goo blog サービス終了のお知らせ 

孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

「完全真理」であっても、それを読み取り感じ取ることが出来るか否かはその人の意識にあります。

2011年01月20日 | Weblog
良い悪いを持たない完全真理をこの世に始めて出したのが山田耕栄さんですが、それも宇宙の進化の流れの中の必然からであって、その宇宙のメッセージを感じ取ったのが耕栄さんであり、その耕栄さんの感じ取った真理の言葉を読み取り感じ取る人達が仲間内の人達ですから、それを特別に思うことになれば不完全意識・闇意識になりますが、そのことを想念の世界で学ぶ人には「選民意識」とも言われています。

また良い悪いを持たないことから、次に執着しなければいいとなったのも、また質素がいわれだしたのも、その進化・変化していく宇宙の流れ・メッセージを耕栄さんが感じ取って皆に伝えていることにないます。
だから良い悪いを持たない意識の時代(意識の世界)がこの先に訪れる事を示していることであり、その前に執着しない意識の人になることであり、また最近の質素が言われだしたことは、その質素な意識で生きる時が必然で来る事を示していると(一連の流れから)私は思っています。

それでも執着しなければいいとか、質素であればいいという端的なことだけではなくて、その前提に必ず良い悪いで判断しない完全意識になるための実践をしている中でのことになります。
だから完全真理の理解なくして事が進むはずは絶対にありませんから、途中で脱落する人もいると思います。

そこで私見になりますが、この世は深い闇意識・集合意識に覆われて末期的症状を示していることから言えば・・・「一人こければ皆こける」将棋倒し「連鎖」が起こることがこの世にあります。
例えば過去の歴史や史実にあるように、皆の集合意識に連なって一緒に踊らされ(ヒトラーや毛沢東などの指導者・リーダーの思いのままに動かされ)、その時代や国家や社会・地域を揺るがし激動・混乱することがあったように・・・カリスマ的指導者が現れて世界を揺るがすことにもなるかもしれません。
また何かのきっかけから経済崩壊することもあるし、巨大都市や帝国の崩壊や最終的には核戦争が起こることも予言されています。

その予言が当たらなくても今の状況からして、この先に「質素」に生きることが、自然災害などで否応なしに起こり、余儀なくされる事態になる、その確率が高いのは間違い無いようです、特に闇意識が多く集まっている都会ほどその確率も高くなります。
それが天変地異やの自然災害であったり、またゲリラやテロなどの人為による災害混乱もありそうだし、人的事故や被害も多く起こっているし、それらを避けられたり事無く上手くすり抜けることが出来ても、自分自身の意識が原因で起こることだけは避けようがありませんし(何度も書いているので事例は省略します)、また誰もが平等に起こる事にあるのが、時間の経過から年老いていくことや死に至ることは絶対に避けられませんから、最終結果的には誰もが「質素」になります。
ところが自らの意識で質素を選択したのと、質素になってしまったのとでは大違いです。
・・・その事例も以前に書いているので省略しますが・・・

先程の選民意識のように「選ばれし者」がいれば、それらを「選んだ者」もいます。 その選ばれた人も選んだ人も同じ人間には変わりありません。 それを特別にするから選民意識だの特別差別意識の不完全意識・闇意識となり、それら集合意識が「闇」となって世界を覆っていると言われるのです。

特に「選ばれし者」の中に特別差別意識があればとうぜん「選んだ者」の中にも特別差別意識が定着してきます。 それが現在です。
ところが「選ばれし者」が特別意識になっていても、その教え真理に矛盾・特別が無ければ問題を起すことにはなりません。
また「選ばれし者」に特別意識が無くても、選んだ者に特別意識があればその人だけに特別意識が定着するだけで、他の人にまで特別意識が及ぶことはまずありません。

そこで「完全真理」であれば、「選ばれし者」も「選んだ者」も、その矛盾の無い完全真理が原因で問題・混乱を起すことにはなりません。
だから完全真理は完全真理のままに定着していきます。
だから完全真理を選んだ人はその真理が説く「完全意識」に到達することが出来ます。
ところが今は不完全意識だけに、完全真理の教えを実際に「実践し続けて」いかなければ完全意識には到達できません。

そこで先程に戻りますが・・・良い悪いを持たない実践をしてきました、しかし無理が有って今度は執着しなければいいということで実践してきました、しかしそれも無理なことから今は質素にしていればいいことになりました、だから今は質素に生きる実践を心がけていればそれでいいということです。

すなわち一連の流れの中で真理の一つでも実践し続けていればそれでいいということです。
それが実践真理で有り、その実践意識を各々に問われているのです。
それも教えられ言われた事を「信じる」ことでは無くて、真理を理解し確信し悟ったことを「自信」でもって実践しているその実践意識が重要なわけです。

それでも未だ未熟なために「信じる」ことから始まっていても、それを「実践」している内に自覚確信・悟りになれば、それは意識して「実践していた結果」であって、ただ信じていたから得た結果ではありません。
だから実践が重要なわけです。
だから実践さえしていれば何とかなるでしょうと言わんばかりに実践意識を緩和したり、脱落者が出ないように助け舟・ファバラを出したりして、完全真理の実践を促しているのです。

すなわちこの世の不完全な形や宗教真理に留まらずにいたことから、その意識がゆえに必然のご縁から完全真理にたどり着いたわけですから、その完全真理を「選んだ者」の個人意識・闇意識に「灯台」のごとくに一筋の光に照らしだされて、その闇に覆われた不完全なこの世・不完全意識から、「自らの自力」で抜け出し浮かび上がり救われることになるから、講演会などで完全真理の「実践」を口すっぱくなるほど言い聞かせてくれているのです。

だからこのブログに来られたことは必然のご縁お仕組みと思って「完全真理」を学び知りそして実践する事にでもなれば、それが完全真理を「選んだ者」であり、その選択が間違いではなかった事を「確かな実践」でもって深く味わい知ることにもなるのです。

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。