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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

『地域と創造』 前編

2016-05-21 23:52:47 | 信州・信濃・長野県

 昨日触れた『地域と創造』は昭和52年4月25日に産声をあげた。創刊は銀河書房よりの発行であったが、後に地域と創造社に引き継がれる。2年後の昭和54年5月10日発行の第9号からである。実はこのあたりからだ、廃刊が見え隠れし始めるのは。銀河書房にしても後の地域と創造社にしても長野市に拠点を置いていた。これを偏向と言うのは時代性かもしれないし、そう口にすることそのものがわたしには偏向だと思う。そもそもこの雑誌はなぜ創刊されたのか。巻頭にある「創刊にあたって編集の姿勢」には次のように書かれている。

 これまで長い間、地域社会からの発言や発想は殆んど無視されてきた。われわれ自身も又、中央への不信感を抱きながらも、結果的には中央文化志向型の生活態度から抜け切らないできた。しかし今や、支配する「中央」と従属する「地方」といった図式は、打破されなければならない。
 周知のように今日では、日本の近代化をすすめてきた欧米依存的なものの考え方では、問題の解決は困難である。今は、日本独自の文明の在り方そのものが問われている。しかしまだ来るべき時代を支えるにたる新しき思想は生まれていない。この時代の転換期にあって、信州に住むわれわれは、いま何を選択し、何を創造すべきであろうか。
 確かにわれわれは、自ら育んできた地域文化さえ、今では正当に評価する視点も見失っている。従って今求められているのは、画一的で中央順応的な地方文化ではなく、住民の自主・自立を基盤とした独自の地域文化である。それは恐らく、地域住民の生活に根ざした自発的活動を前提とするものであろう。
 そのためには先ず、地域固有の文化に新しい角度から照明をあて、埋もれてしまった貴重な人材や思想を発掘し、積極的に問題提議を行ない、〝地域の論理〟ともいうべき信州独自の思想を追求してゆきたいと思う。同時に他方では、日本および世界の各地域文化との連帯と交流をすすめ、その思想に普遍性を与えてゆきたい。
 だが果たして、〝信州〟という地域に、自立した思想の場を、確実な形で作り出せるかどうか?極めて困難であろうが、今はただ、われわれが生み落したこのささやかな雑誌が自治的文化創造の一つの起点となり、やがて草の根の運動ともなって、読者とともに着実に成長することを望むものである。

 同じ「編集の姿勢」は4号まで掲載されるが、その後はそれまで同様「中央」と「地方」を意識しながら、「編集の姿勢」は毎回若干変わる。ようは以後発行を重ねるたびに葛藤が嵩んでいくのである。それは何といっても編集後記からうかがえるが、このことは別項に譲る。「中央」と「地方」をあからさまに意識させた姿勢は、特集記事へも色濃く反映される。したがってあらためて、今ここに掲載された記事のタイトルを見ただけでも、違和感のようなものを覚えるのは、時代性によるものだけではなく、あえて県民に論争を巻き起こそうとする意図が見えるからなのだろう。少し偏向気味な事例かもしれないが、例えば被差別問題をあえて取り上げれば、触れなくても良い「負」の部分を掬い上げることになるだろう。それによって抵抗感を抱く者もいる。もし、この雑誌が商業誌なら(最低でも収支を合わせなければ継続は不可能だから、創刊させたということはそのつもりだったとは思うが)、あえて違和感を与えるような編集は行わないだろう(例としてあげた「被差別」であって『地域と創造』が実際それを取り上げたことはなかった)。にもかかわらず、編集の姿勢にはそれを望んでいるような雰囲気がうかがえる。したがって重ねた発行は、しだいに誌上において喧嘩を展開することになる。

 ところで、わたしの手元にある『地域と創造』は、2、4、6、7、8、9、10、のみである。記憶は定かではないが、創刊当時から認識して購入したのてはなく、何号か発行された『地域と創造』の背表紙を書店で見受けて買い始めたのだろう。おそらくもはや風前の灯火となりかけていた10号、昭和54年10月5日発行号と想像する。なぜかといえば、この年就職し、9月から飯山暮らしを始めていたからだ。落ち着いたころ、帰り道にあった牧野書店に立ち寄ることがよくあった。そこでこの雑誌の存在に気がついて、きっと「面白い」と思ったに違いない。「バックナンバーが欲しい」、そう思って並んでいた在庫を購入した。次号からは継続的に購入しようとしていたのだろうが、発行日に立ち寄れずに、数少なく並んでいたこの本を買えなかったのか(「季刊」の場合、定期購読依頼でもしていないと、いつ発刊されたか分からずに買えない、ということがありがち。とりわけ10号あたりから「発行の遅れ」という文字が編集後記に目立つようになる。)、それとも11号の特集記事に興味がなく買わなかったのか、そのあたりははっきりしない。「面白い」と思ったほどに、すでに当時違和感のようなものを抱いていたのかどうか、そのあたりもはっきりはしない。

 ちなみに創刊号の特集は「信州の教育を問う」と「体験と実践による信州教育批判」、論争シリーズは堀越久甫による「提唱!碓氷峠に関所を設けよ-どうする信州の文化づくり」だった。

続く

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