totoroの小道

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まとまりませんが 一つの花「主題」について

2008-11-17 21:39:35 | 4年 国語

「一つの花」の主題は、分かるようでよく分かりません。他の授業者たちはどうとらえているのだろうかと、インターネットを調べてみました。

どんな理由があっても,戦争は許されないものである。この作品は,戦争という大きな流れの中で生きた人々の,悲しみや愛情を描いた作品である。幼いゆみ子はひもじさから,「一つだけ」という言葉を最初に覚えてしまった。自分の分を削って与えても,満足に食べさせてやれない母の悲しみ,幼い娘の最初に覚えた言葉が「一つだけ」ということに対する父親の悲しみが描かれている。父親がゆみ子に渡した「一つの花」には,美しい花を尊ぶ人間らしい心をもって育っていってほしいという父親の願いがこめられている。戦争への憎しみや平和への願いとともに,家族の愛情と人間の真実の強さがこの作品の主題である。

父の会話文の真意は何か。父からゆみ子に渡された「一つの花」は何を意味するのか。それは書かれていない。だから,様々に推測することができる。
「一つだけのお花」を大事にしてほしいのではない。では,何を大事にしてほしいのか。「一つだけの」何か。父が一番大事にしてほしいのは命だろう。ゆみ子自身とお母さんの命を大事にしてほしいというのが真意だろう。そこには,自分や他者の命も含まれる。他には,平和・幸福・夢・愛などが考えられる。これらは,妥当な範囲である。人間の心は多様である。

この物語の主題は、個人の力では抵抗するすべのない戦争という巨大で過酷な状況の中で生きなければならなかった人たちの悲しみ,その悲しみを乗り越えて生き続ける人間の愛情の強さや美しさであると考える。

「一つだけちょうだい。」という、ゆみ子の言葉を通して、人間の幸せを奪う戦争の残酷さから、平和の尊さ・両親の深い愛情・明るくたくましく生きる美しさに感動を覚えるからである。

どの時代、どの国にあっても、どんな理由があろうとも、戦争は許されざるものである。戦争は人の命を奪い、町を焼き、肉親を引き裂き、文化や人間性までも破壊してしまう。この作品はそんな戦争という大きな流れの中で生きた人々の、悲しみや愛情を描いた物語である。

戦争には,家族を別れ別れにしたり,幼い子供まで巻き込んだりする悲しさがあるが,人間の心の根本にあるものは,戦争でも奪うことができないということを,この作品は伝えている。

「一つだけちょうだい」という言葉から作品が始まり、各場面でも「一つ」という言葉が繰り返し出てくる。題名も「一つの花」であることから、「一つ」という言葉をキーワードとして意識しやすい。なぜ「たくさん」ではなく「一つだけ」なのか疑問を抱き、そして、その「一つだけ」にどんな意味が込められているのかを考えながら読み進めていくことにより、「美しいものを感じる心」「親子の愛情」「戦争の悲惨さ」「困難にくじけずたくましく生きる人間の姿」などのこの作品の主題にも迫ることができる。

市川先生の指導案にも主題が載せられています。要約すると、およそ以下のようになると思います。

「一つ」という言葉は、題名をはじめ作品全体に数多く使われている。ゆみ子の「一つだけ」は単にもっとと言う意味である。お母さんの「一つだけ」は、もうこれだけであとが無いという意味で言っている。
お父さんの「一つだけ」は、世界に二つと無い心を込めたコスモスの花だという意味であり、「もう会えないかもしれない。大切にして欲しい。」というゆみ子とお母さんの命を大事にして欲しいという真意もうかがい知れる。父親の声にならない心情が込められた言葉であり、父親の思いの象徴でもあることをとらえることにより主題に迫らせたい。


こうして並べてみると、一つの花の主題には、およそ2つの種類があることが分かります。
①どんな理由があっても,戦争は許されないものである。
・命の大切さ。
・戦争の悲惨さ
・平和の尊さ  等
②家族の愛情と人間の真実の強さ
・困難に負けずたくましく生きる。
・親子・夫婦の愛情   等


問題は、4年生にこれを4年生のレベルでどう理解させるかです。

平和が大切なことは、だれもが分かることです。物語の内容を引用して語れば、どれも正しい言葉、正しい文章になります。すると、議論の余地がありません。あなたは、そこから平和を感じたのね。私はこっちの方がもっと平和を訴えていると思うよ。という議論にはなりますが...

家族の愛情が大切なこと、多くの希望をもってたくましく生きる事の大切なことは、だれもが分かることです。物語の内容を引用して語れば、どれも正しい言葉、正しい文章になります。すると、議論の余地がありません。あなたは、そこから家族の愛情を感じたのね。私はこっちの方がもっと家族の愛情を訴えていると思うよ。という議論にはなりますが...

これだと、クラス全員で読み深められないような気がします。頭のいい子は、知っている知識を使って、いかに戦争が悲惨で平和がいいのかを語るでしょう。しかし、その知識を知らない子や、その知識を難しいと感じる子には、何を議論しているのか分かりません。一部の優秀な子ども達による授業になり、ノートには分かったようなきれいな言葉が並びます。


例えば、市川先生のこだわっている「一つだけの花」についてです。この「一つの花」は題名になっているのですから、主題そのものです。
文字面を読むと、「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。」となっているのだから、ゆみ子にあげた花のはずなのですが、指導案を読むと「父親の思いの象徴」となっています。それは、「一つだけのお花、大事にするんだよう・」という部分があるし、ゆみ子のにぎっている、一つの花を見つめながら・・・・という部分があるからです。

では、父親の思いの象徴とは何か?「命を大切にして欲しい」とか、「お母さんと幸せに生きて欲しい」とか、「満ち足りた心をもった子に成長して欲しい」であったりとかが考えられる。しかし、どれも正解であり、またどこにも正解は書かれていないのです。

一つの花を大事にするとはどういう事か?だって、花は数日で枯れてしまう。お父さんは何を大事にして欲しいのだろう?......おそらく出た答えのどれも正解であり、またどこにも正解は書かれていないのだと思います。

お父さんは、一つの花を見つめながら、何を考えていたのだろう.......おそらく出た答えのどれも正解であり、またどこにも正解は書かれていないのだと思います。

主題はそれぞれがある程度自由に感じ取って良い部分です。特に、一つの花は「―。」が多用され、その読み取りは読者に委ねられているように感じます。だからこそ、その手前の、刻々と変わる場面の状況、人や物の位置関係、時間の感覚、それぞれの言葉の意味等は、なるべく正確にだれもが共通理解しておかないといけません。クラスみんなが、今何を話しているのか分かる議論、聞きたくなる議論を通して、平和の大切さや、愛情が何にもまして強い力を持っていることを感じさせなければなりません。

そのために、あえて「一つの花」から、どんどん問題を作ります。
一つの花はだれにあげたかを考えます。直接は、ゆみこを泣きやませるためです。
ではなぜ、ゆみ子を泣きやませなければならないのか。
それは、お母さんが一生懸命にゆみこをあやしているからです。
なぜお母さんはゆみこを一生懸命にあやすのか。
それは、お母さんはお父さんを心配させたくないし、しっかり家族の別れをしたいからです。
なぜ、お父さんはぷいといなくなったのか?
それは、そんなお母さんの気持ちが痛いほど分かるからです。
どうして痛いほど分かるのか。
それは、大切な日にゆみ子が泣かないように準備をしているのを知っていたからです。
これらの事は、よく読んで話し合えば、証拠が見つかり答えが出る物ばかりです。
この答えを積み重ねていくと、だれもが、戦争は大切な家族を引き裂く物であること、しかし人はそうならないようにたくましく生きようとしていること、その根底には愛情があることが見えてきます。

また、「一つの花はだれのためか」について考えてみると、「お母さんのため」という子もいるし、「ゆみ子のため」と言う子もいるし、「お父さんの気持ちを込めている」と言う子もいて、一つにまとまらないし、それぞれの根拠を聞くとどれもなるほどと思えてしまいます。
しかし、この場面だけと場面を切り取ると、とたんにこのときはだれのためかがはっきり分かります。
「おとうさんがぷいといなくなった」時は、お父さんはうろたえているお母さんのために花を見つけます。
「ゆみ、一つだけあげよう。」と言うとき、お父さんはゆみ子の行く末を感じています。
「一つの花を見つめながら..」の部分では、お父さんのいろいろな想いがその花に託されています。
このように場面場面の押さえをしっかりしておいてから考えると、「一つの花はだれのためか」から主題が見えてきます。お父さんは、困っているお母さんを助けられる物はないかと探します。ゆみ子が、腹一杯にならないまでも何か価値があると感じる、美しい物でなければなりません。コスモスを見つけたときに、この美しい花を見たら満ち足りた気持ちになるだろうと直感します。それも、一番美しい一輪を選びます。それは「一つだけ」という言葉を使えるからです。このたった一つ分かる言葉を使って、今の自分の気持ちを精一杯伝えようと思います。そして、機嫌を直したゆみ子を見ながら、自分の思いがかなうことを祈ります....こんなまとめがだれもができるのではないでしょうか。

こうした作業なしで、ただ主題を書きなさいと言われても、子ども達は困ると思うのです。

おそらく、「海の命」だって、「わら靴の中の神様」だって、上っ面のきれい事の主題の把握ではだめなのです。大事な部分部分を、細かく切り取りながら、だれもが分かる言葉で議論し、共通の認識を作るのです。

太一が、どれほど極限まで自分の心と対話しているのか。そのために、どれほどの時間がかかったのか。等々。

おみつさんが、自分でも不格好だと分かっていながら、わら靴が売れなくてがっかりしたのはなぜか、どうして大工さんが偉く見えたのか。等々。

それを土台にした上で、それぞれが、自由に、生活経験の範囲内で主題を捉えていくのだと思うのです。

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1 コメント

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授業はかくあるべき (Mrヒデ)
2008-11-17 22:49:23
「主題はそれぞれがある程度自由に感じ取って良い部分です。特に、一つの花は「―。」が多用され、その読み取りは読者に委ねられているように感じます。だからこそ、その手前の、刻々と変わる場面の状況、人や物の位置関係、時間の感覚、それぞれの言葉の意味等は、なるべく正確にだれもが共通理解しておかないといけません。クラスみんなが、今何を話しているのか分かる議論、聞きたくなる議論を通して、平和の大切さや、愛情が何にもまして強い力を持っていることを感じさせなければなりません」酒井先生のここの部分がポイントですね。

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