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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

平成28年 諏訪大社上社御柱祭里曳き・前編(御柱迎え)

2016-05-03 23:37:29 | 民俗学

 長野県民俗の会第199回例会は、諏訪の御柱見学となった。とはいえ、わたしは「御柱迎え」を見に行っていたため、集合場所には顔を出せなかった。聞けば見学に入るとみなばらばらとなってしまったので、例会とは名ばかりなものだったかもしれないが。

 あまり御柱に関しては知識がなく、会社の同僚が「御柱迎え」の舟を担ぐという話を聞いて、それでは「御柱迎え」を見に行こうということになった。そもそも「御柱迎え」というものがあることも知らなかった。「御柱迎え」とはいったいどういうものか。「御柱祭」のホームページには「里曳きの1日目は、御柱屋敷を御柱が出発する時を同じくして、本宮からは宮司や、「お舟」と呼ばれる御輿を担いだ白丁姿の山作り衆らが行列をつくって御柱を迎えに出発します。先頭の本宮一之御柱は、迎えの一行に続いて本宮を目指します。」と説明されている。字の通り、御柱を本宮から迎えに行くというもの。もう少し詳細なものを紐解いてみよう。宮坂光昭氏の『諏訪大社の御柱と年中行事』(郷土出版社 1992)によると、「御柱迎えのお舟は、神ノ原区の山作衆が、なる(細い枝)を舟形に組み、内部にゴザで座を作る。中央には幣軸を立て、御幣と薙鎌二丁、鈴をつける。お舟の外は藩主下賜の幕、あるいはのちには紅白などの幕で飾る。このお舟を山作衆が白丁姿でかつぐ。その先頭には、大祝頼隆から下賜の朱の神斧をかついだ山作衆が付く。このお舟に監修がお賽銭、おひねりを投げこむこと雨あられといっている。」と記しているが、これは『信濃国昔姿』(1819)にある「祭礼之先は御柱の神輿なり 杣人白張烏帽子にて斧をかつぎ先に立続ける御輿を舁き連て安国寺村より本社階橋前迄来るに諸人賽銭を投る事白雨の篠をつくがごとし夥しその跡へ御柱二本引来る」を解説したもの。過去の文献からその様子を時代ごと扱ったものとして、宮坂清通氏の『諏訪の御柱祭』(甲陽書房 1956)がある。『信濃国昔姿』以前の「祭典古式」には、騎馬行列に続いて「御船 山作九人」とあり、そもそも当時は騎馬行列が行列中に加わっており、行列警護の意味を持っていたという。時代と共に現在のように御柱迎えの行列とは分離していったようだ。「特殊神事調書」では「御旗白丁八本 薙鎌同上八本 御船八人同上 斎斧同上七人」、そして「現行」(発行時)として「御旗白丁八人 薙鎌同上八本 御船同上八人 斎斧同上七人」と記している。

 前掲『諏訪の御柱祭』に御船について「長さ二間半、幅1間半程で」とあるように、現在も同じくらいの大きさ。御柱迎えが出発するにあたって拝殿前で神事が行われるが、その前にお舟の準備が行われる。前述したように中幣軸を中央に立て、御幣と薙鎌二丁、鈴が付けられる。同書によると山作りの記録として「昔は三間、幅一丈とあり、一人に付ナル三十本、縄二房、藁一くびりを用意している」とあり、山作りの原田新兵衛翁の手記を掲載している。「「諏訪大明神ヲ乗セ奉ル」御舟ト云フモノヲ造ル、先ヅ山造ノ人々ガ御小屋ニ登山シ御舟道具ヲ伐出シテ神之原ノ氏神ノ舞屋即チ「かぐら家」ニ入置キテ制作ニ従事スル」とあるように、かつては御柱迎えを担う山作り衆が舟もこしらえていたというわけだ。

 さて舟を担ぐと思っていた同僚の装束が白い。「おやっ」と思ったのは、舟を担ぐ人々は黄色い装束だと聞いていたからだ。ということで聞いてみるとくじ引きで御旗になったという。御柱迎えを担うかつての「山作衆」のことを、今は神之原衆と言うのは関係者の方の口からも聞けた。実際はこの役を担うのは、茅野市泉野中道(なかみち)の人たちだったという。今は中道よりもう少し広い範囲の人たちも担うと言うが、この中道の人々は4月15日の御頭祭の際の神輿も担ぐ。その際も担ぐ人々は黄色い装束。御頭祭では中道の人々に槻木(つきのき)の人々も加わる。御旗は現在も8本で、薙鎌は6本。これらを先頭に午前10時に上社を出発する。拝殿前から四脚門を抜け、布橋を経て表参道に出ていく。舟を担ぐ黄色い装束の人たちは10人いたので、現在は担ぎ手がかつてより多いのかと思いきや、2人は舟を置く際の脚を持つ。迎えの行列が本宮一の柱と出会うのは、高部の信号から100メートルほど東のあたり。一の柱の長い綱がこの時は両サイドに分けられ、その綱の周囲に曳き子が群がっているので、なかなか写真を撮ろうとしてもうまい具合にはゆかない。頭上にカメラを上げて勘でシャッターを押すしかなかった。出会ったら何か所作があるのかと思ったが、それぞれ拝礼して挨拶をするだけで、すぐにUターンして引き返していく。6年に一度しかない祭りだから、何度か訪れていても、行程を察して良いポジション取りをしていくのは難しいことだろう。そもそも本宮一の柱しか経験しない御柱迎えだから、そのものをよく知らない人も多い。迎えがやってくると、曳き子たちは一様に頭をもたげるが、このあたりまでやってくると舟に向かって賽銭を投げる人たちも増え、引き返し始めると一層賽銭が宙に飛ぶ。『諏訪の御柱祭』によると、「沿道の拝観者は、此の御船に向って拝礼し且つ賽銭を投げ入れるので、本社よりやや前宮寄りの相本社前に設けられた山作桟敷の前に到る頃までに、叺八杯の賽物があがったといわれ、現在でもこの相本社を、八叺様とも称されている」という。実はこの表記通りには今の行程ではならない。なぜならば、現在出会う場所は、相本社より西で、相本社まで達していないのである。前掲書の御柱迎えの行列の並びなどから想定すると、かつては御柱迎えは本宮から出発したのではなく、御柱の先導として最初から御柱とともに発したと思われる。そのせいだろうか、八叺と言われるほど賽銭は集まらないようだ。

 前準備もなく出向いたため、認識不足も多かったのだが、事前に御柱迎えの動画をネットで探して拝見してから家を出た。前回の平成22年のものだったが、思ったのは「風が強い」ということ。そして今日もとても風が強かった。この季節は風が強いのだろうか。御旗を持って行列に加わった同僚からも、風が強くて「辛かった」という感想をもらった。舟よりは楽だろうと思っていたが、予想は外れたようだった。御柱迎えが本宮に戻り御柱神事を終えたのは、午前11時40分だった。

 以降の写真は時間順

舟に薙鎌を取り付ける(ゴザが張られているのがわかる)

 

舟が入口御門を出る、ここまでは天井に当たらないように中腰で運んでくる

 

舟は表参道へ

 

宮司を先頭にお迎えの行列

 

道の両側に桟敷席が続く

 

御柱迎えを待つ本宮一の柱

 

御柱迎えがいよいよ本宮一の柱の前へ

 

先頭が本宮一の柱と出会う

 

舟が本宮一の柱と出会い引き返す(賽銭が飛んでいる)

 

御柱迎えの行列が本宮に戻る

 

今の賽銭は見ての通り

 

御柱祭の神事

 

 

 

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