祐喜子のひとりごと

日々のつれづれを書いていこうと思っています。

今年もバラが綺麗に咲いてくれました。

2018-06-13 23:30:39 | 日記


    



    


  昨年秋に お父さんの病が心配で 朝から夕方まで病院に行き、
お花の手入れも 中途半端で バラ苗を痛めてしまったのに、春には元気に
枝が伸び、葉も勢いが出て、こんな
に綺麗に咲いてくれました。
「ありがとう」「綺麗ですよ」と花に褒めたり、労いの言葉をかけている私です。
スマホに、取り入れたバラの写真を お父さんにも 見せています。
「バラが病気になって、枝も葉もダメかしらと思っていたのに、こんなに綺麗に咲いたのよ。
お父さんも きっと元気になると思うわ。頑張りましょう」と言ったら「はい!」と
笑ってくれました。ちょうど仲良しの看護師さんのMちゃんがいて二人で大喜びをしました
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まだ 波があります。

2018-06-13 21:00:50 | 日記
S病院に 帰り、ほっとしたのですが、六か月近く高熱が続いていた後遺症でしょうか、
少し心配な事があり、毎日病院に行っています。
ちょうど お隣のお部屋に一か月おきにS病院に入院するNちゃんのママが来ていたので
一緒にお話しをしたり、休憩室で昼食をいただいたりして、Nちゃんママや三年前、同じ頃に入院したTさんの奥さん
にも元気をいただいた。特にNちゃんママには寒い雪の日でもJR病院に何度もお見舞いに来て下さって
優しいお気持ちに感動していました。Nちゃんが病になってからもう十年近くとお聞きした。お見舞いの方も
少なくなり、淋しく思うことがあるのでと、私に寄り添って下さるのです。
お料理が上手なNちゃんママはいつも美味しい手作りの炊き込みご飯や、お惣菜を「お夕飯に食べてね」と持って来てくれる。
お父さんもNちゃんママが大好きで、「おとうさん!」と呼ぶとニコニコするので、第二夫人と呼んでからかっていました。
お父さんは泉のKちゃんの「お父さん!」の声も超ニコニコ。第二夫人が多くて困ります(笑)
Nちゃんパパも優しい方で、心配している私を見て「S病院に元気で帰れたのだから大丈夫だよ。すこしずつ元気になるから
心配しないように」と励まして下さった。
お二人には長い年月、どんなに沢山の葛藤がおありだった事でしょう。全てを昇華し、いつも ご夫婦明るく優しくて、頭が下がる思いです。
Nちゃんママは私より二歳も若いのにしっかりしていて、学びをいっぱい、いただく。「人と比べず、小さい幸せを見つけ感謝を
しながら行きましょう」がTちゃんママと私の合言葉。
今はご自宅に帰っているので、病院に行く前に、私もお稲荷さんを作ってNちゃんとご夫婦の顔を見に行ってきました。


    (新しいカメラで撮影月日の修正がまだ終わっていません。あしからず)


JR病院ではアクセスが良いので、子供達も仕事帰りに寄りやすく、ご近所さんやNちゃんママ、泉のSちゃんご夫妻、
私の職場での三十年来の友人など、何度も来て下さって勇気をいただいた。看護師さん達は若くて孫の様な気がして
大変な中でも ばぁばと孫トークで 若返ったような気持ちでした。お若くても、お父さんの処置には心がこもり、いつも
有難く思っていました。 でも、入院中に新潟の一番敬愛していた、奥様の御葬儀に参列できなかった事が悔まれます。
お嬢様から、私達をいつも御案じ下さって心配かけないようにと話されていたと聞き、奥様らしい優しさあふれるお言葉と
尚 切なく思いました。
やっと落ち着き、手を合わせに行きたいと思っていたのですが、お父さんの病状に不安があり、まだ行けないのが辛いのです。
でも、奥様なら、きっと解っていて下さると思い、甘えています。

「かの時に 言いそびれたる 大切の 言葉は 今も胸にのこれど」 啄木
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やっと 落ち着きました。

2018-06-11 19:26:49 | 日記
昨年11月からJR病院に転院し 大変な毎日でしたが、冬を越し 病院の近くの木々に羽毛のような
柔らかい新芽が 顔を出し、萌黄色に変わる四月に前の病院に戻ることが出来ました。
手術から、ずーと高熱が続き、また別の病が出て、なかなか退院が出来なかった。
JR病院の担当医のA先生が退院出来ると、急に教えていただき「T先生が喜びますよ」と笑顔で話して下さいました。
前の病院の担当医のT先生が A先生と連絡を密にして「悪い所を治して、又戻してください」と いつも話して下さっていた事を
知りました。
三ヶ月前に書類を書いていただくので前の病院に行き、T先生にお会いし、「又戻れると良いのですが・・」と
話したら「ベットを用意して、いつも待ってますよ!」と言っていただき、胸がいっぱいになり涙があふれた。
ソーシャルワーカーの先生、スタッフの皆さんも「待っていますよ」とお声をかけてくれた。本当に戻れるかしらと不安でしたが、
私達はなんと良い病院にご縁をいただいたでしょうか。



    

退院の日を 教えていただいたのが、前日だったので、びっくりし、スタッフの皆さんに 差し上げるお菓子を買える時間も無く
帰宅してから、夜なべ(笑)して、マドレーヌを40ヶ作った。さめてからパラフイン紙に入れ、リボンを結んで完成。もっと早く
退院の日を知らせて下さったらと思いながらも嬉しい夜なべ仕事でした。(バターもパラフイン紙も いつでも作れるように用意してあるので
ラッキーでした。)
朝早く病院に行ったのに、もう退院の支度は終わり、スタッフの方々、先生方が「良かったですね」とお声をかけて下さった。
JR病院では、外科の先生、麻酔科、消化器内科、内科の先生と、お父さんはいつも良い先生に恵まれて、本当に不思議です。
担当の消化器内科のA先生は、外来の時間なのに、お父さんを乗せた介護の車が見えなくなるまで手を振って下さっていた(涙)

前のS病院に着いたら、なんと、シスターさんが玄関の前で出迎えていて、私を抱きしめて「お帰りなさい。大変でしたね」と
お声をかけて下さった。お父さんの顔も何度も優しくなでて「お父さん、お帰りなさい」と言ってくれた。
病室に入ると先生にもスタッフの皆さんにも「お帰りなさい」と迎えていただき、お父さんは聞きなれた声や笑顔を見て安心したのか
まだ微熱があったのに、熱も下がり、きっと故郷に帰ったような、安心感を覚えたのでは、ないでしょうか。
この日の話しをすると、子供達も感動していました。私も 思い出しては今も胸がいっぱいになるのです。





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