王莽と武則天

この二人、どこか似ている。王朝簒奪者として、悪者扱いされている。王朝血縁者でない二人が血のにじむ努力と天性な支配力で腐れかかった王朝に活を入れた事には間違いがない。王莽(漢書では莽の字は草冠に大ではなく、犬である)は漢王朝(劉邦が祖)の10代元帝(劉奭/りゅうせき)の時代に登場する。(元帝の妃)元后の甥にあたる。彼は早く父親(他の兄弟は出世する)を亡くし、貧乏生活を送る。皇族の一員であるが恵まれなかったのである。だが都を離れ儒学を学び、他の叔父たちは恵まれた生活で才能に欠けているだけに優秀さが際立ってくるのである。朝廷に入り、実力を発揮してくると、中のからくりも手に取るように分かる。これからが彼の発揮する所である。11代、12代、13代の劉一族を操り、幼帝の摂政となる。彼の政治手腕も優れていて、改革も進める。国民を惑わし、自らが皇帝になる。(前漢の終焉)新帝国である。(紀元前・後)そこまでは順調であるが多く出された改革が裏目に出る。貨幣制度を変えるが混乱を引き起こし、官僚は不正を働く。蝗の被害による食糧不足で民衆も困窮する。反乱分子が増え、地方の劉一族も決起することになる。優秀な人間(人格的に劣化してくる)ほで、独走させると人の意見など聞かず、滅亡の道へと進むのである。最初の儒教精神も消え、道教的な神頼みな要素も増える。理性はなくなったのである。誰も信ずることも出来ない孤独な人である。実の子供であろうが殺す。自分に不都合なものは抹殺するのである。独裁者の末路である。(今でも独裁政治がまかり通っている国がある)彼を守るものはなく、朝廷内で殺される。そして後漢が始まる。優秀な劉一族が復活した。それに比較して武照(武則天/女帝)は生涯を全うした。利口な女性である。唐(李姓)を周武帝国(国教は仏教)に変えたものの、自分の血縁者で唐は復活するのである。同じ王朝簒奪者でも領民から愛される簒奪者の方が良かったのかな!彼女は民に強いることはしなかった。但し、朝廷、宮廷内の戦いは凄まじいものであった。頂点に立つものは部下に対して公平感を持ち、意見具申を聴ける度量をもつことだ。即決できる能力も必要で正しいと思ったら実行すべきである。国として国民に将来の希望を与えてくれる政治家、きれいごとでは政治はできないかもしれないがはっきりと設計図を持ってほしいと今の政治家に望みたい。

 

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