大津市内にこんなところが!
第三部 (全3部の最終です)
=琵琶湖のあと二つの流れ出る川=
それは琵琶湖疎水と宇治発電所石山制水門です
滋賀県側(琵琶湖)の疎水取水(口)路 (2013年7月撮影)
この川の正面、向こう側が琵琶湖です。
琵琶湖疏水(びわこそすい)
琵琶湖の湖水を京都市へ流すために作られた水路(疏水)です。
京都にとって琵琶湖の水を引くことは昔からの夢でだったそうで、
第3代京都府知事となった北垣国道は明治維新による東京遷都
のため沈みきった京都に活力を呼び戻すため,琵琶湖疏水の建
設を取り上げました。疏水の水力で新しい工場を興し,舟で物資
の行き来を盛んにしようという一大構想だった、とは京都市HPか
らの部分引用です。
ここからトンネルを経て京都市に流れます (2013年7月撮影)
今回の資料調べで初めて知りましたが、この疎水は第一と第二
の二本の取水口(疎水)があるのですね。
アクセス
ここに掲載した写真の取水口は、京阪電車三井寺駅から歩いて
数分の所にあります。 三井寺と合わせての散策もいいですね!
京都側です
京都側に関しましては周知の名所ですので、写真とHPの紹介
のみとさせて頂きます。蹴上のインクラインなんかは往時の様
子をCGでもいいから見てみたいものです。
疎水合流点 (京都市のHPから拝借)
疎水概念図 (京都市のHPから拝借)
(共にクリックで拡大します)
詳細は:琵琶湖疎水のHP (京都市のHPから)
宇治発電所石山制水門
大正2年(1913)に運転を開始した宇治発電所(宇治市宇治山田)
への導水路。取水口は瀬田川洗堰の北360メートルの地点で、発
電所まで11キロの水路が通されている。琵琶湖と宇治の標高差を
利用したもので、水路の掘削工事は明治41年(1908)の着工。当
時はかなりの難工事であったという。 (大津歴史博物館の解説を引用)
宇治発電所石山制水門
( 国土交通省近畿地方整備局発行の琵琶湖・瀬田川探訪マップより拝借)
瀬田川から宇治発電所への導水路概念図
(天ヶ瀬ダムのパンフレットより拝借)
琵琶湖から流れ出る瀬田川から宇治発電所導水路(上の図の赤い線)
が築かれている。 これも琵琶湖(瀬田川からの取水ですが)から流れ出
る川であり人々の生活を守る、近江水の宝の一か所に上げられて
いる。
アクセス
瀬田川洗堰(旧南郷洗堰)からバス通りを石山寺の方向へ歩いて
約5分のところです。
発電の役目を終えて宇治川で再び合流する瀬田川からの水
(2012年9月、宇治川鵜飼から撮影)
お詫び: この第3部(最終章)取材時、足の古傷悪化(現在完治)のため
歩行が困難となり全てを探索出来ませんでした。このページの
記載は文献、ネット情報の引用と過去に訪問時の写真などでの
情報提供となりました。 また、琵琶湖疏水は今回のコースには
含まれていませんが(近江水の宝には入っています)、関連連
情報として取り上げました。
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ブロガーによる歴史探訪情報発信: 私からの発信を終えて
先ずは、今日もご訪問くださいましてありがとうございます。
これまでの情報が、滋賀にいっぺん行ってみるか、とか訪問く
ださいました時に、何かの参考になればこの上ない喜びです。
多くの皆様に訪問頂きました
本年6月に継体天皇を主とした歴史探訪(高島市)から始まり、
日野町、余呉町、沖島周辺(近江八幡市)、そして今回の旧南郷
洗堰、上桐生周辺(大津市)と、訪問と取材を通してこの私の個
人のブログで情報を発信してきました。 本当に多くの皆様に訪
問頂きました。大変嬉しく、感謝致しております。有りがたく厚く
お礼申しあげます。
最後に
滋賀県教育委員会文化財保護課の当企画の趣旨、「これだけ
多くの貴重な滋賀の文化遺産をもっと全国に知っていただこう」
で、ブロガーにも一役買っていただこう、のブロガーの一人として
認定して頂き厚くお礼申しあげます。
2013年(平成25年)、10月10日 ブログ管理者 Kenny