ機材も色々のメンテナンスでピアノおんが良く鳴る様になったアコースティック・レジスタンス・ユニット入りのGOODMANS AXIOM 80の箱に10吋IIILZ Monitor Goldを組み込んだスピーカーの音は確かにグランドピアノらしい響きも再現出来る、一人黙って干渉すれば適度なペタルを踏む効果もある様になった、これにはメインで使用するSUNVALLEY SV-501SE 300Bの球をZAIKA5300に交換し細部は濃やかなリアル感のあるニュアンスが得られる様になったとも思う。
真空管もこのガラスも滑らかな薄さも肝心な金めでもあり、善い音を出す大切なパーツになっていてガラス技術も大変な特徴と言える。ZAIKA5300のガラス部分も相当に綺麗である。



確かにWE300Bの本物も一度は聴きたいとも思うが、今やプレミアム価格で貧困老人には高嶺の花である。オーディオ機材も真空管だけでも考えられない価格である。オーディオも再起動して10年の月日が流れたが、考えれば多少は聴ける様に構築された様子でもある。

バッハの音楽には数々の入り口がある。最初に「平均律クラヴィーア曲集」からバッハの音楽に入ったという人は、どのくらいいるだろう。わりと少ないかもしれない。というのも、「平均律」という日本語タイトルにあるこの言葉が、なんとなく謎めいているというか、近づきがたい印象を持たれるように思うからだ。
また、多くのジャズ・ミュージシャンもバッハの作品をジャズにアレンジして演奏しているため、そこからバッハを知ったという人も少なくないはずだ。
ピアニストにとってのバイブルであり、西洋音楽の金字塔《平均律クラヴィーア曲集》は、J.S. バッハ作品の中でも最高傑作の一つであり、見事な対位法と想像力を駆使して作り上げられた24の調すべてによる前奏曲とフーガで構成された大作で一度聴けば納得すると思う。
ピアノ学習者にとっては、定番の教材ともいえるバッハの「平均律クラヴィーア曲集」。もちろん楽曲としての完成度も非常に高く、深い森に分け入っていくような魅力のある大作の鍵盤曲集でもある。

この様にオーディオ趣味を再発し10年の月日が過ぎ去り、試行錯誤しながらGOODMANS AXIOM 80の箱に10吋IIILZ Monitor Goldを組み込んだ原稿のスピーカーに変化したが確かにピアノの音と女性ヴォーガルはタンノイ独自の魅力ある音が鳴る様に変化し、特にAXIOM 80の箱の独特のホール感は流石である。



話は戻るが今回は「良く調律された鍵盤楽器のための曲集」第一集の曲は演奏者は誰の曲が良いのであろう、先ずは一般的にはGlenn Gould(P)次に音の綺麗なIrina Mejoueva (Pf)等は最有力候補であろうが、今回はティル・フェルナー(Till FELLNER)piano1972年ウィーン生まれを上げました。
ヘレーネ・セド=シュタドラー、アルフレート・ブレンデル、マイラ・ファルカス、オレグ・マイセンベルク、クラウス=クリスティアン・シュスターらに師事。93年クララ・ハスキル国際コンクールにてオーストリア人として初めて優勝。98年ウィーン・モーツァルト協会からモーツァルト解釈賞を授与された。ピアノ作品の中でも特に重要なJ.S.バッハ《平均律クラヴィーア曲集》とベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲の演奏に力を入れ、後者は2008年から10年にかけてトッパンホール、ウィーン、ロンドン、ニューヨーク、パリを中心に世界的に展開した。またバートウィスル、ラルヒャー、スタンコフスキらの作品を世界初演するなど、現代曲にも積極的で、16年1月には、パドモアとハンス・ツェンダーの新作を世界初演、トッパンホールで日本初演を行った。
93年のクララ・ハスキル国際コンクールの優勝者として注目された。アタック(音の立ち上がり)が全体的に柔らかで、残響も豊かな録音。モダンピアノで聴く理想的な音色の幅は豊かで装飾音の羽の生えたような軽やかさは絶品と言われる。 兎に角実に優しい演奏は見事である。



J.S.バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻
構成数 | 2枚
合計収録時間 | 01:54:48
【曲目】
J.S.バッハ: 平均律クラヴィーア曲集 第1巻
 CD1
  第1番 ハ長調 BWV846/第2番 ハ短調 BWV847/第3番 嬰ハ長調 BWV848/
  第4番 嬰ハ短調 BWV849/第5番 ニ長調 BWV850/第6番 ニ短調 BWV851/
  第7番 変ホ長調 BWV852/第8番 変ホ短調(嬰ニ短調) BWV853/第9番 ホ長調 BWV854/
  第10番 ホ短調 BWV855/第11番 ヘ長調 BWV856/第12番 ヘ短調 BWV857
 CD2
  第13番 嬰ヘ長調 BWV858/第14番 嬰ヘ短調 BWV859/第15番 ト長調 BWV860/
  第16番ト短調 BWV861/第17番 変イ長調/第18番 嬰ト短調 BWV863/第19番 イ長調 BWV864/
  第20番 イ短調 BWV865/第21番 変ロ長調 BWV866/第22番 変ロ短調 BWV867/
  第23番 ロ長調 BWV868/第24番ロ短調 BWV869
【演奏】
ティル・フェルナー(ピアノ)
【録音】
2002年9月 ウィーン
ウィーン生まれのピアニスト、ティル・フェルナーによる初のバッハ・アルバム。実に優しく演奏する演奏に酔いしれる様である。



さて次に挙げるは最近新譜発表したアンドレアス・シュタイアー (チェンバロ)(Harmonia Mundi)は以前にも紹介はしたが、最初に「第二集」を発表している、筆者が思うに実に切のある重厚な演奏も実にバッハの演奏の仕方の様に思う。
アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ、フォルテピアノ)ドイツのゲッティンゲン生まれ。ハノーヴァーとアムステルダムでピアノとチェンバロを学び、1983年よりムジカ・アンティクァ・ケルンのチェンバロ奏者として活動し、以降フォルテピアノとチェンバロのスペシャリストとして国際的に活躍している。
80年代初頭のデビュー当時は、チェンバロとフォルテピアノを弾くにもかかわらず、「バックハウスやケンプ以来の、ドイツ音楽を代弁するピアニスト」と賞され、彼の大いなる才能が注目された。その後も真摯に自らの芸術を極め、今や「巨匠」への道を着実に歩む数少ない実力者として広く認められるところとなった。チェンバロ、フォルテピアノ、モダンピアノと、作品の時代に合わせた鍵盤楽器を巧みに弾きわけ、オーケストラのソリストとして、コンチェルト・ケルン、フライブルク・バロック管弦楽団、ベルリン古楽アカデミー、シャンゼリゼ管弦楽団など、欧米各地で活躍している。



バッハ 平均律クラヴィーア曲集 第1巻第1番 BWV846~869全曲
 第1番ハ長調 BWV.846
 第2番ハ短調 BWV.847
 第3番嬰ハ長調 BWV.848
 第4番嬰ハ短調 BWV.849
 第 5 番ニ長調 BWV.850
 第 6 番ニ短調 BWV.851
 第 7 番変ホ長調 BWV.852
 第 8 番変ホ長調 BWV.853
 第 9 番ホ長調 BWV.854
 第 10番ホ短調 BWV.855
 第11番ヘ長調 BWV.856
 第12番ヘ短調 BWV.857
 第13番嬰ヘ長調 BWV.858
 第14番嬰ヘ短調 BWV.859
 第15番ト長調 BWV.860
 第16番ト短調 BWV.861
 第 17 番変イ長調 BWV.862
 第 18 番変イ短調 BWV.863
 第 19 番イ長調 BWV.864
 第 20 番イ短調 BWV.865
 第 21 番変ロ長調 BWV.866
 第 22 番変ロ短調 BWV.867
 第23番ロ長調 BWV.868
 第24番ロ短調 BWV.869

 アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ)
 使用楽器:1734年製ヒエロニムス・アルブレヒト・ハスのコピー、2004年アンソニー・サイディ&フレデリック・バル(パリ)による
 録音時期:2021年4月、6月録音場所:テルデックス・スタジオ・音声
 録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)

確かにアンドレアス・シュタイアーの演奏を10吋IIILZ Monitor Goldを組み込んだスピーカーの音で試聴は迫力十分のチェンバロが聴こえる、録音の良さは勿論、やはり据え置き型のスピーカーから鳴る音は満足感を覚える。
勿論他の小さなブックシェルフスピーカーの試聴も良いか、アンドレアス・シュタイアー演奏は若干重くも感じるが迫力ある演奏は10吋ユニット意外では味わえない響きでもある。



解説では以下の様に掲げてありました。
平均律クラヴィーア曲集第1巻には、バッハによる序文があり、「・・・音楽を学ぶ意欲のある若者たちの役に立つように、また、この勉強にすでに熟達した人たちには、格別の時のすさび(遊び、なぐさみ)になるように・・・」という部分がありますが、まさにシュタイアーはこのバッハの言葉の後者にあたり、シュタイアー本人が楽しんで歌うように演奏しているのが伝わってきます。楽曲ごとの音色の選択の巧みさと、音色の種類の多さにも驚かされます。
素朴な第1番のプレリュード、怒涛の迫力第2番のプレリュードと、曲集が進むにつれ様々な新しい世界が展開されております。シュタイアーが、バッハが構築した偉大な建造物の中を実にたのしく案内してくれるようで、新しい発見に満ちています。



自然な演奏で、くつろいだ雰囲気すら感じられます。シュタイアーがさらなる境地に至っていることを感じる、堂々の第1巻です!
確かにこの曲を聴いて思うは、これこそ辛口のドイツのエンクロージャーで聴きたくなる」曲でもある。
現在筆者のエンクロージャーは4種類ありますが、メーカーは違えど全て英国製ですので次はドイツスピーカーで聴きたい音楽もある様です。ブラボー!

J.S.バッハが作ったリュート曲「楽器の女王」とまで称された品のある優しい音を検証する。

2023年08月16日 | 2022J.S.バッハ関係

大型台風連続して日本列島を通過したが幸い関東地方はどうやら免れた様である、被害地の皆様どうぞご無事をお祈ります。
台風も通過し朝夕は少しは過ごしやすく、何やら秋めいて来た様に感じられる、早朝愛犬モジャ君との散歩に出かけるときには朝日が昇る時期になっている。日の出は若干遅くなった様子である。モジャ君も毛が伸びサロンの予約は9月にしなければならない。
しかし快適過ごすのは、日中はエアコンは必至であり設定温度は25度にしている、本日は久しぶりのJ.S.バッハのリュート音楽を聴こうと思っている。

久々にJ.S.バッハの音楽を聴く。今回は室内楽の演奏です。
 BA1. BWV 1-231 カンタータ、モテット
 BA2. BWV 232-243 ミサ
 BA3. BWV 244-249 オラトリオ
 BA4. BWV 250-524 コラール、歌曲
 BA5. BWV 525-771 オルガン曲
 BA6. BWV 772-994 オルガン以外の鍵盤楽器(チェンバロ、クラヴィコード)の曲
 BA7. BWV 995-1000 リュート曲
 BA8. BWV 1001-1040 室内楽
 BA9. BWV 1041-1065 協奏曲
 BA10. BWV 1066-1071 管弦楽曲

さて今回はBA7. リュート曲(リュートは卵を縦に割ったような形の胴に幅広の 棹さお が付き、糸巻はほぼ直角に後方に折れ曲がる。 弦の数や調弦法は一定しない。 ペルシアのウードが起源とみられ、中世から16、7世紀のヨーロッパで広く用いられた楽器。)の作品であります。リュートは主に15世紀から17世紀にかけてヨーロッパで演奏された弦楽器です。



最盛期にはヨーロッパのほぼ全域に普及したと言われています。雫を割ったようなボディにガット弦やナイロン弦が貼られています。オランダ人の画家、フェルメールの「リュートを調弦する女」で描かれている楽器としても知られています。全盛期は「楽器の女王」とまで称されたリュートですが、チェンバロやギターに押され徐々に衰退、一旦忘れられてしまいますが。最近古楽器ブームで徐々に復興、現在では日本でも奏者や愛好家が増えているようです。

今まで過去においても余り馴染んで無かったアルバムにバッハのリュート音楽がある、昔のレコードライブラリーを見るとナルシソ・ガルシア・イエペス(Narciso García Yepes)リュート奏者のレコードを見つける、1927年スペイン生まれ。97年没。リュート、ギター奏者。47年ロドリーゴの「アランフェス協奏曲」を弾いて評価され、50年のパリ公演で同曲を弾き名声を高めた。この曲を国際的に広めた最大の功労者。生活のために弾いていたカフェで、映画監督ルネ・クレマンに見出され、特に『禁じられた遊び』の音楽担当に抜擢。主題曲「愛のロマンス」が大ヒットして、国際的な知名度を得る。のちに特製の10弦ギターを愛用する。未だ大切に保管するバッハのリュート曲でもある。
作曲者 : BACH, Johann Sebastian 1685-1750 独
曲名  : 組曲 ト短調 BWV.995 (リュート組曲 第3番) (1727-31)
ヨハン・セバスチャン・バッハ作曲リュート組曲第3番よりアルマンドの試聴。このリュート組曲第3番はチェロ組曲第5番、BWV 1011をバッハ自らリュートのために編曲したものです(オリジナルはト短調)。



バッハのリュート組曲第3番は、無伴奏チェロ組曲第5番(BWV1011)をバッハ自身がリュート組曲に編曲したものは有名な話で、それをクラシックギター用に編曲したものがよく演奏されます。全体に哀愁を帯びた曲調なので、好みの分かれる曲かもしれません。
ホプキンソン・スミス(テオルボ、リュート)数十年にわたってバッハの音楽を研究してきたリュートの巨匠ホプキンソン・スミス。30年かけて全曲の録音が出そろった無伴奏チェロ組曲の編曲版は、彼の神髄が詰まった偉業のひとつと言えます。

最近リュートによく似た音がする、渡邊 順生はアムステルダム音楽院でグスタフ・レオンハルトに師事し、ソリスト・ディプロマを取得する。16世紀以来ヨーロッパ各地で製作され、多くの作曲家たちを魅了したにもかかわらず最近まで実物が残っていないとされてきた幻の楽器「ラウテンクラヴィーア」。ガット弦を使い、止音装置(ダンパー)を持たないこの「鍵盤のついたリュート」を復元し、バッハが思い描いたであろう音世界に迫ります。
昨年サントリー音楽賞を受賞したチェンバロ界の雄、渡邊 順生(わたなべよしお)によって、歴史に忘れられた幻の響きが今ここに蘇る!ギタリストのみなさまにも是非聴いていただきたいバッハ作品です!




Yoshio Watanabe, Lautenklavier (lute harpsichod)
J. S. バッハ Johann Sebastian Bach

 1.組曲 ホ短調 BWV996
 2.ソナタ ニ短調 BWV964 (無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番イ短調の鍵盤用編曲)
 3.組曲 ヘ短調 BWV823
 4.プレリュード、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV998
 5.プレリュード ハ短調 BWV999
 6.パルティータ[組曲] ハ短調 BWV997

 使用楽器: キース・ヒル製作 マンチェスター(米ミシガン州)2000年
 録音:秩父ミューズパーク音楽堂 2011年6月15-17日

音質もリュートの音質とよく似て大変膨よかなで低音も余裕のある音でとても心地よく癒されます。16世紀以来ヨーロッパ各地で製作され、多くの作曲家たちを魅了したにもかかわらず最近まで実物が残っていないとされてきた幻の楽器「ラウテンクラヴィーア(リュートチェンバロ)」ガット弦を使い、止音装置(ダンパー)を持たないこの「鍵盤のついたリュート」は、その豊かな響きによってバッハが真の大作曲家としての道を歩む重要な契機ともなった。
歴史に忘れられた幻の響きが、300年の時を経て今ここに蘇る音楽は聴く価値もあろうかと思えるが・・・。



次は名手マスカルディによる全リュート作品、ブエノスアイレスに生まれ、ソリストとしてもカスタルディ作品集、サン=リュック作品集、スペイン黄金時代の音楽などで高い評価を得ているマスカルディが、ついにバッハの全リュート作品を録音した作品である、勿論音質も良く部屋に流れるリュートの響きは実に心地よい。
しかも最新録音も良い塩梅に録音されリアル感も良くリュート音楽の豊かな音質に絆される様である。



 J.S.バッハ: リュート作品全集
 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685-1750): リュートのための作品全集
 リュート演奏:エヴァンジェリーナ・マスカルディ(Evangelina Mascardi)
https://www.youtube.com/watch?v=PmWlMpoLYMk&list=OLAK5uy_kVbufiV3R9H5e9upVigzdv_jxT8-tACyg

【DISC 1】
 1-6. リュート組曲 ト短調 BWV 995
 7-9. 前奏曲、フーガとアレグロ 変ホ長調 BWV 998
 10. 前奏曲 ハ短調 BWV 999
 11-16. リュート組曲 嬰へ短調(原調: ホ短調) BWV 996
【DISC 2】
 1-6. リュート組曲(パルティータ) ヘ長調(原調: ホ長調) BWV 1006a
 7-11. リュート組曲(パルティータ)ハ短調 BWV 997
 12. フーガ ト短調 BWV 1000
演奏:
 エヴァンジェリーナ・マスカルディ(リュート)
使用楽器:
 13コース・バロック・リュート、ニュージャージーのセザール・マテウス
 1999年、2010年製作
 14コース・バロック・リュート、ニュージャージーのセザール・マテウス
 2020年製作
録音:
 2020年2月29日-2021年5月29日
 アカデミア・モンティス・レガリス、モンドヴィ、クーネオ、イタリア
  DISC1、DISC2 7-12
 2021年9月15日 オルテ司教館、ヴィテルボ、イタリア
  DISC2 1-6



前奏曲、フーガ、アレグロ 変ホ長調 BWV 998 は、リュートまたはハープシコードのためにヨハン・セバスティアン・バッハによって書かれた音楽作品です。 この作品は 1735 年頃に書かれました。
元々はリュー、またはチェンバロの為に書かれたと言われています。リュートというのは構造的にはギターと同じく指で弦を弾いて音を出す弦楽器です。
ただし弦の本数が違いますし、当然音域やチューニングも異なります。とはいえ、ギターととても近い楽器ですし、現代ではリュートの曲をギターで弾く事が多いのではと思います。ただし音はリュートの響きが深く好きです。



バッハによるリュート作品は、4つの組曲、「プレリュード、フーガとアレグロ」、単独の「プレリュード」と「フーガ」の計7つが存在しています。本書ではBWV996、BWV997、BWV998、それとプレリュード4曲、コラール前奏曲6曲を収載しました。
バッハは数曲のリュート曲を残しました。というか、後世の研究者がBWV番号を付けるときに「これはリュート曲だ」と判断したものが数曲あります、と言った方が正しいでしょう。というのは、それら「リュート曲」とされる作品の全てが、バッハの自筆譜では鍵盤楽器用の大譜表(右手用と左手用の2つの五線を組にしたもの)で書かれているし、それを筆写した弟子たちの多くは、そもそもリュート曲とは思わずに鍵盤曲と思っていたようなのです。

リュートという楽器は、バッハよりも100年くらい前までは大変重要な楽器として栄えていました。それが、だんだんチェンバロに取って代わられて、バッハの頃には弾く人が少なくなっていました。それにはリュートの側の変化も影響していて、リュートという楽器の性能を高める努力を続けた結果、おそろしく演奏の難しい楽器になってしまったのです。と解説してありました。



以前にも筆者のブログでも取り上げましたが、海外ではヴォルフガンク・リュプザムもリュートチェンバロを使用して演奏をしています少しゆったりしたテンポもリュートチェンバロには響きが大変良い塩梅に鳴るのが好みでもある。

渡邊 順生さんが演奏しているようにバッハ自身はリュートを演奏できなかったようです。それでもバッハはリュートが好きだったので、自分用に特別に「リュートの弦を張ったチェンバロ」を作らせて、その楽器でリュート曲を弾いていたのだそうです。つまり、バッハが残したリュート曲は、そのままチェンバロで弾けるというわけです。ブラボー!

今後演奏されるパトリシア・コパチンスカヤの新しい音楽を興味本位で視聴する、狂気の沙汰の演奏を考察する。

2023年08月11日 | クラシック音楽・オーディオ

未だ早朝に朝顔の花に癒されてます、少し前までより確実に日の出、日の入りの時間が秋めいてきた様である。
暦の上では既に秋に移り変わっているそうであるが、今年は猛暑であり、雨も少なく不安であったが、台風が心配である。現在台風の6・7号が日本列島に近ずきノロノロ運転中で8月15日頃のお盆は台風上陸とまるで笑えない状況である、お盆は外出は控え自宅でのんびりする事が最良の方法でもある。

またそれ以上深刻な問題はニュース解説もまともに出来ない大手マスゴミ他、日本の政治屋秋本議員収賄疑惑、木原官房長官、松川るい挙げればキリがない、悪徳中古車販売業者ビックモーター、悪徳損保会社等数々の悪行の醜態となって問題箇所ばかりが目立つは如何なものか?このままでは本当に日本は終わってしまうか・・・・一番心配なこと次に選ぶ政党も無いことも心配は尽きない。



その様なこともあり少し雰囲気を変える意味もありまるで狂気の沙汰のような演奏をするヴァイオリニスト:パトリシア・コパチンスカヤを深掘りした。

パトリシア・コパチンスカヤの裸足の妖精、健在!ステージを踏み鳴らし、飛び跳ねる姿は印象的でした。



最近筆者のSUNVALLEY SV-501SE 300Bのボリュームを回すとガリ音が出る早速蓋を開けボリューム部分に以前作り置きした上記写真の様な意外と効果的でもあったレプトンパワーチップスを設置した接点復活剤が良い結果を得る想像以上の効果であった塗布しヴォリュームを幾度もよく回し接点を掃除するとガリ音は無くなり以前より静寂な感じになる。
筆者のように古いオーディオ機材を愛用するファンには一度は試される事を進める、パーツ交換も古い機器のパーツは入手できないデメリットがあります。

勿論写真では判断できないような事ですが、オトキチの筆者には大変な問題でもある。上記のような方法を3〜4回程実施し音質を確かめたが、概ね良好となる大手術は必要なかっ多様で一安心する。
将来はこのボリュームの変換器の交換も視野にしなければならないのであろう。交換するのも場所か狭いので相当の準備をしなければならない様である。兎も角今回は無事復調したので暫くは此の状態で聴く。



それと筆者の定期清掃のため耳鼻咽喉科を予約する、定期的に耳掃除に行っている、綿棒等での清掃は危険と言われている為に実施している。正しく後期高齢者の様子が伝わって来る感じである。

また筆者好みのヴァイオリニスト、最新情報に於いてはヒラリー・ハーン(Hilary Hahn)のニコロ・パガニーニ:24の奇想曲 第24番(ニコロ・パガニーニのあまりのヴァイオリンの上手さに、「悪魔に魂を売り渡して、引き換えに演奏技術を手に入れた」と噂がでます。特にヴァイオリニストとして有名でした。現在でもそのイメージは強く残っています。それというのも逸話が凄い。5歳からヴァイオリンを始めたのですが、13歳にしてもう学ぶものがなくなったというほどである。)最新アルバムが発売せるそうですがこれも大変楽しみな次第である、デモを聴いたが期待できる出来栄えの匂いが伺えます。

筆者の好きなベートーヴェン のヴァイオリン協奏曲を聴きながら、気になる演奏を深掘りした。この演奏は普通で実に音質も良好である。
パトリシア・コパチンスカヤはモルドバ出身のバイオリニスト、モルドヴァ生まれ。作曲とヴァイオリンをウィーンとベルンで学ぶ。2000年シェリング国際コンクール優勝、02年「クレディ・スイス・グループ・ヤング・アーティスト賞」ほか受賞多数。



2022/23シーズンには、ヘルベルト・フリッチュらによるオペラ《Vergeigt》に参加するほか、電子音楽における最も重要な研究機関であるSWRエクスペリメンタルスタジオのアソシエイト・アーティストを務めるなど、ジャンルの垣根を越えて活躍。またリゲティの作品にインスパイアされたプロジェクト《失われた音楽を求めて》の世界初演、アンナ・プロハスカとのプロジェクト《Maria Mater Meretrix》による欧州ツアーや、ファジル・サイと再びデュオを結成してのリサイタル・ツアーも注目を集めている。22年には、イル・ジャルディーノ・アルモニコやブダペスト祝祭管弦楽団等と欧州ツアーを行ったほか、BBCプロムスにも登場。カメラータ・ベルンのアーティスティック・パートナーも引き続き務めている。

近年では、現代作曲家とのコラボレーションに力を注ぐとともに、ステージ・パフォーマンスによるコンサート・プロジェクトにも積極的に関わり、マーラー・チェンバー・オーケストラとの《バイバイ、ベートーヴェン》などで成功を収めるほか、シェーンベルクの《月に憑かれたピエロ》では、彼女自らピエロを演じている。まるで狂気の沙汰か?
筆者にとってはかなり刺激的でスリリングある演奏に思える、視聴後の爽快感を味わった瞬間でもあった。

パトリシア・コパチンスカヤ:ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン – Ludwig van Beethoven (1770-1827)
ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op. 61の演奏は迫力満点で好感を持てる。




 Violin Concerto in D Major, Op. 61
  1.(22:41) I. Allegro ma non troppo
  2.(09:13) II. Larghetto
  3.(09:05) III. Rondo: Allegrototal(40:59)
————————–————————–————————–
 4.(07:28) ロマンス第2番 ヘ長調 Op. 50
  Romance No. 2 in F Major, Op. 50
————————–————————–————————–
 5.(06:01) ロマンス第1番 ト長調 Op. 40
  Romance No. 1 in G Major, Op. 40
————————–————————–————————–
 6.(07:35) ヴァイオリン協奏曲 ハ長調 WoO 5 (断章)
  Violin Concerto in C Major, WoO 5 (fragment)

 パトリシア・コパチンスカヤ – Patricia Kopatchinskaja (ヴァイオリン)
 シャンゼリゼ劇場管弦楽団 – Orchestre des Champs-Elysees
 フィリップ・ヘレヴェッヘ – Philippe Herreweghe (指揮)

2007年の比較的新しい録音で音質も大変良い具合である。また筆者の好きなロマンス第2番も楽しくことが嬉しかった。確かにヴァイオリンの音色もからり迫力満点で特にヴァイオリン協奏曲はお勧めしたい曲である。



次は、注目は以前も挙げたが鬼才と言われるピアニストのファジル・サイとの第二弾の共演も記憶い新しい、パトリシア・コパチンスカヤの共演である。
解説部分の紹介は次の様に記載され地ます。
(今や鬼才の名を欲しいままにしているヴァイオリニスト、パトリツィア・コパチンスカヤ。2008年にリリースされた彼女のデビュー・アルバムでパートナーを務めたのが、こちらも当時から鬼才の呼び声高いコンポーザー・ピアニスト、ファジル・サイでした。その後も共演を重ね、名コンビとしての評判を揺るぎないものにしているこの二人が、およそ15年ぶりに録音に臨んだのがこちらのアルバム。お互いに「火山のように不屈の精神力とエネルギーを持つピアニスト」、「公演の度に異なったキャラクターと新しいストーリーを自然に繰り出してくる変幻自在なヴァイオリニスト」と評する二人がここで聴かせるのは、バルトーク、ブラームス、ヤナーチェクによる全く異なった性格を持つソナタ3曲。2つの個性が時に寄り添い、時にせめぎ合いながら紡ぐ音楽は、他では味わえない陶酔感と火花が飛ぶような激しさを併せ持つ唯一無二のもの。特にコパチンスカヤが「始まりから終わりまで実に素晴らしい」と評するバルトークがハイライトで、終楽章の緊張感溢れる掛け合いは格別です。)



ヤナーチェク、ブラームス、バルトーク: ヴァイオリン・ソナタ集

 【曲目】
 1-4. レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928):ヴァイオリン・ソナタ

 5-8. ヨハネス・ブラームス(1833-1897):ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 Op. 108

 9-11. ベラ・バルトーク(1881-1945):ヴァイオリン・ソナタ 第1番 Op. 21、Sz. 75、BB 84

 【演奏】
 パトリツィア・コパチンスカヤ(ヴァイオリン)
 ファジル・サイ(ピアノ)

【録音】
 2022年8月テルデックス・スタジオ、ベルリン

今や鬼才のヴァイオリニスト、パトリツィア・コパチンスカヤ。ファジル・サイもその後も共演を重ね、名コンビとしての評判を揺るぎないものにしている、およそ15年ぶりに録音に臨んだのがこちらのアルバムである。
バルトーク、ブラームス、ヤナーチェクによる全く異なった性格を持つソナタ3曲。2つの個性が時に寄り添い、時にせめぎ合いながら紡ぐ音楽は、他では味わえない味わいである、特にコパチンスカヤが「始まりから終わりまで実に素晴らしい」と言われ散る様です。



今や鬼才の名を欲しいままにしているヴァイオリニスト、パトリツィア・コパチンスカヤ。2008年にリリースされた彼女のデビュー・アルバムでパートナーを務めたのが、こちらも当時から鬼才の呼び声高いコンポーザー・ピアニスト、ファジル・サイでした。その後も共演を重ね、名コンビとしての評判を揺るぎないものにしているこの二人が、およそ15年ぶりに録音に臨んだのがこちらのアルバム。お互いに「火山のように不屈の精神力とエネルギーを持つピアニスト」、「公演の度に異なったキャラクターと新しいストーリーを自然に繰り出してくる変幻自在なヴァイオリニスト」と評する二人がここで聴かせるのは、バルトーク、ブラームス、ヤナーチェクによる全く異なった性格を持つソナタ3曲。

2つの個性が時に寄り添い、時にせめぎ合いながら紡ぐ音楽は、味わい深く素晴らしい」と言われる事であり、筆者の趣味とは少し違った音楽も何故か新鮮で味わい深い思い出でもあった。ブラボー!