武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
人生は 欲して成らず 成りて欲せず(ゲーテ)

<没にした参考記事>  土地は誰のものか?

2024年05月04日 02時08分01秒 | 経済、生活一般、衣食住など

<現在はこの記事とは違って、土地の“私有論者”になっています。しかし、参考までに以下の記事を復刻します。>

土地とは何か。土地はもともと誰のものでもない。私有地などは本来なかったのだ。
 人類の初期の歴史はよく分からないが、集落や原始共同体が出来たとすれば、土地は初めみんな(皆)のものであったはずだ。人がある一定の地域に長く住むようになって、徐々に私有地が誕生したかもしれない。これは居住地域によって様々な違いがあるだろうから、一概にこうだとは言えない。 いずれにしろ国家が成立すると、土地は国有地か私有地かをめぐって、いろいろな動きが起きたはずである。
 よく知られているが、日本では7世紀中頃に「公地公民制」が樹立されたといわれる。つまり、全ての土地と人民は国家(朝廷・天皇)が領有するというものだ。これが律令制の根幹となったのだが、8世紀の奈良時代に入ると、土地を開墾した者への私有が認められるようになった。(三世一身法などと呼ばれる)
 これなどは私有地を認めるから、食糧増産のため大いに開墾しなさいという趣旨だろうが、古代日本でも土地の国有と私有をめぐっていろいろな動きが起きたのである。
 
さて、日本史の話を延々とするつもりはない。ここで提起したいのは、土地とは何か、土地をどう考えるかといった極めて根本的な問題である。いわば“土地の哲学”みたいなもので、それぞれの人が土地をどう考えるかということだ。
 分かりやすくするために、まず私の考えを述べて問題提起としたい。私は、土地とは基本的に国有地・公有地だと思っている。もちろん反対意見があるだろうが、私有地というのは“便宜的”なもので、あくまでも国有地・公有地から派生したものだと考える。
 なぜそう考えるかというと、土地はもともと誰のものでもなく、人類の前に広がっていたからだ。原点はそこにある。やがて人類は集落とか共同体などをつくり、それが地域や国家へと発展していったのだ。
 人類の住み方がどう変わろうとも、また人種や民族、地域住民や国民が誕生しようとも、決して変わらない“不変”のものこそ「土地」なのである。そう考えると、土地というのは神から人類に与えられた贈り物であり、極めて神聖なものだと言わざるを得ない。いま人類に与えられたと言ったが、実は人類を含む全ての“生き物”に与えられたと言うのが正確だろう。
 
こういう考えを「土地信仰」とでも言うのだろうか。「土地絶対論」とでも言うのだろうか。とにかく、そういう考えだから、人類にいま国家がある以上、土地というのは基本的に国家のもの、公的なものと認識するのだ。決して私有物ではない。
 仮定の話だが、いつの日か「世界政府」みたいなものが出来たとしたら、土地は国家のものではなく、世界政府のものだという考えに発展していくだろう。ただし、これはまだ夢のような話だが。
 さて、私の土地への信仰は揺るぎないものだから、私有地などは本来認められない。何を言ってるんだ! お前だって宅地などを持っているだろうと非難されそうだが、これは私有地であっても、基本は国から“借りている”という考えなのだ。固定資産税(今は地方税)などを払っているが、国に「借地料」を払っていると考えれば良い。
 
そう言うと、お前は国家主義者か、社会主義者か、全体主義者かと言われそうだが、何と言われようともそれが私の認識なのである。固定資産税か借地料かといったことはともかく、国家の土地なのだから私が負担料を払って当然である。
 最後は「土地税制」の話に少し移ってしまったが、それは後日じっくりと意見を述べるとしよう。本日は「土地は国家の基本だ」ということを、そういう理念を徹底的に知って欲しいと思う。そこから全ての考え、政策、法律などが生まれてくるだろう。 以上、土地絶対論者である私からの問題提起である。(2010年 8月10日)


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