エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

いのちの声

2008-03-31 | 文芸

 弥生尽という語を初めて知った。何ら変わらぬ時の流れだが、これまでの区切りの日だ。朝からみぞれ混じりの雨、今夜は雪の予報だ。昨夜、心配になって、庭に出した植木類を家の中に取り込んだ。
 明日から四月、世の中は溌溂としたイメージの新年度を迎える。

昨晩、ETV特集で「いのちの声が聞こえますか -高史明・生と死の旅-」を視聴した。 高史明氏が、息子の自死により導かれた「親鸞」「歎異抄」の思想から「人間にとっての生と死」を、いつものように穏やかに淡々と語った。在日朝鮮人の生い立ちから来る問題には一切触れられなかった。
 どうもいけない。「閑」に頭にもたげる疑問に取り憑かれていた矢先に、また宿題が出来た。視聴後、かつて感銘を受けた高史明氏の著作「歎異抄」「生きることの意味」(文庫本4冊)を取り出した。いつか読んだ難解な「歎異抄」を拡げ、かつて引いた傍線部分を一人声に出してたどった。
若いころ、浅はかなこころで日々浮かぶ疑問を解決しようとしていた自分を認めた。「生きることは悩みである」とはゲーテだが、ときどき「生きることの意味」を考えることの繰り返しだった。何も面倒な思考過程を求めることはないが、限りある日々を充実した時にしたい願いであれば仕方がないのか。

 明日から4月、また年を重ねる自分を見つめていきたい。

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-- NHK番組紹介から -- 3/30 ETV特集
「いのちの声が聞こえますか -高史明・生と死の旅-」

 今、3万人を越える自殺者、子殺し、親殺し、バラバラ殺人、根深いいじめの闇など21世紀の現代日本は混迷の極みにある。作家・高史明(コサミョン)氏(74才)。自身、最愛の一子を12歳での自殺で亡くした高史明は、科学と理性だけでは解決できない現代の社会のひずみや心の闇と対峙してきた。今、行き着いた親鸞の“絶対他力”と独特の“いのち”の思想からしぼり出す高史明の言葉は多くの人々を魅きつける。聞き手は全国の中・高校生から宗派を問わぬ寺院、病院、ホスピス、そして地震被災地などの老若男女。

 高史明がさまざまな「いのちの現場」に足を運び、そこで奮闘する人々と「人間の生と死」を考える。さらに高氏の言葉に共鳴する爆笑問題の太田光との対話を通して、“いのち”の思想に至る高氏の内面の世界に迫り、混迷の現代を生きる思想とは何か、最後に我々を支えうるものは何かを探り出してゆく。
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「老子」を学ぶ

2008-03-30 | 文芸
  
           【弾けはじめたサンシュウの花】

 前に拙ブログ(「求めない すると-」2008-03-09)で「老子」について書いた。
また、(「「閑」を求めて」2008-03-28)の続きだが、加島祥造の著書「伊那谷の老子」に、彼の「老子」体験談がありとても興味深いものがあった。(初の老子体験)
その中で、寺田寅彦の随筆に「老子」は漢学者の訳では理解できなかったがドイツ語訳を読んでおもしろくよくわかったことが書かれていた。加島自身も「老子」の英語訳を読んで、偶然寺田とまったく同じような体験をしていた。日本の「老子」訳や注釈文より明快であったことが書かれていた。

ブルーナーはその著「教育の過程」の中で、どんなに難しいことも、どんな年齢の、誰にでも教えることができるとの命題からいろいろなテーマを論じている。
 そうであれば、我々凡人にも理解できるようなかみ砕いた教材が欲しいところである。

今、かみ砕かれた加島の現代詩で「老子」を読むことができ、ありがたいと思っている。「老子」をもっと身近にしたいと思っているが、「老子」の示す心の動き、豊かな生き方に通じる心が少し分かってきたような気がしている。

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3/30
 今日、親類のKさんの奥さんの告別式に参列した。昨年お盆のお墓参りにはお目に掛からず、そのころから体調を崩されたようだ。式では、一緒に俳句を愉しんいたお仲間からの弔辞、弔句が捧げられた。晩年はよく吟行を楽しんでいたと聞いた。
 いつも別れは辛いが、翻り、いつも今を精一杯に生きなければとの思いを強くしている。
 

「閑」を求めて

2008-03-28 | 日々の生活
 
          【芽吹きを待つ】 何の新芽でしょうか?

 加島祥造の著になる「伊那谷の老子」を読んでいる。前半は、伊那谷からもらった自然礼賛である。

 彼は伊那谷の風向には、なによりもまず「やさしさ」がある、という。都会育ちである筆者であれば、たまたま伊那谷であったに過ぎないのではないだろうかと思った。彼の伊那谷へのこだわりは、実は日本のどこでもできたであろう自然の認識なのではないだろうか。たしかに彼も、心のふるさとは誰の中にも潜んでいて、その在り方や現れ方はみな違うとも述べている。都会育ちであったがゆえにいっそう自然への思いを深めることが出来たということかなどと考えた。いずれにしても、彼が自然と一体に成れたことが嬉しい。
 
 鉄齋の詩「居山豈為山 只愛此中閑」(山ニ居ルハアニ山ノタメナランヤ、タダ此ノ中ノ閑ヲ愛スレバナリ)を挙げ、「閑」とは己の実在意識を静かに味わう心だという。今生きているという意識だと。

 我が書斎はまさしくその閑の中にあり、いつもそのまま自分の時間を静かに味わっている。我が家は街中には珍しく自然の只中にある。庭の南西にスギの林があり、高台に建つため、西側、北側は何も遮るものはなく遠く街の灯の向こうに山並を望むことが出来る。窓から見える会津盆地の北西には飯豊山が壁のように聳え、北東には磐梯が美しい山容を見せている。
 東向きの大谷石の門柱が、私道から市道へ到る、私の人界への入り口である。いつでも行きたければ人界へ下りることは出来るが、概ね草木や小鳥を友に「閑」をたのしんでいる。だから、家族、愛犬以外に口をきく相手は少ない。精神も住環境も世の中から隔離された陸の孤島と言えないこともない。そんな小さな自然の中で「閑」が存在できると思う。日々「閑」を求めて満足しながら過ごしている。


【新芽の答え ・・・・ ナツツバキ(シャラノキ)】

かわいい絵ろうそく

2008-03-27 | 日々の生活


 2月8日~9日、今年も厳寒の雪の中で幻想的な会津絵ろうそくまつり行われた。まつりのブログへの写真投稿募集があったので、撮影した一番の傑作を選びメールで送った。
 今日、まつりの実行委員会から、その参加賞として手描きの絵ろうそくが送られてきた。同封の礼状には、寄せられた作品が紹介され、伝統の絵ろうそくの老舗山形屋製造との説明があった。

絵ろうそくのデザインは、起きあがり小坊師、赤ベコ、それに今年の干支、福袋を持ったネズミでいずれ鮮やかな色で描かれてあった。
 また、25点の作品はどれも幻想的な雰囲気を撮ったものだったが、私の作品だけが降る雪がフラッシュに光っていた。遠くのお城は多少暗くなるが、雪が本当に【ゆきほたる】のようでいいと思った。

 暗くなったらブランデーグラスに入れて、灯してみたいと思う。
 
来年もあの幻想的な情景をたのしみ、いい作品を撮ってみたいと思っている。
(2008/3/26)

(参)拙ブログ「絵ろうそくまつりを撮る」  2008-02-10


 
*** 会津絵ろうそくについて *** 【会津絵ろうそく実行委員会HPより】
会津絵ろうそくの歴史は古く、今から500年ほど前の宝徳年間、時の領主芦名盛信公が漆樹の繁殖栽培を奨励し、漆器の製造と共に、その実からは最上級の木ろうを採取し、ろうそくを作らせたことに始まります。本格的に作られるようになったのはその後で、蒲生氏郷公や保科正之公が会津の産業を発展させるため、漆樹の栽培を保護奨励し、漆やろうが多く生産されるようになってからです。江戸時代には、参勤交代の際に献上品として「南天と福寿草(難を転じて福となす)」が描かれた絵ろうそくを献上したところ、時の将軍綱吉公に喜ばれ、会津絵ろうそくは広く世間に知られることになりました。主に、神社仏閣への奉納や高級な贈答品として使われるなど上流社会で愛用されました。特に婚礼の際には一対の会津絵ろうそくが灯され、これが『華燭の典』の語源になったとも言われています。また、花のない会津の冬には、仏壇に供える花の代わりに絵ろうそくを飾るようになったといわれています。




庭にテングチョウ

2008-03-26 | 日々の生活


 長い冬を越したテングチョウを初見した。
いつも愛嬌を振りまいてくれる。今朝もカメラを近づけると逃げないで、じっと撮らせてくれた。顎のテング部分に手を触れると手の上に乗ってきた。意外と翅の傷みもなく鱗粉もしっかりしていて懐かしい光沢を放った。
 午後は曇りから雨という予報、三寒四温とはよく言ったものだ。
 まだ、夜中の最低気温を気にして、夜になると外に出した植木類を家に取り込み、また翌朝庭へ出したりと忙しい。
 ほどなく梅の香りがほのかに漂うことだろう。


春がそこまで

2008-03-24 | 自然観察

  ブログで人様の生活を垣間見ていると、どうもいけない。自分の怠惰な、次元の低さが情けなく思われてならない。
最近取り寄せた加島祥造の「タオ」*老子や詩集「求めない」を読む。
足を知る」とはいえ、いつも、どうしても焦る自分がある。

 昨日とはうってかわってどんよりした空から、ときどき雨が落ちている。窓越しに見えるアオキの実が赤く色付いているのに気づいた。気温も低く、風も冷たく強い。庭に出るのもためらわれたが、スノー帽をかぶり防寒をして庭に出る。カメラで春の息吹を探した。



 ワサビの葉が出そろい、小さな蕾が見えた。小さな葉を摘んで口に入れる。口の中にワサビの辛さがさわやかに広がった。 昨日見事に伸びたいわきの福寿草を見てきたが、我が家ではようやくつぼみが膨らんできたところだ。梅のつぼみも膨らんできた、チンチョウゲの蕾もだいぶ赤みを帯びてきた。秋口の剪定で枝を払ったサンシュがわずかの残った細い枝にかわいい黄色い蕾を付けていた。
 


 雪の磐梯も雪形があらわれてきた。春の穏やかな日がすぐそこまで来ている。
元気を出していこう。



春のいわきへ

2008-03-23 | 旅行
 

日曜日を待って、孫を連れ「いわき」へ行ってきた。目的は石炭化石館の見学、そして孫に海を見せたかった。

【抗夫の像】
化石館前のフタバスズキリュウの像の前で記念撮影をして館内へ。すぐに恐竜のぬりえ教室があり、孫たちはそれぞれに好きな恐竜の色塗りをして過ごした。最近ぬりえにとても興味を持っているので丁度良かった。
 1Fの化石展示室の恐竜の模型、化石は圧巻だった。武琉君はトリケラトプスやティラノサウルスなど知ってる恐竜の名前を大きな声で叫んだ。ハドロサウルスの足の骨の化石を触って、記念写真を撮った。
 次に、エレベータで実際に地下600㍍へ下りる雰囲気を味わいながら、採炭の模擬坑道へおりた。石炭発見のころから実際に掘っていた昭和40年代までの採炭の時代の流れを見た。孫たちは坑道を再現する暗い展示場がとても恐かったようだ。武琉はじいちゃん、萌香ちゃんはばあちゃんの手をしっかり握って歩いた。恐怖心をなくすように話をしながらようやく出口へたどり着いた。そのときの孫たちの安堵感が自分にも嬉しかった。
 昔、私がいわきに単身赴任をしていたころ、子どもたちが遊びに来た時化石館へ行ったことがあった。やはり娘はそのときの石炭の坑道の記憶が印象深かったようだ。
 化石館前のD51に乗り、大きな車輪やレール、運転席では計器などを触ったりしてとても嬉しそうだった。
 
 化石館をあとにして小名浜へ向かった。日曜日なので、比較的空いている三崎公園へ行った。近くの食堂はどこも満員で、昼食を少しずらした。みんなで豪華なイクラ丼を頼んだ。私は海鮮丼、我慢できずにビールを一杯ご馳走になった。申し訳ない!あとの運転は娘にまかせてしまった。
三崎公園では、芝生の坂をごろごろ転がって遊んだ。こうした楽しかった思い出がきっと心に刻まれたことだろう。いわきは私にとって思い出の地、あの海岸線の岩肌、波を見つめていたらもう20年も前のことが思い出された。
 
【三崎公園】               【春の海】

 帰路、ご縁のあった三和町のWさんを訪ねた。丸2年ぶりの再会だった。また、福寿草はかなり丈は伸び、見事に咲いていた。
 93,90歳になるご夫婦はお元気で、よく覚えていてくれた。驚いたことに、あれから私が差し上げた葉書や、ときどき新聞に投稿した記事は切り抜いて取っておいてくれた。それらを見せられ、とても有難かった。思えば2年前の1月、いわきで福寿草が咲き始めたとニュースで聞き出かけた。たまたまあるお宅の庭で写真を撮らせて頂いた。その折、お茶をご馳走になり元気なお二人の写真を撮らせていただいた。それからときどきの手紙のやりとりが続いていた。あのとき私の撮ったお二人の写真がテレビの横に飾ってあった。縁は貴いものだと思っている。

 今日の思い出も、きっと幼い子どもたちの脳裏のどこかに刻まれたことと思っている。沢山の体験、感動の積み重ねが子どもたちを大きく成長させると確信している。これからも、子どもたちの目や耳から純粋に入っていく豊かな情報を準備してやりたいと思う。そんな、内容の濃い小旅行となった。






美しいもの

2008-03-22 | 日々の生活
 

今日も数々の大自然に心動かされ、一日が暮れた。
何も言わない、感動をくれたこれらの美しい大自然に、今日も感謝、感謝。

○ ほぼ毎年、彼岸に咲き始める、あまりにもさわやかなミスミソウ。
  今日咲き出す。


○ 会津盆地からの北西、飯豊山が雪の壁のように聳えている。


○ 麗しの磐梯夕景、いつか夕日の燃える磐梯を撮したい。
【2F窓から】

○ 日没、悠久の大宇宙を思う。なんと小さきかな我等の営み。
  数分で沈みゆく神々しい光を見つめた。
【庭から】






隠れて咲いていたベゴニア

2008-03-21 | 日々の生活
          【根茎性ベゴニア「クロズル」咲く】


 
冬を越した鉢物の植物を全部庭先に出した。一度に2鉢ずつしか運べない。たこやイカのように何本も手が欲しいと思いながら、何度も往復した。
 その中に、毎年、葉を落としながらもかろうじて越冬するベゴニアがある。そのうちの1鉢が可憐な花を咲かせていて驚いた。嬉しかった。
下手な世話よりも自然に放っておいた環境が良かったのだろう。水やりも忘れがちな、手の届かない、棚の一番上に置いてある鉢だった。誰にも知れずに長い冬を越して見事に咲いた、けなげな花を愛でた。
 名も分からなかったこのベゴニアをネットのベゴニア図鑑で調べてみた。根茎性ベゴニアの仲間の「クロズル」らしい。

 根茎性ベゴニア「クロズル」         木立性ベゴニアの「アリス・フェイ」
 

 ベゴニアはシュウカイドウ科ベゴニア属の植物で、2000種余の原種とその数倍の交配種があるらしい。非常に変化にとんだ一属で、その姿・性質により、木立性ベゴニア、根茎性ベゴニア、レックスベゴニア、球根ベゴニア・・・など8種類に分類される。
 暮れに求めた、木立性ベゴニアのアリス・フェイは一冬中咲き続けてくれた。
 ときどき花屋で見る黄色やオレンジ、ピンクの豪華な球根ベゴニアなどは贈答に使ったことがあるが、この「クロズル」は地味で、なぜか毎冬大事にして細々殖えてきたベゴニアだった。葉の模様が変わっていて、日陰で育てたくらい緑色は不思議な光沢をしている。特別きれいなわけでもないが、なぜか大事にして冬を越させてきた。
 いつも初夏に園芸店に並ぶ赤や白、ピンクの花を付けたベゴニアは沢山求めてプランターに植えるが、それらは冬は越せない。
 今シーズン、ベゴニアを少し育ててみようかと思っている。


  冬越して隠れて咲きしベゴニアよ

彼岸獅子の舞い

2008-03-20 | 街中散歩

今日は彼岸のお中日、墓参りをした。
 墓前で、父と母に「こんな生活ではいけない」と諭され、心に響いた。

  帰路、例年のように彼岸獅子の舞いを見に本丸へ行った。あいにくの雨降りで、武徳殿で舞いが披露されていた。そういえば、一昨年は春の大雪でやはり武徳殿で舞われていたことを思い出した。
 毎年同じことの繰り返しだが、彼岸獅子の舞いを見て、私の心の中のさわやかな春が始まった。
北出丸の石垣にサザンカがさわやかに咲き始めていた。雪吊りもそろそろはずされ、本格的な暖かさを迎える。


その足で、磐梯神社の舟曳きまつりに行った。神事は昼からはじまり、地元の小学生によって巫女の舞い奉納された。数年前に新社殿が建てられ、伝統の行事が地域の若者によって立派に継承されている。

舟曳きまで間があったので、隣の慧日寺に復元されている金堂の様子を見に行った。
ほとんど完成したようで、工事中のシートが取り払われ茅葺きの屋根が神々しくあらわれていた。じき落慶法要がされるだろう。
 徳一廟への小川に、鮮やかな春の黄緑、蕗のとうが今まさに開こうとしていた。陽当たりの良い土手に大きな蕗のとうを見つけ写真に撮った。春の幸を少し摘んだ。フキ味噌でも作ってみたい。


 わが家の庭で、春一番に早く咲くのは、可憐なミスミソウだ。
昨年のブログを見ると「雪をよけてやったミスミソウモも1輪、色づいた花びらを広げた。豊後梅やボケの花芽はほんのり紅く膨らんできた。」とあった。庭を巡ったら、今年は少し遅いような気がする。でもクロッカスが明日にも咲きそうに大きなつぼみを付けていた。






 健康なうちに

2008-03-19 | 日々の生活
 ちょっと遊び癖が付いたか、土曜日は米沢へいつもの蕎麦の旅、月曜はまた飯坂温泉に行った。普段、家事や孫の世話に休む暇もない妻に、一時でもくつろいで欲しい願いからだ。

米沢道の駅「田沢」でいつもの「もり蕎麦」大盛りを楽しむ。店内の座敷には、先月まで飾ってあったきれいな団子ざしに変わり、木偶人形のひな壇が飾られていた。咲き出した福寿草の鉢植えとリンゴを求めた。
 あとはおきまりのコース、小野川温泉に浸かった。大峠はもちろんだが、米沢市内にもまだまだ雪が残っていた。




 飯坂温泉へは、午後からゆっくり出かけて、一晩温泉に浸かってきた。そして、翌朝はゆっくり宿を出て昼前には家に戻る。高速で1時間だが、次回は雪も消える土湯峠を通り、早春の景色をのんびり見つめて行きたいと思っている。
 旅館で食事をいただくとき、いつも部屋に掛かっている書額をみている。
「憂い無く、楽しみを?」3字目が読めない。何と読むのだろうかいつも気になっている。


 健康なうちに穏やかな日々を楽しみたいと思っている。
 いよいよ迎えたいい季節、身近な里山の自然を楽しみながら、近くの日帰り温泉をつづけたい。



季語

2008-03-18 | 文芸
 
縁ありて、いつも信州のブログの友の俳句を鑑賞している。

 ○ 料峭や小雨を拭ふ散歩かな   【ブログに遊ぶ
「料峭」と言う言葉に初めて接した。読めないし意味が分からないので、早速ネットで検索したら季語であることを知った。
 「福島民報」のコラム欄「編集日記」には(2/7付け)『 今の季節、手紙の冒頭に使うのが「料峭(りょうしょう)の候」だ。料はなでる、峭は厳しいで、春風が肌に寒く感じるのを指すが、長くなった日は春が近づいているのを知らせる。・・・・』 とあった。

 ○ 春動く厨の薯に生れしもの千曲川歳時記
 「春動く」という表現も「春めく」と同義で春のきざしを表現している。たしかに、言葉からは、木の芽が動く虫や小鳥たちが待ちわびた春を表現しているような気がする。

「ウィキペディア」には 「季語(きご)あるいは季題(きだい)は、俳句に必ず1つ含まれる事が望ましいとされる、季節を象徴的に示す語。 本来は俳句の起源である連歌・俳諧の季・季詞(きのことば)に由来する。俳句にとって「季語」は大きな役割を果たす。季語は詩情の象徴となるイメージを読むものに与える。 これを連想力といってもいい。又、時間と空間を一つのものとして表現する事が出来る。」とあった。

 あちこちに動く春を感じ始めている。
 季語を学び、少しでも季節を詠んでみたいと思うが、才能だろう、どうしても浮かんでこない。
鑑賞するだけで諦めることにしているが、チャレンジは続けたいと思っている。

待ちわびしグランドの声春動く

完全に雪が消えたグランドから、久しぶりの歓声が響いた。部活動始動だ。
【2F窓から】

磐梯のほのかに紅く春浅し

日が延びてきた。彼岸の夕日に秀峰が凛と聳えていた。
【2F窓から】 

教養を高めたい

2008-03-17 | 教育を考える

最近、「教養」のなさを憂える意見を散見する。
 あの「国家の品格」を書いた藤原正彦が「教養」について書いていた。【文藝春秋12月号「教養立国 ニッポン -救国の提言-」】
今の日本はアメリカの真似をして経済至上主義、お金が儲かるなら何でも良いという世の中になっているが、これでは、国は滅びる。国を救うのは「教養」だと。
「教養」はなぜ人間にとって大切かについて
「1。大局観を培うこと 2。人間的魅力を高める 3。教養は日本の国柄である 4。教養は愉しみでもある 5。人としての誇りである」と。
 日本は、「足りてますます衣食を求める」国に成り果てた。強くたおやかな国を取り戻すため教養主義の回復を切望している。とあった。

 また、佐藤学は「リテラシーの危機」の中で「日本の中学生の校外の学習時間が世界最低レベルであり、言語の危機と言うより教養の危機の状況である。教養に関する調査結果からも、子どもの学力低下よりも大人社会の教養の衰退がはるかに深刻だ」といっている。  【拙ブログ「言語の危機」 2008-01-23】

せいぜい教養を高めたいと思っている。その過程が楽しいから。

以前のエッセイ (2002.12.14 福島民報 掲載)
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「生徒の学力低下 学ぶ意識高めよ」
昨今、ゆとり教育の弊害として生徒の学力低下問題が懸念されている。先日の経済協力開発機構の調査で、日本の生徒の学力はトップレベルだが学習時間は世界一少ない事がわかった。今日の教育の課題が学力よりむしろ学習意欲の低下にあることを示した。ここで学力とは詰め込みの知識量でなく、創造性や感性などの真の生きる力との認識が必要である。
 生徒はなぜ学びから逃避するのだろうか。儒学者佐藤一斎は、学べば「壮にして為すことあり、老いて衰えず、死して朽ちず」と生涯学習を説いている。またトフラーの『未来の衝撃』には八十才近い老人が新しい世界を学ぶひたむきな努力が書かれている。彼は教養ある人間として死にたいと言った。
価値観の多様化した現代だが、人として生きゆくカギは学びから得られる教養と考える。それは教養が、目標を立て主体的に自己を実現する力だからだ。生徒には、人として生きる意義としての動機付けが大切と思う。   
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「心一刀流」

2008-03-16 | 日々の生活
 
  日曜の朝8時、NHK「小さな旅」をいつも観ている。今日は我が街、福島県会津若松市から、「心一刀流」が全国に放送された。1週前に「東北 小さな旅」として視聴した番組の再放送だ。

 ふるさとを誇りに生きる3人を通して会津若松の誇りが紹介された。雪がしんしんと降る街の様子は実に素晴らしい会津らしい映像だった。

会津にただ一つ伝わる溝口派一刀流を継承する長沼先生とその家族が紹介された。
長沼先生は、かつて一緒に仕事をしたことがあった、よく知る方だ。いたずらにいのちを奪わない流派の形は、一切声を出さず迫力十分だ。かたちだけではない、心が入っている。先生が数年前に脳腫瘍をされたことを知った。元気になられ剣一筋の立派な生活を拝見し、自分を羞じざるを得なかった。
 「ならぬものはならぬ」の什の掟が紹介され、その精神が、「あいづっこ宣言」として今も子どもたちに伝えられている。
 
 薙刀に励む高校生、星さんはこの春東京の大学への進学する。祖母から会津の伝統食「こづゆ」を習う姿、インタビューには「最期まで諦めない会津人、目標、信念を持って毎日を過ごして行きたい」と語った。

 雪の旧滝沢本陣やお城、雪の中を通学する小学生など、所々に雪の会津の映像がカットインされた。あらためて郷土の生活にとけ込む自然のすばらしさを感じた。
みんなが精一杯にこの地で生きている。そして、皆が会津人の生き方を誇りに思っている。あらためて、自分もこの地に生まれたことを誇りに思い、それに負けない自分でありたいと思った。

それぞれが家族に支えられて自分の夢を求める。感動の番組だった。
如何なく会津を表現した素晴らしい番組だった。

最期は、朝日に輝く磐梯山の映像を背景にタイトルが出た。ナレーションは「やってはならぬ、やらなくてはならぬ 信念を心に秘め生きる会津の人たち」と締めくくった。

幼児期の環境

2008-03-15 | 教育を考える
                【仲良く遊ぶ】

  娘が孫たち二人にDSを与えて2ヶ月ほどになるか、いつも楽しくやっている。
好きなソフトは、マリオやパックンロール、暇さえあれば興じていれば当然だが、そのゲームクリアの進歩には目を見張るものがある。武琉君が幼稚園に行っている間、萌香ちゃんはマイペースで、DVD、DS、絵本、おもちゃと忙しく遊んでいる。DVDの操作もばあちゃんよりも知っている。武琉君は、じーちゃんのPCで(お気に入り)に入れてある「カブトとクワガタ」を出して、画面を自由に操作できる。こんな孫たちの幼児期の環境は、我が子の時代とはかなり違う。まして我々の育ったころは昔話だ。いいか悪いか、でも羨ましく思う。

「好きこそものの上手なり」、「習」の字の「白」はひよこの身体、何度も羽ばたきを繰り返して飛べるようになることらしい。
「論語」に「性相近し、習い相遠し」とある。人の生まれながらもっている性質にはあまり差はない。その後の習慣や教育の違いにより大きな差ができるという。親に似ることは否定できないが、孫の成長に少しでもいい環境を整えてやりたいと思う昨今だ。自由奔放な遊びの中から「性」が造られていくのだ。毎日、孫の成長を見ながら、周囲の環境、しつけや教育が大切なことをあらためて思っている。