と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

去年の記事なり

2016年07月03日 21時06分28秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
 
忌み嫌うべきものは

「その日暮らし」はいかがなものかと思ふのである  昨日、某大学の授業終了後に、知人の勤めている学校に見学に行ってきた。知人は、私が40代のころから交流があるから......
 

 

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「古池や バカの飛び込む 水の音」・・・まったくパロディのような半生であったなぁ

2016年07月03日 07時55分48秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

蛙のようにぴょんぴょん跳ねて、池に飛び込むしかないですかな?・・・あああああああああ。バカバカしい(^_^)

 

 

生身の芭蕉に触れたような気がしている。

不勉強を恥じている。知らなかったことばかりである。これでもって、一丁前に古典を語り、芭蕉の俳句をさも知ったように授業をしていたんだから、まったく話にならない。アナがあったら、入るしかないとはこのことである。ここんところ、かなり急ピッチで俳諧を調べているからで。今までもいろいろと本だけは買ったり、借りたりしていた。だから不勉強を恥じているのである。

しかし、必要なのでやり始めたら、まぁまぁ面白いこと限りなし。

必要というのは、詩人のT氏の文学賞審査員をやれと言われたから。必要に迫られたというわけである。T先生は、居住地の進学校から東大仏文科を出て、それから文学畑を歩んでおられる俊秀である。それで始めたのである。ボキは、俳文学もド素人であるから。

それに、芭蕉の禅味というのが苦手であったから。そりゃそうだ。ボキ如きが、悟りとか、禅味とか、深奥の世界観とかにご縁があるわけがないっちゅうもんである。こっちはただの庶民である。平民である。マジに。

だから、あまりにも神様のような芭蕉に近寄りがたいもんを感じていたからである。

こいつは崇めたつまってきた周囲が悪い。

芭蕉だって人間である。生身の。いろいろと悪業もやって、仕方なしに生きていた側面もあるからである。

「古池や・・・」の有名な俳句も、深川の池がキタネェもんだったというのも今回初めて知った。だったらわかると膝を叩いてしまったよん。

それに蛙は飛び込んだりしなかったというのも、ナルホドである。ナルホドそうであったかと思った。

さらにこの俳句は、門弟たちとの俳句の会でもって作られた言わば協同作業である。孤独な作業では決してなかったということを知って、これまたナルホドである。

不勉強たぁこのことである。

まるっきり誤解していたではないか。知らないということは、恥を通りこして厚化粧をした花魁のようなもんである。バカバカしい。

これでもってよくまぁ月給を貰っていたもんである。申し訳ないではないか。マジに。

しかも定年退職してから気がついたというのでは洒落にもならない。

まだまだ不勉強ですなぁ~~~~。

恥の多い生涯でありまするよん。

蛙のようにぴょんぴょん跳ねて、池に飛び込むしかないですかな?・・・あああああああああ。バカバカしい。

それこそ「古池や バカの飛び込む 水の音」である。

わはははっははははっははははっはは。

 

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7月2日(土)のつぶやき その1

2016年07月03日 05時20分01秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年
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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/