聖人の弟子

世界史に出てくる三大聖人はキリスト、仏陀、孔子だと思う。今回、気になった人は孔子の弟子である顔回子淵。中国の紀元前500年頃の人である。彼を知る手掛かりは小説しかない。史記、論語に彼の名前が出てくるが、そこから推察する顔回は孔子に愛される秀才の一番弟子である。清貧の中で富と欲に無縁の人らしい。彼の生い立ちに影響したであろう、顔儒の出である事。当時の礼拝に欠かせない職業で櫓国になくてはならない存在であった。孔子も顔儒の娘、徴在の子でもある。徴在も顔氏の村を抜けて、隣村の老いた武士と一緒になり、孔子を授かったのである。苦労して子を育て、若くして亡くなる。孔子は祖父から顔儒の教育を受ける。彼には世間でもまれ、顔儒の教えに疑問を持ったに違いない。当時の治世について、新たな学問を導くために自問自答しながら、実践をともなうこともした。それに感銘を受けて、顔回も弟子入りしたと思われる。顔儒の村を離れ、魯の町へ移り住む。魯に取巻く、異変を感じ取る能力を持ち、魯の災難を孔子と共に立ち向かったのだろうと思われる。子路(孔子に信頼されている弟子)の派手差もなく、普段の態度に接する、目に見えない力がある。一見、気弱な人間に見える痩せた人なのだ。巫祝らに立ち向かえる唯一の孔子以上ともいえる鬼神の力もつ男なのである。そんな彼も孔子の跡継ぎも目されていながら、40才という若さで亡くなってしまった。弟子の仲間から「一を聞き、十を知る」と評されている。秀才なのである。惜しまれる人材であった。孔子はあふれる涙を抑えきれなかったとか。....この人に会えたらどんなにうれしいことか、あの世でお会いできるのかとも。礼に生きる人を少しでも学ばえるかなと思うが凡人には無理か!

 

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