伝統ある英国の10吋ユニットで、いい音で音楽を聴きたい・・・・・

音楽好きの、古いオーディオ機器10吋TANNOYを改良そて聴くダメオヤジの金ちゃんです。

著名なチェンバリスト、学者、古楽のパイオニアであるラルフ・カークパトリック(Ralph Kirkpatric)について検証する

2021年12月29日 | バロック音楽・オーディオ一般

ラルフ・カークパトリック(チェンバロ、クラヴィコード奏者)(Ralph Kirkpatrick, 1911年6月10日 – 1984年4月13日)はアメリカ合衆国の音楽家・音楽学者。筆者が記憶するのは若い頃古楽専門レーベル『アルヒーフ』より販売されたバッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻BWV 870-893のレコードを思い出す。

カークパトリックの演奏を早速平均律から聴く、特に二集は音質も良く、音は昔聴いた懐かしいチェンバロの匂いの音が聴ける、当時はこの音こそ『アルヒーフ』の音と感じありがたがっていた。その後知ったランドフスカの演奏と比べ音質は随分向上したものである。
このシリーズの内容に注入されるモーツアルトのピアノ演奏も大変優れている、休みにじっくり味わえそうである。



アメリカの著名なチェンバリスト、クラビコード奏者、ピアニスト、音楽学者、教育学者であるラルフ(レナード)カークパトリックは、6歳のときに母親と一緒にピアノの勉強を始めま、1931年にハーバード大学で美術の学士号を取得しました。大学は1929年にチェンバリストを取得し、彼は楽器の演奏方法を学ぶ機会を与えられました。彼はそこでの研究中に、1930年5月にマサチューセッツ州ケンブリッジ(またはハーバードのペインホール)でハープシコーディストとして最初の公開デビューを果たしました。1933年1月、ラルフ・カークパトリックはベルリンでチェンバリストとしてヨーロッパデビューを果たし、JSバッハのゴルトベルク変奏曲(BWV 988)を演奏しました。)、今回購入したアルバムには若干ゆっくりテンポの1959年、1997年の録音があるが1959年度のものが個人的には好きである。

彼はまた、バーナード・ベレンソンのフィレンツェの別荘でのコンサートを含む、イタリアでいくつかのコンサートを行いました。1933-1934年に彼はザルツブルクモザルテウムで教えました。1937年、彼はグッゲンハイム奨学金を授与されました。



ヨーロッパにいる間、ラルフ・カークパトリックは、1930年代後半に始めたドメニコ・スカルラッティの生涯と作品について研究を続けました。彼はマドリッドに住むドメニコ・スカルラッティの子孫を発見し、彼らは彼に貴重な情報源を提供しました。12年間の研究は、1953年に出版されたカークパトリックの絶賛されたスカルラッティの伝記で最高潮に達しました。この本では、彼はスカルラッティのキーボードソナタもカタログ化しました。1965年に彼は完全な教授になり、1976年までジョナサンエドワーズ大学のフェローとしてエール大学に留まりました。カークパトリックの学歴の最終段階は、カリフォルニア大学バークレー校で最初のエルネストブロッホ音楽教授として過ごしました。



渡欧の最大の目的は、当時チェンバロ界で圧倒的な名声を誇っていたワンダ・ランドフスカ[1879−1959]の教えを受けることでした。ランドフスカの演奏はゴルトベルク変奏曲、イタリア協奏曲、平均律等が収録されているが群を抜いて面白く退屈しない。装飾音の入れ方や種類、間の取り方が絶妙なのだと思う。装飾音の演奏についてはこの内容に詳しく説明されているので参考にして下さい。
ピアノの普及と共に歴史に埋もれた楽器であったチェンバロを、表舞台にひきだした立役者のひとり、ワンダ・ランドフスカがチェンバロ奏者としてデビューしたのは1903年、以後、公演企画の巧みさもあって順調に成功を収め、1920年代には2度の北米ツアーも実施するまでになり、その存在はチェンバロ奏者を目指す者や、モダン・チェンバロの製作者にとって非常に大きなものとなっていました。 ランドフスカから教えを受け、自分の経歴リストにその名が載ることは、多くのチェンバロ奏者にとって意味のあることと思われましたし、それはカークパトリックの渡欧の大きな目的であったとも考えられます。

しかしカークパトリックが実際にランドフスカの運営するアンシエンヌ音楽院で過ごすようになると、音楽院そのものの華美な雰囲気や、ランドフスカの過剰なまでのレジストレーションなど自由過ぎる解釈など演奏そのものに嫌気がさし、そのことを家族やブーランジェ、そしてアメリカの知人に宛てた手紙で批判したりもしていました。
 驚いたことにその知人は、ランドフスカ本人にカークパトリックの批判の件を報告、窮地に立たされたカークパトリックは、ランドフスカ宛てに謝罪の手紙を書くものの、以後、彼女から教えを受けることはできませんでした。



ラルフ・カークパトリックの出版物や録音、そして彼に関する出版物を一か所に集めることは有益なプロジェクトだと思いました。私は彼による、そして彼についての、一般的に知られていないかもしれないいくつかの出版物を発見しました。彼は50年のキャリアの中で世界中で何百ものコンサートを演奏し、これらは1回限りのイベントだったので、私は彼のコンサートのレビューを含めないことにしました。しかし、彼の本、音楽版、録音のレビューを含めることにしました。これは、本、特にスカルラッティの伝記が非常に影響力があり、2冊の本がまだ印刷されて広く使用されているためです。音楽版も現在も使用されており、ほとんどの録音は絶版ですが、おそらくまだ収集されています。含まれている出版物のほとんどは英語ですが、可能な場合は外国語の出版物を含めています。私は多くのデータベースと図書館目録を調べて情報を得て、ここにリストされている出版物の多くを見てきました。録音については、ほとんどの場合、データベースやカタログで提供されている情報に頼らざるを得ませんでした。イェール音楽図書館のカークパトリックコレクションについて提供してくれたリチャードウォーレンとスザンヌエグレストンラブジョイに感謝します。包括的な参考文献をまとめたとは言いませんが、ここで提供される情報が、ラルフ・カークパトリックのキャリアに関心のある人々に役立つことを願っています。

録音については、ほとんどの場合、データベースやカタログで提供されている情報に頼らざるを得ませんでした。イェール音楽図書館のカークパトリックコレクションについて提供してくれたリチャードウォーレンとスザンヌエグレストンラブジョイに感謝します。包括的な参考文献をまとめたとは言いませんが、ここで提供される情報が、ラルフ・カークパトリックのキャリアに関心のある人々に役立つことを願っています。録音については、ほとんどの場合、データベースやカタログで提供されている情報に頼らざるを得ませんでした。イェール音楽図書館のカークパトリックコレクションについて提供してくれたリチャードウォーレンとスザンヌエグレストンラブジョイに感謝します。包括的な参考文献をまとめたとは言いませんが、ここで提供される情報が、ラルフ・カークパトリックのキャリアに関心のある人々に役立つことを願っています。

バッハとスカルラッティの権威として知られた鍵盤楽器奏者、ラルフ・カークパトリックのコレクション。カークパトリックの演奏は、速めのインテンポを基調に、各パートを克明に響かせ、作品の構造を浮き彫りにして行くというもので、オブリガートが重要なバロック作品や、対位法的な性格の強いバッハ作品との相性はきわめて良好。



 チェンバロは、レジスター(ストップ、カプラー)の操作によって音色や音量を変更することができますが、カークパトリックはバッハ作品のシンメトリーを重視、そうしたレジストレーションも熟考したうえでおこない、拍やアクセントも常に明確化してチェンバロならではの分節法を際立たせ、装飾音についても、位置や量に配慮することで、各パートの認知が邪魔されるようなことはおこないませんでした。
 こういった手法の背景には、カークパトリックがヨーロッパで資料収集と検証に打ち込んでいた時代に、「オブリガート」や「装飾音」といったテーマでも研究をおこなっていたことが影響していると思われ、元の旋律や拍がわかりにくくなるような派手な装飾や過剰なレジストレーションは論外と考えていたようです。まるで演奏者と言うより古楽器研究者の様な一面があったようである。

 また、「平均律クラヴィーア曲集」や「インヴェンションとシンフォニア」、「組曲BWV818a」、「組曲BWV819」、「小前奏曲集」などではクラヴィコードを使用し、作品の構造を浮き彫りにするという基本アプローチはチェンバロと同じながらも、発音原理の異なるクラヴィコードの繊細な特性を生かして、バッハの内向きな音楽としての魅力を引き出しています。たとえば、平均律第1巻BWV853のプレリュードなどでの音量・音価に配慮した深遠な表現は、クラヴィコードならではのものともいえます。



 今回登場する25枚組ボックスでは、そのクラヴィコードによる平均律クラヴィーア曲集などアルヒーフ (ドイツ・グラモフォン)への録音を中心に、米ハイドン・ソサエティ、米コロンビア(SONY)、英HMV(EMI)、米バルトーク・レコードへの録音も収録。

 対象は、バロックとモーツァルトの独奏曲と協奏曲のステレオ録音とモノラル後期の録音で、カークパトリックが「ショート・レコーディング」と呼んで嫌っていたSP用の録音は含まれていません。

 意外な注目音源は、カークパトリックがフォルテピアノを弾いたモーツァルトで、1952年にソロ・アルバム、1951年にピアノ協奏曲第17番を録音しています。
 前者は腕の良いエンジニアでもあったバルトークの息子ピーター(ペーテル)が録音を担当、モノラルながら素晴らしい音質により、カークパトリックならではの高解像度で全情報を聴かせるスタイルのモーツァルトが楽しめます。



 一方、後者は音楽学者のロビンズ・ランドンが設立して間もないハイドン・ソサエティによる録音で、同じくモノラルながら音質優秀、アレグザンダー・シュナイダー指揮する小編成オケの超ロマンティック演奏と組んだせいか、情感たっぷりなアプローチを聴かせており、この頃のカークパトリックのモーツァルトをめぐる試行錯誤があらわれているかのようです。ちなみにカークパトリックは、モーツァルト作品におけるフォルテピアノ演奏をほどなく断念し、1956年以降はモダンピアノを使用するようになっています。

著名なチェンバロ奏者であり学者でもあるラルフ・カークパトリックは、20世紀のチェンバロの復活において最も影響力のある人物の1人でした。彼はまた、1930年代と40年代に始まったバロック演奏の実践の再評価において重要な人物でした。彼はチェンバロだけでなく、クラヴィコードとフォルテピアノでも演奏しました。彼は楽しみのためにそして時々演奏で現代のピアノを弾いた。

彼は特にバッハとスカルラッティの演奏で知られていましたが、モーツァルト、ラモー、クープラン、バード、パーセルなどの音楽も演奏し、録音しました。彼は現代音楽に非常に興味があり、ヘンリー・カウエル、ウォルター・ピストン、クインシー・ポーター、エリオット・カーター、イゴール・ストラヴィンスキー、ダリウス・ミヨーなどの作曲家によって音楽を演奏しました。



現在筆者の自宅で音楽を堪能するには、A4サイズの密閉箱入りのLS3/5aを愛用するがこの程度で十分です、適度な音量と程よいリスニングポジションが得られ、程良い火屋(真空管)のアンプでのドライブが良い塩梅である(石のアンプなら英国製品が良い)、カークパトリック演奏の少し古めの演奏が、古楽専門レーベル『アルヒーフ』の音質に戻った様な感覚になる、何も大型の装置でもなく適度な音響装置でも満足はできる。
しかし此処で大いなる疑問が湧き上がる、人間の欲望は大変強く当時の演奏しかないので音質の向上はオーディオ機材のグレートアップを改善することが良い、CDプレイヤー、パワーアンプのグレートアップが良いのであろうが、筆者の様な貧困老人にとっては頭の痛い問題でもある。

好きな時間に好きな音楽を楽しめる環境は誠にありがたいことなのである。日本は16世紀頃キリスト教の教えを布教するが、余りキリスト教信者は増えなかった、キリスト教の布教は失敗に終わった。日本は昔から神仏を敬う習慣が強く、キリスト教の教えとは基本が違ったと思う、但し此の美しい賛美歌?カンタータ等の音楽の美は見落としたようであった、今でも島原あたりでは昔からいい伝われ歌い続けられた讃美歌のような節回しの歌があると聞いた、そのあたりの歴史を紐解くのも面白そうである。

確かに鍵盤楽器の演奏に一人静かに楽しむにはこの程度の装着が一番の様である。オーディオも面白いが、筆者の場合は多くのバッハ演奏者がバッハを解釈して演奏の違い、解釈の違いの発見により面白さを感じている。
音楽を楽しむならこの程度の装置で十分音楽の面白さは理解できる様である。

来年2月9日盛岡で開催される(曲目はバッハ:ヴァイオリンソナタ?)美人ヴァイオリニスト諏訪内晶子さんのチケットを取って頂く、オミクロン感染が鎮まることを祈るばかりである。

本題はさらに続く、彼のために特別に書かれた作品がたくさんありますが、カークパトリックは、彼が美術を学んでいたハーバードで彼のキャリアを始めました。大学は1929年にチェンバロを取得し、彼は楽器の演奏方法を学ぶ機会を与えられました。1930年5月、彼はハーバードのペインホールで最初の公開チェンバロリサイタルを行いました。1931年に卒業した後、彼はジョンノウルズペインフェローシップでヨーロッパに旅行しました。彼はパリのナディア・ブーランジェとワンダ・ランドフスカ、イギリスのアーノルド・ドルメッチ、ドイツのギュンター・ラミンとハインツ・ティーセンに師事しました。1933年1月、彼はベルリンでヨーロッパのコンサートデビューを果たし、バッハのゴルトベルク変奏曲を演奏しました。

彼はまた、1933年にバーナードベレンソンのフィレンツェの別荘でクラヴィコードリサイタルを含む、イタリアでいくつかのコンサートを行いました。彼は1933年と1934年の夏の間、ザルツブルクのモザルテウムの教員でした。1934年4月、彼はニューヨーク市のニューミュージックスクールでクラヴィコードでバッハを演奏しました。これは、ニューヨーク市でこれまでに聞いた最初の公開クラヴィコードリサイタルであった可能性があります。



1936年、彼はヨーロッパで17世紀と18世紀の室内楽と鍵盤音楽を研究するためにグッゲンハイム奨学金を授与されました。1938年、彼はバージニア州ウィリアムズバーグの知事公邸でバロック音楽のフェスティバルを開始し、長年にわたり、そこで毎年恒例のフェスティバルの顧問および主要なパフォーマーを務めました。1940年に、彼はイェール大学の音楽学部に任命され、1976年に引退するまでイェールに留まりました。彼の生徒には、ウィリアムクリスティー、アルバートフラー、マーククロール、マーティンパールマン、フェルナンドヴァレンティなどの著名なハープシコーディストが含まれていました。1940年代に、彼は米国とヨーロッパ全体で数多くのリサイタルを行い、1948年に米国政府のVisiting Artist Programの支援を受けて、ドイツで公演するよう招待された最初の芸術家の1人でした。

1940年代にヨーロッパに滞在中、彼は1930年代後半に始めたドメニコスカルラッティの生涯と作品の研究を続けました。彼はマドリッドに住むドメニコ・スカルラッティの子孫を発見し、彼らは彼に貴重な情報源を提供しました。12年間の研究は、1953年に出版されたカークパトリックの絶賛されたスカルラッティの伝記で最高潮に達しました。この本では、彼はスカルラッティのキーボードソナタもカタログ化し、このカタログはソナタを識別するための標準的な情報源になりました。1953年に、60のスカルラッティソナタのカークパトリック版が出版され、彼はコロンビアのためにこれらのソナタも録音しました。



1956年、ドイツの録音会社であるドイツ・グラモフォン・ゲゼルシャフトは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハのすべてのキーボード作品を、オルガンの作品を除いて、アーカイブのレーベルに録音するためにカークパトリックを選びました。彼はほとんどの作品をチェンバロで録音しましたが、平均律クラヴィーア曲集全体をチェンバロとクラヴィコードの両方で録音しました。彼は1960年代後半にプロジェクトを終了し、多くの録音、特に平均律クラヴィーア曲集の録音が高く評価されました。

カークパトリックは世界中でコンサートを続け、ヨーロッパの主要なフェスティバルの多くで演奏し、アメリカとヨーロッパの多くのオーケストラと共演しました。彼は1969年の開所直後にリンカーンセンターのアリスタリーホールで演奏するように選ばれました。また、彼がハープシコードを演奏したモーツァルトプログラムを含む、リンカーンセンターのフィルハーモニーホール(現在のエイブリーフィッシャーホール)で多くのコンサートを行いました。 18世紀と現代のピアノと同様に。彼は1970年代半ばに完全に盲目になり、公演や旅行を減らしましたが、コンサートを続け、新しい音楽を学びました。彼は1981年の最初のボストン古楽フェスティバルでリサイタルを演奏しました。これは彼の最初の公開コンサートの51周年を記念したものです。

カークパトリックは、並外れて熟練したミュージシャンであることに加えて、フランス語、ドイツ語、イタリア語に堪能であり、これらの言語で広く読まれていました。彼はスペイン語とポルトガル語の知識を使用して、スカルラッティの伝記の文書を翻訳しました。彼は本や版画の収集家でもあり、彼の家はデューラーやレンブラントなどの芸術家の作品でいっぱいでした。カークパトリックが1984年に72歳で亡くなった後、彼のアートコレクションはイェール大学美術館に寄贈されました。ギャラリーは1985年にこれらの作品の特別展を開催しました。カークパトリックの論文はイェール大学の音楽図書館に遺贈されました。図書館によると、それらにはハープシコードのための100以上の20世紀の作品が含まれており、その多くはカークパトリックに捧げられたものか、カークパトリックによって委託されたものです。



正月休みの暇な時に聴こうと思いThe Art of Ralph Kirkpatrick(25CD)前々より聴きたかったCDの購入、到着後リッピングした後は丁重に保存する。

スカルラッティ:ソナタも入っているが、バッハの主な作品があり、堪能できる、正月はこれで楽しめる様である、確かに音質は少し古く現在のものと比べ聴き劣りはするが、バッハの歴史に触れる思いもある様です。

 バッハ:イタリア協奏曲 
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第1巻, BWV 846-869
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻BWV 870-893
 バッハ:イギリス組曲
 バッハ:フランス組曲
 バッハ:パルティータ
 バッハ:インヴェンションとシンフォニア
 バッハ:チェンバロ協奏曲
 バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV 988

録音アーティストとして、ラルフ・カークパトリックは、JSバッハとドメニコ・スカルラッティの鍵盤音楽のチェンバロ録音で最もよく知られるようになりました。1956年、ドイツの録音会社であるドイツ・グラモフォン・ゲゼルシャフトは、オルガンの作品を除くJSバッハのすべてのキーボード作品をアーカイブラベルとして録音するためにカークパトリックを選択しました。彼はほとんどの作品をチェンバロで録音しましたが、平均律クラヴィーア曲集全体をチェンバロとクラヴィコードの両方で録音しました。彼は1960年代後半にプロジェクトを終了し、多くの録音、特に平均律クラヴィーア曲集の録音が高く評価されました。

彼はまた、クラヴィコード(バッハの2部構成と3部構成の発明など)やフォルテピアノ(特にモーツァルトの作品)に関する他の作品も録音しました。コロンビアのために、彼は彼が編集した60のスカルラッティソナタを録音しました。多数の録音物に加えて、ビデオにいくつかのパフォーマンスを残しました。その中で最も目立つのは、1時間のプログラムにまとめられたものです。ラルフ・カークパトリックはバッハを演じます。その後の初期の鍵盤楽器の演奏者は、より流動的な演奏を実現したかもしれませんが、カークパトリックの演奏には、徹底的な研究から生まれた誠実さと信念が常に染み込んでいました。バロックおよび初期のクラシック時代の鍵盤音楽を専門とする人々の中で最も重要な人物の中での彼の地位は確かです。

今カークパトリックの音楽を楽しむ事に感謝であろう、ブラボー!

千葉NT駅前50万球のイルミネーション見学。歴史上80年以上も忘れられていた、音楽の父と言われるバッハ(Johann Sebastian Bach)を考察

2021年12月22日 | バロック音楽・オーディオ一般


今年も暮れが近づく、マニアの間には神が与えた美しい曲。マタイ受難曲を聴く季節になる。
2021年度で4年目となるイルミネーションイベント「イルミライ★INZAI」を開催。今年はエリアを新たに南口まで拡大し、北口を都市ゾーン。駅前の木がツリーに・・・



イオンモールから千葉NT駅までのメイン歩道通り道の並木にイルミ取り付け。



南口を自然ゾーン、駅前デッキを都市と自然の調和ゾーンとして、エリアごとに印西市の特色を表現したイルミネーションを実施。
改札を出てすぐの駅前デッキ上には、高さ約3mにもおよぶ印西市マスコットキャラクター「いんザイ君」のオブジェも登場。



総電球数約50万球、夕方見学に出かける。昨年は20万球であったが、



千葉NT駅近くの印西の花コスモスであしらったイルミの造花の花も可愛い・・・



南口駅前周辺の木々へのイルミ取り付け。今だ木々には緑の葉があり取り付けには大変苦労したことであろう。



南ぐちのメインの大きな木にイルミ取り付けは見事である。今年は範囲を増やした模様です。因みに印西市は現在19万人都市に人口増加している様です。
2022年度より北総線料金も15%程値引きするそうです。益々住みやすい街になり人口増加し目標の印西市、白井市30万人構想もやっと見込める様です。

点灯は2022年2月まで行う予定とあります。冬の風物詩をお楽しみください。

🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡🟡

此のあたりで来年は程よいプリアンプ導入を考える予定です、勿論真空管のプリアンプの中より考えようと計画中です。



キリストの誕生祭の季節が近づき、此処でバッハの音楽の歴史を考えるとメンデルスゾーンから始まったバッハ復活運動は、「マタイ受難曲」再演から21年が経ったバッハの死後100年にあたる1850年に、当時バッハ復活運動を進めていた音楽家や崇拝者が中心となって、ライプチッヒ市にバッハ協会設立いう成果として実りました。
特に当時、「音楽新誌」とい雑誌で編集、執筆にあたっていた作曲家シューマンは誌面を通して、バッハ協会の必要性を説き、多くの音楽家の賛同と理解を得ました。しかし、本格的にバッハの音楽が一般社会に知れわたるまでにはもう少し時間がかかりました。

それは彼の残した膨大な作品を網羅する「バッハ全集」が世に出てか当然バッハの音楽の演奏は古楽器演奏は当たり前ですが、当時は古楽器等は皆無で、チェンバロ演奏もワンダ・ランドフスカ、ポーランドの女性ピアニストが、ピアノよりもチェンバロに注力することを決意し、1908年から1909年にロシアでプレイエル・チェンバロによるコンサートツアーを行った。1912年から1919年の間、ベルリン芸術大学でチェンバロを教えた。1923年にアメリカでデビュー。1933年にバッハのゴルトベルク変奏曲をチェンバロで初めて録音した。
チェンバロを使い出したのが最初の頃と伺います、当然古楽器演奏は新しい演奏方法異なり、現在は古楽器演奏も認められる様になった様です。

筆者の若い時代頃は、当時アーノンクールは、古い教会や、街から遠く離れた城塞のような建築物と同じく、時間の流れに朽ちることなく佇む過去の音楽作品を訪問しようとする私たちに、それらの作品の誕生した時代に暮らした人々の生活や感情をたどり、想いを馳せるという選択を提示した。それは例えば、普段なら1時間のフライトで着く場所に、街道や宿場街を訪ね歩きながら馬車や徒歩で旅をしたことへの畏怖を思い描くということだ。もちろんアーノンクールは博物学者ではなかったから、現代の我々にとって感動的な旅のための手段とそのテクノロジーを否定したわけではない。

当時の音楽評論家などは古楽器の演奏は音が悪い、ガット弦の使用を否定した評論家も多くいた様です。兎に角管楽器などは基本の音はソ・ド・ミ・ソの音程が基本であり、現在も唯一のこる管楽器は軍隊のラッパである。



18世紀の宮廷音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハは死後約80年間、世間から忘れられていた作曲家でした。ビバルディーの名曲「四季」が、イ・ムジチ合奏団により再発見され、その後レコードを通して世界的に広く知れわたったのと同様に、バッハは19世紀の作曲家、フェリックス・メンデルスゾーンにより復活しました。
彼の努力によりバッハの名曲が公開で演奏されるようになり、現在にいたる名声が確立されたのです。では、少し復活されるまでの過程を追ってみます。そこには現代に通じる運命的なドラマが隠されています。

バッハの活躍時期はケーテン時代以降多くの器楽曲、オルガン曲は有名になる。1717年、32歳のバッハは、ケーテンの宮廷楽長の地位に昇った。領主レーオポルト侯は音楽を深く理解する愛好家で、バッハを大切にしたため、バッハは満ち足りた心で、職務である世俗音楽の作曲に、手腕をふるった。協奏曲や様々のソナタ、多くのクラヴィーア曲、世俗カンタータ等が、この時代に生まれてきている。1720年、妻マリーア・バルバラが急死した。4人の子供を抱えて途方にくれたバッハは、ハンブルク聖ヤコービ教会オルガニストへの転進を希望する。多額の寄付が条件とされたためにこの転進は成らなかったが、ハンブルクにおけるバッハの演奏は、いつもながら、人々に大きな驚きと感銘を与えた。1721年、バッハは16歳年下のソプラノ歌手、アンナ・マクダレーナを見初め、彼女と再婚する。以後マクダレーナはバッハに献身的に仕え、バッハの波風多く多忙な後半生を支える大きな原動力となった。

不動のライプツィヒ時代 ケーテンでの活動に見切りをつけたバッハは、1723年、大都市ライプツィヒに出て、由緒ある聖トーマス教会のカントルになった。彼の仕事は、音楽の先生として暴れん坊の子供たちを教育する一方、音楽監督として、市の教会音楽をとりしきることであった。しばらくの間、バッハは、日曜祝日礼拝のためのカンタータを、毎週のように書き続ける。「ヨハネ」「マタイ」の両受難曲も生まれ、ライプツィヒ時代初期は、バッハの教会音楽活動の頂点を形成した。



ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt [ˈharnõkuːr] )の芸風については賛否両論があったと思う。カール・ベームとかヘルベルト・フォン・カラヤンの演奏スタイルが主流派だった80年代までは、バロック音楽(およそ16世紀末から18世紀前半にかけての西洋音楽)の専門家としての仕事しかしてなかった。グスタフ・レオンハルトと共同で、史上初となるバッハのカンタータ全集(オーケストラ伴奏の付いた声楽曲)の録音事業を1971年から89年まで、18年かけてゆっくりと進めていたのは知られていたが、指揮者としての存在感、評価はウィーンの小アンサンブルを率いるマイナーな存在でしかなかった。

当時のアーノンクールがやっていたバロック音楽の演奏は、盆栽みたいに枝がクネクネと不自然に曲がりくねった異形が特徴で、私などは比較出来る演奏が少なかったこともあり、それが往時のバロック音楽の語法を再現したものなのだと思い込んでいた。特にヴィヴァルディ「四季」の録音(1977年)はたいそう面白く、それまでのイ・ムジチとかミュンヒンガーとかの演奏が、表面的に楽譜をなぞっただけの生温い音楽に聞こえてしまうほどのインパクトがあった。時代考証を踏まえた学究的なものというより、かなり癖のある人物の老獪な個人的表現に過ぎないのではと思うようになった。



バッハ 無伴奏チェロ組曲(全曲)
ニコラウス・アーノンクール(vc)
第6番はもちろん5弦のチェロ・ピッコロ。 (P)から1965年頃の録音かと思います。 原点に立ち戻るかのような,何ともシンプルな演奏。 素っ気ないほどに無骨だけど力強い。 現代のバロック・チェロによる演奏とはだいぶ違いますが, バロックの先駆者の演奏として大変興味深いです。




J.S.Bach:音楽の捧げ物(Musikalisches Opfer )BWV.1079
1747年にフリードリヒ大王の御前演奏を行なった際、バッハは大王が自ら書いた主題に基づく3声のフーガを演奏しました。その後、同じ主題による作品群を書いて王に献呈したのがこの曲集です。一見単純なひとつの主題がもつ可能性を極限まで追求した独創的な音楽は、バッハ芸術の最高の結晶のひとつ。



ヘルベルト・タヘッツィ(Cemb)、レオポルト・シュタストニー(Fl)、アリス・アーノンクール(Vn)、ヴァルター・プファイファー(Vn)、クルト・タイナー(Vla)、ニコラウス・アーノンクール(Tenor Viola,Vc)の6人による演奏である。




ニコラウス・アーノンクール / J.S.バッハ:ミサ曲ロ短調(1968年録音) 
バッハの作品は後期の作品の完成度は高い様に思う、今年はミサ曲ロ短調もじっくり聴き込みしてみようと思ってます。
アーノンクールは1968年にウィーン少年合唱団に同曲を収録していました。1968年録音盤では、当時の習慣に再現するため少年合唱団を使っていましたが、この再録盤のA・シェーンベルク合唱団は、アーノンクールのバロック語法の要求に答えるべく演奏が可能となったものです。CMWの音楽の言葉表現を見事に乗り移ったもので、非常に深い音楽を導き出しています。



今回持続音のヴィオラ・ダ・ガンバの音色と一音一音すぐ音量が減衰するチェンバロとの対比の妙。ニコラウス・アーノンクールとヘルベルト・タヘツィの掛け合いは、当時のバロック語法を見事に再現した名演。1968年録音。巨匠指揮者アーノンクールの追悼企画のCDを入手する。
持続音のガンバの音色と一音一音すぐ音量が減衰するチェンバロとの対比の妙。アーノンクールとタヘツィの掛け合いは、当時のバロック語法を見事に再現した名演です。
J.S.バッハ:『ヴィオラ・ダ・ガンバ・ソナタ集』BWV.1027-1029
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV.1027
  1.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第1楽章:アダージョ
  2.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第2楽章:アレグロ・マ・ノン・タント00:03:40
  3.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第3楽章:アンダンテ
  4.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第1番 ト長調 BWV1027 第4楽章:アレグロ・モデラート
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV.1028
  5.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第1楽章:アダージョ
  6.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第2楽章:アレグロ
  7.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第3楽章:アンダンテ
  8.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第2番 ニ長調 BWV1028 第4楽章:アレグロ    
 ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV.1029
  9.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 第1楽章:ヴィヴァーチェ
  10.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 第2楽章:アダージョ
  11.ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ 第3番 ト短調 BWV1029 第3楽章:アレグロ    
 2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ)ト長調 BWV.1039」
  12.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第1楽章:アダージョ
  13.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第2楽章:アレグロ・マ・ノン・プレスト
  14.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第3楽章:アダージョ・エ・ピアノ
  15.2本のフルートと通奏低音のためのソナタ(トリオ・ソナタ) ト長調 BWV1039 第4楽章:プレスト
ニコラウス・アーノンクール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)



ヘルベルト・タヘツィ(チェンバロ)
レオポルト・シュタストニー&フランス・ブリュッヘン(フラウト・トラヴェルソ:BWV.1039)
録音:1968年



アーノンクールはウィーン交響楽団のチェロ奏者からキャリアをスタートし、後にバロック音楽専門の室内楽団を組織して指揮者に転じた。チェロ奏者としての録音にはバッハ「無伴奏チェロ組曲全曲」(64年頃、35歳前後の録音)がある。バロックチェロを使い速めのテンポで力強く弾いている。重音奏法に意識的な騒音性を加味してオヤっと思わせたりするが、現代のバロック・チェロによる演奏とはだいぶ違う。全体的には深みとかコクに乏しく、ゴリゴリと押す無骨さがちょっとせっかちな印象を与える。

重厚長大型のバッハ演奏が普通に行われていた60年代は、時代考証の成果といってもまだこの程度。情緒性を排したドライなスタイルにはそれなりの意味があったのだろうが、今となっては過渡期のスタイルというか、方向性が曖昧で、垢抜けずもっさり、リズムの切れが悪く鈍重に感じる。バッハを、特に宗教音楽を指揮する時のアーノンクールは別の人というか、ロ短調ミサとかマタイ受難曲は、デジタル録音による新盤よりも60年代の古い録音の方が抑制が効いていて好ましく思えるのは筆者でけであろうか?。クラシック音楽の演奏スタイルの流行はいずれ変わるだろうが、バッハのいくつかの録音は、ある時代の記憶として残るような気がする。ブラボー!

アナイス・チェンのJ.S.バッハ:バロックヴァイオリンとオブリガートのチェンバロのための ソナタBW V1014〜1019の考察。

2021年12月15日 | 2022J.S.バッハ関係

J.S. バッハ:ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ集 BWV 1014-1019は先日女流ヴァイオリニスト、ミシェル・オークレールの作品を紹介したが、最近見つけたスイスのヴァイオリニスト、アナイス・チェンを聴いて古楽器独特な少し太めなしっかりしたヴァイオリンの音色と、独自のニュアンスとアドリブの感じが気に入り何度も聴いています。確かに間違いなく筆者好みの演奏であり、この曲に関することを深掘りしてみました。

最近知った事はこのガット弦を使うバロック・ヴァイオリンは昔殆どの楽器はモダンヴァイオリンに改造され、弓は新規のモダン用の弓に変更され演奏していたそうです、考えられることは50年前の演奏の古楽器演奏は、音質は悪く音楽評論家の評判も悪く、オーディオ愛好家にも評判は悪かったように記憶する。最近は古楽器演奏が多く認められた事は大変好ましい。
また音質も大変落ち着いた音が特徴ともいえよう、弓の創造がバロック用とは違うことも影響するのであろうか?



それと以前から気になっていたLS3/5aのスピーカーの高さの位置がが高過ぎ少し調整しユニットの位置が耳の位置を直した、空き箱のTANNOY IIILZ in Cabinetの箱の上ににAIRBOW「ウェルフロートボード」を置き3/5aを設置し試聴する、高さが実にピンポイント的にマッチし良い塩梅で聴こえるのである。思うはやっと苦労して手に入れた音質の様に感じた。

狭い作業部やが益々狭くはなるがこの高さで聴くと変えられない音場が現れる。益々3/5aの音楽表現の高さを感じます。勿論メインのGoodmansのアコースティック・レジスタンス・ユニット(A.R.U)の付属するAUDIOM 80の箱に入れたTANNOYIIILZ Monitor Goldの音も良いが、アンサンブル程の演奏はLS3/5aで聴く事が多くなっている、ただしアンプはシングルよりプッシュプルの真空管アンプとの相性が良く、先日導入したコルグDS-DAC-10Rとも大人の感じの音の相性は良く大人の音が聴ける。

それとネットサーフィンしていると、スイスのヴァイオリニスト、アナイス・チェンは、チューリッヒとデトモルトでモダンヴァイオリンを学び、その後バロックヴァイオリンに転向したと掲載されている。
アナイス・チェン(Anaïs Chen= plays J.S. Bach - Adagio from Sonata I for solo violin BWV 1001バッハの無伴奏を聴いてた。良く通る音色に、若干太く逞しいバロック・ヴァイオリンの演奏が気になり調べてみました。


調べてみますと、BWV 1001ヴァイオリン・ソナタは無く、ヴァイオリンとオブリガートのチェンバロのためのバッハのソナタがあり、早速聴いてみます。先日紹介のオークレールも魅力的なバッハを奏でた名演奏ですが、アナイス・チェンを聴くと、独特なこのバロック・ヴァイオリンの音が実に心地よく聴こえる。



少し太めの腰の座ったそれでいて良く通る高音はまさにバロックヴァイオリン独特の音が聴こえる。導入後散々調整、補修を行い、最後に欠陥部分が解明し部品交換しスッキリした音質に変化を遂げた我が家のLS3/5aの鳴りっぷりも中々優れている様です。エンクロージャーの部品一つで、音質には部品等の材質一つで微妙な処が欠陥になりスムースな本来の音質が出ない場合もある様です。特に接続部分には最新の注意が必要です。

仕上がったLS3/5aの特徴は癖もなく少し渋めの音ではあるが、長く聴いても聴きつかれない安定した音が特徴と思える仕上がりになったようである。



昔このバッハのソナタを聴いたのはシュナイダーハン&リヒター演奏の1966年販売のアルフーフレコード独ARCHIV3212を22〜3歳頃購入し未だ大切に保管している。特にウォルフガング・シュナイダーハン(Wolfgang Schneiderhan)ヴァイオリン奏者は5歳で公開演奏会を開き神童の名をほしいままにする。33年、17歳でウィーン響の、37年にはウィーン・フィルのコンサートマスターに就任し51年まで務める。今にして思えば実に高貴でやや悲痛な感じに表現されていた様に思う。当時はやはりバッハの音楽は素晴らしく高貴と感じていました。当時この曲を聴くたびに身の引き締まる思いが蘇ります。


筆者なりにこの曲改めて調べた、ヴァイオリンとオブリガートのチェンバロのためのソナタは、トリオ・ソナタ形式で構成されています。つまり、ベースラインの上の2つの等しく一致する上部の声からなる3つの独立したパートです。ハープシコードは、通奏低音の役割を演じる代わりに、数字付き低音のハーモニーを埋める代わりに、バイオリンと同じ条件で上部のメロディックラインの1つを取り、ベースラインには必要に応じて、ヴィオラダガンバの追加される。

バッハの音楽作品全体では、トリオソナタ形式で書かれた器楽ソナタは数が少ない。離れBWV 1014-1019から六のある弦楽器ソナタ、BWV 525から530まで、3つのヴィオラダガンバとハープシコード、BWV 1027から1029のためのソナタ、フルートとハープシコード、のための3つのソナタBWV 1030、BWV 1031とBWV1032などがある。



いずれの場合も、トリオソナタのテクスチャーは、バッハが自由に使えるミュージシャンの機能の一部である楽器の特定の組み合わせではなく、構成形式に由来します。これは、カンタータの第2部を開始するシンフォニアとして始まった、オルガンソナタBWV528の最初の楽章によってよく示されています。
BWV 76、オーボエ・ダモーレとヴィオラ・ダ・ガンバをソロ楽器として使用。そして、同様に2本のフルートと通奏ためのトリオ・ソナタによってBWV 1039とヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのオブリガート、のためにその代替バージョンBWV 1027。 ゆっくりとした動きには、バッハの最も美しく深遠なエッセイのいくつかが含まれており、深刻な、悲しい、または嘆かわしい影響があり
上記の様な演奏者への注意事が書かれている様です。

バッハはおそらく、ケーテンのカペルマイスター宮廷としての在職中に、1717年から1723年の間に6つのヴァイオリンソナタを作曲しました。どうやら彼はベースラインにソロパートを追加することにもはや満足していなかったので、代わりにハープシコードパートを完全に書きました。作曲技法に関しては、ここでの彼のモデルはバロックのトリオソナタでした。しかし、現代的な意味でのデュオソナタへの道はすでに追跡されています。ソナタはバッハの死後50年まで出版されませんでした。個々のソナタの伝達は、特にサインの材料がほとんど残っていないため、問題になることがあります。この原典版の付録では、さまざまなバージョンのさまざまな作品を再現しています。バッハが唯一器楽曲を楽しみ没頭したケーテン時代5年間の代表作であろう。

バロックトリオソナタの従来のモデルから事実上あらゆる点で逸脱することにより、ハープシコードとヴァイオリンのためのバッハの6つのソナタは、両方の楽器を主題動機の展開に等しく参加させます材料。彼らは2人のパフォーマーの間にも本物の対話を確立し、それによって実際に古典的なデュオソナタへの道を開きます。これらの2人のトップミュージシャンの間の対話は、平等で魅惑的であり、この録音の独自な性質は、音楽を楽しむリスナーを引き付けます。

今まで何気なく聴いたいたバッハのヴァイオリンソナタは、より適切にはチェンバロとヴァイオリンのソナタと呼ばれ、このように、同じ種類の6つの作品からなる多くの同様の器楽作品グループに似ています。たとえば、伴奏なしのヴァイオリン用の6つのソナタとパルティータ、チェロソロ用の6つの組曲、6つのイギリス組曲、または6つのブランデンブルク協奏曲を例に挙げてみましょう。



しかし、バッハがこれらの作業グループで追求している概念は、作品が演奏される特定の順序という意味での目的としていません。それはむしろ、同じカテゴリーの作曲で実現できる多様な音楽の可能性を体系的に探求するという原則に従います。したがって、単一の作品はたまたま全体を形成します。

バッハのヴァイオリンソナタの最も重要な特徴は、革新的なスコアリング、起源の時点での絶対的な目新しさ、そして多くの点でモーツァルトとベートーヴェンの古典的なヴァイオリンピアノソナタの基礎となるプロトタイプにありました。

2つの高音楽器と通奏低音のためのバロックトリオソナタの伝統的な要素は、バイオリンとチェンバロの右手が低音の基礎の上にデュオ構造を形成する多くの動きまたは動きのセクションにまだ見られますが、チェンバロパートの一般的なテクスチャーは、トリオの演奏を超えています。6つのソナタBWV1014-19で、作曲家バッハはヴァイオリンソナタのジャンルの変容を独力で作成したそうです。

アナイス・チェン(Anais Chen)スイスのヴァイオリニスト、チューリッヒとデトモルドで現代ヴァイオリンを学び、バロックヴァイオリンに転向し、ベルリン芸術大学(2007)とバーゼルスコラカントルムバシリエンシス(2010)で優秀な成績を収めました。

少し変わった演奏のアナイス・チェン、マリア・ゴンザレス、ダニエル・ロジン演奏のフランソワ・フランクールのヴァイオリン・ソナタヴァイオリンを中心としたソナタは青年期の秀作で実に良い仕上がりの演奏である、



スイスのヴァイオリニスト、アナイス・チェンは、2007年に彼女は古代音楽ジェノヴァネルヴィのための国際室内楽コンクールで一等賞を受賞し、2008年に彼女はDienemann-Stiftung Lucerneの1年間の奨学金賞を獲得し、2009年に彼女は「Aumann-PreisfürinnovativeInterpretationundNeuentdeckungen」を受賞しました。国際ビーバーコンペティションセントフロリアンの機会、彼女のデュオフォーメーションであるL'Istanteは、アントワープで開催された国際若手アーティストのプレゼンテーションで「2010年有望な若手アンサンブル」に選出されました。

アナイス・チェンは、彼女のプロジェクトであるEntreTempsまたはPassagenに見られるように、ステージでバロック音楽をコンテンポラリーダンスに結合するパフォーマンスであるように、現代の文脈で古楽を提示することを特に楽しんでいます。



アレクサンドラ・イヴァノヴァAlexandra Ivanovaは、ロシア、バイカル湖畔の生まれ。モスクワのチャイコフスキー音楽院でピアノを学びつつ、徐々にチェンバロやフォルテピアノ、オルガン演奏に傾倒して行く。ヨーロッパとロシアで定期的にコンサートに出演しています。

彼女の幅広いレパートリーのチェンバロ、フォルテピアノ、クラヴィコード、ピアノなどのさまざまな楽器で何世紀にもわたって。ロシアのバイカル湖で生まれたアレクサンドラは、5歳のときに母親のナタリア・イワノワとピアノの勉強を始めました。



アレクサンドラは2002年にモスクワ国立チャイコフスキー音楽院の中央音楽学校でアレクサンダー・マンドヤンツのクラスを卒業し、ユーリー・マルティノフ、ヴィアチェスラフ・ポプルギンの指導の下、モスクワ音楽院でピアノ、歴史的な鍵盤楽器、室内楽、バソコンティニュオの研究を始めました。2007年、アレクサンドラはモスクワ国立音楽院でアレクセイ・リュビモフとの大学院研究を開始しました。同じ年、彼女はイェスパー・クリステンセン(チェンバロ、通奏低音、スイス、バーゼルのSchola Cantorum Basiliensisでのアンサンブルディレクションとフォルテピアノ)とルドルフ・ルッツ(即興)。

彼女は2012年に優秀な成績で卒業し、ScholaCantorumで伴奏者およびコーチとして働き始めました。アレクサンドラは、数多くのマスタークラスやコンサートプロジェクトに参加することで、今日の音楽シーンの主要なアーティストの何人かと協力し、インスピレーションを得てきました。アレクサンドラは、演奏コンサートミュージシャンとしての積極的なキャリアに加えて、ロシア、イタリア、スイス、ドイツのラジオ局でもレコーディングを行っています。




J.S.バッハ(1685-1750):ヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタ集 BWV1014-1019

【CD1】
  1-4.ソナタ第1番ロ短調BWV1014
  5-8.ソナタ第2番イ長調BWV1015
  9-12.ソナタ第3番ホ長調BWV1016
【CD2】
  1-4.ソナタ第4番ハ短調BWV1017
  5-8.ソナタ第5番ヘ短調BWV1018
  9-13.ソナタ第6番ト長調BWV1019



アナイス・チェン(ヴァイオリン)
アレクサンドラ・イヴァノヴァ(チェンバロ)
録音: 2017年Steppenwolf Studio, Asch

モンスターカル・ヴァイオリンの達人アナ・チェンバロそして、イヴァノヴァガが演奏するバッハのソナタ。旋律をヴァイオリンと現代の二重ソナタの良いこのオンラインこの作品集を、2人の良いバランスで聴くことが出来ます。

古楽曲の記譜法やコンサートバロ進行熱心に研究をアップた上で斬新な解釈をする演者。達人アナ・チェンバロそして、イヴァノヴァガ団するバッハのソナタ。旋律をヴァイオリンとパラノリンた「現代の二重ソナタ」の良いこのオンラインこの作品集を、2人は得的となるなかで聴けます。 、古楽曲の得の記譜法やコンサートバロ進行熱心に研究をアップた上で斬新な解釈をする演者。古楽器の音色を響かせます。

,

器楽の古楽器演奏にも関わらずよりバッハを理解しフリーな演奏も聴ける音楽も楽しさを味わせてもらえる一枚の様です。
スイスのヒストリカル・ヴァイオリンの達人アナイス・チェンとそのパートナー、イヴァノヴァが演奏するバッハのソナタ。チェンバロを単なる通奏低音として用いるのではなく、右手で奏でる旋律をヴァイオリンと並列に扱った「近代の二重ソナタ」の礎ともいえるこの作品集を、2人は情熱的かつスタイリッシュな解釈で聴かせます。

チェンはベルリンやバーゼル・スコラ・カントルムなどで学び、古楽についての当時の記譜法や演奏環境などについて熱心に研究を重ねた上で斬新な解釈を生み出す奏者。使用楽器は、最近作られた歴史的楽器のレプリカに、様々なタイプの弓を使い分けることで、理想の音色を追求。時にはバロック・ヴァイオリンとコンテンポラリー・ダンスを融合してみせることもあります。メディア掲載レビューほかスイスのヒストリカル・ヴァイオリンの達人アナイス・チェンとそのパートナー、イヴァノヴァが演奏するバッハのソナタは心に残る演奏であった。



チェンバロを単なる通奏低音として用いるのではなく、右手で奏でる旋律をヴァイオリンと並列に扱った『近代の二重ソナタ』の礎ともいえるこの作品集を、2人は情熱的かつスタイリッシュな解釈で聴かせます。チェンはベルリンやバーゼル・スコラ・カントルムなどで学び、古楽についての当時の記譜法や演奏環境などについて熱心に研究を重ねた上で斬新な解釈を生み出す奏者。使用楽器は、最近作られた歴史的楽器のレプリカに、様々なタイプの弓を使い分けることで、理想の音色を追求。時にはバロック・ヴァイオリンとコンテンポラリー・ダンスを融合してみせることもあります。

筆者は今までどちらかといえば、古楽器と言えど透明度の高い澄んだ音色が好きではあったがこの二人の演奏は若干重く感じるが、従来バッハの演奏はこの様な演奏もあると言われる様にも感じる、如何にもバッハの音楽と言わんばかりの様である。又違うスピーカーで聴けば違うコメントのもなるのですね、この辺りが正にオーディオの趣味の面白さの様に思う。思いは十人十色である・・・・。

今後もバッハの新譜の発売は期待できそうである、ぜひ無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータBWV1001-1006の発売は期待したい。ブラボー!

最近は研究家にはフーガの技法はロ短調ミサ曲の後半に仕上げた作品と言われています、フーガの技法BWV1080の演奏は果たしてどの様な演奏が良いのかの検証

2021年12月11日 | バロック音楽・オーディオ一般


フーガの技法 BWV1080[Die Kunst der Fuge BWV1080]J.S.バッハ (BACH, J.S.)The Art of Fugue BWV1080別冊として、《2つのチェンバロのための鏡像フーガ》BWV 1080の《フーガの技法》は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり――その間フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり・・・、また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかったと言うより出来なかった様です。

最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。が、この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。それはたとえば、Cp.10の初期稿が第14曲として組み込まれていること、Cp.13を単純に2台チェンバロ用に編曲したに過ぎないものが第18曲に入っていること、終曲にコラール編曲が置かれていること、あるいは未完のままのフーガが第19曲として収載されたこと、また、1742年の自筆譜の配列とは大幅に異なっていることなどから推察される。

バッハはなぜ、自らの名を刻んだフーガを未完のまま放置したのだろうか。仕上げる前に命数が尽きてしまったといえばそれまでだが、そもそもこのフーガの全体の出来に不満があったればこそ作曲が捗らなかったのではないか。とすれば、これを《フーガの技法》に含めることは、作曲者の意図に反するかも知れない。さらに奇妙なのは、コラール編曲〈我ら苦しみの極みにあるとき〉が終曲に置かれたことである。フォルケルは『バッハ伝』の中で、死の間際にバッハがこのコラールを口述筆記させたと伝えている。予定されていた最終フーガが未完となったので、この曲が補完に充てられたというのが実情であり、従って、コラール編曲を《フーガの技法》に含めるのが作曲者の意に叶うとは思えない。更にいうなら、絶筆となったのが果たして本当にこの曲だったのかどうかも、確証は得られない。より本質的な問題として、『個人略伝』とフォルケルの『バッハ伝』によれば、計画していながら完成されなかったフーガは2曲あった。「未完フーガ」はそのどちらかであろうが(フォルケルは「未完フーガ」を「3つの主題を持つ」「最後から2番目のフーガ」としている)、残る一方は完全に失われている。バッハが構想した《フーガの技法》は永遠の謎となってしまった。



筋の通った配列という問題は、未完フーガの補完と同じくらい、これまで多くの音楽家の関心を集めてきた。しかし、配列それ自体は作品の演奏にとっては大きな問題ではない。どのみち全曲とおして演奏することは想定されていないからである。

楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。なお、現代のピアノで演奏する場合には、特に手の交差に関してチェンバロやオルガンほどの効果が得られないので、工夫が必要である。



此処でフーガの技法BWV 1080の演奏を密閉型の3/5aで聴く、チェンバロ、ピアノ演奏も大変良い音が聴ける、今思えばこの3/5aスピーカーは2019/02/13に入手して、約2年間聴き続け最近まで自分が、お思い描く音が鳴らなく、あらゆる手直し、創意工夫したが全く美音は聴けない状態でした、最終的には接続部分の破損で原因が原因で解明できた、これは筆者においては大変ラッキーな事でした、然し売主は良い音がすると言っていたが今でも大変疑問に思う。

このような事故はこの3/5a以外の製品は起らなかったかもしれないが、今となってはこの事故に大変感謝しています。タンノイの音質とも若干違いはあるが、陰影も品位の有り少し渋めの音質が響く音質は相当気にいってます。アンプはシングルよりプッシュプルアンプを使った方が3/5aの真価が発揮できる様である勿論ジャズを鳴らしても満足しています、正に怪我の功名であろう。

実は筆者も5年程前よりオーディオ愛好を再開しバッハ中心の音楽を聴くことに戻ったが、所有するスピーカーを色々聴いて見たが、現在アンプは未だ真空管の仕様が一番に思う、真空管に替えて聴くと何故か安堵感を感じるのだ。此の匂いを嗅いでしまうと後戻りが出来ない始末の悪さが残るのだ・・・。



以前も紹介はしたがこのメンバーの奏でるゴルドベルグ変奏曲は大変美しい演奏が聴けた、Bach: The Art of Fugue / Fretwork比較的に分かり易い演奏です、英国のスーパー・ヴィオール合奏団、フレットワークがバッハの最後の大作フーガの技法を録音!筆者はこの演奏が好きで良く聴く、それと見出しに最近自筆譜版をもとに、『フーガの技法』を完成された作品として演奏!




数の象徴がもたらす神秘的な美しさ、名手たちの至高のアンサンブル、アルベルト・ラージRoberto Rasi(指揮)興味本位で聴いた。
自筆譜の曲順と曲種を読み解くと、バッハがそこに「数の象徴」を盛り込んでいたことが分かりました。BACHをアルファベット順に数字に変換すると2-1-3-8となり、バッハはその合計数14を象徴的に作品に潜り込ませていたことが知られています。自筆譜の『フーガの技法』は基本となるフーガがまず2曲、次に半終止(ラ、Aの音!)で終わるフーガが1曲、そして反行形や対主題を伴うフーガが3曲、最後に複雑さを極めていく8曲というように構成されています。8曲のセクションは2-1-2-1-2と細分化でき、拡大・縮小を伴うフーガ、カノン、多重フーガ、カノン、鏡像フーガ(正立+倒立で1曲とする)と書法が発展していきます。

バッハは曲集のタイトルを「Die Kunst der Fuga」としました。フーガの綴りだけイタリア語になっています。これは上記の方法で数字に直したとき158になり、「Johann Sebastian Bach」もまた158になる、という数遊び。1+5+8=14(BACH)、というのもバッハは気に入っていたようです。



このアルバムではアンサンブルでの演奏が採用されています。スコアの音域に即した楽器が選択され、各種ヴィオールが美しく響き、机上の空論的な楽曲と思われがちな『フーガの技法』から驚くほど音楽的な対話が生まれています。オルガンは通奏低音として入ったり時にソロで弾いたりとアレンジも面白く考え抜かれていて、最後に未完フーガを添えているのも嬉しいところです。アッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナはこれまでStradivariusやDIVOXに録音があり、今作がChallenge Classicsでの初作品。リーダーのアルベルト・ラージはサヴァールに学んだヴィオール奏者です。

構成数 | 1枚
合計収録時間 | 01:08:13
【曲目】
J.S.バッハ:フーガの技法 BWV1080(ベルリン自筆譜版)
 [1] コントラプンクトゥスI (基本形による単純フーガ)
 [2] コントラプンクトゥスIII (反行形による単純フーガ)
 [3] コントラプンクトゥスII (基本形による単純フーガ)
 [4] コントラプンクトゥスV(反行形を伴うフーガ)
 [5] コントラプンクトゥスIX(12度対位法による対主題と基本形によるフーガ)
 [6] コントラプンクトゥスX(10度対位法による2つの対主題と反行形によるフーガ)
 [7] コントラプンクトゥスVI (反行、縮小を伴うフランス様式によるフーガ)
 [8] コントラプンクトゥスVII (反行、拡大と縮小を伴うフーガ)
 [9] 8度のカノン
 [10] コントラプンクトゥスVIII (3声の3つの主題によるフーガ)
 [11] コントラプンクトゥスXI (4声の4つの主題によるフーガ)
 [12] 反行と拡大によるカノン
 [13] コントラプンクトゥスXIIa(4声の鏡像フーガ・正立)
 [14] コントラプンクトゥスXIIb(4声の鏡像フーガ・倒立)
 [15] コントラプンクトゥスXIIIb(3声の反行形を伴う鏡像フーガ・正立)
 [16] コントラプンクトゥスXIIIa(3声の反行形を伴う鏡像フーガ・倒立)
 [17] 3つの主題によるフーガ(未完)
【演奏】
アッカデミア・ストゥルメンターレ・イタリアーナ
[ロゼッラ・クローチェ(ヴァイオリン)、
トレブル・ヴィオール)、クラウディア・パセット(テノール・ヴィオール)、
パオロ・ビオルディ(バス・ヴィオール)、
ミケーレ・ツェオーリ(ヴィオローネ)、
ルカ・グリエルミ(オルガン)]

ともすれフーガの技法は、バッハが晩年に構想した理念的作品集の一角をなすものである。
ベルリンの国立図書館に残される自筆譜は1742年に作られており、バッハがこれ以前の1740年頃から《フーガの技法》に着手したと考えられる。その後、たびたびの中断があり――フリードリヒ大王を訪問し《音楽の捧げもの》を仕上げたり、L.C.ミツラーの「音楽学術交流会」に入会して《カノン風変奏曲「高き天より」》(BWV 769)を書いたり、旧作のオルガン・コラールを改訂して所謂『シューブラー・コラール集』や《17のコラール》をまとめたり、《ロ短調ミサ曲》を完成させたり――、また《フーガの技法》の当初の計画にいろいろな変更を加えた所為で、とうとうバッハ自身の手で出版は実現しなかった。



最大の謎は、バッハが最終的に望んだ《フーガの技法》とは、どのような内容、配列によるのか、という点である。1751年6月1日に新聞に予告された出版譜が、具体的に誰の手配によるのかは判っていない。が、この初版の内容はおそらく、作曲家の意図をかなり無視したものとなっている。それはたとえば、Cp.10の初期稿が第14曲として組み込まれていること、Cp.13を単純に2台チェンバロ用に編曲したに過ぎないものが第18曲に入っていること、終曲にコラール編曲が置かれていること、あるいは未完のままのフーガが第19曲として収載されたこと、また、1742年の自筆譜の配列とは大幅に異なっていることなどから推察される。
バッハはなぜ、自らの名を刻んだフーガを未完のまま放置したのだろうか。仕上げる前に命数が尽きてしまったといえばそれまでだが、そもそもこのフーガの全体の出来に不満があったればこそ作曲が捗らなかったのではないか。とすれば、これを《フーガの技法》に含めることは、作曲者の意図に反するかも知れない。さらに奇妙なのは、コラール編曲〈我ら苦しみの極みにあるとき〉が終曲に置かれたことである。フォルケルは『バッハ伝』の中で、死の間際にバッハがこのコラールを口述筆記させたと伝えている。予定されていた最終フーガが未完となったので、この曲が補完に充てられたというのが実情であり、従って、コラール編曲を《フーガの技法》に含めるのが作曲者の意に叶うとは思えない。更にいうなら、絶筆となったのが果たして本当にこの曲だったのかどうかも、確証は得られない。より本質的な問題として、『個人略伝』とフォルケルの『バッハ伝』によれば、計画していながら完成されなかったフーガは2曲あった。「未完フーガ」はそのどちらかであろうが(フォルケルは「未完フーガ」を「3つの主題を持つ」「最後から2番目のフーガ」としている)、残る一方は完全に失われている。バッハが構想した《フーガの技法》は永遠の謎となってしまった。
筋の通った配列という問題は、未完フーガの補完と同じくらい、これまで多くの音楽家の関心を集めてきた。しかし、配列それ自体は作品の演奏にとっては大きな問題ではない。どのみち全曲とおして演奏することは想定されていないからである。

楽器編成について、こんにちではほぼ、鍵盤作品として、それもクラヴィーアのために書かれたと考えられている。処々に現れる長い保続音は確かにオルガンのペダル・ポイントに適しているようにもみえるが、全体はクラヴィーアにふさわしい語法に満たされている。また、鍵盤以外の楽器の特徴はほとんど見出せない。なお、現代のピアノで演奏する場合には、特に手の交差に関してチェンバロやオルガンほどの効果が得られないので、工夫が必要である。

フーガの技法は、謎めいた未完のフーガやバッハ最晩年の逸話とあいまって、伝説的なオーラを放っている。作曲家の死の直後に出版されてからこれまで絶えず人々の関心を集め、なかば崇拝にも近い賛辞を贈られた。しかし栄光に反して、実際に演奏される機会はそれほど多くない。それは、バッハの意図した楽器や編成が判然としないことに大きな原因があるが、伝説的なオーラが近づきがたいイメージを固めてしまった所為でもある。バッハは確かにかなり抽象的、理念的性質をこの曲集に与えたのではあるが、実際に演奏可能なことが何よりの大前提だった筈だ。そこで、具体的に各曲に迫るためにまず、この作品にあらわれる「技法」とは何か、それらが音楽的にどのように成功しているのかを確かめてみよう。ここに含まれる作品は、おそらく全曲とおしての演奏を想定して作られてはいない。フーガの技法を単一主題によるフーガ変奏曲のように扱うのは、そもそも聴き手の集中力に鑑みて無理があるように思われる。
作品全体の構成をこちらに示す。また、作品の成立に関わる問題については最後にこちらに簡単に述べるにとどめる。以下、文中で略号「Cp.」はContrapunctus(コントラプンクトゥス)を表す。また、「テーマ」という場合には第1曲の冒頭で提示され、この曲集全体を貫く旋律のことを、「主題」という場合にはフーガの楽式ないし作曲技法上の主要旋律のことを指す。



このようなことを考えると、鍵盤楽器の演奏、チェンバロ又はオルガン演奏が良い方法なのかもしれないと思ったりもする。ここでバッハ:フーガの技法BWV1080を楽しむは色々なパターンの演奏を聴くことをお勧めする、意外と面白い演奏と巡りあわせる事もあり筆者も最近聴いたピアノでの演奏も近藤 伸子は興味深く試聴した、新潟県出身のピアニストである。現在、国立音楽大学教授。現代音楽を積極的に演奏、紹介すると同時に、バッハの鍵盤作品にも強い関心を寄せて演奏活動を行なっている。



近藤伸子ピアノ演奏のJ・S・バッハ:フーガの技法バッハ晩年の傑作《フーガの技法》には、近づきがたい作品というイメージがあるかもしれません。対位法の魔術師バッハが音楽家人生の集大成として編纂した「フーガの技法」。多くの謎に包まれていますが、そのひとつが「何の楽器のために書かれたか?」です。



此処で筆者お勧めは、鍵盤奏者トン・コープマン指揮者。1944年オランダ、ツウォレ生まれ。アムステルダム音楽院でレオンハルトにチェンバロを、ヤンセンにオルガンを学ぶ。ソロ活動から始め、79年にオリジナル楽器によるアムステルダム・バロック管弦楽団と合唱団を組織し、コンサート、録音と活発に活動をしている。即興演奏の名手で、情熱的なソリストとしての演奏はそのままオーケストラ演奏でも当てはまり、生気に富んだ演奏がバロック音楽に新しい息吹を吹き込んだ。

夫婦であるトン・コープマンTon Koopmanとティニ・マトーは両者ともにチェンバロ奏者です。

この2人の録音は名盤が多いですが、ティニ・マトーTini Mathotはトン・コープマンのプロデューサーとしてのイメージのほうが世間的には強いようです。
Ruckersモデルのチェンバロをコープマンが、Couchetモデルのチェンバロをティニ・マトーが演奏しています。
コープマン/バッハ:フーガの技法(2台の技法バロズ季)『フーガの技法』は、劇する楽器取名せずに、「フーガ」であるの作曲曲をするちの「小宇宙」フーガの技法フーガの技法、世界史上特筆しか与え性を頂この作品は、絶壁の技法の家の技法志意をかき立てます。



此処で筆者お勧めの、フーガの技法BWV1080トン・コープマン( チェンバロ)ティニ・マトー(チェンバロ)録音:1993年を挙げます。

「フーガ」という当時の作曲様式を徹底して追求した作品で、バッハの絶筆のひとつと言われています。ひとつの「小宇宙」ともいうべき荘厳さを持ち、音楽史上特筆すべき特異性を有するこの作品は、絶壁のように演奏家の挑戦意欲をかき立てます。当代最高のバッハ演奏家コープマンによる刺激に満ちた再現。
チェンバロ奏者、トン・コープマンとティニ・マトーとの共演によるバッハ「フーガの技法」を収録した1993年録音盤。
バッハ:フーガの技法
【演奏】
トン・コープマン、ティニ・マトー(チェンバロ)
【録音】
1993年
 1.コントラプンクトゥス1
 2.コントラプンクトゥス2
 3.コントラプンクトゥス3
 4.コントラプンクトゥス4
 5.コントラプンクトゥス5
 6.コントラプンクトゥス6
 7.コントラプンクトゥス7
 8.反行の拡大カノン
 9.オクターヴのカノン
 10.コントラプンクトゥス8
 11.コントラプンクトゥス9
 12.12度のカノン
 13.コントラプンクトゥス10
 14.10度のカノン
 15.コントラプンクトゥス11
 16.コントラプンクトゥス12[正立形]
 17.コントラプンクトゥス12[倒立形]
 18.コントラプンクトゥス13[正立形]
 19.コントラプンクトゥス13[倒立形]
 20.3つの主題によるフーガ

【演奏】
トン・コープマン(チェンバロ)
ティニ・マトー (チェンバロ)



【録音】1993年
バッハ
フーガの技法 BWV 1080(2台のチェンバロによる演奏)
録音:1993年(デジタル)

『フーガの技法』は、演奏する楽器さえ指定せずに、「フーガ」という当時の作曲様式を徹底して追求した作品で、ひとつの「小宇宙」ともいうべき荘厳さを持ち、コープマンは指揮、鍵盤演奏、作曲・編曲をこなす古楽界の鬼才。当代最高のバッハ演奏家コープマンによる静かな刺激に満ちた演奏です。

筆者は昔からバッハは親しんで聴いて来たが、同曲での多数な演奏を聴き比べる余裕と時間はなく、第二の人生を迎え暇な時間に楽しめる事に感謝する次第である、後は知らない情報はネットで探しiTunesのハイレゾで楽しめる、PC(Mac)使用は早20年にもなるが、実に手軽で便利な時代に突入した事も事実であろう。今回ここに掲げたフーガの技法BWV1080の演奏も4枚もの演奏を試聴する為にこの様な比較は無理であった。当時は大卒時の初任給の10%がLPの価格で、輸入盤のLPは相当高価であった。

合奏版は賑やかになるし、独奏だと技術的に困難な部分もあり、「2台のチェンバロによる演奏」がぴったりかもしれません。コープマンは、この論理的抽象的で難解かもしれないバッハ最後の大曲を誠実で落ち着いた雰囲気で深く静かに演奏しています。
瞑想に誘われる名演です。CD2枚ものになる演奏も多いですが、このCDは1枚に収められております。ブラボー!

シキスヴァルト・クイケンに師事したフランソワ・フェルナンデス(ヴァイオリン)のJ.S.Bach: ヴァイオリンとオブリガートのハープシコード BWV 1014-1019の6つのソナタを検証する

2021年12月06日 | 真空管アンプ・オーディオ



管球王国季刊誌発売、それと大橋慎/真空管・オーディオの本と一緒に取り寄せてみた。管球王国はWE300B最新作が話題となっていたが年末宝くじでも当たれば購入は出来るが・・・・?
それより以前よりプリアンプに興味が出る、サンバレーSV-Pre1616Dキットの商品でこの(1616)とは色々(いろいろ)なと言う意味の様に書かれていた。
調べてみると特徴として、異種真空管差し替えに対応というのがある。整流管も含め玉転がしが楽しめる様です、双三極管は、本機独自の挿し方がある。
 1.12AX7/ECC83×3本
 2.12AX7/ECC83×2本、12AU7/ ECC82×1本
 3.12AU7/ ECC82×3本
現在所有の12AU7/ ECC82管は勿論刻印付きのTelefunken ・Siemensは所有してる、他にも若干国産品の管があるので利用できそうである。
真空管に嵌まる事は同じ種類の球でも音は違いは判る、相当神経質な人は同真空管でも微妙に音の違いが出るそうであると言われるが、筆者にはそこ迄の判別は出来ない、兎も角球の魅力には十分注意したい。



この順番で、音がシャープでクールからウォームでソフトに変化するという。そして交換するのはダイオードモジュールから整流管である。整流管を交換すると音楽の情報量や音の粒立ちなどが変化する。もちろん響きも変わってくる。1本交換するだけで影響力は大きい。さらに定番の互換球であるRCA「5R4GY」、WE「274B」とかなり範囲は広く、簡単に考えれば12AX7×3本で繊細は傾向としてマランツ7の様な音から12AUX7×3本に交換でラックスの様なウォームトーンの実現可能と思われるコメントもあり、キットなのでしっかり時間をかけコンデンサーのバージョウンアップ等手を加えれば面白いプリアンプが仕上がり入手できるのもしれない。心配は技術的に作れるかが疑問は残るが・・・・・?
『SV-Pre1616D』は何と整流管に「274B」対応。ということで『WE274B』が使える。PSVANE WE274BはWestern Electric社製の整流管、274Bの復刻版です。音質は是非比べてみたいですね。

さてここでの注意項目ですが、本物の真空管の入手すると、真空管だけでも本体以上の金額になり、特にMullard程の真空管の本物を探すことも難しく、価格も遠慮なく高額である、安全に実施は現行管での範囲が一般的には良い方法です。



やはり音質の影響はプリアンプが強い様であり、今のエンクロージャー等の機材の音質アップを目指すべきかもしれない。益々タンノイが輝くかもしれない。
上記の写真は現在使用のIIILZ Monitor Goldユニットです。
以前のユニットはIIILZ HPD295のコーン紙に墨汁を塗り聴いていましたが、IIILZ Monitor Goldを入手出来、今回はコーン紙再生は柿渋液を塗っています、何も大変古いユニットですので大切に扱っています。

その様な事を考えながら内容は音楽の話に・・・・

筆者自身古楽器とモダン楽器の違いは違いはあるのであろうか?これは個人的には古楽器演奏が自然には聞こえるようですが一般的には如何であろうか?



古楽奏法の革命家シギスヴァルト・クイケンが芸術を理解する必要はない。感じ、楽しむと言っているではないか?
シギスヴァルト・クイケンに古楽器でバッハ弾くことはどのような意味をもっていますか?と質問すると---------
私自身バッハの作品を演奏する上で、彼にできるだけ近付きたい。これが目的です。それは多分バッハの時代の音楽家たちもやっていたことでしょう。モーツァルトの時代でも同じ。そして今の古楽器奏者たちも同じことをしています。
私にとって一番大事なのは、作品と楽器のあいだに生まれる「ビビビッ」という感覚、これを古楽器という媒体を通して探し求めているのです。感覚的ですいません。
古楽では、半分以上のことは楽譜には書かれていません。強弱やクレッシェンド、リタルダンドなど。そういうものは書かないのが習慣でした。必要なときはやるべきですが、ではいつ必要なのか? それは、歌詞、もしくはハーモニーが「そうしてくれ」と言っているときです。もちろん低音部から音楽はいつも動き出します。メロディなんかで判別しようとしないでください。このように音楽を作っていくと、音楽が首尾一貫するのです。音楽家は、音楽を「召喚」する手助けをするのです。「いい音楽」をです。
そして、音楽とコラボレーションすることを楽しみましょう。それが秘密です。正直なところ、私はこのアプローチでベートーヴェンやメンデルスゾーンを演奏します。ストラヴィンスキーでもそうです。
あと『音楽の捧げ物』はやはりいいですね。トラヴェルソ奏者だから、あなたもわかるでしょう。あとはヴァイオリンとチェロの無伴奏作品とか……。
『音楽の捧げ物』から「6声のリチェルカーレ」弟のバルトルト(フラウト・トラヴェルソ)、兄のヴィーラント(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、ロベール・コーネン(チェンバロ)とともに。
バッハというのは、我々の想像を超えたところで生きていました。テレマンやヘンデルと同じ音楽言語で作曲しているのに、バッハだけはまったく違います。シェイクスピアは英語で書かれていますが、今日の英語のネイティブ・スピーカーでもあのように美しい文章は書けません。それと同じです。孤高の存在。
あぁ! モーツァルトを忘れてました。この2人は直接会ったことはないけれど、同じ神の言語をあやつってます。私としては、ただただ彼らを受け入れることしかできません。我々の理解を超えたものだからです。と語っていたそうです。



上記写真の弓の先端部分を見ると回るが、突き出しているのが古楽器で弓で見た目にはこれが特徴でもある様です。

バロック時代の習慣に倣って、多くのバロック・ヴァイオリン奏者はガット弦(羊などの腸で作った細い紐)を使用している。これにより幾分か柔らかい響きの素朴な音色となり、アンサンブルにおいて他の楽器と調和しやすい。近年は、顎当と肩当を装着する奏者も増えつつあるが、ほとんどのバロック・ヴァイオリン奏者は、バロック時代にはまだ発明されていなかった、顎当や肩当を附けずに演奏する。モダン・ヴァイオリンの演奏においては、顎当や肩当により楽器をしっかりと固定するが、それがないことで、自由度が高く緊張のない自然な体勢をとることができる。
バロック・ヴァイオリンは、モダン・ヴァイオリンより前方に位置することになり弦は鎖骨と垂直に延びる。これは演奏者の弓を持つ手の位置にも大きな影響を及ぼし、モダン・ヴァイオリンでは困難であったり、比較的不自然であったりするアーティキュレーション「はっきりと区切る」も容易になる。
ヴァイオリン全般に言えることですね。ただ、古楽用のヴァイオリンは、響きがいっぱい出ます。歌、しゃべりに近いということは先ほども言いましたが、アーティキュレーションがよく聴こえるんです。
アーティキュレーションとは?「発音」です。古楽用のヴァイオリンは雑音まで聴こえるようになっています。それに対してモダン・ヴァイオリンは均一で、つやつやしていて、平板な音です。と言うコメントがあり引用させて頂きました。

古楽器(=ピリオド楽器)というのは、実際に古いとは限らないんです。現代の楽器製作者が、当時の楽器を再現して、新しい古楽器を作る場合もありますし、実際に古いヴァイオリンを当時の状態に戻して使う場合があります。もうひとつは、作者不詳のオーストリア製で1800年より前と推測されています。胴体が膨らんでいまして……例えばストラディヴァリは平たいんですが、その前のアマティやシュタイナーは胴体が膨らんでいるように、古楽器のヴァイオリンは膨らんだ形が多いんですよ。こちらの楽器もモダンに改造されているものを戻したものだと思います。
たいていの楽器は1回モダンにされているんです。良い楽器ほど昔からずっと現役で使われてきているので、その時代のモードに合わせて、改造されているものなんですね。古楽のアプローチは、例えば18世紀のレパートリーを演奏しようという時、楽器をその時代の形に戻して演奏するというものです。



ヴァイオリンとオブリガートのハープシコード BWV 1014-1019の6つのソナタは、ハープシコードとオプションのビオラ・ダ・ガンバによって供給されるベースライン上のハープシコードとバイオリンの2つの上部を備えたトリオソナタ形式の作品です。通奏低音のバロックソナタとは異なり、通奏低音の実現は演奏者の裁量に委ねられていましたが、ソナタの鍵盤部分はほぼ完全にバッハによって指定されていました。それらはおそらく、バッハがライプツィヒに移る前の、1720年から1723年までのケーテンでのバッハの最後の年の間に作曲されました。。コレクションの現存する情報源は、ライプツィヒでのバッハの全期間に及び、その間、彼はスコアに変更を加え続けました。と古楽器についての説明は理解できたのです。

今回フランスの新鋭古楽器演奏でのバッハ:ヴァイオリン・ソナタの演奏を聴く、シキスヴァルト・クイケンに師事し、クイケン・クァルテットの第2ヴァイオリニストやラ・プティト・バンド、18世紀オーケストラのコンサートマスターなどを務めてきたバロック・ヴァイオリンの名手、フランソワ・フェルナンデスによる待望のバッハを聴く。

J.S.Bach: 6 Sonatas for Solo Violin & Harpsichord Concertant
 フランソワ・フェルナンデス(ヴァイオリン)
 バンジャマン・アラール(チェンバロ)
 フィリップ・ピエルロ(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
【録音】
2009年2月8-11日 ボーフェ教会(フランス)
使用楽器:
1670年、クレモナ、アンドレア・グァルニエーリ製(ヴァイオリン)
アントニー・シドニー製(モデル:1740年頃、ゴットフリート・ジルバーマン製)(チェンバロ)
1625年、トマス・オールレッド製(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 1.ヴァイオリンとチェンバロ・コンチェルタントのためのソナタ
  第1番ロ短調 BWV1014
  第2番イ長調 BWV1015
  第3番ホ長調 BWV1016
  第4番ハ短調 BWV1017
  第5番ヘ短調 BWV1018
  第6番ト長調 BWV1019
 2.ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ ト長調 BWV1021



フランソワ・フェルナンデス(Francois Fernandez )両親が両方ともミュージシャンであったフランソワ・フェルナンデスは、1960年にルーアンで生まれました。古典的なヴァイオリン研究を続けながら、12歳でバロックヴァイオリンを学びました。彼はハーグのシギスヴァルトカイケンに師事しました(ソリストの卒業証書、王立音楽院1980)そしてすぐに彼の先生の最も近い協力者になりました。17歳から「ラプティットバンデ」のメンバーであり、1986年にリーダーになりました。同時に、彼は当時の最高のバロックオーケストラと、通常はリーダーまたはソリストとして働きました。
過去15年間、フランソワフェルナンデスは室内楽に専念してきました。彼は、Ricercar Consort、Kuijken兄弟、Hantai兄弟、Ryo Terakado、Yves Rechtainer、Marcel Ponseele、BoyanVodénitcharov、Enrico Gatti、および他の多くの著名なミュージシャンとともに、世界中の重要なフェスティバルに参加しています。彼は、特にバッハのソナタとパルティータとのソロリサイタルを行い、ヴィオラ、ヴィオラダモーレ、ヴィオラダガンバ、ヴィオラダスパラも演奏します。
フランソワフェルナンデスは、Ph。PierlotとRainer Zipperlingとともに、レコーディングレーベルFloraを設立しました。彼はトゥールーズ、リエージュ、ブリュッセル、トロッシンゲンで、そして1998年以来、パリ国立高等音楽院で教鞭をとっています。彼はスペインとベルギーでサマーコースを提供しています。
彼のディスコグラフィーには約100の録音が含まれており、その中には、Grammophone Editor's Choice Leclair Sonatasと、オランダの雑誌PreludeKlassiekによって「2003年のベストCD」に選ばれたBachの完全なソロ作品が含まれます。



バンジャマン・アラール/Benjamin Alard(オルガン/チェンバロ)1985年フランスのノルマンディー地方ディエップに生まれる。7歳でピアノを始め、ルーアン地方音楽院でルイ・ティリーとフランソワ・メニシエにオルガンを師事。パリではエリザベート・ジョワイエからチェンバロを学び、2003年にバーゼルへ渡りスコラ・カントルムでイェルク=アンドレアス・ベッティヒャー、ジャン=クロード・ツェンダー、アンドレア・マルコンに師事。
2004年、古楽の最高峰と言われるブルージュ国際古楽コンクール第1位および聴衆賞を獲得。さらに2007年ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガン・コンクール(フライブルク)第1位およびヒルデブラント特別賞を受賞。
チェンバロおよびオルガン奏者として、フランス、スペイン、アイルランド、ロシア、日本でリサイタルを行うほか室内楽での演奏活動も行っている。また、ラ・フォル・ジュルネ、モンペリエ音楽祭、バッハ音楽祭(シャフハウゼンおよびローザンヌ)をはじめとする著名音楽祭に出演。さらに、クイケンとレオンハルトが1973年に創設したラ・プティット・バンドの通奏低音奏者としても活躍。
2005年よりパリのサン=ルイ=アン=リル教会の正オルガニストを務め、毎シーズンコンサートを行っている。



フィリップ・ピエルロ - Philippe Pierlot(1958年生まれ)は、ベルギーのビオラ・ダ・ガンバ奏者であり、古楽器演奏の指揮者です。彼はまた、ハーグとブリュッセルの王立温室の学術教師でもあります。リエージュで生まれたピエロは、12歳のときにリコーダー、ギター、リュートの演奏を学びました。彼はヴィーラント・クイケンとヴィオラ・ダ・ガンバの演奏を学びました。1980年に、彼は、バイオリニストのフランソワフェルナンデスとキーボード奏者のバーナードフォクルルと共に、古楽器演奏におけるあまり知られていない音楽の演奏と録音に焦点を当てたアンサンブルライサーカーコンソートを設立しました。

また、シキスヴァルト・クイケンに師事し、クイケン・クァルテットの第2ヴァイオリニストやラ・プティト・バンド、18世紀オーケストラのコンサートマスターなどを務めてきたバロック・ヴァイオリンの名手、フランソワ・フェルナンデスによる待望のバッハ:作品集。F.フェルナンデスやヴィオラ・ダ・ガンバのフィリップ・ピエルロ、チェロのライナー・ツィパーリングの3名による自主制作レーベル、『Flora』は、古楽ファンを中心に注目されてきました。

2004年にはブルージュ古楽コンクールで優勝を飾った、1985年生まれの若き名チェンバリスト兼オルガニストで、既出の他のタイトルも魅力的な盤が多い様です。古楽器の演奏を楽しんでください。ブラボー!