琉球國を知る

沖縄は昔、王国があった。現代風に言えば琉球王国という。正式には琉球國という。この国がなぜ日本に組み込まれたのか気になった。歴史を遡れば、旧石器時代(1万8千年前)の日本最初の古い遺跡tがある。日本人のルーツを調べるにも何かの手がかりになる。さて歴史で証明される琉球には随書に、煬帝が琉球國に遣使するが、言語が通せず1名を拉致した。翌年(推古天皇/608年)再び、遣使し慰撫するも従わず甲冑(一部)を奪う。更に出兵し、男女千名を捕虜にする。小野妹子も遣隋使で中国に居たので、この地域の事情を聴かれたか。果たして、今の沖縄なのか、台湾なのか、奄美大島辺りのかは定かではない、また鑑真和尚も沖縄の島に流れ着いている。この島の人たちにもヤマトを通じて、仏教が伝わったらしい。琉球の歴史書に中山世鑑(ちゅうざんせいかん)というものがある。阿摩美久という神が天帝の指示で南九州からやってきて建国した。系統が25代つづいたという神話である。その後、源頼朝の叔父にあたる為朝が保元の乱で伊豆大島に流される。島から抜け出し、沖縄の北部に漂着する。大里安司の娘と結ばれ、生まれた子が琉球王家の始祖、舜天王となる。この話、どこまで信憑性があるのか?。その後、王統が変わり、察度王(1350~1395年)が中山国を建国。中国の明帝国の勧めで朝貢し冊封される。明から厚遇され、福建省350家族が下賜された。船舶も明持ちである。ここから明との交流交易が盛んとなる。他(沖縄)に南山国、北山国も加わる。佐敷按司の尚巴志(伊平屋島出身/ルーツは熊本県八代)が中山王を滅ぼし、北山王となり、南山王国も滅ぼし、統一する。(第一尚氏王統)。1462年に尚円王(金丸/伊是名島出身)が第二尚氏王統となる。その後、1609年(関ケ原の戦い後)に島津藩に占拠される。この時代、明は滅びる寸前で島津藩に支配されつつも明とのつながりは続けていた。その中で貿易は日本、東南アジア各地の中継貿易をして莫大な利益を上げる。倭寇とビジネスパートナーとして南蛮船が到来。ここで気になることがある。中国の窓口が福建省ルートなのである。浙江、江蘇省から東シナ海は海が荒れて危険だと分かる。もっとも安全なルートが福建省ルートだということである。明も滅び、清に変わるが琉球國としては朝貢を続ける。西欧列強も押し寄せてきていた。植民地にされず、うまく琉球国として生き残る。清も退廃し、アヘン戦争があり、西欧国に攻められ、滅びる運命である。琉球国としても柱を失う。また日清戦争後、琉球王国は明治12年、日本に完全併合される。琉球王国も終焉をむかえたのである。簡単にまとめてしまったが、小国として独立することの難しさを覗えた。今の日本も大国(米国、中国)に挟まれ、政治経済に委ねている現状を知恵を絞ってどう生き残るか。「平和国家として独自のアイデアで世界に、挑まなければ」難問ですね。                 

 

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