A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

世界各地の民族音楽をベースにジャズをやると・・・

2016-02-07 | PEPPER ADAMS
At Home / Around the World / David Amram

ペッパーアダムスが参加しているアルバムを追いかけていると、今まで見たことも聴いた事が無いアルバムに出くわす。これもその一枚だが、それだけアダムスが色々なセッションに加わっていたという事だろう。

マルチタレントというのは何の世界にもいる。音楽の世界だと、演奏と作編曲の両方が得意であったり、色々な楽器を演奏出来たり、ジャズとクラシックの両刀使いであったり。プレーヤーが作編曲家やプロデューサーに転じる例は良くある。畑違いのジャズからクラッシクの世界に転じて成功した第一人者はアンドレプレビンだろう。

才能ある者はどの世界で活動してもそれなりの実績を残すことができる。その中で、ひょっとしてこのデイビットアムラムはジャズ奏者から他の畑に転じた中で、活動の幅の広さはナンバーワンかもしれない。
元々はラテンバンドでホルンとパーカッションの一奏者からスタートしているが、80歳を超えた今でもジャンルを超えて活躍しているようだ。自分がこのアムラムを知ったのは、ペッパーアダムスの参加していたアルバムを通じて。その活躍の一端を知るだけだが、彼は「現在音楽のルネサンス・マン」と呼ばれているそうだ。活動のすべてを知っている人にはその超人ぶりが理解できるのであろう。

ジャズの世界で活躍していた1950年代はホルン奏者としての活動が中心であった。ミンガスのワークショップにも参加し、ファイブスポットにも出演していた。多分、この頃アダムスと出会ったのであろう。パーカーの信奉者であったが酒もドラッグもやらない彼がいつも屯していたのはビレッジ周辺。音楽だけでなく、詩人や絵画、そして映画の世界へと興味も交友関係も広がっていった。

さらに作編曲に興味を持つと音楽活動の幅はクラシックにも広がった。そんなアムラムが、1977年に当時国交を断絶していたキューバにディジーガレスピーを団長とするジャズの親善使節団に一メンバーとして参加した。その時の演奏の一部、そしてその後今度はキューバからのミュージシャンをニューヨークに招いた時のセッションにも参加し、アルバム”Habana New York”に残されている。得意のラテンリズムがアメリカと現地のミュージシャンの橋渡し役となっている。

元々パーカッションも演奏しラテンバンドにもいたこともあったアムラムは、元々世界各国の音楽に興味を持っていたそうだが、これを機に改めてラテン音楽にも目覚めることになる。一口にラテンと言っても国や民族によってリズムや使う楽器も違う。アムラムは自ら現地に足を運んでそれらを順次ものにしていった。そして、中南米だけでなく、探訪の旅はアフリカや中近東など世界各地に広がった。いつの間にか世界の民族楽器を何十種類も演奏できるようになっていた。現場で身に付けたリズム感、これがアムラムの強みであろう。

このアルバムは、ジャズの世界で育ったアムラムが、世界中を廻って体得した民族音楽を彼なりの解釈で披露するある種のハイブリッドアルバムだ。タイトルもそのままAt Home / Around the Worldとなっているが、アルバムのA面がジャズを基本に、B面が世界の音楽といった感じだ。

1曲目は77年5月にガレスピーと一緒にキューバに渡る船の中で2人のディスカッションで生まれた曲。ラテンのリズムで始まるオリジナルのブルースでペッパーアダムスがいきなりソロをとり、アムラムのホルンが続く。
2曲目は55年にパリに行った時に書いた曲、フルートの音色を鳥の鳴き声に模した曲だが、世界各国の笛が賑やかに登場する。次はジェリーダジオンのアルトをフィーチャーしたバラード。続く2曲はトラディショナルだが、リズムの使い方が、ジャズの4ビート、8ビートは違ったアムラムの世界だ。その中でアダムスのソロも再び登場するが、周りの変化には我関せずといった感じでいつものペースだが、演奏自体は妙にしっくりくる。

このアムラムとアダムスは気が合うのか良く一緒に演奏している。このアルバムの録音の前にもアムラムのテレビ出演があったが、アダムスも一緒に出演している。アムラムの音楽はクラシックからジャズまで何が出てくるか分からないが、どんな曲でもアダムスの低音の魅力がアムラムには不可欠だったようだ。

そして、B面は、パキスタン、エジプト、グアテマラ、パナマ・・・と、アメリアッチ風の演奏から、神秘的なサウンドまで世界各国の音楽のオンパレード。笛と太鼓がメインになるのはどの国でも同じようだ。こちらにはアダムスはソロでは参加していない。

アムラム本人は、プロデュース、作曲に加え、演奏もホルン、ピアノに加え、各種パーカッション、フルート&各種の笛を駆使して大活躍。他の人にはなかなか真似のできないユニークなアルバムだ。





1. Travelling Blues         David Amram / T. Johnson 4:57
2. Birds of Montparnasse           David Amram 2:33
3. Splendor in the Grass           David Amram 4:23
4. Sioux Rabbit Song              Traditional 1:43
5. Home on the Range              Traditional 4:22
6. Kwahare (Kenya)               Traditional 3:33
7. Pescau                   Traditional 2:38
8. Homenaje a Guatemala           David Amram 2:30
9. From the Khyber Pass            David Amram 1:39
10. Aya Zehn (Egypt)                 Traditional 6:43

David Amram (arranger, composer, Dumbek, Flute, French Horn, Guitar, Ocarina, Orchestration, Pakistani Flute, Penny Whistle, Percussion, Piano, Piccolo)
Pepper Adams (bs)
Jerry Dodgion (as)
George Barrow (ts)
Wilmer Wise (tp)
Mohammed El Akkad (Kanoon)
Ramblin' Jack Elliott (g,Yodeling)
Ali Candido Hafid (Dumbek)
Ray Mantilla (conga,per)
Nicky Marrero (per,timbales)
George Mgrdichian (Oud)
Hakki Obadia (violin)
Johnny Dandy Rodrigues (bonbo,per)
Victor Venegas (b,elb)
Floyd Red Crow Westerman (chant, ds,Sioux)
Steve Berrios (ds,per)
Candido (conga)
Odetta (vol)
Libby McLaren (vol)
Angela Bofill (vol)
Patrica Smyth (vol)
llana Marillo (vol)

Produced by Glenda Roy & David Amram
Engineer : Joe Cyr
Recorded at Variety Sound, New York City on October 17 1978

At Home Around the World
クリエーター情報なし
Flying Fish Records
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ミシェルカミロのデビュー作と思っていたが、色々な顔を持つアルバムだった・・・

2015-06-28 | MY FAVORITE ALBUM
French Toast / French Toast

アルバムとの出会いは人それぞれ、人によってそのアルバムに対しての印象や思い入れは異なるものだ。

しばらく前に、サドメル&VJOのレパートリーだけを演奏するメイクミースマイルオーケストラのライブに行った。今年のライブのお題は「20周年」。このオーケストラの設立20周年記念ということであった。そして、その日のプログラムはこのグループの範とするメルルイスオーケストラの”20 Years at the Village Vanguard”のアルバムに収められている全曲であった。なかなか洒落っ気のあるプログラム構成であった。



演奏の途中のMCの中で、その日のプログラムの元となったメルルイスオーケストラのアルバムのジャケットが紹介された。そして、次に登場したジャケットが、この“French Toast”のジャケットであった。一瞬、何でその場で紹介されたのか意味が分からなかったが、話を聞くとこのアルバムに収められている”Butter”という曲が、ジェリーダジオンの作曲で、このメルルイスオーケストラのアルバムにも収められているということであった。

このメルルイスのアルバムは1985年の録音、そしてフレンチトーストの録音は前年の1984年の録音。フレンチトーストの方が先に世に出ていたということになる。そして、このフレンチトーストにはジェリーダジオン本人も加わっていた。

サドメルのコアメンバーであったジェリーダジオンだが、サドメルのレパートリーでダジオンの作編曲は決して多くはない。サドメルファンとすれば、珍しいダジオンの曲のお披露目の場としてこのアルバム「フレンチトースト」が印象に残ったのであろう。

さて、自分にとって、このフレンチトーストというアルバムは?というと、ピアノで参加しているミシェルカミロのデビューアルバムとしての印象の方が強い。自分自身もサドメルファンでありながら、このアルバムにジェリーダジオンが参加していたのも忘れていたくらいだ。

当時のカミロ写真を見ると実に若い、まだ30歳になったばかり。ドミニカ出身のカミロがニューヨークに来たのが1979年。ジュリアードで学びプロとしての活動を始めた頃だ。この演奏を聴き返しても、ラテンの血とクラシックに裏打ちされたテクニックは今のカミロを予見させるような個性を感じさせる。

後に、カミロのトリオのメンバーとなった、ベースのアンソニージャクソン、ドラムのデビッドウェックルもこの頃から一緒に演奏していた仲間であったことが分かる。

そしてカミロの名曲Why Not?が収められているが、マンハッタントランスファーであり、このアルバムであり、カミロ自身の同名アルバムの前にすでに曲としても有名になっていた。演奏だけでなく、共演メンバー、そして曲ともにカミロのデビューアルバムとして相応しい内容だ。

このアルバムはそもそもフレンチホルンのピーターゴードンがリーダー格を務めるグループのアルバムであった。ギルエバンオーケストラのメンバーであったゴードンがメンバー仲間のルーソロフなどに加え、当時のニューヨークの若手(後の大物)達を集めて、グループとしては5年近く活動をしていた。当時は無名であったが実力あるメンバー達が地道に行っていた演奏をアルバムに残したのには感心する。

内容は、フュージョンであり、ラテン調であり、そしてコンベンショナルなジャズの要素も取り入れ、まさにクロスオーバーの極みといった内容だ。見方、聴き方によって色々な顔を持つアルバムだ。
そして、このアルバムを制作したのは日本のレーベル「エレクトリックバード」。日本が元気であった頃の置き土産がこんな所にもあったのを久々に聴き返して再認識した次第。
グループ自体は、この一枚で解散。メンバーはそれぞれの道を歩むことになるが、何か時代の節目を感じるアルバムだ。

1. Why Not?                    Michel Camilo  5:46
2. Joe Cool                     Rod Mounsey 6:42
3. Ion You                     Peter Gordon 9:11
4. B.A. Express                 Carlos Franzetti 6:24
5. Butter (Tribute to Quentin Jackson)        Jerry Dodgion 6:52
6. Calentado Man                   Michel Camilo 9;04

Peter Gordon (fhr)
Lew Soloff (tp)
Jerry Dodgion (as)
Michel Camilo (p)
Anthony Jackson (b)
David Weckl (ds)
Stev Gadd (ds) #3,4

Arranged by Michel Camilo #1,6 Peter Gordon #2,3,Jerry Dodgion #5,Carlos Franzetti #4
Produced by Shigeyuki Kawashima
Engineer : Bill Sheniman
Recorded at Skyline Studio, N.Y. on April 7,8 &9,1984


フレンチ・トースト
クリエーター情報なし
キングレコード
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大編成になるとアルバムの出来・不出来はアレンジャーの腕比べになりがちだが・・・

2015-04-07 | PEPPER ADAMS
Heads Up! / Blue Mitchell

有名ミュージシャンのグループに加わってアルバムに参加すると、リーダーでなくとも自然とその名前は知られるようになる。そしてある時、自分のリーダーアルバムを出す段になっても、その実績があるが故に初リーダーアルバムとは思えないような堂々とした演奏のアルバムが誕生する。

ブルーノートに残したホレスシルバークインテットのアルバムの数々にグループの一員として参加していたのがトランペットのブルーミッチェルだ。あまり目立つ存在ではなかったが、ホレスシルバーのバンドを辞めてからも、ブルーノートの録音の多くに参加した。
サイドメンとしての参加も多かったが、リーダーアルバムとして新人チックコリア、アルフォスターを従え”Things To Do”も誕生した。しかし、さあこれからといったタイミングでブルーノートのアルバム制作方針に路線変更が起こってしまった。

この頃、ブルーノートではジャズロック風のアルバムや大編成のアンサンブルをバックにしたアルバムが増えてきた。このミッチェルも例外ではなく次の”Boss Horn”ではオクテット編成でのアルバムとなった
ミッチェル自身のトランペットはハードバッパーだと思うが、大きな編成になってアンサンブルワークの中に加わり、8ビートやコリアの多少モーダルな感じの曲もやるようになると、トランペット自体は反対に優等生的な演奏に収まってきてしまった。なかなか強烈な個性が無いと大編成を従えたアルバムでは荷が重くなる。

そして、翌年、このアルバム”Head Up!”を作ることになる。引き続き同じ路線で、編成はさらに大掛かりになり、もう一本トランペットも加わり総勢で9人編成となった。しかし、ソロをとるのは、あくまでもミッチェルとシルバークインテット時代からの相方であるジュニアクックが中心となる。

アレンジが益々大事になるが、このアルバムでは4人のアレンジャーの腕比べとなった。前のアルバムでもアレンジを担当していたデュークピアソン。他にはジミーヒース、メルバリストン。さらに自分は知らなかったがドンピケットというアレンジャーが勢揃いした。それぞれ、メインストリームからブーガルーまで多彩なアレンジが提供されたのだが。

このブルーミッチェルはこの頃ブルーノートでは他のアルバムにもサイドメンとしての参加することが多かった。このようなオクテット、ノネット編成というのはソリストに余程個性がないとリーダーアルバムとはいってもソロがアンサンブルに埋没してしまう。そして、アレンジャーにとってはソロを引き立たせるアレンジができるかどうかがカギとなるのだが。残念ながらこのアルバムは、ミッチェルをフィーチャーしているというよりは、どうもアレンジの違いを聴き較べるアルバムになってしまったようだ。中では、デュークピアソンのアレンジによるジェリーダジオンのフルートのリードで始まるカリプソ風のThe People in Nassauに新しい風を感じる。ちょうど日本ではナベサダのボサノバが流行っていた頃だ。

というアルバムなので、余程のミッチェルファンか、あるいはアレンジ物が好きな人でないと手にすることはないアルバムだろう。

そしてこのアルバムには、自分の目当てのペッパーアダムスも参加している。ちょうどサドメルができて一年半近く経った時。サドメルに加えてデュークピアソンのビッグバンドでも定期的なライブが始まった頃で忙しくなった真っ只中、積極的にスタジオワークもこなしていた時期の録音だ。
1967年10月、ちょうどドナルドバードとの再会レコーディングを終えた後のセッション参加であったが、ここではアンサンブルワークだけで、特にソロの出番は無かった。アダムスに限らず他のメンバーではピアノのマッコイタイナーと、ジェリーダジオンのフルートだけがソロでも登場する。

その後のミッチェルは西海岸でスタジオワークが多くなる。初期のコンコルドのアルバムにも良く参加していた。ビッグバンドにも良く加わっていたし、ハロルドランドとコンビを組んだこともあった。が、ソリストとして名を馳せるにはプレーが上手だけでは駄目で、何か聴き手の感性に訴えるサムシングが必要なのかもしれない。

1. Heads Up! Feet Down!                 Jimmy Heath
2. Togetherness                      Jimmy Heath
3. The Folks Who Live on the Hill     Oscar Hammerstein II / Jerome Kern
4. Good Humour Man                    Blue Mitchell
5. Len Sirrah                       Melba Liston
6. The People in Nassau                  Blue Mitchell

Blue Mitchell (tp)
Burt Collins (tp)
Julian Priester (tb)
Jerry Dodgion (as fl)
Junior Cook (ts)
Pepper Adams (bs)
McCoy Tyner (p)
Gene Taylor (b)
Al Foster (ds)

Jimmy Heath (arr)
Duke Pearson (arr)
Don Pickett (arr)
Melba Liston (arr)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliff, New Jersey on November 17, 1967


ヘッズ・アップ+2
ブルー・ミッチェル
ユニバーサルミュージック
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ライブで一段とパワーアップしたデュークピアソンビッグバンドの録音が発掘された・・

2015-02-20 | PEPPER ADAMS
Baltimore 1969 / Duke Pearson Big Band

ペッパーアダムスのChronologyを見ると1967年2月に、
Feb 24-26: New York: The Duke Pearson Big Band opens at the Half Note.
との記録がある。多分、これが、デュークピアソンが新たに立ち上げたビッグバンドの初舞台である。

アダムスは‘67年の年明けはレコーディングが続いていたが、一方でライブの活動はサドメルでの活動の他に、久しぶりにドナルドバードとセクステットでファイブスポットへも出演していた。
このピアソンビッグバンドの立上げはちょうど先日紹介したスタンレータレンタインのアルバムの録音の一週間後であった。タレンタインのセッションにも2人揃って参加していたが、今度はこのピアソンのビッグバンドにも2人で参加していた。久々に二人一緒に揃って活動をしていたことになる。

60年代の後半はビッグバンドが復活の兆しを見せていた。ベイシー、エリントン、ハーマン、ケントンの老舗オーケストラは、レギュラー活動を続けていたし、バディーリッチ、ドンエリスといった新しいバンドも立ち上がった。さらに、サドメルやサンラといった実験的なオーケストラも活動を開始した。いわゆるモダンビッグバンドが元気を出し始めた頃である。

ブルーノートで日々アレンジをこなしていたデュークピアソンも、このような世間の動きを横目で見ながら、ソロのバックのアレンジだけを書き続けていることにやる気も段々失せ、忸怩たる思いでこのビッグバンドを立ち上げたのかもしれない。

発起人はドナルドバードと一緒だったともいわれているが、いつも一緒にやる事が多かったボブクランショーとミッキーロッカーでまずはリズム隊を固め、他のセクションのメンバーのリクルートを始めた。メンバー集めは、バートコリンズ、ガーネットブラウン、そしてジェリーダジオンにそれぞれのセクションの取りまとめを依頼した。
結果はいずれも名手揃いだが、アダムスを始めとしてサドメルのメンバーからも何人かが加わった。

当時のニューヨークは、スタジオやテレビの仕事が多くあり、腕の立つメンバーを集めるには困らなかったが、反対に皆忙しすぎて全員が会える日を選ぶのに苦労したようだ。結局、リハーサルはサドメルの活動日とのバッティングを避け、スタジオワークの休みが多い土曜日と決まって練習がスタートする。



レパートリーはすべてピアソン自身のアレンジによる、アレンジャー主導のビッグバンドとなった。彼が前に地元でのコンサートの為に書いた古い譜面や、新しくビッグコンボで取り上げた曲のアレンジを大編成に手直ししたものまで、新旧取り混ぜてオリジナルスコアが用意された。

昔のスイングタイルを踏襲したのでもなく、かといって奇抜さや前衛性を狙った訳でもなく、当時数多く手掛けていた、ソリストのバック用の大型コンボでのアレンジを拡張した感じだ。したがって、各曲ともソロパートが多い。

立上げ後は、定期的にライブ活動を続け、自らがプロデュースを行っていたブルーノートから67年12月、68年12月と2枚のアルバム”Introducing””How Now Here This”を作った。ブルーノートのビッグバンド物は珍しいが、自らがプロデューサーを兼ねていたので無事にどちらもリリースに漕ぎつけた。

しかし、定期的に行われていたライブ活動の様子は、その実態を日本に居ては全く知ることはできなかった。サドメルの実態が、ライブアルバムがリリースされて初めて知ったのと同じ状況であった。

さて、このアルバムは1969年4月27日、ボルチモアでのライブであり、比較的最近(2013年)になってからリリースされた。という意味では、想像するしかなかったビアソンのビッグバンドのライブの様子が初めて世に出たものだ。
このライブの時点で、立上げからすでに2年が経っていたが、オリジナルメンバーが多く残っている。バンド全体の完成度も高まった状態でのライブの演奏なので、それだけで期待が持てる。
まず、録音場所だが、ボルチモアのFamous Ballroom。普段はダンスパーティーなどでも使われ所だろう、しかしこの日はLeft Bank Jazz Societyのコンサートという事で、聴くためだけの地元の熱心なジャズファンが多く集まった。



アルバムに収められているのは全部で8曲だが、どの曲もソロがたっぷりと長めの演奏なので中身は濃い。

最初のHi-Flyはランディウェストンの名曲。ビッグバンド編成前にコンサート用に書いた曲だそうだが、スインギーなストレートな曲。いきなりフォスターとタバキンのソロが圧巻で良い感じだ。
New GirlはピアソンのNonetのアルバムHoneybunsが初演だが、ビッグバンドのアルバムにも収められている曲、軽快なモダンサウンドだ。コリンズからタバキンへのソロの流れもスムース。
Eldoradoはバードのアルバムでやった曲。ここでもバードをフィーチャーしている。

ペッパーアダムスのソロが随所で繰り広げられるが、In The Still of The nightでほぼ一曲休みなく続くソロは圧巻。ピアソンのアルバムでは聴けなかった曲で、サドメルでも聴けなかったようなアダムス大フィーチャーの曲だ。

一転次はチックコリアの曲が2曲、がらりとモダンなモーダルサウンドになる。
最初のTones for Joan's Bonesではピアソンの長いソロが聴けるが、この曲は最初ブルーミッチェルのBossで最初に演奏した曲、ピアソンも気に入ったのかアルバムにも収められている。ビッグバンド編成だけに前作よりもアレンジが濃い。

次のStraight Up and Downがロッカーのドラムを中心にリズム隊が大活躍、その上でソロを交わすのはバードとアダムス、お客も自然と熱がこもってくるのが伝わる。
Ready When You Are C.Bは、その名の通り。典型的なベイシーサウンド。ビッグバンドはやはりこのような曲を一曲入れないと締まらない。
Night Songはスタンレータレンタインの1967年の録音でやった曲。フルバンド用にスコアを書き換え、テナーのソロはここではルータバキンだが、実に味にある演奏だ。

というように、普段ソリストをクローズアップするアレンジを多く手掛けていたが、ビッグバンドになっても基本的に変わりはないように思う。伝統的なビッグバンドでは良くある、アンサンブルをフィーチャーしたサックスのソリやアンサンブルのコールアンドレスポンスは、ピアソンのアレンジには無縁だ。あくまでもソリストありきで全体が組み立てられている。

このような自由度の高い演奏は、ライブで曲の時間的な制約が少ない場だとより魅力が増す。
このライブアルバムが世に出たことでピアソンのビッグバンドの魅力が一段と増した。他のライブ録音が発掘されることを願う。

1.  Hi-Fly                  Randy Weston 12:41
2.  New Girl             Duke Pearson 8:18
3.  Eldorado                Mitchell Farber 7:10
4.  In the Still of the Night          Cole Porter 9:17
5.  Tones for Joan's Bones          Chick Corea 9:57
6.  Straight Up and Down          Chick Corea 13:08
7.  Ready When You Are C.B.        Duke Pearson 7:17
8.  Night Song (Theme from Golden Boy)    Charles Strouse 11:35

The Duke Pearson Big Band
Donald Byrd  (flh, tp)
Jim Bossy  (tp,flh)
Joe Shepley  (flh,tp)
Burt Collins  (flh,tp)
Joe Forst  (tb)
Eddie Bert  (tb)
Julian Priester  (tb)
Kenny Rupp  (btb)
Jerry Dodgion  (as,fl)
Al Gibbons  (as,fl)
Frank Foster (ts)
Lew Tabackin  (ts)
Pepper Adams  (bs)
Duke Pearson  (p)
Bob Cranshaw  (b,eb)
Mickey Roker  (ds)

Produced by David A. Sunenblick & Robert E. Sunenblick
Arranged by Duke Pearson
Original Recordings Vernon Welsh
Recorded live at Famous Ballroom. Baltimore, Maryland on April 27,1969

Baltimore 1969
Duke Pearson Big Bnad
Uptown Jazz
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残り物を集めたバラエティセットは中には当たりも・・・

2015-02-10 | PEPPER ADAMS
New Time Shuffle / Stanley Turrentine

昔のアルバムがCDで再発される時にLP時代に未収録であった曲が追加されることは多い。別テイクをやたら数多く収めるのは時には如何な物か?と思うが、未発表曲が収められるのはファンとしては嬉しいものだ。

セッション全体がお蔵入りしていた場合は、新アルバムとしてのリリースとなる。ブルーノートやヴァーブなどメジャーレーベルでその数が多い場合は、それらのアルバム全体がシリーズ化された事もあった。
未発表セッションが特に多かったブルーノートの発掘は、残り物とはいえない素晴らしい演奏も多く当時大きく話題になったものだ。

それを手掛けたのが、プロデューサーのマイケル・マスクーナ。最初は新アルバム制作のプロデュースも行っていたが、1975年〜81年にかけてはブルーノートの発掘に注力していた。
その後は、モザイクレーベルを自ら設立し、こちらでもミュージシャン別にテーマを決めてボックスセットでの再発を行っている、業界の発掘王ともいえるリイシュープロデューサーだ。

このアルバムも、カスクーナのプロデュースによって未発表セッションが世に出たものである。スタンレータレンタインは当時から人気があったせいか、セッションそのものの回数も多く、未発表曲が人一倍多かった。
アレンジャーとして参加したデュークピアソンも再リリースを手伝ったが、タレンタインの場合はあまりに数が多く一度ベスト物を出した。CDになってさらに未発表曲が追加され、結果的に、このアルバムは1967年2月17日と6月23日の両日録音されたすべての曲が収録されている。
売れ残りを色々組み合わせたが、最後に残ったものを全部束にして売り出したといえばそれまでだが。

自分の場合は、特にスタンレータレンタインの熱烈ファンという訳ではない。
ペッパーアダムスのセッションを追いかけて最近入手したという事情に加え、この所、デュークピアソンがアレンジしたアルバムを多く聴いたせいもあり、それほど期待もせずに一曲目を聴く。

いきなり場末のキャバレーのバンドの歌のバックのような出だしで、タレンタインのテナーも変り映えはしない。やはり残り物だけの事はあるなと思い3曲続けて聴く。クランショのベースもエレベでR&Bバンドの感じ、ジョーザビヌルのタイトル曲も今一つ。

4曲目から少し雰囲気が変る。ここから6曲が、アダムスも加わった2月17日のセッション。同じ、ピアソンのアレンジだが少し雰囲気が違う。メンバーも違うが、アダムスを含むサックスの3人は当時のサドメルのオーケストラの3人だ。アンサンブルの厚いサウンドが心地よい。アレンジでもフルートやクラリネットに持ち替えてサドジョーンズ風の雰囲気が出ている所も。ボサノバではバッキーピザレリのギターが効果的だ。トランペットにドナルドバードも加わり短いソロも。アダムスは特にソロは無い。

バードとアダムスとは前年久々に再会してコンビを組んでライブを行ったが、この一連のピアソンのセッションでも良く一緒になっていた。また、2人で一緒にやろうかという雰囲気にもなったのか、久しぶりの録音は10月に実現する。これもお蔵入りしていたが。

結果的には、どんな曲でもこなすタレンタインに、色々なスタイルのアレンジを提供した、まとまりのないアルバムとなっている。反対に一枚で色々楽しめるという事にもなるが、スタンレータレンタインのプレーだけは、バックのメンバーが変っても、アレンジの雰囲気が変ってもマイペースだ。

ピアソンもこのようなバックのアレンジが続くのにはいささか閉口していたのだろう。思いっきりアレンジに腕を振るったビッグバンドを編成し、この録音の1週間後にはハーフノートでライブをスタートさせていた。

ペッパーアダムスは、サドメルのレギュラー活動に加え、このピアソンのビッグバンドにもレギュラーとして参加するようになった。このピアソンのビッグバンドの録音は12月に行われる。

皆、サイドメンとして参加をしながら、メンバー同士では色々と次の策を練っていた。

1. Return Of The Prodigal Son
2. Ain't No Mountain High Enough
3. New Time Shuffle
4. Blues For Del
5. Manha De Carnaval
6. Here's That Rainy Day
7. What Now, My Love
8. Night Song
9. Samba Do Aviao
10. She's A Carioca
11. Flying Jumbo (Prez Delight)
12. Bonita

<#1〜#3 & #10〜12>
Joe Shepley, Marvin Stamm (tp, flh)
Garnett Brown, Julian Priester (tb)
Al Gibbons (as, fl, bcl)
Stanley Turrentine (ts)
Joe Farrell (ts, fl)
Mario Rivera (bs)
McCoy Tyner (p)
Bob Cranshaw (b)
Ray Lucas (ds)
Duke Pearson (arranger)

Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, June 23, 1967

<#4〜#9>
Donald Byrd (tp)
Julian Priester (tb)
Jerry Dodgion (as, fl)
Stanley Turrentine (ts)
Joe Farrell (ts, fl)
Pepper Adams (bs, cl)
Kenny Barron (p)
Bucky Pizzarelli (g)
Ron Carter (b)
Mickey Roker (ds)

Duke Pearson (arranger)
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, February 17, 1967

Produced by Alfred Lion
Produced for release by Michael Cuscuna


ニュー・タイム・シャッフル+6
クリエーター情報なし
ユニバーサルミュージック
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昔懐かしい曲の演奏も、好アレンジとバックの好演に支えられると・・・

2015-01-07 | PEPPER ADAMS
Creole Cookin’ / Bobby Hackett

ボビーハケットは、最初はビックスバイダーベックに憧れるシカゴ派のコルネット奏者だった。いわゆるオースティンハイスクールギャングの面々よりは一回り若い。エディーコンドンなどとプレーした後は、グレンミラーなどオーケストラでの演奏が中心になる。そして、戦後はジャズというよりはムードトランペットの世界で一躍有名になった。
昔、トラッド、スイング系を良く聴いていた時には彼の名前は良く耳にしていたが、ジャズ奏者としての演奏は1955年のコーストコンサート以降は聴いた事が無かった。

最近はアルバムを持ってはいなくとも簡単に演奏を聴く事ができる。そして、YouTubeを見ると音楽に併せてハケットの色々な写真や映像を目にすることができた。晩年でも決してジャズを忘れていた訳ではなかったし、アメリカでの人気の程を窺い知ることができる。その中で1962年の映像が目に留まった。テレビ番組の映像だとは思うが、ピアノがデイブマッケンナ、トロンボーンがアービーグリーンだ。こんなメンバーともやっていたのかと。楽しいディキシーの演奏だ。



ここでクラリネットを吹いているのが、先日紹介したライオネルハンプトンの音楽生活50周年の記念コンサートで、ベニーグッドマン役を務めたボブウィルバーである。スイング系のクラリネット、ソプラノサックス奏者として、コンコルドレーベルの初期にはケニーダーバンとのコンビでアルバムを残しているが、好きなアルバムであった。

1967年にこのボブウィルバーがアレンジャーとしてボビーハケットの為にアルバムを作った。この当時、ハケットはトニーベネットのツアーに一緒に参加していたという。60年代の後半というと、メジャーレーベルでは大編成のオーケストラをバックにしたアルバムが多く作られた時代であるが、この手のアルバムは、アレンジ次第で面白くもつまらなくもなるものだ。

プロデューサーのボブモーガンとウィルバーが用意したのはディキシーの名曲ばかり。ハケットがまだ駆け出しの頃、バイダーベックを目指して日々演奏していた曲だ。これらのニューオリンズジャズの原点ともいえる名曲をハケットとウィルバーが今風に料理したので、タイトルのクリオールクッキンという名前も付いたのであろう。

素材が素材だけに、ハケットのプレーはムードトランペットというよりはスインギーなメリハリのついたプレーとなっている。それを支えるウィルバーのアレンジが素晴らしい。ディキシースタイルを単に大編成にしたというのでもなく、かといって良くあるスイングオーケストラ風にしたのでもなく、自分の好みのモダンスイングなサウンドに仕上げている。なかなかいい感じだ。やはり、この手のアルバムはアレンジャーの腕とセンス次第で良くも悪くもなる。

もちろんハケットのソロが前面に出ているが、ボブブルックマイヤーのトロンボーンのデュエットやウィルバーのソプラノサックスのソロも印象的だ。その昔、ニューオリンズジャズが、シカゴに来て泥臭さが抜けて白人好みになってシカゴジャズになったのと同様、今回の料理はニューヨークモダンに仕上がったともいえる。

このバックのオーケストラのメンバーに、ボブブルックマイヤーだけでなく、ジョーファレル、ジェリーダジオン、そしてペッパーアダムスなど、当時のサドメルのオーケストラの面々が参加している。アダムスにとっては、デュークピアソンに付き合って、ブルーノートのアルバムへの参加が多かった中で、少し毛色の違ったレコーディングであった。

後に、このアルバムのアレンジをしたボブウィルバーが語っている。「このアルバムはハケットの希望もあって、慣れ親しんだ曲ばかりだがすべて今までとは違ったチャレンジをしている。それを実現できたのも、それを理解して演奏してくれるプレーヤーがいたから。ペッパーアダムスは自分の意を組んでくれるバリトン奏者だ」と。

サドメルのメンバー達が一発勝負の"Hawaii”を録音した一週間にこの録音はスタートしたが、5月まで録り直しを含めて4回に分けてじっくり時間をかけて録音されたアルバムだ。

1. High Society
2. Tin Roof Blues
3. When The Saints Go Marching In
4. Basin Street Blues
5. Fidgety Feet
6. Royal Garden Blues
7. Muskrat Ramble
8. Original Dixieland One Step
9. New Orleans
10. Lazy Mood
11. Do You Know What It Means To Miss New Orleans
12. To Miss New Orleans

Bobby Hackett (cornet)
Rusty Dedrick, Jimmy Maxwell (tp)
Bob Brookmeyer, Lou McGarity, Cutty Cutshall (tb)
Bob Wilber (cl, ss, arr)
Jerry Dodgion (as)
Zoot Sims (ts)
Pepper Adams (bs)
Dave McKenna (p)
Wayne Wright (g)
Buddy Jones (b)
Morey Feld (ds)

Produced by Bob Morgan
Engineer : Val Valentin
Recorded on January 30, February 2, March 13, May 2, 1967, NYC
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ルードナルドソンのバラード&スタンダード集も珍しい

2014-12-07 | PEPPER ADAMS
Lush Life / Lou Donaldson

ルードナルドソンというアルトプレーヤーがいる。アートブレイキーのバードランドのライブではクリフォードブラウンと一緒にパーカー派のアルトを聴かせてくれたが、その後のコンガを加えた自分のリーダーアルバムや、ヒットしたアリゲーターブーガルーなどの演奏は、どうも自分の好みからは縁遠かった。という訳で、あまりルードナルドソンをコメントすることは出来ないのだが・・。
このアルバムもペッパーアダムスが参加したアルバムという事が無かったら、手にすることは無かったと思う。

メンバーを見ると凄いメンバーだ。何も予備知識が無かったらどんな音がしてくるのかわくわくしてくるメンバーなのだが。生憎、此の時期のブルーノートのアルバムはアダムスのアルバムを追いかけてきたお蔭で想像がついてしまう。
ドナルドソンがリーダーだが、もう一つのポイントはデュークピアソンがアレンジで参加したノネットという大編成という点だ。

1967年1月20日の録音、年明け早々13日にリーモーガンのスタンダード集を録音した直後なので、同じような流れの一枚というのは容易に想像がつく。
モーガンのアルバムがこの時期には珍しいスタンダード集だったが、実はこのアルバムも全く同じコンセプトだ。スローなテンポの曲が並ぶ。スタンダードといっても超有名曲ばかりという訳ではないが、スターダストなどはどのようなプレーを聴かせてくれるか・・。

それらをルードナルドソンが実にストレートに美しくメロディーを奏でる。ドナルドソンはこのアルバムを作るにあたって、アルトサックスの持つ魅力をもう一度前面に出そうとしたという。結果は、ソウルフルに、そしてリズミカルにアルトが踊るのではなくまさに正調アルトプレーに徹している。

他のメンバーというとショーターとハーバードの短いソロはあるが基本はバックに徹していて何とも贅沢な編成だ。イントロや途中でタイナーのリリカルなピアノが魅力的だ。ダジオンのフルートも効果的だが、あくまでもドナルドソンが主役である。ガーネットブラウンと肝心なアダムスは特に目立った出番はない。

前回紹介したリーモーガンのアルバムといい、このドナルドソンのアルバムといいい、ブルーノートが売却された直後の路線変更の過渡期の作品。色々新路線に向けてトライアルの途中の作品の一環だが、アリゲーターブルースを数か月後にリリースした当時の状況を考えるとお蔵入りして当然のアルバムともいえる。

このアルバムが、世に出たのは1980年に日本での発売が最初とのことだ。タイトルもSweet Slumber、ジャケットデザインも全く異なる。当時は、ブルーノート未発表曲のアルバムのリリースが日本で主導的に行われていた時。世界のジャズファンの代表を日本が務めていたともいえる時代であったが、その時もこのルバムは特に大きく採り上げられることは無かった。
このCDが出たのは2006年。リマスターにあたって、オリジナルのテープが見つからずにアナログ盤のテストプレスからCD化されたと記されている。

今、改めてこのアルバムを聴き返してみると、このスタイルのアルバム作りを進めていたのはどうもデュークピアソンのような気がしてならない。アルフレッドライオンの片腕としてピアノのプレーより、プロデュースやアレンジに精を出していたが、だんだん編成も大きくなってきてアレンジも色々手が入り始めてきていた。そして、デュークピアソンがリーダーとなったビッグバンドアルバムを作ったのはこの年の12月だが、活動自体はすでに始めていた頃だ。

確かにこの頃は、有名ソリストをフィーチャーしてオーケストラをバックにしたアルバムはメジャーレーベルでは良く作られていた。リバティー傘下に入ったので、商売を考えるとマイナーなブルーノートでも同じようなアルバムをと思ったのかもしれない。ドナルドソンのアルトをじっくり聴くには良いアルバムだと思う。



1. Sweet Slumber  5:56
2. You've Changed  4:24
3. The Good Life   4:54
4. Stardust     3:40
5. What Will I Tell My Heart  4:25
6. It Might As Well Be Spring 5:58
7. Sweet And Lovely      5:59

Lou Donaldson (as)
Freddie Hubbard (tp)
Garnett Brown (tb)
Jerry Dodgion (as, fl)
Wayne Shorter (ts)
Pepper Adams (bs)
McCoy Tyner (p)
Ron Carter (b)
Al Harewood (ds)

Produced by Alfred Lion
Arranged by Duke Pearson
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, January 20, 1967


Lush Life
Lou Donaldson
Blue Note Records
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ブルーノートの売却騒ぎの中で作られたアルバムであったが・・・

2014-11-14 | PEPPER ADAMS
Boss Horn / Blue Mitchell


秋の旅行シーズン、久々に遠出をして晩秋の山陰路へ。大山から松江、出雲、そして世界遺産石見銀山へ。丁度紅葉シーズンという事で人出は多いということであったが、都会暮らしの常識からすると混雑には程遠いレベル。紅葉、温泉、グルメとのんびりした旅を楽しめた。

石見銀山ではガイドについてゆっくり回ったが、この山奥に最盛期は20万人が住む町があったとは今の街の姿からは信じられない。坑道へ向かう散策路もただ歩くだけだと単なる森林浴になってしまう。鬱蒼と続く杉林から、かっては川沿に軒を連ねた昔の街の姿をイメージするには、ここではガイド付きの山歩きがお勧めかもしれない。そして、今人口が400人足らずになったこの街を支える企業、中村ブレイス。地方創成のヒントはこのような企業かもしれない。

さて、サドメルのメンバーとしてジョーウィリアムのアルバム録音に参加したペッパーアダムスは、その年1966年の11月はもっぱらサドジョーンズと一緒に行動していた。サドメルオーケストラはその年のニューポートにも出演し、アルバムが出たこともあり確実に人気が上昇、本拠地のヴィレッジバンガードでは11月1日からは定例の月曜日以外にも一週間続けて出演する別途プログラムが組まれた。そして、月末から12月に掛けては久々にサドジョーンズとのクインテットで同じヴァンガードのステージに立っていた。

このように忙しく過ごしていた11月であったが、その合間を縫って17日に再びデュークピアソンからレコーディングの誘いがあった。今度は、トランペットのブルーミッチェルのリーダーアルバム。バックは前回のスタンレータレンタイン同様、デュークピアソンがアレンジを担当した大型のコンボ。今回もアダムスをはじめとして第一線のソリストが揃っていたが、彼らにバックアンサンブルを担当させる贅沢なセッションであった。

サイドワインダーがバカ売れした後、2匹目のどじょうを狙ったブルーノートのアルバムの作り方の話を知ると、一曲目のイメージは大体想像がつく。このアルバムも御多分に漏れずロック調のブルース”Millie”で始まる。

ブルーミッチェルのリーダーアルバムというと、自分自身はあまり多くは聴いていない。何でも器用にこなすようで色々なセッションに参加しているが、生涯を通してみるとあまり大きくスタイルを変えないメインストリーマーだったように思う。
スタジオワークを中心にやっていた時はR&Bなどもやっていたが、70年代の後半にはコンコルドのアルバムにも登場、ハロルドランドとのコンビの演奏の他、サイドメンやビッグバンドの一員としても良く顔を出していた。Concordでのプレーはハードバップの再演でメインストリーマーの本領発揮であった。

規定課題のような曲で始まるこのアルバムも、2曲目に入るとラテンタッチのカーニバルのバックに似合いそうな曲、そしてスタンダードのアイシュッドケアをミディアムテンポで。ミッチェルがメロディーを綺麗に吹き始めるとバックのアンサンブルはピアソンのビッグバンドのような軽快なサウンドでオーソドックスなアレンジを聴かせてくれる。サドメルでアダムスと椅子を並べていたジェリーダジオンのソロも聴き所だ。

もう一曲、ソウルフルな8ビートの曲に続いて、このアルバムのもう一つの目玉はチックコリアが2曲参加していること。コリアのオリジナルのTone’s For Joan’s Bones。ジェリーダジオンのフルートのイントロに続き、ミッチェルのトランぺット、そしてコリアのソロへと続く。コリア自身はロマンチックなサウンドになることを望まなかったというが、ピアソンのアレンジを含めコリアらしい雰囲気が前面に漂う。ピアソンはこの曲が気に入ったのか、後に自己のビッグバンドでも演奏している。
次は一転アップテンポになるが、これもコリア色が強い。ペッパーアダムスはこの曲の最後でソロで登場するが、ファンキー色が薄いこのようなモーダルな曲でもこの当時からさりげなくこなしている。



アルバム一枚を聴き終えると、良くいえばバラエティーに富んでいるし、悪く言うとまとまりのないルバムだ。ブルーミッチェルが起用に何でもこなしているが、デュークピアソンは何となく社命でやっていることと、自分のやりたいことが混在している。そしてコリアのような新しい息吹を吹き込まれるとまた新たなイメージが沸くといった感じだ。アルフレッドライオンがまだ健在であった混迷期のブルーノートを象徴するようなアルバムだ。

アダムスにとっては一サイドメンに徹しての参加であった。そして12月もサドジョーンズと行動を共にした後、暮れには久々にトロントへ出掛けて1967年の新年を迎えることになる。

1. Millie        Duke Pearson 6:15
2. O Mama Enit      Blue Mitchell 5:34
3. I Should Care     Sammy Cahn/ Axel Stordarl/Paul Weston 7:31
4. Rigor Mortez Dave   Dave Burns 6:21
5. Tones For Joan's Bones Chick Corea 6:37
6. Straight Up And Down  Chick Corea 6:36

Blue Mitchell (tp)
Julian Priester (tb)
Jerry Dodgion (as, fl)
Junior Cook (ts)
Pepper Adams (bs)
Cedar Walton (p -1/4)
Chick Corea (p -5,6)
Gene Taylor (b)
Mickey Roker (ds)
Duke Pearson (arr)

Produced by Alfred Lion
Recorded at Rudy Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ, November 17, 1966

Boss Horn
Blue Mitchell
Blue Note Records
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ニューポートでの再会を機に、すぐにレコーディングとはなったものの・・・

2014-11-05 | PEPPER ADAMS

Presenting Joe Williams and the Thad Jones / Mel Lewis Jazz Orchestra / Joe Williams



ペッパーアダムスは9月22日のスタンレータレンタインのアルバムの録音の後、9月30日にはこのアルバムにも参加している。アダムスの出番はCome Sundayで少しだけだが、さて、どういう経緯でこのアルバムが生まれたかというと・・・。

1966年に誕生したサドジョーンズ・メルルイスオーケストラは、毎週月曜日にヴィレッジバンガードに出演を続け、あっと言う間に世の中に知れ渡ることになる。そして、トントン拍子にその年のニューポートジャズフェスティバルへの出演も決まり、7月2日の夜の部のトリを務める。



当時のプログラムを見ると、メルルイス・サドジョーンズオーケストラとなっており、ボブブルックマイヤーとハンクジョーンズが共演となっている。当時のメンバーの知名度の一端を表しているようだ。そしてそこに、共演ジョーウィリアムの記述も。
蛇足ながらゲッツにアル&ズート、そしてジェリーマリガンの加わったハーマンオーケストラにも惹かれる。

さらに、記録を見ると、その時演奏された曲は、
The Second Race
Willow Weep for Me
The Little Pixie
Big Dipper
に続いて
Come Sunday
Jump for Joy
Roll ‘em Pete
と続く。

この3曲でジョーウィリアムの登場となった。

サドジョーンズとジョーウィリアムは長年カウントベイシーオーケストラで一緒にプレーした間柄、それも50年代後半の全盛期アトミックベイシー時代を一緒に過ごした旧知の仲である。出演が決まったサドジョーンズがジョーウィリアムスリアムスに声を掛けたのか、主催者のジョージウェインが2人のマッチメイクをしたのかは定かではないが、久々のビッグバンでの共演であった。

5月にサドメル初のスタジオ録音を終えてニューポートの舞台に臨んだが、このニューポートの共演で2人は早速レコーディングを思いついたのだろう。早々に9月30日にこのレコーディングは行われた。

このアルバムは、以前紹介したこともあるが、サドメルのアルバムの一枚という位置づけでもあるが主役はジョーウィリアムス。ウィリアムスにとってもベストアルバムの一枚になるのではないかと思う。ジョーウィリアムスがベイシーオーケストラに入った時から、自分をブルース歌手とは規定することは無く、スタンダードやバラードもレパートリーに加えていた。ここでも全編ブルース色が強いが、あくまでもジャズ歌手というジョーウィリアムスの良さを引き出している。もちろんそれはサドジョーンズのアレンジの秀逸さによるものだ。

当時メンバーの一員であったエディダニエルスは後に当時を振り返って、「月曜日は夜中の3時近くまでヴァンガードで演奏をした後で、そのままスタジオ入りして一日仕事が続き、翌朝になってしまうのは日常茶飯事。時には更にもう一晩続いて次の日の夜が明けることもあった。この録音もそんなセッションのひとつであったと。」
「さらに、何せジョーンズがこのアレンジを始めたのはヴァンガードの仕事が終わってから、写譜屋さんを従え突貫作業で仕上げていった。ジョーンズはこのようにプレッシャーを受ける中での仕事を好んでいたようだ。」と。

事実、サドジョーンズはペッパーアダムスの送別アルバムでもあったモニカジタールンドのアルバムのアレンジを移動中のバスの中で行ったという。典型的なギリギリにならないと仕事をやらないタイプだったのだろう。



記録によるとこのアルバムのレコーディングは9月30日に行われたとある。この日は金曜日、最後の曲Woman's Got Soulのセッションを録り終ったのは土曜日の朝、この後皆でコントロールルームで聴き合ったともライナーノーツに書かれている。
ダニエルスの記憶のようにこのセッションが月曜日の夜から延々続いたということは流石にないとは思うが、アレンジが出来上がった所から片っ端からリハーサルもそこそこで12曲一気にレコーディングが行われたというのは事実であろう。

その事実を知ると、余計にこのアルバムのジョーンズのアレンジとウィリアムのコンビネーションを素晴らしく感じる。アレンジは明らかにベイシーオーケストラのバックとは異なり、ソプラノリードのサックスなどサドメルの味がする。
さらに、ダニエルスもそれを「CAMEO」とコメントしているが、バックのメンバー達が入れ替わり立ち代わり歌とアンサンブルの合間に綺麗な装飾のように輝く短いソロやオブリガードを散りばめられているのが素晴らしい。また、後にサドメルではレギュラー構成から外されたフレディーグリーンライクのサムハーマンのギターもここでは効果的だ。このアルバムからピアノはハンクジョーンズからロランドハナに替わっているが、そのハナのピアノもソウルフルにツボを得たバッキングだ。



ジョーウィリアムはベイシー時代、新しい曲をやりたいと思うと、アーニーウィルキンスやフランクフォスターにアレンジを頼んだそうだ。ベイシーオーケストラ時代、サドジョーンズのアレンジはダメ出しされる事が多かった。ウィリアムスも頼み辛かったのかもしれないが、ここでは、サドジョーンズのお蔭で新境地を開いているような気がする。



1. Get Out of My Life Woman" (Toussaint) -- 3:21
2. Woman's Got Soul (Mayfield) -- 2:22
3. Nobody Knows the Way I Feel This Morning  (Delaney, Delaney) -- 4:30
4. Gee Baby, Ain't I Good to You  (Razaf, Redman) -- 2:52
5. How Sweet It Is (To Be Loved by You)  (Dozier, Holland, Holland) -- 2:32
6. Keep Your Hand on Your Heart  (Broonzy) -- 3:37
7. Evil Man Blues (Feather, Hampton) -- 3:26
8. Come Sunday (Ellington) -- 3:16
9. Smack Dab in the Middle  (Calhoun) -- 3:29
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  (Ellington, Mills) -- 3:04
11. Hallelujah I Love Her So  (Charles) -- 3:01
12. Night Time Is the Right Time (to Be With the One You Love)" (Sykes) -- 5:13

Joe Williams -- vocals
Thad Jones -- flugelhorn
Mel Lewis -- drums
Richard Williams -- trumpet
Bill Berry -- trumpet
Jimmy Nottingham -- trumpet
Snooky Young -- trumpet
Bob Brookmeyer -- trombone
Garnett Brown -- trombone
Tom McIntosh -- trombone
Cliff Heather -- trombone
Jerome Richardson -- saxophone
Jerry Dodgion -- saxophone
Joe Farrell -- saxophone
Eddie Daniels -- saxophone
Pepper Adams -- saxophone
Richard Davis -- bass
Roland Hanna -- piano
Sam Herman – guitar

Produced by Sonny Lester
Recording Engineer : Phil Ramone
Recorded on 1966 September 30, at A&R Studio New York City




Presenting Joe Williams & Thad Jones/Mel Lewis
Joe Williams
Blue Note Records
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下手な鉄砲数撃ちゃ当たる?・・・・せっかくのアダムスの援護射撃も出番なし

2014-09-03 | PEPPER ADAMS
Our Mann Flute / Herbie Mann

サムモストのストレートにスイングするフルートを聴いた後だが、フルート専業の第一人者といえばハービーマン。ところがカミンホームベイビーのヒット以来ヒット狙いのアルバムが続き、自分は決して硬派のジャズファンではないが、流石にハービーマンのアルバムが自宅の棚に並ぶことはなかった。

ペッパーアダムスが、サドメルのオーケストラに正式に加入したタイミングにあわせて、何故かレコーディングや他のセッションへの参加の仕事も増えだした。人生何事においても一つ生活の軸が決まると、それに合わせて他の事もペースがつかめてくるものだ。

66年5月サドメルの初アルバムの録音も終えた後の最初の仕事は、5月16日同じ時期に立ち上がったデュークピアソンのビッグバンドへの参加であった。ピアソンとはドナルドバードとのクインテット時代の盟友であり、その後も一緒にやることは多かった。サドジョーンズに張り合った訳ではないと思うが、同じような思いでピアソンが立ち上げたビッグバンドだった。アダムスはサドメルと同時にこのピアソンのビッグバンドでもレギュラーとして活動する。メンバーの中にはサドメルに参加している者も何人かいた。

それに続いて、26日にはこのハービーマンの“Herbie Mann With Jimmy Wisner's Orchestra”の4曲の録音セッションへの参加とある。これが収められているアルバムはというと、”Our Mann Flute”。当然持ってもいないし、聴いた記憶もないアルバムだ。

さてどうするかと考えたが、物は試しにと買ってみた。前回のジミーウイザースプーンのように聴いてみれば「なかなかいい」ということもあるのではと期待して・・・。

ジャケットを見ると、この日のセッション以外にもいくつかのセッションからの寄せ集めアルバムだ。このアルバム自体がコンピレーションかとおもったが、セッション自体がどうやらアルバム単位ではなく何度も行われていたようだ。まあ、録音日の期間が64年~66年と幅広いので無理矢理寄せ集めたとも思えるアルバムだ。

というのも、セッションによって微妙に編成のコンセプトが異なっている。このアダムスの参加しているセッションはR&B風のしつらえだ。アルバムタイトルにもなっている映画「電撃フリントGO!GO! 作戦」のテーマはその時のレギュラーグループメンバー中心にオーケストラを加えた演奏が、後はラテンブラスアンサンブルをバックにしたものなど色とりどり。

曲はというと、いきなりクルセイダーズの曲で始まる。最新ヒット曲をカバーしているかと思えば、映画のタイトルソングがあり、フランス民謡もあるというこれも千差万別。どうも統一感が無い。共通していることは4ビートと決別していることかも。

ハービーマンは、ビルボートのPOPチャート200に入る25枚のアルバムを作ったとの記事も見かけた。コマーシャリズムに迎合したジャズが悪いとは思わないが、このアルバム作りをみるとどうも手当たり次第に流行りそうなものを手掛けという印象を受けてしまい、「本当にやりたいこと、聴かせたいのは何?」と思わず問いてみたくなる。

残念ながら今回はアダムスの出番が無かったからという訳でなくとも、改めて買い求めて良かったというアルバムでは無かった。此の後も、アダムスがレコーディングに参加したセッションはこの手のアルバムが数多く登場するが、所有しているアルバムは少ない。丁度、フュージョンブームに先立つ、いわゆるジャズロックとかブーガルーとかが流行った頃のファンキー路線延長のアルバム、当時聴くのもパスしたものが多い。

乗りかかった船なので続けてみようとは思うが少し気が重くなった。まあ、気長に続けてみることにする。何か新たな発見があるかもしれないので。
一方で、アダムスはサドメルを辞めた後の方がソロ活動中心なので、紹介すべきアルバムは沢山ある。そちらも合わせて進めていこうと思う。

このハービーマンもアダムスと同じ1930年生まれ。同じジャズの世界で育ち、同じ期間演奏活動をし、仕事をしていてもそれぞれの生き方がこれほどまで異なるものになるとは、人生人それぞれだと改めて思う。

1. Scratch              Wayne Henderson 2:35
2. Philly Dog              Rufus Thomas 2:26
3. Happy Brass             Herbie Mann 2:10
4. Good Lovin'     Rudy Clark / Arthur Resnick 2:51
5. This Is My Beloved         Herbie Mann 5:08
6. Frère Jacques            Traditional 2:16
7. Our Man Flint          Jerry Goldsmith 2:44
8. Fiddler on the Roof  Jerry Bock / Sheldon Harnick 2:22
9. Theme From "Malamondo"      Ennio Morricone 2:18
10. Down by the Riverside      Traditional    2:35
11. Monday, Monday          John Phillips  2:58
12. Skip to My Lou           Traditional 2:21

#10
Herbie Mann (flute, alto flute) Dave Pike (vibraphone) Don Friedman (piano) Attila Zoller (guitar) Jack Six (bass) Bobby Thomas (drums) Carlos "Patato" Valdes (congas) Willie Bobo (timbales)
NYC, February 13, 1964

#5
Marky Markowitz, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Jimmy Knepper (trombone) Herbie Mann (flute) Jerry Dodgion (flute, clarinet, alto saxophone) Richie Kamuca (clarinet, tenor saxophone) Charles McCracken, Kermit Moore (cello) Dave Pike (vibraphone) Don Friedman (piano) Attila Zoller (guitar) Jack Six (bass) Willie Bobo, Bobby Thomas (drums) Carlos "Patato" Valdes (congas) unidentified strings, Oliver Nelson (arranger, conductor)
NYC, May 7, 1964

#6,8,9,12
Herbie Mann With Richard Wess' Orchestra
Al DeRisi, Marky Markowitz, Ernie Royal, Clark Terry (trumpet) Bob Alexander, Santo Russo, Chauncey Welsch (trombone) Tony Studd (bass trombone) Herbie Mann (flute) Anthony Bambino, Hinda Barnett, Emanuel Green, Harry Katzman, Leo Kruczek, Gene Orloff, Paul Winter (violin) Mundell Lowe (guitar) Milt Hinton (bass) Gary Chester (drums, timbales) Warren Smith (congas, finger cymbals) George Devens (Latin percussion) Richard Wess (arranger, conductor)
NYC, October 29, 1964

#7
Jimmy Owens (trumpet, flugelhorn) Jimmy Knepper, Joe Orange (trombone) Herbie Mann (flute, tenor saxophone) Attila Zoller (guitar) Reggie Workman (bass) Bruno Carr (drums) Carlos "Patato" Valdes (percussion) Arif Mardin or Oliver Nelson (arranger)
NYC, March 10, 1966

#1,2,4,11
Herbie Mann With Jimmy Wisner's Orchestra
Marky Markowitz, Joe Newman (trumpet) Quentin Jackson (trombone, bass trombone) Herbie Mann (flute) King Curtis (tenor,baritone saxophone) Pepper Adams (baritone saxophone) Jimmy Wisner (piano, arranger, conductor) Al Gorgoni, Charles Macey (guitar) Joe Mack (electric bass) Bernard Purdie (drums) Warren Smith (percussion)
NYC, May 26, 1966

#3
Recording Data unknown

アワ・マン・フルート
Herbie Mann
ワーナーミュージック・ジャパン
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昔は新規レーベルの誕生の時、豪華絢爛なアルバムがあったことも・・・

2014-08-10 | PEPPER ADAMS
We Had A Ball / Quincy Jones & Various Musicians

最近はCDの売上が減少しているというニュースばかりを耳にする。確かにネットで簡単にダウンロードできる時代にはなったが、自分のような旧人類はやはり好きなアルバムはちゃんとジャケットのあるアルバムでないと何か物足りない。やはり聴くのと持つのは違うものだが、それが災いして物を捨てられない性分だ。今流行の「断捨離」は縁遠い。

一方で、昔のレコードには根強い人気があり、中古市場が活気を呈しているそうだ。たまに目にするオリジナルアルバムの値段の高さにはビックリするばかり。自分はオリジナル盤の信奉者ではないが、レコードの音質の良さには改めて感心することもあり、アナログディスクを買い求めることも。アナログディスクのジャケットを手に取って、デザインに見入ってライナーノーツを見るのも楽しみの一つだ。

CDといっても、ジャズの場合は昔のアルバムの再発が大部分だろう。
ジャズアルバムの新譜は最近どうなっているのだろうか?以前はメジャーレーベルでもジャズアルバムの新譜を積極的に出していた時代もあるが、最近は果たしてどうなっているのか?
最近の事情に疎いが、たまに自分が買い求めるアルバムはマイナーレーベルや自主制作のようなものばかり、メジャーレーベルがお金をかけて作ったアルバムが果たして今でもあるのか?・・・・気になる所だ。

昔、マーキュリーレコードというレーベルがあった。ジャズだけではなく、ジャンルはポピュラー、クラシックからロックまでをカバーするメジャーレーベルであった。ジャズファンには傍系のEmArcyの方が、馴染みがあるかもしれない。

クインシージョーンズのビッグバンドが、苦難のヨーロッパツアーを終えてレコーディングを残したのが、このマーキュリーレーベルである。クインシージョーンズは、このマーキュリーレコードの役員に就任し、アレンジャーとしての役割を卒業しプロデューサー業に転じることになる。彼のビッグバンドもそれに伴い、また時代の要請もあり、よりポピュラーな路線に変わっていき、硬派のジャズファンからは縁遠くなっていった。

ジャズ界全体が変化をしていたこの60年代の半ば、このクインシージョーンズのマネジメントの影響もあってか、このマーキュリーレーベルが新たなジャズレーベルを立ち上げた。
それが、limelightレーベルであった。
ちょうど自分がジャズを聴き始めた頃でもあり、このレーベルの立上げはよく覚えている。
レーベルがスタートした時は、ガレスピー、マリガン、ピーターソン、ブレイキーなどの大物が名を連ね、メジャーの貫禄を見せつけてくれた。



流石メジャーと思わせたのが、ミュージシャンのネームバリューだけでなく、レコードジャケットの体裁も凝った物が多かった。
鳴り物入りでスタートはしたが、ジャズのメジャーレーベルとしては長続きせず、クインシーも去った後は、このライムライトレーベルもジャズ以外のアルバムも出すようになっていった。

その、ライムライトの最初の記念すべき初アルバムはアートブレイキーの” 'S Make It“だが、カタログで次に続く2枚目がこのアルバム”We had a ball”だ。
ジャケットの真ん中に名前が列挙されているように、ライムライトの立上げに参集したメジャープレーヤー達の顔見世アルバムとなっている。いわゆるコンピレーションアルバムだが、中身はそれぞれのセッションのベストや未収録曲の寄せ集めではなく、当時始まったばかりのミュージカル”I had a ball”を素材として、皆で好みの曲を分担したアルバムで、このアルバムのためだけの録音も行われた。

ガレスピーとチェットベイカーは歌も披露。ガレスピーはマックザナイフに似ているこの曲が気に入って選んだそうだ。

クインシージョーンズのビッグバンドは3曲担当しているが、アレンジ自体は御大が行わずベニーゴルソンとビリーバイヤースが担当する。この頃、バイヤースはクインシーの片腕として活躍していたが、アレンジを頼まれたのは前日。筆が早い方ではなかったバイヤースは、アルコーンに助けを求める。アルコーンとバイヤースは日頃から協力し合っていたが、実はアルコーンは多くの人々のゴーストライターをやっていたそうだ。反対に筆が早かったということだろう。
メンバーは、昔からのメンバーであるウッズやメルバリストンに加え、ガレスピーやミルトジャクソンなども加わっているオールスタービッグバンド。実は、このセッションの人集めをしたのはフィルウッズ。ドラムはアートブレイキー。譜面が不得手なブレイキーのビッグバンドでのドラミングも珍しいと思ったら、スタジオにはグラディーテイトが来ていた。アレンジの最初のリハーサルはこのテイトが務め、本番ではブレーキーに代わっている。プロデューサーとしてのクインシーの人の能力を引き出す技の発揮といった所だろう。

そして、バリトンサックスにはペッパーアダムスが参加しているがソロは特にない。
オリバーネルソンのアルバムに続いて、これが64年2回目のレコーディングセッションへの参加であった。ハンプトンのバンドでの活動が大部分の64年であったが、翌年からはサドジョーンズとのレギュラーバンド、そしてレコーディングへの参加と、アダムスもいつもの仕事のペースに戻ってくる。

他にも、ミルトジャクソン、チェットベイカー、アートブレイキーのグループと、これだけのメンバーを集めてのアルバムとしては物足りなさを感じさせるが、有名プレーヤーをさりげなく起用するには、メジャーレーベルの余裕であったのだろう。ジェケットの凝り方を含めて、今ではなかなか作れないアルバムだと思う。

1. I Had A Ball        5:00 Quincy Jones and his Band
2. Fickle Finger Of Fate   2:14 Dizzy Gillespie Quintet
3. Almost        4:18 Quincy Jones and his Band
4. Faith        5:52 Art Blakey and the Jazz Messengers
5. Addie's At It Again    4:57 Quincy Jones and his Band
6. Coney Island, U.S.A.   2:25 Oscar Peterson Trio
7. The Other Half Of Me   3:05 Milt Jackson
8. Think Beautiful      4:18 Chet Baker Quartet

All Songs & Words by J. Lawrence - S. Freeman)

Produced by Jack Tracy.

●Quincy Jones and his band:
Nat Adderley (tp), Dizzy Gillespie (tp), Freddie Hubbard (tp),
Jimmy Maxwell (tp), Jimmy Nottingham (tp), Joe Newman (tp),
Curtis Fuller (tb), J.J. Johnson (tb), Kai Winding (tb), Melba Liston (tb),
Jerry Dodgion (as), Phil Woods (as), James Moody (as, ts, fl),
Roland Kirk (ts), Benny Golson (ts), Lucky Thompson (ts), Pepper Adams (bs),
Milt Jackson (vib), Bobby Scott (p), Bob Cranshaw (b), Art Blakey (ds),

Quincy Jones (cond).
Arranged by Benny Golson and Billy Byers.
Recorded in New York City on December 20, 1964.

●Dizzy Gillespie Quintet:
Dizzy Gillespie (tp, vo), James Moody (ts, fl),
Kenny Barron (p), Chris White (b), Rudy Collins (ds), Kansas Fields (perc).
Recorded at Universal Recording Studios, Chicago, IL on November 6, 1964.

●Art Blakey and Jazz Messengers
Lee Morgan (tp), Curtis Dubios Fuller (tb), John Gilmore (ts),
John Hicks (p), Victor Sproles (b). Art Blakey (ds),

Recorded at Radio Recorders, Hollywood, CA on November 15, 16 and 25, 1964.

●Oscar Peterson Trio:
Oscar Peterson (p), Ray Brown (b), Ed Thigpen (ds).
Recorded in New York City on May 18, 1965.

●Milt Jackson Quintet:
Jimmy Heath (ts, fl), Milt Jackson (vib),
McCoy Tyner (p), Bob Cranshaw (b), Connie Kay (ds).
Recorded in New York City on December 9, 1964.

●Chet Baker Quartet:
Chet Baker (flh), Bob James (p), Mike Fleming (b), Charlie Rice (ds).
Recorded at A&R Studios, New York City on November 20, 1964.
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ペッパーアダムスのサドメルオーケストラでのラストレコーディングは・・・・?

2014-07-13 | PEPPER ADAMS
It Only Happens Every Time / Monica Zetterlund, Thad Jones & Mel Lewis Orchestra

サドメルオーケストラが、ビレッジバンガードで初ライブを行ったのは1966年2月7日。この日の演奏はFMでも中継され、CDでもその演奏は残されている。ペッパーアダムスはその時リーダーのサドジョーンズとコンビを組んでいたが、そのままこのオーケストラにも参加した。
そして、そのペッパーアダムスが、サドメルのオーケストラを辞めたのは1977年8月24日。丁度ヨーロッパツアーの途中でストックホルムに滞在している最中であった。

オーケストラに加わって11年、メンバーの入れ替わりも多くなっている中、両リーダー以外に11年間続けて在籍したのはペッパーアダムスとジェリーダジオンの2人であった。
アダムスはちょうど35歳から46歳まで、人生で一番脂の乗り切った時をサドメルオーケストラで過ごしたことになる。

サドメルとのファーストレコーディングは66年2月7日の初演、これにアダムスも当然参加している。
「ラストレコーディングは?」というと、実はこのアルバムになる。

77年8月23日録音、翌日バンドを離れアメリカに戻るので在籍最後の日の録音。本当の意味でのラストレコーディングになる。
この事実を踏まえて、このアルバムを聴くとこのアルバムの位置づけもはっきりしてくる。

このアルバムの主役モニカゼタールンドとペッパーアダムスは昔からの知り合いであった。
1961年にはドナルドバードとのクインテットで彼女と録音もしている。あの有名なエバンスとのアルバム“ Waltz For Debby “より3年も前の出来事だが、残念ながら世には出ていないようだ。

このアルバムのジャケット裏に録音時の集合写真がある。
ジャケットの表の写真は彼女とサドジョーンズのアップの写真であるが、裏の写真ではリーダー2人を差し置いて中央に彼女の横に立つペッパーの姿を見ても、このアルバムのもう一人の主役はペッパーアダムスであったのは間違いないだろう。



アダムスは、異国の地スウェーデンでバンドを離れることになったが、そのスウェーデンに住む昔からの友人ゼタールンドと、サドメルオーケストラのメンバー達が、アダムスに餞別の意味を含めてのレコーディングを行ったのではないだろうか思われる。
というのも、このレコーディングは用意周到に企画されたものではなかったので。

サドメルオーケストラの歌伴というと、初期のソリッドステートレーベル時代、ジョーウィリアムスルースブラウンのバックを務めた2枚のアルバムがあった。どちらも、ブルースを得意とする2人。ジョーンズのスマートなアレンジが脂っこさを中和した、好アルバムだろ思う。
このゼタールンドは少しイメージが違う。しかし、名アレンジャーサドジョーンの手にかかると、彼女の歌の魅力を引き出す違ったアレンジをするのではないかと期待するのだが。

しかし、このレコーディングの準備は実際にはとんでもない突貫作業だったようだ。
コンサートツアーの移動中のバスの中、ピアノも手元にない中でジョーンズはスコアを書き続けた。スタジオに入ってからも皆でパートを仕上げながら、リハーサルもそこそこで録音に臨んだ。これもアレンジャー、サドジョーンズの名人芸のひとつだったようだが。

長年サドジョーンズの片腕として、ペッパーアダムスはオーケストラ全体を聴く耳を持っていた。スタジオで遠く離れたトロンボーンセクションにやってきて、「ここは自分がトロンボーンセクションと一緒に吹くことになっているが、どうしよう思っている?」と確認していった。「すでにアダムスの頭の中には全体の中で自分の役割が認識されていた。そこが長くオーケストラ生活を過ごしてきたアダムスの凄い所だ」と、当時のメンバーとして参加していたサムモスカのコメントもある。

タイトル曲のIt Only Happens Every Timeは、サドメルのComsummationにも収められている綺麗な曲。Groove Marchantなどサドメルの有名曲もあるが、すべてがサドメルの曲という訳でもない。

歌と演奏が今一つしっくりこない部分があるのは、このような諸々の裏事情があったからだろう。

いずれにしても、オーケストラが録音に臨んだのは8月20日と21日、フィランドのヘルシンキであった。しかし、まだアルバム一枚には足りなかった。そして、最後の23日にストックホルムで最後の3曲が収められた。Happy Againはオーケストラなしで、アダムスとリズムセクションだけがバックを務める。

これで、やっとアダムスの最後に日までに何とかアルバムが完成したということになる。
アダムスのゼタールンドとの友情の証、そして皆からのアダムスへの餞別と考えるとこのアルバムの味わい方も変わってくる。





1. It Only Happens Every Time        Thad Jones 5:12 
2. Long Daddy Green  Blossom Dearie / Dave Frishberg 3:38 
3. Silhouette                Lars Gullin 4:32
4. He Was Too Good To Me  Lorenz Hart / Richard Rodgers 5;05 
5. The Groove Merchant        Jerome Richardson 4:06 
6. Love To One Is One To Love        Thad Jones 4:13 
7. Happy Again               Lars Gullin 4:15
8. The Second Time Around  Sammy Cahn / James Van Heusen 5:13 

Monica Zetterlund (vocals)
Thad Jones (flh)
Frank Gordon (tp)
Earl Gardne (tp)
Jeff Davis (tp)
Larry Moses (tp)
Earl McIntyre (tb)
John Mosca (tb)
Clifford Adams (tb)
Billy Campbell (tb)
Jerry Dodgion (as,ss,fl,cl)
Ed Xiques (as,ss,fl,cl)
Rich Perry (ts,fl,cl)
Dick Oatts (ts,fl.cl)
Pepper Adams (bs)
Harold Danko (p)
Rufus Reid (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded at Sound Track Recording Studios, Helsinki on 20-21 August 1977
at Swedish Radio, Stockholm on 23 August 1977 (#2,3,7)


It Only Happens Every Time
Monica Zetterlund
Inner City
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アメリカとキューバの音楽の友好関係を復活させたのは・・・・

2014-01-24 | PEPPER ADAMS
Havana New York / David Amram

先日、Arturo Sandovalが来日して素晴らしいステージを体験させてくれた。
バックのオーケストラに参加した吉田治がサンドヴァルと共演した感想を、「超絶テクニックだが一つ一つの音に意味がある」、「あの絶妙な口の動きがボーカルを含めてあのフレーズを生んでいる」といったようなコメントをしていたが、プロのミュージシャンの耳でも別格のプレーだったようだ。

キューバ出身のサンドヴァルは、結果的にアメリカに亡命して今の彼があるのだが、いつどのようにしてアメリカとの接点が生じたかというと答えはこのアルバムにある。

実は、このアルバムの主役、David Amramという人物を自分は良く知らなかった。

このアムラムは色々な楽器を演奏するマルチプレーヤー、そして演奏だけでなく、作編曲にも秀でたミュージシャン。ジャズだけでなく、クラシックも、そして世界の音楽にも造詣が深い。
本当の意味のマルチタレント。ジャンルに囚われないとんでもないスーパー音楽家ということだろう。

以前どこかの記事で書いたが、ニューヨークに出てきて間もないペッパーアダムスをスタンケントンオーケストラに紹介したのはオスカーペティフォードであった。
そして、アダムスがケントンオーケストラを経て西海岸に居た頃、ペティフォードは自己のアルバム”Oscar Pettiford in HiFi”というアルバムを作っていた。少し大きめの編成にハープとかフレンチホルンなどを加えて厚い響きを聴かせてくれるアルバムだ。
そのフレンチホルンにパートに馴染みのあるジュリアスワトキンスと、もう一人加わっていたのがデビッド・アムラムだ。
そのような無名なプレーヤーは知らなかったし、フレンチホルンなどは所詮おまけのようなもの。その後も気に留めることもなかった。

最初はフレンチホルンがAmramとジャズとの接点であり、ジャズミュージシャンと親交を深めたきっかけのようだが、だんだんと他の楽器に、そして作編曲の世界へと。その後も彼と交流のあったミュージシャンは多いようだ。

ケネディー大統領が在任中の有名なキューバ危機以来国交が断絶していた両国であったが、政治的に対立する国が国交を回復するきっかけはいつの時代にも文化交流からだ。ベニーグッドマンの冷戦時代のモスクワツアーも有名だが、このキューバも同じ。
キューバにアメリカのジャズグループが訪問したのが1977年5月のことであった
。ディジーガレスピー、スタンゲッツ、そしてアールハインなどのグループに、このデビット・アムラムも加わっていた。

さてこのアルバムだが、このグループの演奏とは別に、ステージ上でアムラムがドラムのビリーハートと一緒にキューバのミュージシャン達と共演した演奏が収められている。
この時キューバ側を代表して参加しているのが、また無名のサンドヴァルとアルトのパキートデリベラだ。サンドヴァルはまだこの時28歳。まだまだ発展途上であるが得意のハイノートを聴かせてくれる。

アムラムも、ホルンやピアノだけでなく、フルート、各種パーカッション総動員で本場の彼らに負けずにリズムを刻んでいる。
ラテンミュージックの元祖発祥の地ともいえるキューバとは17年間断絶していたが、こうしてキューバの音楽とアメリカのジャズ界との交流が再開した。この歴史的な場をAmramが作ったともいえるが、1977年5月8日のことであった。

そして、翌月6月には今度はニューヨークに戻って、キューバからリズム隊を招いてHavanaとNew Yorkの友好復活に貢献したガレスピーを称えたライブが行われた。そして、演奏の一部は路上でも行われその模様も収録されている。
その時、ホーンセクションに参加したのがサドジョーンズ以下ジェリーダジオンやペッパーアダムスなどアムラムとは以前から交流があったミュージシャン達でであった。

このAmramは、ペッパーアダムスのアルバムを辿っていくとまた何度となく登場するので少し気にかけておこうと思う。

このアルバムは、否、David Amram自身の活動そのものが、イデオロギーや民族を超えて色々な人の繋がりが集約された国際交流の象徴のように思う。

ペッパーアダムスのソロも聴ける Para Los Papines



1. Havana / New York (For Dizzy Gillespie)
2. Para Los Papines (For the Paoines)
3. Broadway Reunion
4. En Memoria de Chano Pozo

<1~3>
Thad jones (tp,flh)
Pepper Adams (bs)
Jerry Dodgion (as)
Billy Mitchell (ts)
George Barrow (bs)
Alfredo de la Fe (elviolin)
Eddie Gomez (b)
Candido (conga)
Ray Mantilla (per)
Johnny Rodrigez Jr. (bongo)
Nicky Morrero (timbales)
David Amram (Spanish g,p,flute,whistle,French horn,claves,etc,)
Los papines (conga)

Recorded in New York , June 1977

<4>
Arturo Sandoval (tp)
Paquito de Rivera (as)
Oscar Valdes (conga)
Los Papines (conga)
Ray Mantilla (conga)
John Ore (b)
Billy Hart (ds)
David Amram (Spanish g,p,flute,whistle,French horn,claves,etc,)

Recorded live in Havana, Cuba, on May 18 1977


Havana & New York
David Amram
Flying Fish Records
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もし、ジャズの人気投票のポールウィナースに「指揮」部門があったら・・・

2013-05-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Swiss Radio Days Jazz Series, Vol. 4: Basle, 1969 Thad Jones & Mel Lewis Orchestra

クラシックの世界では、指揮者というのはかなり重要な要素だ。同じオーケストラでも指揮ひとつで音が違ってくるという。
ジャズの世界のビッグバンドでも指揮者の役割は重要だ。指揮を専門に行うリーダーもいれば、プレーをしながらの指揮者もいる。

先日、辰巳哲也のビッグバンドがマリアシュナイダーの曲を演奏したライブがあった。昨年初来日したマリアシュナイダーのオーケストラは彼女のしなやかな指揮振りが目立ったが、彼女の曲は指揮者がいないとなかなか上手く演奏はできないだろう。
当日辰巳氏も「マリアの曲をやるときは、指揮が忙しくてなかなか自分のプレーを一緒にやるのは難しい」と語っていた。先週は秋吉敏子のビッグバンドのライブがあったが、彼女の難しいアレンジを引き立たせる指揮振りも見事だ。彼女の場合はそれにピアノのプレーも加わる。

そのようにジャズオーケストラのリーダーの指揮振りを思い返すと、クラシックの世界にひけをとらない位色々と指揮者によって個性があるものだ。その中で一番印象に残っている指揮者となると・・・・

双頭バンドのサドメルオーケストラの指揮者といえば、言わずと知れたリーダーのサドジョーンズ。指揮だけでなく、合いの手を入れながらメンバーを鼓舞させていく指揮ぶりは余人を持って代えがたい。
サドメルオーケストラからサドジョーンズが去り、メルルイスがリーダーとなり、そしてメルルイス亡き後VJOへと替わっても、サドメルのレパートリーは脈々と引き継がれている。しかし、あのサドジョーンズの指揮ぶりだけはもう見ることができない。

サドジョーンズの指揮と、もうひとつ初期のメンバーで特徴的だったのはローランドハナのピアノとベースのリチャードデイビスの掛け合い。多くの曲でハナのピアノのイントロから始まることが多かったが、このデイビスのベースの絡み方も実に特徴があった。
そしてそれを傍らから見ながら魔術師のようにオーケストラの始まりに繋げていくサドジョーンズの指揮は流石だ。

この連休中、新宿のSomedayではお馴染みのビッグバンドのライブが連日続いた。今回は3日間しか行けなかったが、その中のひとつがオーナー肝いりのSomeday Big band。
メインストリームの演奏が続いたが、その中にサドメルのレパートリーが3曲あった。
自分が大の「お気に入り」のGroove Merchantも演奏され大満足であったが、やはりこの曲を聴くとサドジョーンズの指揮を思い起こす。



このビデオの頃の、ハナやリチャードデイビスのいた時代の演奏は特にご機嫌だ。
この時代の演奏はCDでも何枚か残っておりこれまでも紹介したが、もう一枚あった。
バンド結成から3年目。満を持してオーケストラがヨーロッパに遠征した時のスイスでのライブだ。

曲目は当時のレパートリーが並んでいるが、Groove Merchantも含まれている。他のアルバムではこの曲のライブ演奏を聴けないが、サドジョーンの指揮振りも音を通じて聴くことができるのでこれは貴重だ。
これを聴いても。やはりサドジョーンの指揮はOne & Onlyな良さがある。人気投票に「指揮部門」があったら、間違いなく一票を投じる。

1. Second Race  Thad Jones 10:39
2. Don't Ever Leave Me Thad Jones 4:16
3. The Waltz You Swang for Me Thad Jones 9:11
4. Ah' That's Freedom Thad Jones 10:54
5. Come Sunday Duke Ellington 4:42
6. Don't Get Sassy Thad Jones 11:34
7. Bible Story Roland Hanna 6:30
8. Groove Merchant Jerome Richardson 7:54

Thad Jones (cor, flh)
Richard Gene Williams (tp)
Danny Moore (tp)
Snooky Young (tp)
Al Porcino (tp)
Jerry Dodgion (as,fl)
Jerome Richardson (as,ss)
Joe Henderson (as,fl)
Eddie Daniels (ts)
Pepper Adams (bs)
Jimmy Knepper (tb)
Eddie Bert (tb)
Cliff Heather (btb)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Peter Schmidlin Executive Producer
Philippe Dubath Executive Producer
Peter Bürli Executive Producer, Liner Notes
Jurg Jecklin Engineer

Recorded live concert for broadcast over Swiss Radio
on Sep.11 1969


The Thad Jones - Mel Lewis Orchestra, Basle 1969 / Swiss Radio Days, Jazz Series Vol.4
クリエーター情報なし
TCB - The Montreux Jazz Label™ - Swiss Radio Days
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ジェリーダジオンのリーダーアルバムはあまり聴いたことがないが・・・

2013-04-12 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Beauties of 1918 / Charlie Mariano - Jerry Dodgion Sextet

昨年もVanguard Jazz Orchestraが来日した。最近続けての来日は宮嶋みぎわさんのお陰だ。ファンとして感謝の念に堪えない。今年の夏も来日するようなので楽しみだ。

昨年来日したメンバーで、久しぶりで嬉しかったのがリードアルトにジェリーダジオンが加わっていたこと。サドメルのオーケストラの創設メンバーで、’68年の初来日の時もメンバーの一員として加わっていた
それからかれこれ50年近く。一体何歳になったのであろうか、確かに歳を感じさせるのは否めないが、元気なプレー振りを見て嬉しくなった。50年前には、貫禄十分のジェロームリチャードソンの隣であまり目立たない存在であったが。

このダジオンは、70年代を中心にセッションに加わったアルバムはたくさんある。あのハンコックの名盤”Speak Like A Child”のアルトフルートはこのダジオンだ。
元々西海岸の出身、50年代はジェラルドウィルソンやレッドノーボ、そしてベニ―グッドマンのバンドにも加わっていたが、60年からはニューヨークに居を移して、サドメルやデュークピアソンのオーケストラに加わる一方で、スタジオワーク中心で活躍を続けていた。

このダジオンセッションへの参加は多いが、自己のリーダーアルバムとなると晩年の”Jerry Dodgion & The Joy Of Sax”以外思い浮かばないが・・・・
50年代の録音にチャーリーマリアノと共演したアルバムがある。自分の所有盤はFreshsoundから再発されたものだが、オリジナルは”Beauties of 1918”というWorld Pacificのアルバム。



マリアーノとダジオンの2アルトの双頭グループというと、丁度この頃活躍していたPhil & Quillが思い浮かぶ。このグループは両者の熱っぽい演奏が売りであったが、この2人の演奏は、ウェストコーストのグループということもあり、Phil & Quillに較べればいくらか感じがするのは否めないが、それでも2人とも力強いプレーだ。
このセッションに参加している、シェリーマン曰く、当時「マリアーノは評価されていないプレーヤーだ」との事だが、ダジオンもそれに輪を掛けてUnder ratedなプレーヤーだろう。このアルバムを聴く限りは、当時のウェストコースのトッププレーヤーにも決して引けをとらないプレーだ。

タイトルの「1918年の美人達」の通り、このアルバムに選ばれた曲は当時の古い曲ばかり。日本風に言えば「美しき大正時代の流行歌をジャズの調べに乗せて」といった雰囲気だが、演奏自体は当時のウェストコースとサウンド。フェルドマンのバイブが清清しさを増している。マリアノ、ダジオンの西海岸時代の演奏が楽しめる一枚だ。



1. After You've Gone (Creamer, Layton) 4:49
2. When Johnny Comes Marching Home   (L. Lambert) 5:13
3. Deep River (H. Burleigh) 5:40
4. Till We Meet Again (Egan, Whiting) 4:15
5. K-K-K-Katy (J. O'Hara) 5:27
6. 'til The Clouds Roll By (Kern, Bolton, Wodelhouse) 2:39
7. Over There   (G.M. Cohan) 4:22
8. Ja Da (B. Carelton) 4:17
9. Hello, Central, Give Me No Man's Land (Lewis, Young, Swartz) 3:57
10. Vamp's Blues (Charlie Mariano) 7:05

Charlie Mariano  (as,,recorder on 3)
Jerry Dodgion  (as,fl)
Victor Feldman (vib)
Jimmy Rowles  (p)
Monty Budwig  (b)
Shelly Manne  (ds)

Recorded December 10 & 11, 1957 at Radio Recorders, Los Angeles, California
Produced by Russ Freeman

ビューティーズ・オブ1918
クリエーター情報なし
EMIミュージックジャパン
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