と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

「動かない」と人は病む

2015年03月25日 09時27分30秒 | やさしい本の話

私の場合は「安静」にしている必要は無い

 

 

下記の本がAmazonから来た。

 

「『動かない』と人は病む――生活不活発病とは何か 」(講談社現代新書) 新書 – 2013/5/17 大川 弥生 (著)

Amazonの解説には以下のとおり書かれている。

>「動かない」から「動けない」。高齢化時代の新しい常識! 誰の身にも起こりうる病気を徹底解明「体がだるくてボーっとする」「なかなか病気が治らない」のは年のせい? 定年後に元気がなくなってしまうのはなぜ?

>実は「動かない」だけでかかる生活不活発病という病気があります。これは誰にでも起こる可能性があり、またうっかりしていると寝たきりにまでなりかねない怖い病気です。

>年を重ねてもいきいきと充実した生活を送るために知っておきたいことを、生活不活発病を中心に介護の専門家がやさしくかたります。

 

以上である。

以上ではあるが、なかなかの本である。プライム便という超特急便である。郵政のメール便であった。自宅に来たのは、昨日の夕方6時頃である。朝注文して、その日の夕方には来たから実にありがたい。それから、押し戴くように読み始めた。もっとも、昨日は塾のバイトがあった。だから、途中まで読んで中断した。そして、塾から帰ってきてから、風呂の中、さらに書庫のボロ机で読み始めた。おもしろくてやめられない。結果、真夜中を過ぎてしまった。だから、今朝は寝坊した。起きられなかった。

起きられないほどムチュウになったのは、自分なりの理由がある。もしかして、動かないことによって、生きていきたいという気力みたいなものまで、奪われてしまうのではないかと密かに思っていたからだ。だから読み続けたのである。

去年の入院騒ぎでICUまで入れていただいたから、このままICUにいたら死んじまうと感じていた。ICUのベッドである。意識ははっきりしていたし、その日の午前中に足がむくんでいるからといって外来の内科に行って診察していただいただけの患者である。病気になっているという自覚が全く無い。全く無いから、エラク驚いてしまったのだ。ドクターの方が深刻そうにしていた。全部で五人のドクターが私の周囲にいて、説得してくださった。どんなに私が危険な状態にあるかということをである。その日は、夜、ちびっ子柔道教室に行こうと思っていたから、そのことも申し上げた。そしたら叱られた叱られた。柔道なんかやっちゃいけないと言われる。後日、この病気について、自分なりに調べたら、まさにドクターの言われるとおりである。

この大川先生の御著書では、老年のご婦人から料理や家事、洗濯等々を奪ってはならないとも書かれている(私はそう感じた)。配偶者が亡くなって、一人きりの生活になり、大都会で暮らしている長男夫婦からの誘いで、同居を始めたご婦人のことである。長男の嫁さんが、同居した姑に気を遣ってなにもしなくていいからというstyleで生活をしていたのだそうな。そしたら、だんだんと具合が悪くなってしまった。それまでは田舎暮らしをしていたから、田舎のスーパーに買い物も行ったし、友人知人も多い。さらに、趣味の卓球もしておられた。それらが大都会に住むことによってすべて奪われてしまったのである。足が悪くなってしまった。

それがある機会でもって改善した。孫娘が大学進学をして、長男夫婦とご婦人との三人暮らしになったのである。ある機会というのは、孫娘が夏休みでもって帰ってきたときに、おしゃれな杖をプレゼントしてくれたというのである。それをきっかけに、外に出るようになった。孫娘と一緒に、デパートに行ったり、美術館に行ったりと外に出る機会が増えた。どんどん生活が改善していったというのである。

つまり、生活不活発病からの改善である。生活そのものを改善したという事例である。

この事例ばかりではない。他にもいろいろ書いてある。是非大川弥生先生の本を買って読んでいただきたい。あまり拙ブログで紹介していると著作権違反になるだろうから、これくらいにする。

それでも、私にはいろいろとショックな本である。全部当てはまるからである。

運動といっても、私の場合は短期的にパワーを出して、それでもって運動になったというstyleであった。柔道が良い例である。つまり無酸素運動であったのだ。140キロもあげて、ベンチプレスをやっていたが、あんなもん、なんの効果もなかった。かえって健康上良く無かったというわけである。胸筋をピクピク動かして、自慢していたバカである。

柔道とかgymでもって運動していたと勘違いしていた。そうではなかった。

運動もとり入れた生活全体の改善をすることが、私に要求されていたのである。

やっと遅まきながらそのことに気がついた。やっとである。やっと。

ゴミ論文の大量生産というのも健康に良くなかった。だから、3年まで通学した大学院を中退した。もうこれ以上やっていると、あの世に行かなくてはならんとしみじみ思ったからだ。それもさらに3年くらいはかかるというのでは、カネもモタナイ。当然、500枚書き上げた論文の訂正作業も入る。それに耐えられないだろうと判断した。気力がないのと意欲もなくなった。配偶者は最初から反対していたから、ある意味スムースに退学できた。たとえ、学位をとったとしても、今更就職もできない。自己満足でしかない。すべてがそうだったけれども。自己満足というやつである。

ま、終わってしまったことである。方法論と論文の材料だけは豊富に得ることができたから、それも自己満足している。

これからは、それなりにアマチュアとして駄文書きをしていく。塾と大学非常勤講師のバイト生活をしながらである。

古文書講座二つに所属することもできた。

四月から中国語講座も始まる。居住地の社会教育講座である。

さらに老人大学にも行く。毎週火曜日である。

母校の大学の学会にも入れていただいた。文学関係と史学関係である。こっちにも投稿をしたり、研究発表を聞きに行ったりするつもりである。

仏教心理学会は、修士をとらせていただいたもう一つの母校にある。こちらにも出かけていくつもりである。京都の龍谷大学で研究発表をさせていただいたご縁があるから、やめるつもりはない。

やはり、病気になったからといって、私の場合は「安静」にしている必要は無いようである。それよりも、「生活の改善」であり、「生活に意味を持つ」ことの方が重要である。「外部とのつながり」ということをもっともっと追求していきたい。

ただし、今更ながら、アルコールとミニスカおねーちゃんとのご縁だけはヤメタ。きっぱりとお断りである。もっともあちらから、今までもお断りを喰らっていたけどねぇ~。

もう悟ったのだ。

酒がないとクチもきけないというのでは、ホンモノの友人ではないということにである。

今更ながらである。

 

もう遅かったか・・・・・わはははっははははである。

自虐の笑いだ。

わはははっはははっはは。

 

(^_^)ノ””””

 

 

 

 

 

 

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