と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

香取神宮企画展はよかった、実に。大都会はさすがである。

2016年01月11日 22時50分31秒 | 民俗与太話にムチュウ

館長の特別講義付であったから、感動したねぇ

 

 

今日の千葉県立美術館での、香取神宮企画展はよかった。

久しぶりに大都会千葉市に出かけたから(愛車で)、ある意味高揚感というのがあったけど。

なんでか。

千葉市の成人式をやっていたからである。若い成人たちが、きれいな和装をしていた。しかし、歩き方がなっていない。私と一緒の外股歩きであった。これは情けない。

西洋人とか、中国・韓国とは違っているだろうに。和服は。

ま、どうでもいいようなことである。

しかし、県立美術館の香取神宮企画展は、勉強になった。

古文書も展示してあったから、京大式読書カードを片手に一生懸命メモをとっていたら、なんと職員から鉛筆を渡されてしまった。うかつだった。筆記用具まで配慮していただいたのである。ボールペン等は禁止であるからだった。うかつであった。

さらに良かったのは、館長のT先生から特別に参観者にトークをいただいたことである。希望者にである。

T先生は、もしかしたら知人のT先生かもしらんと思って行ったらマジにそうだった。

しかし、こっちは毛糸の汚い帽子をかぶって、靴はスニーカー、ジャージをはいていたからご挨拶は止した。失礼になると思ったからである。

受講者は50人はいただろうか。

見つからないようにできるだけ後の方にいて、館長先生の講義を聞いていた。

勉強になりましたよん。

ありがたいもんである。

県立美術館に行く前に、千葉市に来たらかなりの割合で行く都町食堂で昼食をいただいた。ここはじつにいい。いわゆる一膳飯屋である。

安いのと、美味いのと、栄養価が偏らないように作ってあるからファンなのである。

オニオンサラダと高野豆腐、炊き込みご飯と、卵とじをとった。さらに、貝のスープ。しめて780円なり。

こういうのが喰いたいのである。

江戸時代の町人のようにである。

江戸時代は、外食文化が盛んな時代でもあったから、古ぼけた一膳飯屋でかっこむように喰うのは様になったであろう。

それから楽しみの、ブックオフである。

千葉市にはいくつか同種の店舗があって、楽しみにしているのだ。

約二時間はいただろうか。

都合、15冊ほど買った。内田樹もまた買い戻した。文庫を。なんでか。彼の本は、速読がきかないからである。いわゆるスローテンポで読むしかないからである。それに、買い戻したのは、ある人にあげちゃったからでもある。またまた読み直してみたくなったからでもある。

こういう無駄はいくらでもやっている。

本だけではない。

平松愛理とかのCDも買った。3枚。これも安価だからありがたいもんじゃ。

で、CDを聞きながら、県立図書館に行ったのである。

家に帰ったのは、夕方になってしまった。高速道路をぶっ飛ばして帰ってきたけど。

それまで2000歩しか歩いていなかったから、それから家の周辺を歩き始めた。かなり歩いて8200歩。これで終わり。

もう疲れた。

疲れたから寝る。明日は老人大学があるし。登校せにゃアカンので。

(^0^)

 

お休みなさいね。

Bye-bye

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

センコーごっこしていたときの、おさなごたちと昨日お会いしていた

2016年01月11日 09時07分29秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

かつてのおさなごたちも、50歳になっていた

 

 

昨日、同窓会があった。

私のクラスメイトの話ではない。私がセンコーごっこをしていた時の、生徒さんたちの同窓会に行ってきたのである。もう、かつてのおさなごたちも、50歳になっていた。

変化していた。立派に。子育ての終わった方々も多かった。孫のいるのもいた。懐かしい。限り無くありがたい。

ちなみに、私は運動のために徒歩で行った。歩いて往復40分。これでいいのだ。生徒さんたちに、「ここまで歩いてきたの?」って驚かれたけど。

それぞれ、社会的に成功しているから、豪華なクルマで来ていたらしい。らしいというのは、酒宴もあったから家に置いてきたのもいるからで(私は一滴も飲んでいない)。

しかし、ありがたいことである。

こんなバカジジイでも、呼んでくださるからである。

もっとも、申し訳ないというのが先に立つが。

なぜか。

それは、アタシャ熱血センコーであったからである。

今では棲息できないタイプの熱血ぶりであった。

バカだったよん。

だから、申し訳ないのである。

こんなバカに教わって、でかいツラして、センコーごっこをしていたのだから。

ふううううううううむ。

 

これからも謙虚に生きるべきでしょうなぁ。

 

バカを自覚して。

マジに。

 

Bye-bye

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

祝日だから、これから香取神宮企画展を見てくるのだけど

2016年01月11日 08時48分24秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

編集された祝日。ブログは、編集されないからやる気になる?・・・それもありですなぁ。

 

 

朝起きたら、今日も祝日であったと気がついた。

あははははっははは。

もう惚け始めたのかな?と思った。だって、成人の日であると言っても、事実上昨日やった自治体が多かったのではないかと思ったからで。

成人の日ですら、自治体によって、すでに編集された日程である。なんだかオノレの周囲総てが編集された結果、こうなっているだけであるという不気味さがただよっている。まさに不気味である。

決まったことだから、受け入れよというのはちょっといかがなものか。

なにを言っているかというと、成人の日というのは昔は15日であったからである。こっちも決まっていたことであるが、いつのまにやら15日から変更されていた。月曜日になっていた。

法律で決まったことである。

しかし、違和感がある。

人生の節目である成人の日がいとも簡単に変更されてしまっていることに、である。

編集されていることにである。

編集されているというと、あらゆる書籍が編集されている。あたりまえである。編集者がいて、厳しい編集作業の結果、出版されてくるわけである。だから安心して読むことができる。

だが、編集されていないものが一つだけある。

ブログである。

ブログは、編集されていない。あるとすれば、自分だけ後で見直すだけである。こういうのは編集とは言わない。

だから、ブログの文章は、編集されていない。

よって、しばしば間違いを犯す。誤字脱字のことである。他人のことではない。私のことである。

惚け防止のために始めたブログであるから、それはそれで見直しは最適である。

これが他人に編集されていたら、ブログなんかやる気はしない。意欲を失ってしまう。ここを直せ、あっちを直せとやられたら即撤退である。ブログ中退、退学である(^0^)。

好き勝手に書いているから、やっていられるんであろうと思う。

こういうのが、ジジイになってブログを続けるコツであろう。それでいいのである。それで。

ブログなんて所詮そんなもんであろう。

読んでくださる方々のことをまったく意識しなくても書ける。それがいいのである。評価していただきたいというような、スケベェ根性がないからいい。もっともあれか。評価してくださる方なんかいないか。

ユニークなバカジジイだと言われるくらいがオチだ。

オレの論文みたいなものだ。

今日は、香取神宮の企画展が千葉県立美術館であるというので、これから行ってくる。

古文書講座で隣席の男性に紹介されたからである。彼は、わざわざ私にパンフレットをくださったのだ。ご自分で行かれたから、私にくださったのであるが。

ありがたいものである。

こういうのをご縁という。

千葉市には古書店もあるから、そっちも行ってくる。楽しみである。楽しみ。

誰と行くのかというと、古女房ドノはそういうのにまったく関心がないから、一人で行く。

その方がいいだろう。

気楽だからだ。

わはははっははっはははは。

それよりなにより、家に居ない方がいい。

邪魔だからだ。

 

再度、わははっははっはははっはは。

 

じゃぁねぇ。

Bye-bye

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1月10日(日)のつぶやき

2016年01月11日 06時03分42秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

水道水が原因だと思うのだが、その効用とはナニか?

好き勝手に読書していると、ある特定のことについて、どの本に書いてあったのか忘れてしまう。いちいちそれを読書ノートにつけ... goo.gl/f8htiV


【鳥取・湯かむり】1200年の歴史がある岩井温泉に江戸時代から伝わる奇習。頭に手ぬぐいをのせ、湯かむり唄を歌いながら柄杓で湯をかぶる。少しでも長く湯に浸かり、効能にあやかれるよう、また、入浴客が楽しめるようにと生み出されたとされる。 pic.twitter.com/0apaURlF5p

Waishan Richunanさんがリツイート | 53 RT

世の中で「市場経済」と呼ばれているものは、じっさいには市場ほんらいの転換機能をなくしてしまって、ゾンビのようになってしまった市場でおこなわれている、倒錯的な経済にほかならない。「グローバル」にまで規模を拡大した、そのような倒錯経済の時代が、いま音をたてて終焉に向かおうとしている。

Waishan Richunanさんがリツイート | 5 RT

【茨城・悪態まつり】<旧暦11月14日>江戸時代中期から続く祭り。領主が住民の意見を聞くため、この時に限りどんな悪態をついても罪に問わないとして始まった。「早く登ってこい」などと悪態をつかれる天狗役は言葉を発してはいけない。 pic.twitter.com/5zKTJ8A9dJ

Waishan Richunanさんがリツイート | 7 RT

大報恩寺准胝観音:大報恩寺は、応仁の乱の兵火を免れた京都の寺院。当寺にある六尊の観音菩薩は、六道に別れる地獄をそれぞれ救うという。当尊・准胝観音は六道のうち、人間道(人間が住む世界)を救う。 pic.twitter.com/n1qZV2NwWR

Waishan Richunanさんがリツイート | 22 RT

現実には、そんなものは存在しない。かつても存在しなかったろうし、これから先も存在しない。しかし、そういうものについて考えたり、それをことばにしたり、地上にそういうものが宿ることのできる場所をつくっておくことは、人間という生き物の生き方にとっては、とても重要なことです。

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

★祭事暦 1/18 5:00~とがらしごぼう(旭市ロ1381-1) 8:30~鯛供養弁天祭(鴨川市小湊129) 9:00~石堂寺 初御縁日(南房総市石堂302)

Waishan Richunanさんがリツイート | 3 RT

Retweeted 房総の祭事記 (@BosoSaijiki):

★祭事暦 1/18 5:00~とがらしごぼう(旭市ロ1381-1) 8:30~鯛供養弁天祭(鴨川市小湊129) 9:00~石堂寺 初御縁日(南房総市石堂302)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/