エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

大雪の年越し

2007-12-31 | 日々の生活
 昨日の夕方から本格的な雪降りとなった。今朝窓を開けると、一面の雪景色に静まりかえっていた。寒波の到来で、年始にかけてしばらく雪が続きそうだ。

早速、雪の降る中を家中総出で雪かたしをした。けっこうの重労働で、いい運動になった。ついでに孫の家の庭に雪のゲレンデを作った。出来たばかりのスロープで、孫は何度も何度もソリ滑りに興じた。
孫たちは、本格的な雪遊びは初めてだろうか。ママと武琉はかまくらを作り始め、じいちゃんは萌香に促されて雪だるまをつくった。
 これからそのうちスキーにも連れて行ってやろうと思っている。思えば、もう何年も滑っていない。
 

 灰色の雪が、空から際限なく落ちてくる。桐の枝に積もった雪が風に雪煙を上げて落ちる。ときどき降りがひどくなり、豪雪時の恐ろしさを想像するほどに降った。これからも何度か厳しい寒さ、雪の日もあるだろう。

あと数時間で今年も暮れる。早めに風呂に入り、恒例のすき焼きを突き、みんなでゆっくり年越しをしたい。



柞(ははそ)の森

2007-12-29 | 日々の生活
              【小さな柞(ははそ)の林の中の我が家】

 今朝4時、ラジオ深夜便 で「 柞(ははそ)の森に立つ 」(平成19.1/5の再放送)を聞いた。気仙沼の歌人 熊谷龍子さんを知らなかった。(歌集に「花の北限」,「地表水まで」,「森は海の恋人」,「柞の森」などがある。祖父は歌人熊谷武郎氏)

柞(ははそ)とは広葉樹のことで、里山のクヌギやナラなど雑木の類を言うことを知った。そして「ははそ」のすばらしさに共感しながら、木々を愛でる彼女の歌のいくつかを聞いた。

 四季それぞれに柞(ははそ)を愛でる歌は披露されたが、どれも感じたそのままを易しく詠む、自然な歌だと思った。自分にも読めそうな気がした。自分の心を素直に表現してみたいと思った。自分の自然を前にしての感受性は良くわかるが、問題はその感受性を言葉にするまでの過程と思う。その頭の中の回路が歌人の才能であろう。
 
 「森は海の恋人」と言う言葉は聞いてはいたが、これは彼女の「森は海を 海は森を恋ながら 悠久よりの 愛紡ぎゆく」(『歌集 森は海の恋人』(1996年、北斗出版発行))からのものであることを知った。地元気仙沼の牡蠣養殖業 畠山重篤さん〈牡蠣の森を慕う会〉は、「海にとっても山が大事」と訴え、植林や啓蒙などを中心にした自然保護活動に「森は海の恋人」というキャッチコピーをつくったのだった。
また、気仙沼の樹齢800年のカツラの木についても語られていた。県指定天然記念物の高さ33mの県内最古、最大の巨木らしい。一度見てみたいと思った。
 実は、最近、三陸方面への旅を計画していた。魚を食べに、そして冬のリアス式海岸を訪ねたいと思っていた。当を得たいい情報だった。

 今朝は今の時期としては暖かい。低気圧が南からの暖かい空気を運んで、静かな冬の雨降りだ。明日からはこの冬一番の寒気団が襲来、雪の元旦を迎えそうだ。
 冬も毎日庭を楽しんでいるが、今朝の放送を聞き、あらためて庭の小さな柞(ははそ)の林に自然を見つめた。歳月の流れを、人生を、健康を、家族を、・・・すべてに思いを巡らし、積もった枯れ落ち葉に眺め入った。
 
 数日で年が変わる。新しい年も庭の豊かな自然小さな自然を愛でながら、穏やかに過ごしたいと思っている。

孫の流した涙

2007-12-27 | 日々の生活
            【孫への手紙に添えたサンタさん(ネットより)】

 クリスマスの朝、届いたクリスマスプレゼントに大喜びの孫たちを嬉しく見つめた。
 イブの夜、孫はサンタさんのプレゼントを何度も確認しに、しょっちゅう起きていたようだ。

 孫二人のクリスマスプレゼントに添えて、サンタさんからの手紙を書いた。
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たけるくんへ

たけるくん、げんきであそんでいますか。
たけるくんは、いいこなのでサンタさんからおくりものをします。
たけるくんのおねがいした、デンカメンソードです。

ママ、もえかちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん、
あっこちゃんのいうことをよくきいて、なかよくくらしてくださいね。

さようなら。 12/24
   サンタより

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 武琉君はもう字が読めるので、パソコンでひらがなだけで書き、サンタさんのカットを入れた。
 サンタからの手紙を静かに読んでいる孫の様子がおかしかった。泣いているようだった。どうしたのと聞くと、涙を一杯溜めて泣いた。9月に5才になったばかりの孫の武琉君が涙を出して泣いたのだ。驚きだった。
 なぜ泣くのと聞いてみると、悲しくなったと言う。どこがと聞くと、「さようなら」と「仲良く暮らしてください」のところのようだが、この5才の子どもの気持ちはいったいどんななのだろうか。前にも、ビデオを見ながら泣いたこともあったが、いろいろ複雑に絡んだ情緒の表れなのだろう。そばにいてこの気持ちを思い、もらい泣きをしてしまった。

 こどもの発達過程を思っている。孫の健康な成長を願い、親として祖父母としてしてやれることを精一杯やってあげたいと思った。これからも孫の健全な成長を願い、温かい、明るい、楽しい家庭生活を送りたいと思う。
これからも孫たちの安定した情緒の発達を見つめていきたい。



良寛が好きだった父の心境

2007-12-26 | 文芸
           【遙か佐渡を見つめる良寛 2006.5撮】


晩年、父はしばしば良寛を語った。生前、父に請われて何度か良寛ゆかりの地を訪ねた。思えば、ほとんど良寛を知らなかった20年も前のことだ。
 最近は、自分がそのころの父の年齢近くになり、良寛の生地出雲崎や、墓所のある和島村の隆泉寺を巡り、良寛を訪ねた父の心境を思っている。

良寛は、物、名誉、地位、金銭、権力などのために生きる生の空しさを教えている。かつてない平和と繁栄の中、とかく本当の豊かさを忘れることがある。便利で恵まれた豊かな生活が、すべてお金に絡むものであっては切ないことだ。経済的な繁栄が即幸せではない。もう一度、人としての生き方を考えたい。父もそんな思いであったろう。

 寒さが厳しくなると良寛の五合庵を思い浮かべ、あまりに質素な貧しい生活をあえて選んで耐え抜いた良寛の強さを思う。今度また、雪の中に五合庵を訪ねたいと思っている。



県立博物館で学ぶ

2007-12-24 | 街中散歩
           【カバに似たほ乳類パレッパラドキシアの骨格模型】

 孫を連れて福島県立博物館へ行った。きょうの目的は、①孫に化石標本とフタバスズキリュウの見学、それに②私が関心を持った歴史講座「会津暦」の見学だった。
 5才になる武琉君は恐竜に興味を持ち、もうほとんどの名前を覚えてしまった。いつか行ったことのある新潟の自然科学館の恐竜のことをよく話している。じいちゃんの、それらに関心を持たせたい気持ちもあるのか、考古学や昆虫にとても興味を持ち始めている。

 幼稚園も休みになり、今日、いわきの石炭化石館へ行く予定を立てていたが、天気も悪く急遽、市内の県立博物館で我慢してもらうことにした。確かこの前は今年の冬、雪の中を博物館へ行って、体験学習コーナーで孫と遊んだことを思い出した。
 博物館の「自然と人間」コーナーには、いわきで発見されたフタバスズキリュウの骨格模型がある。三葉虫や貝や葉、アンモナイトなどの数々の化石をながめた。武琉君は備え付けの顕微鏡に興味を示し、琥珀の中の昆虫や、花粉を興味深く何度も覗いていた

孫をママにあづけて、丁度開催の「会津暦」展を興味深くみてきた。
 会津の文化遺産の一つに会津暦があり、明治初年まで会津の人々の暦となっていた。
 普段は、何気なく目にするくらいのこよみだが、会津と深い関わりを知った。
 江戸幕府によって暦法が制定される以前から、地方暦が使用されていたが、会津でも独自の暦が諏訪神社で作られ使われていた。江戸幕府は暦を出版する権利を数か所に限定し、流通経路も統制した。会津はその一つで、会津暦は北関東から東北一円にかけ広く用いられ、会津の名産となったという。
 いろいろな会津暦が展示されていたが、あらためて、会津の歴史・文化の高さを思い知らされた。

 今日も博物館は閑散としていた。昔の玩具で遊んだ体験学習コーナーも孫たちの貸し切りだった。県立博物館は我が家から数キロ、いつでも行ける距離なのでときどき訪ねてきた。その都度、時代の流れやテーマを絞って見てきたが、まだまだ理解が足りない。
 先人の生きた証として現在があると思うと、その自然や歴史、文化を知ることは楽しい。 これからもまだまだ考察したい領域を学びに訪ねたいと思っている。

植物の耐寒性に驚く

2007-12-23 | 自然観察
           【厳寒のオオイヌノフグリ】

早朝から、私の朝食も待てない愛犬がいつも散歩をせがんでいる。
今朝も、残雪凍てつく零下の散歩道に、完全防寒で出かけた。
道のあちこちにこの厳寒に耐える緑をみる。耐寒性の強さ、生命力を思った。
 葉の上に霜が降りたいろいろなロゼットは美しいが、いかにも厳しい寒さに堪え忍ぶ強さに驚いた。すべてが凍てつく厳寒に、パンジーが美しく咲いている。むしろ雪があった方が温かくしのぎやすいだろう。春一番に日だまりに咲くオオイヌノフグリも、花びらを開きかけていた。なぜ凍らないのか不思議だ。
 植物によって、耐寒性、耐凍性はどこが違うのだろうか。一晩零下の戸外に置いて、枯らしてしまった植物は多い。今年も寒さに弱い植物を、秋口から徐々に家の中に取り込んだ。玄関から縁側、書斎に至るまで、まるで植物園のように、鉢が所狭しと並んでいる。
 寒さに耐え、春を待っている。
(2007.12.22)

 【厳寒に咲くパンジー】
 【凍れるロゼット】

柚子湯に浸かる

2007-12-22 | 日々の生活
          【ミカンと黄色い柚子】

湯煙に浮かんだ柚子を手に包む


 昨夜、食卓には冬至カボチャがのり、柚子湯に浸かった。
 今日は冬至、伝統的な生活行事が何とか細々と親から子へ、子から孫へと引き継がれていくのかと思った。

 昨日のお風呂は何とも言えない嬉しいお風呂だった。はからずも湯船に浮かぶ黄色が印象に残った1日早い柚子湯だった。手に包み、よくながめた。湯に浮かぶ黄色うく丸い柚子があまりに眩しかった。

 昨日は実に4ヶ月ぶりのお風呂だった。8月末からお腹にカテーテルを入れられ、湯につかれなかった。回復してからのシャワーや半身浴もさびしかった。ようやく煩わしさからも解放され、あれほど温泉巡りをしていたころのように再開できる喜びを感じた。

 湯船に廻るきれいな柚子を見つめながら、目頭が熱くなった。普段、ミカンのオレンジを想像していたが、柚子は本当の黄色なんだ。顔がでこぼこした柚子の個性をほのぼのと見つめ、こころから健康を祈った。


エッセイ集「麗しの磐梯」の編集

2007-12-21 | 文芸


《 いつか書いた「エッセイ集 麗しの磐梯」》



十数年前から新聞の読者欄に投稿してきた。いろいろ見聞きし、網膜に映り鼓膜に響いた心を素直に書いてきた。
 8年前に、それらを「エッセイ集 麗しの磐梯」にまとめ自費出版した。
 訴えたいことは、やさしさ、美しさ、楽しさ、苦しいこと、醜いこと等々、いずれこころに去来することであった。拙い文章だが、動かされたこころを素直に写生したもので、かけがえのない日々の足跡と思った。

こころ豊かな生き方を求めながらたどり着いた還暦に、その後綴ったささやかなエッセイを、もう一度、続編として残したいと思った。そして今、温かい周囲やこれまでの恵まれた平和な日々を感謝しながら、来春の発刊を目指してじっくり編集を進めている。

 鈍い感受性は如何ともしがたいし、持てる語彙の如何に少ないかを知らされている。
 美しい山河に感動し描いたスケッチも載せたいと思っている。
 何よりも、1ページ1ページごとの編集の作業は、すべてがとても楽しいものだ。

ちっぽけな人間の、狭い、短い人生だが、垣間見た小さな自然や関わった人々との出会いは、生きていることのすばらしさを教えてくれた。そんな時々の心に去来する思いを素直に綴ったものだ。いつも、時がもう少し緩やかに流れたならと思いながら、時々立ち止まり静かに内面を掘り下げている、ひとときの記録でもあろう。

 これからも「どう生きればよいのか?」そんな問いを抱きながらも、良寛の「騰々任天真」の心境で時の流れに身を任せていきたいと思っている。そんな思いを、拙書に表せたらと思っている。


2007年をふり返る

2007-12-20 | 日々の生活
            【いよいよ本格的な雪の季節到来】

 師走の入ったと思っていたら、もう残りわずかとなってしまった。
今朝も冷え込んだ。わずかに残っていた秋の気配も、昼前からの本格的な雪降りに完全に消えてしまった。庭のすべてが真冬となった。

 もう少しとなったこの1年をふり返ってみた。
いろいろあったが、何とか穏やかに新しい年を迎えることが出来そうだ。

【病気】
  先ずは、私は今年も病気と仲良くしすぎた。ともかく頻繁に熱を出した。四度の入院を繰り返し、日数を数えたら通算53日間にもなった。実に無駄な、悔いの残る日々であった。
  また、隣に住む下の孫の萌香が高熱で痙攣を起こし、救急車で入院した。忘れもしない1/18の夜だった。初めての入院に我慢できずに2泊し3日目に家に戻してもらった。

【お祝い】
 嬉しかったことは、息子の結婚だ。仕事の関係で、一番暑い季節に郡山で式を挙げた。親類が遠路、多勢でお祝いに駆けつけてくれた。7/28のことだった。
 孫も健やかに成長している。武琉君は幼稚園年中組に入園、11月には萌香3才、武琉5才の七五三のお祝いが出来た。

【楽しみ】
 元気な時は、今年も身近な自然を楽しみ、いい写真を撮ることができた。特にトンボの観察では、今年も絶滅が心配されているナニワマダラトンボの棲息を確認でき嬉しかった。

【新聞投稿】
新聞各紙の読者欄へ投稿し、駄文が以下に掲載された。
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「感謝の気持ちを忘れずに過ごす」          2007.1.5 福島民友
「夢を見ながら過ごしたい」 2007.1.8 福島民報
「詩歌を詠み、俳句を作りたい」    2007.2.6 福島民友
「残念な「ゆとり教育の見直し」」 2007.2.14 朝日福島
「感動こみ上げる 湖畔の水鳥たち」 2007.2.20 福島民友
「八葉寺訪ねて自分の健康祈る」 2007.3.4 福島民友
「宗像窯に生きる民芸運動の教え」    2007.3.20 福島民友
「原発トラブルで企業体質に不信」 2007.3.25 福島民友
「「徳育」論じた会津武士道」    2007.4.23 福島民報
「学力を育む創造的な教育を」 2007.4.24 福島民友
「散る桜の花びら無常さを覚える」         2007.5.6 福島民友
「健康であれば何もいらない」           2007.5.13 福島民友
「村営学習塾より「少人数学級」を」 2007.5.14 福島民報
「良寛の思想を漱石も愛した」 2007.5.16 朝日福島
「やさしさを育む社会を」             2007.5.17 福島民友
「可憐な山野草を楽しむ」 2007.6.7 福島民友
「こころの知能育む教育必要」 2007.6.20 朝日福島
「梅雨入りした庭虫たちの心情は」 2007.6.23 福島民友
「天王山の参院選 見極めて一票を」 2007.7.24 福島民報
「一族の盆の墓参り」               2007.8.9 福島民友
「広島原爆記念日 核廃絶を再確認」 2007.8.18 福島民報
「自然の変化感じ穏やかな日々を」         2007.8.30 福島民友
「スズムシを庭に放す」      2007.9.22 福島民友
「巡り来た もの思う秋」 2007.10.5 福島民報
「温かさあふれる斎藤画伯の作品」    2007.10.5 福島民友
「仏像を鑑賞 心の豊かさを求める」 2007.11.1 福島民報
「掛け軸の戒めに 心の弱さを知る」     2007.11.9 福島民友
「なごやかな時を共有できる幸せ」         2007.12.4 福島民友
「入退院の一年 草花が癒しに」         2007.12.27 福島民報
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【まとめ】
食べるために働くのではなく、働くために食べるのだと言われる。確かに、人生の目標は、もっと人間らしくあらねばとは思う。
 健康も食べ物と同じように、健康であることが生きる目的ではないだろう。健康は人生の目標を求める手段でありたいとは思う。
 今年、4度の入退院を繰り返した。その都度、いつも健康の大切さを知らされてきた。だから、まずは健康でなければと思っている。
しばらくは、健康を日々の目標にして穏やかに生活していきたい。


鍋料理に舌鼓

2007-12-18 | 食文化
 鍋料理の美味しい季節となった。
 我が家の鍋は何と名付けたらいいのだろうか、いろいろ入ったごった鍋だ。
 名付ければ、寄せ鍋であり、水炊きであり、鱈ちりでもあり、豚ちり・・・バラエティー混合鍋だろうか。
 具はともかく豪勢だ。野菜は白菜中心に、シュンギク、ネギにシイタケ、エノキダケなど、魚類は、鱈にホタテ、牡蠣と何でも入れる。今回は、豚肉や鶏の手羽も入っていた。中々出来ないが、たまには味噌仕立ての鮟鱇鍋も最高、本場いわきでご馳走になった鍋が忘れられない。

 孫たちのために豆腐やさつま揚げも入る。みんな好みの物をつついて頂く。こんな豪勢な鍋はない。味は塩味、これだけの具が入るので複雑だが、それぞれの幸から醸し出される味は天下一品である。好みでポン酢で戴く。小生は唐辛子を振るだけ。 

 きのうはいいことがあった。退院後の検査で、長い間の治療が一段落した。しばらく熱のでないことを祈っている。
 お祝いに鍋をお願いした。かつての呑兵衛としては、お祝いなのでしばらくぶりの一杯を所望せざるを得なかった。外は冷たいみぞれ交じりの雪、寒い晩のおあつらえ向きの夕餉に、健康の有り難さをかみしめた。

草木の魂を供養する草木塔   熱塩加納 

2007-12-17 | 街中散歩
           【ひっそり佇む草木塔 熱塩加納】

 ときどき美味しい蕎麦を食べに、大峠を越えて米沢へ行く。大峠から米沢へ入る途中の「道の駅・田沢」の駐車場に、最近、大きな草木塔の石碑が建てられた。また、何年も前から、この道の駅の食堂にはこの地方の写真が飾られていた。いつかはこの地方にあるいくつもの「草木塔」が特集されていた。
 「草木塔」は、山形の置賜地方に数多くみられ、この田沢地区が発祥の地らしい。
 「草木塔」と刻まれた石碑は置賜地方に約60基ほどが確認され、置賜以外では山形県内に8基、福島県に1基がみられるだけと言う。

 昨日、墨絵の雪景色を楽しみながら、蕎麦を食べに出かけた。大峠の福島県側の熱塩加納小学校の隅にも小さな「草木塔」があり、最近、案内板が建てられた。



 草木にもそれぞれ霊魂がやどり、その草木から得られる恩恵に感謝し、伐り倒した草木の魂を供養する心が、草木塔を建てさせたものと考えられている。

 我が家では庭を「自然に学ぶ庭」と命名し表札を作ったが、この、先人たちの草木に感謝した気持ちを思い、もう一枚「自然に感謝する庭」の表札を作ろうと思っている。



(追)そう言えば、種田山頭火の自選一代句集も「草木塔」でした。

クリスマスプレゼント

2007-12-15 | 日々の生活
先日、みんなでクリスマスツリーを飾った。
 最近は、ママはクリスマスのプレゼントを出汁に、孫たちに「いい子でいないとサンタさんは来ないよ」が口癖だ。
 孫はテレビや雑誌で見せつけられるヒーローに憧れ、プリティファイブだ、仮面ライダー電脳だと大騒ぎだ。大分前から、人気アニメのおもちゃをサンタさんにお願いしている。
じいちゃん、ばあちゃんは孫の喜ぶ顔が見たい一心で、そのプレゼントを準備したり、プレゼントに添えるサンタさんからの手紙を書いたり大変だ。
 3年前には、じいちゃんは白いひげを付け、赤い服を着てサンタクロースを演じたものだ。今年はどうしようか迷っている。
 クリスマスイブに枕元に靴下を置いて寝かせたい。そして、いまから、翌朝の孫たちの喜ぶ姿を想像している。


たけるくんへ

たけるくん、げんきであそんでいますか。
たけるくんは、いいこなのでサンタさんからおくりものをします。
たけるくんのおねがいした、デンカメンソードです。

ママ、もえかちゃん、おばあちゃん、おじいちゃん、
あっこちゃんのいうことをよくきいて、なかよくくらしてくださいね。

さようなら。 12/24
   サンタより


心落ち着く書写に充実感

2007-12-13 | 日々の生活
             《山ぎわに残るきれいなヤマブキ》

 書写という行為がある。何度か般若心経を書写したが、とても心が静まるものだった。 自分の心を見つめたいときにはときどき書写をしている。
 墨を擦り筆を握りたいが、筆は苦手でもありもっぱら愛用の万年筆で、白紙に向かい心に響く文章を書き写している。出来れば座机がいい。畳に正座し胸を張って深呼吸する。そんなとき妙に心が落ち着き、静かな充実感が湧いてくる。
 よく気に入っている良寛の漢詩や徒然草の一段などを書き写し、良寛や兼好の生き方を思ったりしている。そんな所作にいくつもの名言をそらんじてしまった。それらはいつしか日々の人生訓となり、ささやかな私の日々を支えているような気がしている。
 今朝は賢治の「雨ニモマケズ」の詩を書写したが、静かに声に出して読むと、ますます心に染みてきた。


 

Kさんの訃報に接する

2007-12-12 | 健康
          《師走 赤く色付いたいろ白い小菊》


【11/19 入院中のメモから】
妻から、4年前に神奈川の大学病院で知り合い励まし合ってきたKさんの訃報を聞いた。
 Kさんは、福島市のご出身で、若いころ上京し大学病院の近くにお住まいだった。入院中、よく私の病室に見舞いに来てくださった。同じような病気に、退院後も、私が定期的に診察を受けに上京した時にはしばしばお会いし励まし合っていた。妻も、奥さんとはメール友達だった。
 穏やかな人だった。心温まるやさしさにいつも励まされた。ありがたかった。
 こころからご冥福を祈りたい。

ベットにて手紙を書いた。
『 拝啓
   昨日の夕方からの雪が、散り急ぐモミジにうっすら積もりました。
  いよいよ雪の季節の到来です。
   この度、Kさんの突然の訃報に接し、切なく残念でなりません。こころより
  ご冥福をお祈り申し上げます。
   ご主人には大変お世話になりました。こころから感謝しております。
  思えば4年前、T大学病院の8F食堂で、妻がご主人にお声をかけて頂きました。
 当時、私が生死をさまよっていたころ、私の病室へ何度もお元気な顔を出してくれました。
 また、ときどきお便りをいただき、三春からの電話で・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
    ・・・・・・・・・・
  先ずは取り急ぎお悔やみ申し上げます。
  こころからのご冥福をお祈り申し上げます。 敬具
                     11/19 病室にて   』


さびしい病院での食事

2007-12-11 | 日々の生活
《待ちかねた 身知らず柿》

  病院の食事は何とさびしく味気ないものか。カーテンで囲まれた病院のベッドで一人プラスチックの配膳に向かうとき、とても惨めな気持ちになる。ほとんど寝ている生活だからなのだろうか、標準食の1400kcalは自分には物足りないし、贅沢は言えないが、メニューも食欲をそそるものではない。

 食後、ぼんやり窓の外を眺めると、窓越しに紅いモミジが青空に映えていた。
土手の大きな黄色い葉はクズだろうか。時折膨らんだススキの穂が揺れ、アカネが緩慢に舞っているのが見えた。終わる秋の穏やかな陽があまりに目映かった。

 我が家の小春日の縁側で、ばあちゃんが剥いてくれる柿やリンゴを食べる孫の姿が浮かんできた。こんな幸せな時間を一緒に過ごせないことが辛い。早く健康を取り戻さなければと痛感している。

【11/14 メモ】