自然と生きる

気ままに健康で楽しく生きる。そして、天寿120歳を目指す。

喜怒哀楽

2024-02-12 21:40:58 | 日記

 穏やかに暮らし始めると、今まで興

味のあった物事が、雑音に変わる。

登録したユーチューブ動画も多くを見

なくなり、最近は、自宅にいて簡単に

自作可能な料理などを見ているが、食

べられるとは豊かな証だ。

そういう意味では、日本は、まだまだ

豊そのもの。そして、食に関する視聴

者は非常に多い。

 

豊が過ぎれば、当然ながら病気に悩ま

されるが、同時に断食も流行る道理で、

病と同時進行でユルユルとやるのが日

本人流で、人と距離を置く言い訳に病

も一役買うという具合だから、人様を

どうのこうのと言っても仕方が無い。

 

まあ、そういう感じで暮らしているが、

引き籠りと言えばそうかもしれない。

精神世界の言う「ヤバい」この2~3

年くらいは、自分を中心に世の中を静

観するのも良い期間だ。

果報は寝て待てと言うじゃないか。

 

ところで、一昔前の日本の農村という

と意外にも植生は豊かで、池や川では

魚は入れ食い状態であったし、マツタ

ケなんて不味くて誰も食わなかったと

聞いている。

最近は見なくなった野苺や木苺やグミ

などの果実。

子供の頃、春には土筆を食べたもんだ

が、最近の人は野草をゴミの様に思っ

ていて、ホームセンターには除草剤が

山積みになっている。

 

懐かしいのは、昔のことだけ。

人が増えて、ロクなこと無し。

 

田園風景だったものが、今では住宅密

集地となり、用水路から蛍が消え、し

ばらくして魚も蟹もエビも全ていなく

なった。

それでも、キツネが少し生き残ってい

るようで、一昨年稲刈り時に見たが、

カエルや野ネズミを探していたのだろ

う。神社の森に棲んでいるのだろうが、

鎮守の森が無ければ、多くの生き物は、

寝る場も無い。

 

さて、廃墟が目立つ郊外や地方の農村

山村でも人口は減り始める。

当然、管理者が不在になれば草木で荒

れ始めることになる。

家屋敷だけではない、共有の管理地や

敷地外や田畑の多くが、人が不在にな

れば草木深しとなり自然に帰るが、不

自然なものに違いない。

田舎には、都会の人には分からない、

自治があるが、国が治めるのではない

自分達でやると言うことだが、それを

嫌って若者は街に出るが、無機質な街

の何が良いのか。

 

喜怒哀楽というが、喜びから始まって、

怒りに変わり、哀しみを乗り越えれば、

後は楽な人生になると。

 

昔の人は、偉いよ、まったく。

 

菜園の冬大根がもうじきトウが立って

食えなくなるので、今せっせと食って

いる。青首大根の青の部分は、甘くて

瑞々しいので、スライスにして、お八

つ代わりに生で食べる。

 

 

大根は、菜の花も食べられるので、新

芽を摘んで、軽く湯がいて酢味噌で食

べるが、春の楽しみ。待ち遠しい。

 

ではでは。

 

 

 


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