ある資格試験の一問一答集を360円で買った。古本チェーン店からである。新規の分野で知識を身につけたいと思ったからだ。それで、古本の参考書を読み上げて、ICレコーダーに吹き込んだ。それを聞きながら、暗記しようとしている。
つまらないことかもしれない。
ヒマだからやっている。まさにそうだ。ヒマすぎる。しかし、机にしがみついていると悲惨だ。また体調を崩してしまうから、歩きながら暗記できる方法はないのかとなった。それなら、自分の声で吹き込んで教材を作ってしまえとなった。
午後は、それをやっていた。約230問を吹き込んだ。そして、インターネット上にのっけてある。さらにスマホにもコピーしてある。
文学作品の朗読パターンである。そういう手法もあったのだ。なかなかこれがいい。
もともと、几帳面ではないから、ノートをきちんととって勉強と自称するわけにはいかない。そんなに勉強家であった試しがないからである。いつもやっつけ仕事である。前の晩に、いきなり暗記して、眠たい目をこすりながら学校に行って試験を受けていた。
だから成績は悲惨だった。学年で3位が最高で、あとはけんもほろろ。好きなスポーツに熱を上げていた。陸上も好きだった。1500メートルが特に好きであった。本職の陸上部の同級生と争っていた。S君と言ったっけなぁ。勝ったり負けたりしていた。陸上も素人なので、S君はハラがたって仕方がなかったらしい。素人のボキが勝ったときもあったからである。
あの時代の体調を維持していれば、ジジイになって挫折することもなかっただろうに。
高校から応援団と柔道に目覚めてしまったから、脱落してしまったのである。
なにしろ勉強が苦手で、苦学したのもこれがある。亡父の願いをムシして、東京に出て行ってしまったからである。亡母は悲しんだ。亡父が我が子に授業料も入学金も出さなかったからである。
今思うと、逆に感謝しているけどねぇ。
自分で生きていくことを徹底的に学んだからだ。
親も頼りにならないのなら、世間はもっと冷たいとシミジミわかったからである。だからボキは他人をあてにしない。兄弟姉妹もあてにしない。姻族もそうだ。あてにならない。また、しちゃいけない。テメェ一人で世間を渡っていくことである。
そういう姿勢で生きていくのが一番である。
亡父が身をもって教えてくれたのだと思っている。なにしろ、シベリア抑留の犠牲者であった。徹底的に当時のソ連から虐待された。共産主義国家の理不尽さを呪っていた。ちょっと病的なほどであった。そういう被害者意識が、ある種、心理学でいうところの病的傾向も有していたのかもしれない。今になってわかるような気がする。
今日も、祭りがある。
二日目である。
孫が来ていないので、今日も出かけない。
町には、浴衣を着た若い女性が下駄を履いてかっぽれ、かっぽれと歩いている。けっこうな景色である。
それもまた良しである。
17:27である。
さ、そろそろ一日の仕舞いの時間である。
また明日!