エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

▽色彩の画家・今井繁三郎▽

2006-02-19 | 文芸
風土を背負って光る色▽色彩の画家・今井繁三郎▽
   2月19日(日) 9:00~10:00 NHK教育 新日曜美術館

今朝、今井繁三郎の生涯を視聴した。私が初めて出逢った先生の絵は、いでは文化記念館の「霊峰月山」?ではなかったろうか。風景画が好きな私は、帰路立ち寄った今井美術館で風景画を探した。でも風景画は1つしか展示されていなかった記憶がある。8号くらいの羽黒山の絵だったと思う。
今回番組でいろいろな作品に触れた。ほとんど初めて見る作品だった。あらためて非凡な芸術家を知ることができた。
 暖かくなったらもう一度美術館を訪ね、作品をじっくり鑑賞し亡き今井先生とお話がしてみたいと思っている。

-番組を視聴して-
○今井の心を静かに伝えていた。後半生ふるさと風土を切り取った画家の、雪国からのメッセージが伝わるすばらしい放送だった。
○「風見鶏」「稲田」「メリタの女」「北国」:色鮮やかな作品
 「茜雲」「農村の子ども」:長崎という、異郷に身を置いて見えてくるふるさとを表現。
 「慟哭」「飢餓」:人間が引き起こしたものに心を痛め、「この世に生を受けた者は幸せに生きる権利がある」と言った。
 「涅槃」「埋葬」:妻の死後の、生と死をテーマにした
○90歳から「聖少女」という作品を沢山書いた。最後の作品のタイトルは「夢を見るものに終わりはない」だった。
 「子どもの心に帰りたい」が彼の晩年の口癖だった。
○彼の心の底にあったものは ・ふるさと ・戦争 ・生と死など
○いろはかるたをつくる。て→「天地自然を描くのではなく、天地自然から学ぶのです」
○竹久夢二:「芸術はもういい。本当の人間にして、本当の人間の悲しみを知る
芸術家がいてもいい」に共感。
○長崎に通い続け、長崎で40回の個展。
 インタビュ-に答えて、「人々のプラスになる絵を描きたい」
○毎年、個展3回開いた(東京2回、長崎1回)。個展は自分が自由に表現が
 できる。バラティーに富んだ作品を皆見て欲しかったのでは。


番組紹介欄から
 ------------------------
 ◇生涯、自分の世界を守り、純粋に美を追い求め続けた画家・今井繁三郎(1910~2002)を取り上げる。今井は20代の時、「人間の悲しみを知る画家が出てもいい」という竹久夢二の言葉に深く共感した。その後、交流の続いた画家・山口薫の影響、40年間、通い続けた長崎の色彩と文化、そして40代で初めて経験したヨーロッパの芸術から、今井は強烈な印象を受けた。こうしたさまざまな体験が今井の絵画世界をより豊かなものにしていった。老境に入った今井は心の赴くまま筆を執り続け、84歳の時に「埋葬」、88歳で「聖少女」、89歳の「殉教者」、90歳の「大衆ではない」など、次々に傑作を生み出す。画商との付き合いを拒み、個展を発表の場としていた今井は、広く知られぬまま一生を終えた。だが、最期までいい意味でのアマチュアリズムを持ち続け、夢を追う画家であった。東北の生んだ鬼才・今井の全容に迫る。後8時から再放送。 (NHK)
司会/はな 山根基世  その他/今井繁三郎
------------------------

最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
早速のコメントありがとうございます (今井繁三郎美術収蔵館WEB管理者)
2006-02-19 17:08:03
早速のメール及びブログへの掲載,ありがとうございます.

視聴した皆様から暖かい言葉を頂き,とても嬉しく思います.



美術館は現在冬季閉館中ですが,雪が解けた春頃より再開致します.

開館のお知らせ及び作品の紹介をHP上で行う予定ですので,更新しましたらご連絡申し上げます.



美術館は今井同様自由奔放な形の運営を続けたいと思っております.

作品は定期的に入れ替えを行いますので,機会があれば是非また見にいらして下さい.

そして何より,不器用かも知れませんが絵に対して真っ直ぐに生きた画家として,皆様の心に残れば幸いです.

返信する
ありがとうございます。 (会津マッチャン)
2006-02-20 13:23:20
素人スケッチを続けています。

各地の美術館巡りを楽しみにしています。

貴美術館のご発展をお祈りしております。
返信する

コメントを投稿