Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

不動なる公式

2016-05-16 23:29:16 | つぶやき

 深々と下げた頭をすぐ元にもどすこともなく対象車が通り過ぎると、後続のわたしの車にもあらためて深々とお辞儀をし、通り過ぎた後に続く車にもそれは繰り返された。ガソリンスタンドから出るお客さんを、流れを止めて割り込ませてもらったことへのお礼の姿だ。時折見られる光景だが、これほど深々とお辞儀をされる姿は珍しかった。もちろん感謝の意を示すものだが、お辞儀の姿によって感謝の度合いを計るものでもない。とはいえ、頭を深々と下げるのと、軽く会釈するのとでは、実際やってみると心持ちは異なる。それが不思議なことなのだ。以前にも触れたことがあるが、お金を出してやってもらっているのだから当たり前、と感謝の意を表さない人々もけして少なくない。これを契約上金を出す側が「甲」、もらう側を「乙」と言ったのは言うまでもない。「甲乙」について辞書では「甲と乙。第一と第二。二者間のまさりおとり。優劣。」と解説されている。「甲」が上位、「乙」が下位にあたり、対等であることを示す意味から、このごろはこの表現をしないのは、ご存知の通り。ところがあくまでも対等であるかのような表現なるものの、現実は金を出す側が上位にあることは少しも変わらない。とりわけ役所の契約には表現以上にそれを実感するのは、説明するまでもないだろう。

 日本ではとりわけ「お世話になります」という言葉が多用される。わたしも挨拶がわりに頻繁に使うが、都合の良い言葉であるとつくづく思う。感謝の意を表すのに使うこともあるが、「こんにちは」とそれほど変わらない挨拶言葉のような印象だ。英訳すれば「Thank you for your help」だそうだ。やはり感謝を表す言葉にかわりないのだろうが、わたしにはこの言葉が感謝の言葉に最近聞こえない。ようは軽い会釈程度の言葉、とでも言おうか。そして「ありがとうございました」、と深々とお辞儀をすると、お辞儀をする側の心持ちは「お世話になります」とはまったく違う。これは実際してみると違うことに気が付く。

 そしてあたらめて「甲乙」に戻ろう。この単語を契約上使わなくなったのに、役所の方たちから深々とお辞儀をされた経験はまずない。それどころか「当たり前」と言わんばかりに注文は繰り出される。彼らは懐は痛くも痒くもないのに、労働に対しての感謝を表すのが下手くそな人たちだ。だからこそ、役所の上下関係にけして対等性はうかがえない。例えば村<町<市<県<国は不動なる公式なのである。

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