孤独の自由と欲張らない実践=頑張らない~楽になるブログ

個人意識丸出しながらも、欲張らない、見栄張らない、頑張らない、無理をしないで楽に生きる実践

私は正しいと善人ずらして悪と闘えば…すでに善人ではなくなり同じ極悪非道の悪魔が如き所業にもなるのです。

2016年10月17日 | Weblog
精神世界の学識知識を持っている人ならば…この世が闇意識に覆われている…ことを知っているものと思われます。

しかし奥深くまで追求したことがあるでしょうか?

例えば十戒のモーセが海割れ現象で追手の兵士を溺れさせたことが正義のように思われていますが…しかし言われるままに従った兵士には罪がありませんから、その罪のない人を殺したことになるのに…何でそれが神が如くに祀られていることに矛盾があると思いませんか。

しかもあれはダメこれはダメと書いている十戒が世界初の憲法が如くに言われていますが…神が如くに言われる者ならば…自由平等平和の世界にすることが本来なのに…人を平気で殺しながら偉そうにしたり、また自由平等をはく奪することになる束縛制限支配したり否定反発することを主導するのは変ではありませんか。


また日本初の憲法を掲示した聖徳太子が自分の勢力を拡大しようとして他の部族を侵略して滅ぼすことが正しいとしていることに疑問を持ちませんか。

また天下泰平が長く続いた徳川幕府を倒して文明開化の明治維新となりましたが、それが他国を侵略する軍事力にもなり世界大戦になったことに違和感がありませんか。

またアメリカがフセインを悪人に仕立て上げて侵略し破壊し人民や兵士の大勢が死傷したのにそれが正しいことだったのでしょうか。

まだまだ書き足りませんが・・・
とにかく私は正しいの正義で動いて戦うことが本当に世のため人のためになるのでしょうか…
またその敵対する者を悪人仕立てにすることに疑問がありませんか。

然るに私の見解からして・・・私は正しいと善人ずらして悪と闘えば…すでに善人ではなくなり同じ極悪非道の悪魔が如き所業に変わるのです。

とにかく己を守るために闘えばそれが大ごとになるのは間違いありません。

だから戦わずにして逃げるほうが大ごとにはならないのです。

然るに逃げるが勝ちなのです。

なのに逃げずに立ち向かうから尚更に互いが強力な力を使うことになりそれが悲惨な結果になっているのです。

しかも逃げずに戦ったことで己の命さえも失う結果になったり、それどころか極悪非道の片棒を担いだことにもなるのです。

そしてその結果が(先に書いたように)良いことばかりではなくて悪いことにもなっている矛盾があるのです。

然るに…人殺し戦争でなくても…私が正しい…からして敵方・敵対心を作ることになるから…その守り闘う意識が<闇意識>となるのです。



何で…この世に精神世界があるのか…その真実事実を知ってこその=精神世界=です。

2016年10月17日 | Weblog
食って寝て糞をしながらにして<生きている>その生きていることを味わえてるのが<幸せ>なのです。

然るに衣食住に恵まれて生きていることが地上の天国になるのです。

またその内容の質と量=形=には関係ないことです。

だから…貧困であれ、貧乏であれ、金持ちであれ、資産家であれ、また名誉名声肩書・権威権力などの形や物質金銭の質と量に関係のないところの…己の中の<意識>にある事なのです。

だから…曲がりなりにも…この世に精神世界なる形があるのです。

ところが…その精神世界が…不完全意識・矛盾偽善を持った人間が思い考えて形作ったものだけに同じ不完全で矛盾偽善があるから…信じるか否かの不確かな形にもなっているのです。

だからその精神世界でもって導き答えが出るようでも…しかし出ないという…矛盾偽善があるのです。

然るに私が過去に出会った…矛盾のない愛・守り闘わない愛・成り行きに任せてほっとく愛…を教えてくれた霊能者とご縁があった時は「此れしか無いと」確信していた時期がありますが・・・しかしその霊能者にも矛盾偽善がある事に気付き…その歯車が噛み合わなくなったことで離れていくことになりました。

そんなことがあった矢先に娘が縁からして山田耕栄さんの完全真理にご縁があり・・・その説いている内容が<完全>なだけに・・・この世に「此れしか無い」と有頂天になっていた時期もありますが・・・
その耕栄さんの人間性からしては以前の霊能者にも劣るから…何やら人集め金集めの匂いが漂っていましたが…しかし完全真理の講和には見事さがあっただけに…その講話を聴きたいためにご縁が続いていましたが…しかし耕栄さんには違和感があって馴染めませんでした。

ところが完全真理で説くところの…良い悪いで判断しない…その実践には無理があると気付いた耕栄さんが…素朴に生きる自己縮小の実践を説き始めたのですが…
それ以前から私が過疎地暮らしをしていたことからして…水を得た魚の如くになりましたが…しかし肝心の耕栄さんは自己縮小どころかファバラシールを熱心に説いて売り始め、しかもそれが脱税で逮捕されることにもなったのです。

然るに教わった完全真理と自己縮小の実践だけにして…耕栄さんから離れることになりました。

そして結果的には「自己縮小しかない」=此れしか無い=となって現在に至っています。

然るに巷の神仏霊魂・信仰宗教・超能力絡みのスピ系などには…何かと差があったり形式しきたりや制限制約や押し付けお仕着せや無理難題が伴いますが・・・
しかし自己縮小の実践だけは東西南北・老若男女の誰も皆が<公平>にして実践できる、その実践真理だからです。

しかも己独りで実践できることであり(集まる必要がない)しかも無駄な出費や時間の浪費にもならずに実践できるのが特徴です。

とにかく…精神世界を志すからには公平でなければ…差があり矛盾偽善になるのだから…
然るにその公平さが真実事実か否かをしっかり見定め見極めるために最も肝心なことなのです。

なのに金を使い時間を使い人が集まるところまで出向きたがることは…己の欲張りであり見栄のためにやっているのです。

それが何で精神世界なのよと…言いたくもなるのが私なのです。

だから何度も何度も同じ似たようなことを繰り返し書くのですが…どうやら性根に入っていないというよりも…先行きのことはどうでもいいから…暇つぶしや趣味嗜好娯楽の類やマニア・オタクで自己満足しているだけです。

然るに…それで宜しゅう御座いますか…と何度も問いかけているのがこのブログでもあります。

だから…もういい加減にして…夢世界や想像世界から…目覚めたら…と書いているのです。

そして…特別なことをしなくても・何もしなくてもいいから…生きていくために生きて…その今を生きていることの事実だけを味わえばいいのです。