祐喜子のひとりごと

日々のつれづれを書いていこうと思っています。

映画の試写会に行ってきましたよ。

2022-08-28 16:52:32 | 日記
この頃 映画の試写会に2回も 当選して 行ってきました。
6月は 司馬遼太郎の「峠」。故郷、新潟の長岡藩、家老 河井継之助を題材とした歴史小説なので行けたらと思い
応募したら当選。配役も役所広司、松たか子、香川京子さんなど豪華俳優が出演しているので 当日は立ち見が
出る程の盛況でした。若い頃から河井継之助と戊辰戦争の話しは よく耳にし 本も読み 歴史好きなお父さんと
談判をした小千谷の慈眼寺を見学したことがあります。まだ20代の西軍、岩村精一郎と会談した有名な古刹です。
お父さんは司馬遼太郎の愛読者でしたから会津に向かう八十里越えの継之助の終焉の地も見学に行っています。
元気でしたら喜んで映画を楽しんだことでしょう。 お父さんと一緒に映画を見ていると思いながら鑑賞していました。
我が家から大きな映画館が近いので 私達はもちろん、孫たち、母もよく連れて行ったものです。母は宮崎駿のアニメが
大好きで、職員の方が難聴気味だった母の聴力に合わせた大きな補聴器をつけてくれて楽しんで見ていました。
帰りに好きなハンバーグランチやお寿司を食べて「面白かったね」と笑顔の母でした。

8月19日は錦織良成監督の「高津川」の試写会にも当選して行ってきました。
監督が「地味な映画です。でも清流日本一に何度も選ばれた美しい川と、そこで営われる市井の人々の生活に、
きっと心洗われ、何かを感じていただけると思います。」と話されていた。私としては 高津川がどこにあるのか
解らない位ですから期待もせずに行ったのですが とても、とても感動して お隣の方も「本当に良い映画でしたね」
と言っていました。 何より高津川は私の心の故郷「出雲」の地にあったのです。
石州瓦の赤い屋根の家並と山々に囲まれた地に清らかな高津川が流れ、鮎釣りの人々、有名な島根牛を飼育している人々、
神話の国、出雲ですから須佐之男命が八岐大蛇(ヤワタノオロチ)を退治した神話を題材にした石見神楽も映画の中の
大きなポイントになっていました。 そう言えば歌舞伎の創立者、出雲阿国もこの地の生まれです。何だか もう一度
ゆっくりと出雲を旅したい気持ちになりました。故郷、両親、周りの人々の大切さ、今一度振り返って、自分を見つめて
みたいと思ったことです。



 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの暑さの日々は?

2022-08-28 16:07:06 | 日記


暑い暑いと 毎日を過ごしていたのに 今日は爽やかな涼風が渡る 気持の良い一日でした。
週に、1、2回 お手伝いに行く 職場から見える蔵王の山々が くっきりと紫紺色に変わり
8月23日頃からは「処暑(しょしょ)」。暑さが和らぎ、朝 夕の涼しさに初秋の息遣いを感じます。

8月生まれの娘の誕生日祝いには 街中のお店のランチに行っていたのですが、コロナが心配なので
静かな日帰り温泉のホテルで ゆっくりランチをしましょうということになり秋保温泉にしましたが
正解で のんびりと楽しく過ごすことができました。 その時は まだまだ暑かったのに あっという間に
駆け足で秋が顔を出したのですね。
見上げる空も高く 雲も 真綿を伸ばしたような柔らかな雲に変わりました。秋がゆっくりと近づき
季節がめぐってきたのです。
いつも 忙しいから 後でと 色々な事に目をつぶって スルーしている私。
何だか 焦ってきました。
  


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

峠道に 今はねむの木が 美しい♡

2022-08-05 19:31:01 | 日記

八月、葉月に入り 夏の盛りです。日一日と緑が濃く深く 色を増していく季節です。
一週間に2回通る峠道には 今 優しい色合いのお花の ねむの木が 風に吹かれてゆらゆらと 揺れています。
枝葉を 伸ばし 薄紅(うすくれない)のお花を 守っているような気がするのは 上皇后さまの「ねむの木の子守唄」
が好きでよく歌っていたせいでしょうか。秋篠宮様が誕生した時に作詞をなさったと聞いています。


 ねんねの ねむの木 眠りの木  遠い昔の夜の調べ 
 ねんねの ねむの木 子守唄。
 薄くれないの花の咲く ねむの 木陰で ふと聞いた。
 ちいさな ささやき ねむの声。
 ねんね ねんねと 歌っていた。

 ふる里の夜の ねむの木は 今日も歌って いるでしょうか。
 あの日の 夜の ささやきを ねむの木 ねねの木 子守唄。


なんと優しい歌なのでしょう。
お父さんの病院は 昔、隔離を余儀なくされた結核の方が入院していた、いわゆるサナトリュウム
でした。 昔は人家も少なく 松林や雑木林の続く高原のようなところだったと聞きました。。
小高い丘に建てられていますから 遠くに海も見えるこの地で 健康になるようにと祈りの毎日を送られたこと
でしょう。 病院のそこかしこにマリヤさまが安置され 今でも窓から当時の名残の木々や花々が沢山残っています。
お父さんの病室の窓からは 大きなねむの木が、ゆさゆさと優しく風に揺れて夕方になると葉が眠るように
閉じるので 見とれていました。
ねむの木の花が咲くころは根元に沢山の白いヤマユリが咲き 当時は家族と面会も出来ず 窓からの木や花に
慰められ 元気になって ご家族に会える日を待っていたのでしょうね。
仙台はコロナ患者が沢山になり また 面会が出来なくなりました。
今日は週2回の お手伝いの帰りに 秋保不動尊に立ち寄り 面会がまた出来ますようにと手を合わせてきました。
願いを叶えて頂けるようにと私も、自分を見つめ、反省と 祈りの毎日です。
お父さんは歌が上手だから よく私の好きな「北の旅人」を歌ってもらいました。今、お散歩がまた出来たら
今度は私が歌ってあげようと練習してます。前のように「下手!」などと言わないでね。
ちょっと上手になったと思うの。こう!ご期待・・・ね。


 
  

コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする