完登する心

山は信義を持って登るべし。信はまこと。義は筋道である。目標とする山がまことの目指す山である。そして義はその山の筋道を脳に刻むことである。どの道を行くか、どんな道なのか事前に調べて、実行に移すこと。これがないと登頂はできない。私の哲学である。登ろうとする意志をしっかり持ち、山頂に立つ姿をイメージして挫折しないこと。自らが登山者としての気魄を持ち続ける。邪念があれば捨てよ。あれば登山は諦めよ。但し、安全第一。危険を察知し対応できる智慧を備えるべし。

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岳飛と秦檜

南宋で活躍した英雄。時代小説(水滸伝)にも出てくる。彼は金(女真族)から失地(領土)回復しようと南宋軍を率いて今一歩で、引き返した。そうさせたのは南宋の宰相(トップ)である秦檜である。彼は講和派でああるがほとんど金のスパイなのである。自国が勝っては困るのである。皇帝を操るには金とバランスをとり、自分の立場を守ることが最優先なのである。岳飛は賊上がり将軍と違い、教養もあり、戦術に優れた将軍なのである。彼の活躍が目障りである。彼を陥れるために色々と罪を被せる。とうとう死に追いやる。秦檜とは卑劣極まる人物なのだ。東西問わず権力を一つに集中すると醜い政治が行われる。それは今でも同じである。一党独裁のもとで行われる政治はブレーキの利かない殺人鬼である。さてこの南宋であるが、唐が乱れ5代十国の乱れた中国になった。その時代背景にうまく合わせるかのように現れたのが軍人趙匡胤(ちょいんきょう)である。後周柴氏から禅譲されて宋の太祖となる。話が脱線するが中国の毛沢東が選んだ英雄でもある。「惜しむらくは秦皇と漢武 略(すこ)しく文采に輸(おと)り 唐宋宋祖 稍や風騒に遜(ゆず)る 一代の天驕なる成吉思汗(じんぎすかん)は 只だ弓を彎いて大鵰を射るを識のみ」という「沁園春」にある。彼の遠征中の作で国を創ると豪語したのである。中国の代表的な英傑5人が出ている。唐宋は実質唐を創った李世民である。次の宋祖が趙匡胤である。後周の将軍であったが皇帝が亡くなり、後周を継ぐ者が幼子であり、周りから推されて帝位を継いだ。彼が偉いのは石刻遺訓である。「宗に国を譲った後周王室柴氏を、子々孫々にわたって面倒をみること。士大夫を言論を理由として殺してはならぬこと。」この遺訓が歴代宗家に引き継がれたのである。かつての新皇帝は前の皇帝一族を皆殺しにする。またうるさい家来はすぐ殺すのである。今までにない君主である。時が経つと文化経済が盛んになるが、君主は国防に力を入れない。贅沢三昧な生活になり、遊牧民(契丹族/遼)に領土を奪われ、更に女真族に首都である開封も奪われ、皇帝新旧2名も虜になる。宋が半分になり、首都を南京に移し、南宋として生き延びる。そんな南宋をうまく操るのが金である。かつ捕虜になっていた家臣、秦檜が南宋に送り込まれた。南宋の新皇帝をうまく操り、金に歯向かう主戦派は追いやる。その一番いい例が岳飛である。南宋の救世主になるべき人物を殺してしまったのである。その後、孝宗が名誉を回復し、岳飛処刑を決定した秦檜をおとしめた。二人とも故人であるが、岳飛のために̪祠廟がつくられた。卾王と追贈された。トップに立つ者は周りの人に感謝の気持ちを忘れずに、人の意見をよくきくことであると思う。~そして有言実行。

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