祐喜子のひとりごと

日々のつれづれを書いていこうと思っています。

ノート君と お別れ(涙)しました。

2024-04-02 21:26:44 | 日記


私が車の免許を取ったのは なんと!58歳。
母と同居をすることになり 友もいない仙台で、どんなにか心細いだろう、運転が出来たら行動範囲も広がり
♨好きで 美味しいものが好きな母が 少しでも笑顔の多い日々を送ってもらえるのではと免許を取らせて欲しいと
お父さんにお願いして自動車教習所に通わせてもらいました。受付の方が優しくて親切で何より若い方の合宿免許が
中心ではないアットホームな所をと思い 自分の足で探したら ありました! 
ちょうど お父さんが、第二の職場で山形市に住んでいましたから 蔵王の近くで 社宅の前までお迎えにも来てくださる
という小規模の教習所でした。仙台の友にも、山形の従妹にも マンションの管理人さんにも内緒でしたから毎日、
朝出かけて昼過ぎに帰宅する私をいぶかっていたかも知 れません。
学校も 思っていたように先生も、事務の方も高齢の私を心配して親切に教えて下さってアドバイスも沢山して頂き
心強く 思っていました。
一番心配していたのはお父さんだったでしょうね。法令の勉強にも よく付き合ってくれました。
25日で合格したら28万円で済むのに 最後の路上で一時停車の標識の確認ミスで2日延期して35万円になったのが
残念でした。 仙台で本試験を受け、見事といいたいのですが一回落ちて、翌日もう一度頑張り、合格しました!
一番初めに寒河江の従妹の所に運転して行ったら目を丸くして驚いていたのも懐かしい思い出です。(笑)
あれから 車もセダンからノート君に代わつたのは母とお父さんが病になり 介護用に改造して頂き、小回りもきいて
乗りやすく、私でも安心して運転していました。 私は、高速道路の運転が好きというと驚かれるのですが 脇から車も来ない、
法令速度を守れば 速い車はちゃんと追い越してくれますから安心して運転できるのです。
病が進んだお父さんを乗せて 変顔して歌うと声がよく出るのよと二人で変顔で歌っていると対向車の人がびっくりして
いたっけ。二人で一番最後のお泊りは大好きな会津の旅。蘆ノ牧温泉に行きました。車椅子でしたが ゆっくりと♨にも
入れて美味しいお料理を頂き「祐喜子は運転がうまくなったね」とほめてもらいました。
そんな私も79歳になり、子供達が心配して運転を止めるようにと勧められ、この四月から廃車にする事になったのです。
3月31日には洗車場で 「ノート君、今まで ご苦労様でした。本当に有難う。」と声掛けし、ピカピカに洗車しました(涙)
前の車は 母と孫たち お父さんと いつも楽しいカーライフでしたが、ノート君には一番助けてもらいました。
母の介護とお父さんの介護と重なり 心が風邪をひきそうになった時には 美しい景色を見にいったり、お花屋さんを
のぞいたり、友とお会いしたり、ちょっとお洒落なカフェに立ち寄ってほっとして、これからも笑顔でで頑張ろうと
勇気をもらったものです。今日は友のTちゃんが私を心配して来てくれました。ご近所さんも私よりお若いので「乗せてあげるよ」
と声をかけてくれました。有難く、でも心配をかけないように足腰を鍛え、元気で頑張りますね♡
21年間 運転できて沢山の思い出を頂き 幸せでした。 感謝ばかりです。
母のためにと運転を習い、お父さんや子供達が喜んでくれたらと料理を学び、お父さんに頼まれて いやいやながら
パソコンも学び 人のためにと頑張ったことが 今の私の幸せに繋がっています。
私の周りには しっかりして頑張り屋さんが多く 落ち込んでしまいますが、許して頂きながら、ゆっくりと
歩いて行こうと 思っています。 お父さんが私にかけてくれた言葉を思い出しながら、 導いてもらいながら・・・。

 





 

 




  
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