と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

「学ぼうとする生徒は、恥ずかしがってはいけない」

2017年02月16日 07時27分19秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ボキは、なんにも恥ずかしがってなんかいないのである。還暦過ぎたバカ弟子ではあるけれども。

 

 

「学ぼうとする生徒は、恥ずかしがってはいけない」というのがタルムードにある。これは貴重なる教えである。生涯学習ごっこの基本である。

今更こんなことをやっても他人に笑われるとか、この年になってとか・・・人はいろいろ言い訳をする。でもねぇ、そんなことはない。堂々とやりゃぁいいのだ。恥ずかしいからというのは、それはそれで謙遜をあらわす。でも程度問題である。

恥ずかしいからなにもしないというのは、いかがなものかと思うからである。

一番大切なのは、師匠に聞くことをためらってはならないということである。ただし、このことには条件がつく。つまり、オノレの努力を棚に上げて質問ばかりしていたらアホである。自分で勉強してから師匠に聞くべきである。

師匠によっては、無反応の場合もあるだろうからその時もめげてはいけない。教えないことで、弟子のボキ達を導いてくださったのかもしれないではないか。教えないことも、貴重な教えであるから。

もしかして、師匠に能力がないというように疑ってはならない。そんな評価を弟子の方からしちゃアカン。そもそも師匠を評価して入門したのは、弟子である。弟子である本人である。

だから師匠の方は、オノレに厳しくしていなくちゃならない。

世間には不祥事を起こす教師もいる。絶体数では少ないのであるが、そういうヤカラもいるからマスコミに登場してくる。そうすると、世間は教育界全体が腐っていると報道する。他山の石として、自己を厳しく律するというのが大切である。それよりも、そういう教師達は、どうやって教師になったのであろうかと思う。つまり、採用側の評価に問題があったのではないかという疑念である。

教師の資質に問題があったというのなら、そういう資質を見抜く評価のシステムがあって当然である。ま、これ以上は書かない。

システムというのは、バグがあるからである。どんなシステムでもそうだろう。そういうバグをくぐり抜けて円滑に運営をしていくということが、もっと重要視されるべきであろう。

しかし、師匠というのは難しいもんである。むろん師匠というのは誰でもなれるものではない。教師イコール師匠ではないからである。すくなくともボキはそう考えている。レベルが違っているのじゃ(^_^)。

弟子の方が師匠と認めるのである。でないと師匠は師匠ではなくなる。

教えていただきたいと思うから師匠なのである。

だから一旦師匠だと思ったら、どこまでも食らいつくことである。

退学した某大学大学院で教えていただいたボキの師匠も一生の師匠である。師匠が書かれた書籍はドンドン買っている。今でもである。

これほどの師匠はおられなかったからである。残念ながら、学力劣等・不健康で退学せざるを得なかったけど。

だから、なんにも恥ずかしがってなんかいないのである。還暦過ぎたバカ弟子ではあるけれども。

 

わははっははははっははははは。

 

さ、今日もwalkingをしてこようっと。

(ToT)/~~~

 

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2月15日(水)のつぶやき

2017年02月16日 04時54分17秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/