Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

あのころの景色①

2024-04-02 23:47:16 | つぶやき

 昨日も「一切ねぎらいの言葉をもらえないかもしれないが…」と記したが、実はその通りなのである。区切りが無いということは、そういうことかもしれないが、同僚たちはもちろんのこと、仕事で縁のある方たちからも、当たり前に「継続」の雰囲気があって、退職とは知りつつも、「何もない」。それでいいとは思っていたが、実に「こんなものなのか」とも思っている。あえていえば、仕事で縁のあった方たちで、すでに仕事場から去って久しい方たちから「長い間、お疲れさまでした」と労いの言葉をいただく程度。そんな言葉を耳にすると、ちょっとこころに響く。これが本来なのではないかと思いながらも、まったくの当たり前の日が続いていることに、少し違和感のようなものを抱いてしまった。そのはずではなかったのに、と思うのに、それが現実であるとともに、「こんなものよ」と割り切ることもできる。退職する前から「今年で終わり」と宣伝される方たちもいるが、わたしは一切してこなかったのに、結果的に「いつまで?」と聞かれれば「今年で終わりです」と答えていたから、皆が知るところになっていた。少しわたしが描いていたストーリーとは違うのである。

 一切とまでは言わないが、基本的に退職の挨拶もしなかった。したがっていわゆる退職の令状を出す予定もない。そうだろう、ねぎらいのことばをいただいていないのに、そのようなものを誰か求めているとも思えない。そのまま元の場所で働くというのは、かつてならなかったスタイルだから、周囲にも戸惑いのようなものがあるのかもしれないが、全くなかった例でもない。「どうしていたんだろう」、そう思い描く姿があったが、とはいえ前例に真似る必要もない。

 

 

 さて、退職辞令をいただく2日前に長野での会議があって、それにあわせて初任地だった飯山で担った現場をいくつか見てみようと足を伸ばした。もう40年以上前の記憶を呼び戻してのものだが、その後も何度か通過していた地である。高速道路が近くまで延び、そして新幹線の駅ができた地は、明らかにあのころとは違うとともに、積雪量がまったくあのころと異なる。3月末でもしっかり積雪のあったマチに、今は除雪した雪が時折見える程度。あのころもそういう年があることも稀にあっただろうが、今はそれが恒例のよう。写真はマチから飯山線を渡ってすぐの「坂上」の交差点。ここに雪はまったく写り込んでいない。当時、毎日この交差点を右折して、住んでいたアパートへ向かった。交差点手前の右手にあったクルマヤさんに毎日のように顔を出して帰った。もう看板は出されていないが、この日もタイヤ交換に来られていたお客さんがいて、対応されていた。声を掛けようかと思ったが、忙しそうだったので掛けられなかったが、お元気な姿を見られて安堵した。この界隈にはよく通った電気屋さんや、先輩の家もあった。すべてが昔通りとはいかないが、このクルマヤさんのように、少し当時を思い出せる空間が残っていてほっとしたところだ。この交差点を右折すると、いわゆる仏壇屋の並ぶ通り。もちろん仏壇のニーズも、当時とはだいぶ異なっているだろう。マチの姿が明るくなったのとは対照的に、この通りには変わらぬ暗さが残っていた。

続く


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