仕事の道楽化

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上司として後輩を指導する際の心構えは、「指導したいか」ではなくて「指導するべきか」どうか

2022年01月23日 | 学校経営

 以前、ポケットに手を入れたまま話をしていたところを見て、注意してくださった先輩がいた。

 相手との会話中にポケットに手を入れるのは、みっともない。

 尊敬する師匠に対しては、決してできない態度である。

 

 また、腕組みしながら話を聴く私に、注意してくださった先輩もいた。

 腕組みをするというポーズには、相手の話を受け入れませんよ」というメッセージが隠されている。

 

 

 いずれにしても、話し手として、聞き手として、どちらも謙虚さに欠ける態度である。

 

 注意してくださった先輩には、本当に感謝している。

 

 そんな自分が、今度は指導する立場、注意する立場の年齢になってきた。

 身の回りの教員には、たまにではあるが、「ポケットに手を入れて話す人」「腕組みをして話を聴く人」が存在する。

 

 今度は自分が指導する立場に立っている。

 

 正直に言って、注意する行為は面倒臭い。

 そっとしておいても(指導しなくても)あまり大きな影響はなさそうである。

 しかし、その方にとっては、周りからどう見られるかという点において不利益を被るだろう。

 あえて指導するようにしている。

 (注意する立場に立ってみて、先輩が昔の自分に注意してくださったことを本当にありがたく思う。)

 

 

 こういう時に、師匠の野口芳宏先生の言葉が思い出される。

 

 「発言というものは、自分がしたいからするものではない。すべきだと判断するから発言するのである。」

 「発言というものは、自分がしたくないときであったも、すべきだと判断したら、しなければならない。」

 

 これが、「私的話法」ではなくて「公的話法」なのだと教えてくださった。

 

 師匠の教えに従って、指導したくはないのだけれども、指導すべきだと判断するので、(本当は嫌なのだけれども)後輩には指導しようと考えている。

 

コメント
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