鞦韆

女帝・武則天が14才のときに(唐の高宗に)入宮した。美少女で利発な子であった。高宗に寵愛を受けるが、高宗にとって不吉な女として、遠ざけられる。不運のどん底にいたとき、庭の様子を伺った。

春宵一刻値千金 花有清香月有陰

歌管楼台声寂々 鞦韆院落夜沈沈

という蘇軾の漢詩を思い浮かばされる。この中に鞦韆(しゅうせん)という言葉が出てくる。今で言うブランコである。唐の昔から北方の山戎の間で、身の動きを敏捷にする訓練をかねて始まった遊戯であったらしい。我々が子供の頃お世話になった遊戯が昔からあったとは。原百代の武則天を読みつつ、高校の科目のひとつ「漢語」にこの詩を思い起こした。話は戻り、彼女は今の境遇から立ち直ろうと必死にもがく場面でもある。その後、幾多の困難を乗り越えて、女帝の道に邁進するのであった。     

 

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