エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

草原でアザミの歌を口ずさむ

2006-06-30 | 自然観察
 《咲き始めた奇形のノアザミ》

 梅雨入りしてからも、ほとんど梅雨らしい雨が降らない。
今日も会津若松で30度近くまで気温が上がり、夏本番を思わせる一日だった。
家から約10キロ、車で15分、多少高原らしい草原にアザミを見に行った。
1週間前に訪ねたときに(拙ブログ 6/23「30年ぶりの赤井谷地湿原」)、奇形のアザミのつぼみを見つけた。
その後、大分開いただろうそのアザミの花を撮影に出かけたのだ。

 梅雨の晴れ間に、いつものように草原に咲くアザミが風に揺れ、とてもきれいだった。
 特に咲き始めの濃い紫色がきれいだ。
 写真は突然変異か、奇形のノアザミの花である。先日のユキノシタ(拙ブログ  6/21「珍しいユキノシタ」)と言い、今回の奇形と言い、関心をもってながめるといろいろあるものだ。

 つい先日、久しぶりに再会したギンイチモンジセセリの姿はもう無く、多少の寂しさを感じた。でも、草原に精一杯に生きる虫たちの姿がいつも感動的だった。

ハラビロトンボの数が目立ち、無心にアザミの蜜を吸うモンキチョウやウラギンヒョウモン、ハチやアブたち。ミヤコグサの花にはヒメシジミが、そしてまだ夏の始まりなのに、もう秋の虫たちが巣立っていた。

 一人静寂の草原で、アザミに感謝しながら 『アザミの歌』 を口ずさんだ。
 下は大好きな3番の歌詞。

 いとしき花よ 汝はあざみ
  こころの花よ 汝はあざみ
  さだめの径は 果てなくも
  香れよせめて わが胸に

【精一杯のいのちを生きる 草原の虫たち】
《モンキチョウ♂》

《ミヤコグサのヒメシジミ♂》

《ハラビロトンボ♀》

《コオロギ類》

《トラマルハナバチ》

しばらく、花や虫から精一杯の感動をもらいたいと思っている。

東山ダムのチョウを撮る

2006-06-29 | 昆虫
         《吸水に群れるテングチョウ》

 梅雨の晴れ間は、何となくもったいない。今日は昼前におにぎりを1個とお茶を携え、東山ダム方面に自然観察に出かけた。
 テングチョウが異常発生か、東山温泉入り口あたりから黒いチョウが道路に飛び交い、ダム周辺ではいたるところに乱舞していた。所々、日向の路傍に数十頭が吸水に集まっていた。テングチョウはいつものように激しく飛び回り、近づいてのシャッターチャンスは難しかった。
 ヒメシジミは♀が羽化したばかり、シロツメクサに吸蜜する♂とコマツナギに止まる♀を写真に収めた。アカツメクサのピンクの花とモンキチョウのコントラストがいつも美しい。くさむらを低空でヒョウモンチョウが行き過ぎるが、いっこうに止まらず同定しにくかった。ミドリヨウモンのようだった。
 例年なら、この時期に豪華かつ清楚なクマノミズキが咲く頃だが、まだつぼみが小さかった。じき小鳥のように勇壮に飛翔するオオムラサキも見ることができるだろう。 
 時々、一帯に生息する小さな自然のものさしを確認したい思いで出掛けているが、ダム湖周辺の自然はここ数十年変わらないようだ。
 限られた自然の中で繰り返されるこうしたチョウの営みはいつもいとおしく、崇高にさえ思える。まだ梅雨はこれからが本番、梅雨の明ける頃にまた行ってみようと思っている。

《羽化したばかりのヒメシジミ♀》


《シロツメクサのヒメシジミ♂》

磐梯のスケッチに彩色

2006-06-28 | スケッチ
       《湯川村から磐梯を望む》

 磐梯百景をスケッチしている。秀峰・磐梯山は絵になる山だ。
 数十年前から、眺める場所により違う山容をスケッチしている。もう100枚を超えた。
 磐梯は季節を問わずそれぞれに美しく、いつも、どこからも心を揺さぶられている。
 いつも現地で、スケッチブックにサインペンでスケッチ、1枚2,3分で3,4枚描いてくる。
 しばらくたまったスケッチブックを1枚1枚はがして畳の上に並べる。そして、水彩絵の具を水で溶き、空、湖、山容、畑、屋根・・・と筆を運ぶ。
 自己流なので、できばえはあまり納得いくものではない。
 最近は、ときどき忘れた頃に描いているが、今日は梅雨らしい雨、家にこもり静かに色塗りを楽しんだ。
 
参)拙ブログ
 2006.1.12「スケッチに出かける」
2006.1.23「厳寒の磐梯麗し」
2006.3.3 「磐梯を讃える」
2006.3.4 「私のスケッチ(磐梯を描く)」
2006.4.4 「布地に磐梯山を描く」

風に揺れるコウリンタンポポの群生

2006-06-27 | 自然観察

コウリンタンポポ」は、図鑑には  【正式の名前は「ヒエラシウム」で、キク科ミヤマコウゾリナ属の多年草。ヨーロッパ原産の多年草。観賞用に栽培されたものが野生化、全国で帰化している。北海道に多い】 とある
 漢字で「紅輪蒲公英」と書き、別名エフデタンポポ(絵筆蒲公英)とも言われる。
鮮やかなオレンジと黒が感性を揺さぶり不思議な魅力がありきれいだ。種よりも地下茎を伸ばして増えるので、かなり繁殖力が強いようだ。

 今、北海道に多いようだが、帰化植物のセイヨウタンポポが関東タンポポを駆逐したように、また増え続けたセイタカアワダチソウやヒメオドリコソウなどのように、これからどんどん殖えるのではないだろうか。植生上は問題もあろうが、とてもきれいなので、いいかもしれない。

 20~30cmに伸びた花茎の先端に花を10個ほど付けている。黒い虫がとまっているのかと思ったら黒っぽい毛が密生するつぼみだった。
 コウリンタンポポの群生が草原に揺れる光景はきれいだった。絵になる花だ。
 この橙赤色は紅花を思い出させる。草木染めはできないだろうか。


《コウリンタンポポに来たシマハナアブ》

トンボの飛翔活動を観る

2006-06-26 | 昆虫
        《ショウジョウトンボ》

 夏になると何度か訪ねる池がある。半日トンボの飛翔活動をながめに行くのだ。
睡蓮が美しく咲き出した今の時期、ヤゴが次々に羽化している。

 久しぶりにギンヤンマの雄姿を観察した。池の水面をスイスイと縄張りを主張しながら飛んでいる。突然、すごいスピードで獲物を追いかけ急上昇したりする。他のトンボが近づくと追いかける。ときどきホバリングをしたり、滑るように飛んで行って、くるりと180度向きを変え、また悠然と戻ってくる。風格すら感じられる飛翔だ。

 池の畔の岩には、燃えるように赤いショウジョウトンボが止まっていた。全身が鮮紅色に染まって、顔や巨大な複眼までが真っ赤だ。警戒心が強く、カメラを近ずけると敏捷に飛び立ってしまう。でも、縄張りを守って同じ位置に戻ってくる習性から、カメラを構えて待っていればチャンス到来だ。ショウジョウとは中国の想像上の霊獣「猩猩」の赤い髪の毛に見立てられてつけられた名前だそうだ。

 猿も木から落ちる。オオイトトンボが着地場所を間違え、水没してもがいていた。
睡蓮の葉上に助けてやると羽を広げ風に吹かれ、しばらくすると元気に飛び立って行った。


小さい頃、細い竹竿にとりもちを塗ってトンボ取りをしたことを思い出す。日本には180種類ほどいるとのこと。トンボにも興味はあったが、蝶ばかり追いかけていたので数種類しか同定できない。分かるトンボと言ったら、山道の渓流沿いに見るハグロトンボやカワトンボ類、シオカラトンボ、ナツアカネ、アキアカネ、それから、なんと言ってもオニヤンマ、小さい頃からのあこがれのギンヤンマなどだ。

トンボの季節が巡った。ホタルが舞い始め、クワガタ、カミキリ類やオオムラサキの雄姿も間近だ。秋までの虫たちの生活の一端を見つめていきたいと思っている。

庭の虫や鳥を観察する喜び

2006-06-25 | 自然観察
《ミズヒキの葉上のホシミスジ》

 はるか四十年も昔、小学生の頃買い求めた昆虫図鑑に「広く豊かな知性をもって自然を鑑賞し、自然に親しむことこそ、より良き人生の営みでなければならない・・・・・自然の神秘は限りなく奥深く、未知の世界は無限である」とある。
 たしかに自然に驚き、学ぶことは沢山ある。毎日庭をながめ、植物、昆虫、鳥たちを細かく観察することが私の無上の悦びだ。

 今日は、ウメの木の回りをスイスイと飛ぶオオミスジにカメラを向けた。ようやく吸水しに地面に下りたところをズームアップし、羽の端の白斑からオオミスジであることが確認できた。
 わが家の庭では、春から夏にかけてまずコミスジが飛び、次にホシミスジが現れる。これらはきわめて似たチョウだが、幼虫の食草が全部違う。この上なく不思議に思い、いつも進化の長い道にある理由を知りたいと考えている。

 一木一草に、小さな虫たちに感動しながら、自然からいろいろなことを慎み深く教えてもらっている。

《吸水するオオミスジ》


《キソケイに吸蜜するスジグロシロチョウ》

「草木染め」は心の色

2006-06-24 | エッセイ
 藍についてのエッセイ【拙ブログ6/22「布絵に磐梯を描く」に関連して】

「草木染め」は心の色
「あはれ 花びらながれ 
  をみなごに 花びらながれ・・・」
 この時期いつも口ずさむ、私の青春の思い出の詩である。
 今年の桜はこれまで以上に美しく感じられた。春休みに川俣町の染織家・山根正平氏のもとで、桜の草木染めをする機会に恵まれたからだ。その体験を通しての感動が、今胸の奥に広がっている。桜で染めたということで、染め上がった布がなんとあたたかなほのかな色合いを感じさせることか、とても不思議だ。
 染色の技術や理論以上に、心の動きこそより大切なものと考える。それは、草木染めが自然や歴史、長い文化や伝統により培われてきたものだからだろう。絹に拡散した淡い桜の色素をみつめながら、その奥に隠れているものに思いを巡らし、自分の心をみつめる豊かなひとときへとつながっていく。
 人の中心は情緒である。今日の科学技術も真の人間らしい生き方に基礎を置くものでありたい。帰りに紅花、紫、藍の種をいただいた。大事に育てて生きた教材としたいと考えている。   (1991.4)        



  

30年ぶりの赤井谷地湿原

2006-06-23 | 自然観察
 朝の雨が上がった昼に、強清水の蕎麦を食べに出かけた。ニシン蕎麦に舌鼓を打って、裏道を赤井谷地に向かった。
 高台に立つと、梅雨の晴れ間に静かな赤井谷地の湿原が広がり、ひっそり静まりかえった湿原にヨシキリがさかんに鳴いていた。
高台には昭和天皇が行幸の際に詠んだ歌碑が建っている。
「雨はれし水苔原にかれのこるホロムイイチゴ見たるよろこび」

 この前ここに来たのは、子どもたちが幼稚園の頃だったから、もうあれから30年も前になる。その時の、赤井谷地沼野植物群落の石碑の横で、今は亡き母と幼い我が子と写真を撮ったことを思い出した。
 付近の足下にイトトンボが沢山飛んでいた。きれいな空色のオオイトトンボ(特徴的な青い眼後紋で同定)は、動きが早くなかなかシャッターを押せなかった。



《オオイトトンボ♂》

近くの草原にはノアザミが美しく咲いている。そのはるか向こうに磐梯の黒いシルエットがさわやかだった。ニガナの花にギンイチモンジセセリが30年前と変わらぬ姿で蜜を吸っていた。ノアザミにヒョウモンチョウが止まった。近づくとウラギンヒョウモンだった。またまた、青春の思い出がよみがえった。久しぶりに合う友に、元気でいろよと呼びかけた。のどかな草原で生きる虫たちの幸せを思った。
《ギンイチモンジセセリ》
《ウラギンヒョウモン》

赤井谷地は、猪苗代湖の北西岸にあたり,比較的低標高に位置する高層湿原。およそ4~5万年前の火山の噴火により,猪苗代湖の水位が高かった時期に湖沼であった地域が,その後の水位低下と陸化によりおよそ2万年前から湿原が形成され今日に至っている。このような湖沼から典型的な陸化遷移によってできた湿原は,日本では現在のところ赤井谷地しか知られていない貴重な湿原である。昭和3年国の天然記念物に指定された。】


藍染めのハンカチ

2006-06-22 | エッセイ
《ろうけつ藍染めのハンカチ》

好きな色は?と聞かれれば、藍と答えている。
 趣味の藍染めの色、そして青春に打ち込んだ剣道の道着の色だ。

 いま庭の隅々まで至る所にアイの緑が美しい。きれいな清々した小さい葉が魅力的だ。
15年間、川俣町の染織家・山根正平氏に草木染めを学んだときアイの種をいただいた。 毎年こぼれた種が芽を出し咲きつづけてきた。秋に花を咲かせようと、今、すくすく育っている。
 教職にあったころ、課題研究の授業で伝統工芸としての藍染めを教材化したことがあった。生徒と藍染めに挑戦、ろうけつの藍染めのハンカチやのれんなどを作ったことを思い出す。今もときどき使っているその時のハンカチは宝物である。
 いわきの染工所を見学したことも、いまは懐かしい思い出だ。また唐桑半島を旅行したとき、栗駒町文字地区に「愛藍人館」を訪ね、日本最古の染色技法・正藍染について知ったこともあった。
 秋に咲く ピンクの花穂が 目に浮かぶ

《庭一杯に、すくすく育つアイ》



珍しいユキノシタ

2006-06-21 | 自然観察
 我が家のユキノシタが、珍しい花を付けた。花期は5月~6月、20~50cmほどの長い花茎を伸ばしてたくさんの花を咲かせるが、花茎の一番上におまけとばかりに咲いた花は全く違ったものだった。毎年咲いていたが、気づかなかった。
 花序の形は円錐形に近く、花はだいたい同じ方向に向かって咲く。普通、花には5つの花弁あり、上3枚と下2枚で大きさや色が異なっていておもしろい。上の3枚は小さくて先のほうが桃色を帯び紅色の模様があるが、下の2枚は白色で、大きく垂れ下がり左右の長さは等しくない。
 しかし、今回の花は下の白い花びらがなく、同じ大きさのピンクの花びらが10数枚付いていた。また、同じ株に、普通白い花びらが2枚なのに5枚あるものもあった。神様のいたずらか、ちょっとDNAの配置が狂ったのか。でも、おまけにもらったようで嬉しい。
《白い5枚の花びら》


 ユキノシタの名の由来は諸説あって、雪の下にあっても枯れずに残っているからと言う説、雪のような白い花が一面に咲き、その下に緑の葉を広げるからと言う説、はたまた花の形を雪の舌に見立てたと言う説等、いろいろで、真偽のほどは定かでない。また、湿気を好み、田舎の井戸端や池の傍などに生育する事からイケノシタ(池の下)がなまってユキノシタになったとも言われる。
 花をよく見ると不思議な興味深い花である。

シモツケ(樹木)とシモツケソウ(草木)

2006-06-20 | 自然観察
 今庭にシモツケソウが咲き出した。我が家には似たような花を付ける3種類がある。そのうち2つはモミジ葉状の葉で、花の付き方が少し違う。これはシモツケソウとその仲間のキョウガノコだ。
 もう1つはしっかりした木で、葉は縁に鋸歯のある細長い卵形である。いままでこれもシモツケソウの仲間と思っていた。でも葉の違いが気になっていた。図鑑で調べていたら、シモツケソウとは別に落葉低木のシモツケがあることを知った。知らないととはいえ、分かれば納得、ようやく今までの疑問が氷解した。

シモツケとは栃木県の下野で最初に発見されたため、あるいは花が散房状に密生して咲き、これが霜の降りたようすに似ていることから出たともいわれ定かでないとのこと。シモツケソウは花の咲き方がシモツケとが似ているための命名だろう。
 また、シモツケは種類が多く、会津シモツケとか土佐シモツケなど地名を付けたものが多いとある。そう言えば我が家のシモツケは妻の実家(松本市)からのもので、松本シモツケと聞いたことを思い出した。

 庭の3種類をカメラに納めてみた。
《キョウガノコ》
《シモツケソウ》
《シモツケ》

高田梅  そろそろ梅もぎ

2006-06-19 | 食文化
        《大きな高田梅》

会津高田町(現:会津美里町)の高田梅は日本一ジャンボで、ゴルフボールより一回り大きいくらい、種が小さく果肉が厚く、味がいい。室町時代に旅の僧が豊後の梅を植えたのが始まりらしい。その後、豊後梅に在来種の梅を掛け合わせ改良し現在の高田梅になり、400年の歴史があると言われている。
 植木市で間違いなく高田梅と言われて買ったが、白加賀だった。その後本物の高田梅の苗木を買った。どちらも毎年沢山の実を付けている。でも、今年はわが家の梅は30年来初めての不作、高田も白加賀もほとんど実を付けていない。どうも天候、雪や寒さのせいではないかと思っている。同じように庭の北西側にある小田原小梅もだめだった。ところが、庭の南側の豊後や2軒隣の娘の家の高田梅はたわわに実っている。
 不思議なことは、白加賀梅はどういうわけかカリカリに仕上がらない。いろいろな漬け方を工夫したが、どうしてもだめ、いつも梅干しにして食べている。その点高田梅はカリカリに漬かり、あまり大きいので、実を割って甘漬けにしている。そう言えば、昔は梅割の道具を工夫して作ったが、最近は梅割機を売っているのを知り驚いている。
今年も、そろそろ梅もぎの時期、初夏の風物詩梅漬けが始まる。

梅雨の晴れ間の小さな自然 

2006-06-18 | 日々の生活
       《咲き始めたキョウガノコ》

 時が止まったように静かな梅雨の晴れ間、全てがみずみずしい庭に精一杯のいのちを実感した。
 新芽の伸びきったコテマリの木陰を、ふるさとの空間を味わうようにホシミスジがひらひらと舞っている。柚子の新芽の黄金の卵も、いつしか終令幼虫となり姿を消したが、何気なく草を分けるとトラノオの茎に身を縛り付けていた。失われた柚子の葉が痛ましくもあるが、身動きできない忍耐の部屋から、あの美しいアゲハチョウが産まれる不思議を思い納得した。
 落ち着いた風情を感じさせる、雨に散ったバイカウツギの白い花びらの上を、地味だが金銅色に輝くアオオサムシが這っていく。
 科学技術の罪を言うなら、こうした自然を楽しみ愛する心が失われたことだと思う。
 アジサイ、オイランソウ、シモツケがそれぞれにつぼみを膨らませ、キョウガノコやハクチョウゲが咲き始めた。彩り鮮やかな主役が移ろいながら、毎年繰り返す庭の光景にいつも心がやすらぐ。

良寛を歩く (その7)

2006-06-17 | エッセイ
《良寛関連蔵書と良寛座像文鎮》

良寛を学びながら、いつも良寛の生き方にこころ揺さぶられている。
最近は、良寛の人生観、死生観が、徒然草の兼好や「欲はなく決して怒らず」の賢治、「今がすべて」と説く道元などと似ていると思った。
 良寛は「正法源藏」を熱心に読み暗記してたようだが、徒々草や方丈記を読んだであろうか。また、賢治は良寛を知っていただろうか。
 良寛を取りまく賢治、兼好、道元,長明の世界が広がる。そこから教えられる人生を思う。

 数年前に大病をしてから、自分の人生観が変わった。 Man is mortal. 人生は有限、明日は知れぬいのちであることも再確認した。そして人生を時間と捉え、欲を捨て、煩わしさを捨て、生を楽しみたいと思った。病を得て、闘病の中から知ったことだ。
 体調悪く、病院に通うときいつもその思いを強くする。
 点滴を見つめながらいろいろ考えた。1秒、1分の積み重ねで1袋の水溶液がなくなった。長いようでも、いずれなくなる時間を考えた。点滴の1滴1滴の繰り返しで長いと思った人生200mlがなくなった。過ぎればつかの間である。内容のある1滴1滴にしなければと思っている。

良寛に こころ揺さぶられ 今日も過ぎ

 6/16【良寛を歩く(その6)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】
 5/25【良寛を歩く(その1)】

良寛を歩く  (その6)

2006-06-16 | 旅行
    《良寛和尚像と詩碑》


柳津讃美! 良寛漢詩碑に思う

柳津・つきみが丘にブロンズの良寛像と漢詩の碑がある。
 よく温泉に入りに行くが、その都度像をながめていた。
最近この漢詩碑の内容を調べてみた。これは、良寛が「秋夜宿香聚閣」と題した、実に五言34句の長い漢詩で、荘厳な寺院と周りの景色を賛美している。この真筆の遺墨は出雲崎の良寛記念館にある。
 良寛は全国を殆ど行脚して回っていたというが、よほど柳津円蔵寺での眺めが良かったのだろう。 香聚閣(の円蔵寺)に泊まり、過ごした様子が細かく書かれ、特に麗しい周囲の自然風景に感動している。よほど気に入ったと思われる。
 良寛が訪れたのは秋と言われるが、詩の感動は春から夏の今の時期のような感じがする。いま、その漢詩に書かれた良寛の感懐を共有したいと思い、円蔵寺に参拝した。
 この詩で、良寛は立ち去りがたい思いを
「人間有虧盈 再来定何年 欲去且彷徨 卓錫思茫然 」と表現している。
当時と変わらないすばらしい景色を前に、そんな良寛の心境を思った。

     《春の円蔵寺》

参)拙ブログ
 6/17【良寛を歩く(その7)】
 6/9 【良寛を歩く(その5)】
 6/4 【良寛を歩く(その4)】
 6/2 【良寛を歩く(その3)】
 5/29【良寛を歩く(その2)】
 5/25【良寛を歩く(その1)】