エッセイ  - 麗しの磐梯 -

「心豊かな日々」をテーマに、エッセイやスケッチを楽しみ、こころ穏やかに生活したい。

春近しを感じさせるハクモクレンのつぼみ

2011-01-30 | Weblog

夜の間に積雪20cmくらい、庭の気温-5℃、相変わらず寒いがいい陽が差してきた。
 少し沈んだが、まだ1m近くの積雪のある裏庭に踏み入れ、ようやくの思いで脚立を掘り出した。
秋に、裏庭の奥のトウカエデの枝を払ったままそこに立てかけておいたのだ。
 ふくらんで、白い毛が美しく輝いているハクモクレンの花芽を撮ろうと思ったからだ。

 数日前にも見たが、綿帽子を払い逆光に透けて輝くつぼみには春の兆しを感じた。



昨年大分枝を払ったが、今年もたくさんのつぼみが大きくなってきた。
ビロードのような毛に覆われたつぼみを、冬の晴れ間に見るのは楽しいものだ。
 圧雪の庭に脚立をかけて登った。
クローズアップレンズでのぞくと、今まで知らなかったつぼみに殻のようなものが見えた。
つぼみを覆っていたものだろうか。ほとんどはこの殻はむけてしまっていた。下の小さいのは葉芽だ。



花芽はこれから徐々に大きくなり、見事に咲くのは5月だったろうか。
青空に真っ白なハクモクレンが咲くころ、お待ちかねの虫たちが現れる。

 孫を連れ出し、家の前の”私道ゲレンデ”でミニスキーで遊んだ。
武琉君は初めて本格的なスキーを履いた。まひろちゃんのお古をいただいたものだ。



 じいちゃんも、預かっている息子のショートスキーを借りて滑ってみた。スキーを履くのは、実に20年数年ぶりだった。
130cmくらいの短いもので、なかなかいい。昔はなかったと思う。
 子どもたちが小さいころは、毎シーズン結構出かけたものだ。ほとんどは猪苗代葉山の町営スキー場や中ノ沢あたりだった。
大きくなった子どもたち、最近はスキーよりボードの時代のようだ。
 娘たちも、そのうち、孫たちを三の倉あたりへ連れて行く計画でいるようだ。
 昼ころから急に暗くなり、また雪が降り出した。
 長い間雪マークだった天気予報も、来週はくもりマークが多い。
 カレンダーは、3日が節分、4日が立春、寒さや雪ももう一息だろう。




日記@BlogRanking

不思議なアオギリの実

2011-01-28 | Weblog

市役所の支所へ税金を納めに行く。あと一期分で終わりだが、つくづく税金は高いと思う。
消費税増税が言われるが、まだまだ税金の無駄使いはあると思う。

 圧雪から凍てついた道路を気をつけて歩いた。
 支所付近の歩道沿いの雪の山に、いくつもの枯れ葉らしいものが落ちていた。まるで雪の上に蛾でも止まっているようだった。
 すぐにアオギリの葉だと思った。支所前の大塚山の道路沿いにアオギリの並木があることは知っていた。
 待てよ、アオギリの葉は手を広げたようにおおきい。これは葉ではなくアオギリの果皮に付いた実だった。
 秋には房状の実をよく見ていたが、しっかり見たのは初めてだった。
 舟形の果皮にしわ状の丸くて堅い種が3つ付いていた。
 種は5~6mmくらいで、果皮に付いている実の位置は、遠くまで散ることと関連がありそうだ。
 秋に房状に垂れ下がった種は今の時期になるまで少しずつ、果皮にくっ付いたまま落下してきたのだろう。
見上げると、まだ裸の枝に種が結構房状に垂れ下がっていた。



いままでしっかり観察することはなかった。今年は春から、一年を通して観察していこうと思っている。

日記@BlogRanking

気をつけたい 雪道での転倒

2011-01-27 | Weblog
夕方、散歩を兼ね、郵便局へ出た。ついでに本屋へも寄ってきた。
 歩道は凍った圧雪なので、長靴をやめて防寒の短靴に履き替えて出かけた。
 十分気をつけなけながら歩いてきた。往復約2キロばかりか、途中、学校帰りの小学生たちに「気をつけろよ!」と声をかけながら帰路を急いだ。
 我が家の玄関まで、あとわずか10メートルほどのところで事故は起こった。
 圧雪の道路に足を取られ、身体が宙に浮いた。一瞬だった。全体を左腕の肩で受け止めた格好で転んでしまった。
 一瞬何が起こったか、やってしまったと思った。
 だらりと腕を下げた状態で玄関でしばらく痛さをこらえた。

 腕に力が入らないし、動かせない。すぐに常備の外用薬を貼った。ともかく、衣類を脱ぐのが大変だった。
 早めに休んだが、一晩中、よく眠れなかった。腕が痛くない位置を探して、クッションを工夫して横になった。
 今日で3日目、少し腕が動かせるようになった。幸い打ち身だけだったようだ。
 でも、まだ両手で顔は洗えない。ゆきかたしなどはとってもできない。
 しばらくは我慢して回復を待ちたい。

 朝のうち陽が差し、庭の白モクレンのつぼみが逆光に美しく、春近しを感じた。
 餌場にヒヨドリが入れ替わり立ち替わり来ていた。
 毎日の厳しい寒さに伸びた氷柱が光に輝いてきれいだった。







 いろいろと写したいが、左の肩が痛くてカメラを目の位置に持ち上げられず、オートフォーカスで右手だけで撮る始末だ。
 近くの家の物置の屋根に雪が丸まっているおもしろい光景などを写真に撮った。

  

午後からは本格的に降り出した。
 さっきヒヨドリにあげたリンゴの皮もあっという間に隠れてしまった。また積もるような降り方だ。


日記@BlogRanking

ウサギの置物と訃報 

2011-01-23 | Weblog


午前中は、寒いからと家に閉じこもりきりの孫を、そり滑りに連れ出した。
短大のグランド東の土手はちょうどいい場所だ。娘たちが世話を焼いてくれたから、雪に埋もれた構内を静かに歩いた。
 時折ちらちら雪が落ちる中、静寂に歓声がこだました。



************************************************

 昼過ぎに、教え子のH君が今年の干支のウサギの置物(本郷焼き)を届けてくれた。
いつもは暮れのうちにいただいていたが、少し遅れましたと、届けてくれた。



 毎年、担任だったH先生を回って来るので、H先生は元気でいらしたかと聞いた。
 「H先生は15日に亡くなり、19日にお葬式がありました。」と、信じられない訃報だった。 新聞のお悔やみ欄に目を通しているが、見落としたようだった。
 いつも、そのうちお会いしたい思いながら生活していた。
 先生には会工時代にすっかりお世話になり、あこがれの先輩だった。
 若かりしころの思い出が去来した。
 いろいろお話ししたいことがあった。何故早くに伺わなかったのかと、残念でならなかった。
 思えば、先生が喜工を退職後、20年も会っていなかったか。とても悲しい。
 明日にでもお悔やみに伺い、お参りさせていただくつもりでいる。
 先生のご冥福を心からお祈りしたい。

日記@BlogRanking

「しぶき氷」とハクチョウ、カモを見に行く

2011-01-21 | Weblog


久しぶりににこにこしてきたので、天神浜の「しぶき氷」を見に出かけた。
 勤めが休みだった娘を呼んで、妻と3人だ。
 猪苗代の国道49号は、所々で除雪車が狭い箇所を削っていて、一時止められた。
 49号から小平潟天満宮へ入る雪道はきれいに除雪されていた。今年は雪が多い、昨年に比べると倍近い積雪だ。
 天満宮前に駐車して、まずはお参りした。
 かつては、野口英世も参拝した小平天満宮は菅原道真をまつり、大宰府天満宮、北野天満宮と並んで日本三大天神と称されている。





 寒さ対策をして、深閑とした雪の林に入った。約1キロほどか、人一人が通れる細い道が一本しぶき氷まで続いていた。
 踏みしめられた狭い道を時々踏み外し、ずぼっと足が埋まってしまった。
 かなり大きい松の木が雪の重みだろう倒れていたが、林の中はとても穏やかだった。
 でも、湖畔へ近づくと急に風が吹き、厳寒の湖畔が開けた。









 湖岸はつるつるに凍って、時々波がしぶきを上げて岸に打ち付けていた。
遙かにわずかに山頂付近に雲がかかった雄大な磐梯山が聳えていた。
磐梯山をバックに、絵になるしぶき氷を見つけて凍える手でシャッターを切った。
 雪が多くて、また、凍った湖岸に近づけなかったが、満足だった。
 氷はこれからもっと成長するだろう。穏やかな日を選んで、もう一度訪ねてみたい。





 帰りは長浜の水鳥を観察した。
 長浜駐車場にはオナガガモがかがんで寝ていた。車を止める大量のカモが寄ってきた。逃げない、車を動かしても動かない。引かないように車を出した。
長浜には、普通は昼ころはいないコハクチョウが、かなりの数が湖畔の雪の上で眠っていた。





 お昼は、湖畔のホテル「みなとや」の中華レストラン「西湖」に寄った。広い窓から
 猪苗代湖が一望できる本格中国料理レストランで、いつも感じのいい店だ。
猪苗代方面へ里山の自然を撮影に来るときには、よくこの店を利用している。
 いつも注文は同じ「五目旨煮汁ソバ」、それがとてもおいしい。
 実は、昨年の秋、ハクチョウを見に行ったときに利用し、店のアンケートに答え「お食事券」に応募した。
 暮れに『ご当選おめでとう』と1500円のお食事券券が2枚送られてきたのだ。
 2度目のサービス券の利用なので、お礼に「どこかに飾ってください」と、額入りにした磐梯のスケッチを差し上げた。
 




  (参)昨年の拙ブログ
     【猪苗代湖の「しぶき氷」2010-01-26 】

日記@BlogRanking

しばしの冬ごもり 雪に思う

2011-01-20 | Weblog
 今日は暦の大寒、一年中で一番の寒い時期だ。しばらくは雪マークの予報が続く。
毎朝、妻は積もった雪かきに余念がない。枯れ木に花が咲いたように木々がきれいだ。
 今年は昨年末の大雪で、まるで家全体が雪に埋まっているようだ。
車のスペース以外は雪がうず高く積まれ、踏み入れない裏庭はに腰のあたりまで残っている。
 しんしんと降る雪、横殴りの吹雪の日と、毎日自然の厳しさを見つめている。



 
会津の雪について書いた昔のエッセイを探した。
テーマは「もっと楽しみたい会津の雪景色」、これには思い出があった。
 このエッセイが新聞の読者欄に掲載された数日後に、奥会津金山の人からお叱りのはがきを貰った。
自分としては、豪雪地域の苦労も知っているつもりで触れたが、それでは済まない辛さがあったのだろうと、反省した。
もう10年も前、元気で勤めていたころの思いだった。

毎日毎日鉛色の空から落ちてくる雪は恐ろしいものだ。膝ほどの雪道でも、開けるの一苦労だった。
また、何年も繰り返し降り積もった雪の重みで庇が壊れ、数年前に屋根工事を余儀なくされたこともある。

 確かにいろいろ苦労な雪ではある。でも私は基本的に雪が好きだ。
その雪への思いは今も変わらない。

最上川逆白波のたつまでに
ふぶくゆふべとなりにけるかも

齊藤茂吉(白き山)

「雪を厄介者としか見ない生活は実に味気ない。」と思っている。

***************************
もっと楽しみたい会津の雪景色
 昨夜来の吹雪に車がすっぽり埋もれていた。市道までの雪かきを妻に任せ、徒歩で出勤することにした。
「雪の降る街を」と口ずさみながら、何を考えるでもなく歩を進めた。太郎の屋根、次郎の屋根に降り積む雪は人の心にお構いなしだ。
 豪雪に悩む地域の方のつらさは時折の体験から十分わかるが、私は雪が大好きだ。そして雪が降るから冬が好きだし、会津が好きだ。
立ち止まり手袋に舞い降りた雪の美しさに見入る。時折小止みになると目の前に杉林の雪景色が山水画のようにぼんやりと浮かんだ。
 「雪は天から送られた手紙である」と言ったのは中谷宇吉郎。私にも雪は天からのこの上ない贈り物だ。
雪景色にどれほど感動しこころ癒されるか知れない。雪を厄介者としか見ない生活は実に味気ない。厳寒の中にも雪には暖かささえ感じられるものだ。
 暦の春はもうそこ、会津の残りの冬をもっと楽しみたいと思っている。(2003.1)
****************************

しばらくの雪に、麗しの磐梯の雄姿が見えそうにないが、やがて節分、雪解けの陽が差す日も訪れるだろう。しばしの冬ごもりだ。
 


日記@BlogRanking


「地上にて」

2011-01-16 | Weblog

毎日10~20cmの積雪がある。アメダスの若松の積雪量は今日現在70cm、厳しい寒さにほとんど融けない。
屋根からの氷柱が長く伸びた。
野鳥はどうしているだろう。えさ台の雪を払い、パンくず、リンゴの皮を置いた。
用事もないので何日も車を出していない。でも、武琉君は学校から帰ると、いつも車の雪を払ってくれる。



********************************************************
みちくさ新聞の抜粋コラムから知った『地上にて』(光文社)がアマゾンから届いた。
著者は草風夏五郎、調べたら、小説家/シンガー・ソングライターの辻内智貴のペンネームだそうだ。もっとも、知らない人だった。

『地上にて』を一気に読了した。
ほんの数行を抜き書きすれば、
高名な物理学者だろうが、市井の名もない市民であろうが、この宇宙の前では、すべての人間が平等に無力です。そして、ただそれぞれがその寄せくる人生を、寄せくるままに紡ぎ続けていく日々がここにあります。

 泣き、笑い、疲れ、しながら、家族を愛し、友人を愛し、恋をし、仕事をし、夢を見、時に歌を口ずさんだりしながら、一人一人が、その人だけにあるその人生を、この地上で営み続けています。

 自分が、この宇宙に存在することの、その根拠も知らされぬまま、人間は生まれて、死ぬまでの、その星の瞬きにも充たない短い時を、或るときは苦しみ、或る時は悲しみ、しながら、それぞれが、それぞれとして生きています。》(「
希望」から)

本書の「はじめに」に「本書は、究極の「生き方・マニュアル本」です。」と編集者が述べていた。マニュアルという言葉は嫌いだが、内容は違った。
地上に生きとし生ける人、人生を思った。
そして、加島祥造の『求めない』や久保田昭三の『風来好日』さらには、坂村真民の優しさに通じるものがあると思った。
 自分の心の中では、何もなくても豊かな暮らし、足を知る生き方こそが貴いと思った。
そうした生き方が、良寛や道元にまでつながっていると思うと不思議にこころの安寧を覚えた。


日記@BlogRanking

十日市を振り返る

2011-01-16 | Weblog
 どんなだったろうか 昔の十日市

今年の会津若松の初市十日市は、晴天に恵まれたがさすがに北風は厳しい寒さだった。 昼中に、孫たちを連れて出かけたが、祝日とも重なりかなりの人出だった。
 神明神社にお参りして、さまざまな露天を巡った。そして、風車と起上がり小法師、市飴を求めた。
 風車の色鮮やかな色紙には、金粉で「寿福の神」と書かれお正月を感じた。起き上がり小法師は、習わしの通りに家族の人数より1個多く買って、神棚に飾った。

 途中、思い立って神明通りアーケードの雑踏を抜け、一人蒲生氏郷公の墓所へ立ち寄ってみた。誰もいないお墓は、ビルの谷間でひっそりと雪に埋もれていた。膝までの雪をかき分け、遺髪が納められている五輪塔まで踏み入ってお参りした。
十日市の起源は、葦名氏のころとも、蒲生氏郷の時代とも言われ、400年あまりの歴史がある。かすかに聞こえる十日市の賑わいの中、蒲生氏郷を偲び、永々と続いてきたであろう雪の会津の初市と庶民の生活に思いを巡らせた。


歳の神に無病息災を祈る

2011-01-15 | 日々の生活
 
今年の町内の歳の神は今日15日だった。小正月の伝統行事だ。
 今年はいつもより積雪が多い。
例年のように、神社近くの田に、既に昨年の晩秋から萱が積み上げられていた。
御神酒や甘酒、ミカンやおつまみなどが準備され、町会の役員の方々には感謝この上ない。
正月飾りなどを燃やし、餅やスルメを焼いて食べ、火に当たる。厄払いになり1年の無病息災を願うのだ。
我が家も、風車や小さな門松、玄関の飾りを持って、家族全員で参加した。
 年男、年女がいないようだったが、すでに暗くなった午後6時、子供会の子どもたちにより点火された。
新年の挨拶をかわしながら、御神酒をいただいた。
 大分知り合いが少なくなった。孫たちの友達の家族や、昔の町内ソフトのメンバー、近所の顔見知りと、今年の無病息災を祈った。
いい年になってほしい。
 いつも歳の神のときは雪が降る。今日も雪が激しく降り始めた。今年一番の寒気団が来ているようだ。
もう30年も前の教え子Mくんが、先生、先生と焼いたスルメを勧めてくれた。懐かしい話が飛び出した。
スルメやたくわんをつまみ、おいしい新年の御神酒をいただいた。
今年もいい年になりそうだ。




日記@BlogRanking

十日市

2011-01-11 | Weblog
   【「野口英世青春通り」界隈 田中稲荷神社の出店】

きのうは十日市だった。昼前に、家族で出かけた。
今年は成人式の日と重なり、もうかなり人出だった。娘の嫁ぎ先に年始のご挨拶をした。
十日市で娘夫婦も来ていた。車をおいて貰い、賑わう街へ繰り出した。
毎年、十日市の日は荒れると言われている。でも、さすがに吹く風は驚くほど寒かったが、青空の晴天になった。

 十日市の起源は、葦名直盛が黒川城を築いた時から始められた(至徳元年1384年)といわれる。
 色鮮やかな風車、起き上がり小法師といった縁起物や、漆器、陶器などの地場産品、そのほか、実にさまざまな露天が並んだ。
 400以上の露店が軒を連ねたらしいが、以前に比べて、低迷する業界のせいか漆器の出店が少なく、食べ物の露天が多かったようだ。
 大町通りから神明通りに出る。神明神社にお参りして、孫はオサダの福袋を買った。
そして、いつものように「起上がり小法師」と「風車」それに「市飴」を求めた。


   【住吉神社の出店】


   【会津天神も飾ってある】


   【絵になる漆器屋、鈴木屋利兵衛】

 「風車」は、八本の薄い竹を編み、貼った鮮やかな赤、青、黒など色紙の上に、金粉で「寿福の神」の4文字が書かれている。
また、風車の羽を黒豆で止めてある。「"まめ"で一年中元気に過ごせるように」との願いが込められた縁起物だ。
「起き上がり小法師」は、転んでもすぐに立ち上がるから、粘り強さと健康のシンボルとして縁起が良く、
家族の人数より1個多く買う習わし。今年は別に、少し大きめの青、赤、黄色の小坊師を求めた。
それぞれ、水の神、火の神、お金の神だという。
1年間、神棚に飾っておく。





 小坊師は約400年前、蒲生氏郷公が下級藩士の内職として作らせたのが始まりと言われている。
「市飴」は、昔は大変貴重な物だったろう。滋養に富んだ飴をなめて無病息災と家内安全を願ったのだろう。
時代の流れで、初市の様子も変わるが、凍える手で人混みを歩いた初市の思い出は、孫たちの脳裏に焼き付くことだろう。

 途中、思い立って一人横道に逸れ、雑踏の傍らの蒲生氏郷公の墓所へ立ち寄った。
何年ぶりだったろうか、誰もいないお墓は、ビルの谷間で雪に埋もれていた。
膝までの雪を長靴でかき分け、案内板のところまで踏み入りお参りした。
ここ興徳寺の五輪塔には蒲生氏郷の遺髪が納められ、辞世の歌碑も建っている。
【http://inoues.net/club/aidu_ujisato.html】



深閑とした空間で、蒲生氏郷を偲び、永々と続いてきたであろう雪の会津の初市を思った。

日記@BlogRanking

雪の日に 茂吉を読む

2011-01-09 | Weblog
雪に埋もれる裏庭

しんしんと降り積む雪に遙かなる茂吉を思うふるさとの山河を

しばらく体調を崩し、何をするにも気力がわかなかった。
今朝は気温が高いのだろうか、重い雪がしんしんと降り、木々の枝も綿帽子をかぶった。
孫たちの冬休みも終わる、みんなで買い物に街へ出て行った。そうだ、明日は十日市だ。

 留守番の一人、書斎で庭に降る雪をながめながら静かに本を読んでいる。
久々の、静かなゆったりした時間となった。
 今、『茂吉と上山』(鈴木啓蔵著)を読んでいる。
 茂吉については、『茂吉の山河』(求龍堂)という素晴らしい本がある。
これは斎藤茂吉没後50年記念の出版物で、何度か訪れた茂吉記念館で購入したものだ。
本書は、歌や随筆はもちろん、親交のあった方々の思い、茂吉をはぐくんだ故郷山形の風景を豊富な写真で美しく綴られ、
かつて見ない良書である。
本の扉には「2005.3.23 上山温泉へ小旅行 朝、茂吉の生家を訪ね宝泉寺に参拝」とメモがあった。

 書棚には、その後出版された、父人間茂吉の実像を描いた北杜夫の4部作品
《青年茂吉》《壮年茂吉》《茂吉彷徨》《茂吉晩年》もあるが、
何日かかけて再読しているこの『茂吉と上山』も、地味だが、この偉大なる歌聖斎藤茂吉の生き様の全貌をダイジェスト的によく知ることが出来る良書だと思う。

 静かな空間で、大好きな茂吉の一つ一つの歌を、声を出して読む。
 何度も読みながら茂吉の心中を思う。至福のひとときである。

 
 【今が一番寒い季節】


日記@BlogRanking


寒の入り

2011-01-06 | Weblog

きのうは二十四節気の小寒、寒の入りに合わせるように厳しい寒さとなった。
今朝もひどい。庭の温度計は-6℃、今日も真冬日だろう。

昨日の晩から悪寒がして微熱を出してしまった。
後悔先に立たずだ。あれほど医者に言われていた食べ過ぎのせいである。そう結論づけている。
3年前まで月に2,3度起こしていた炎症だ。医師からは腸圧からくる雑菌による炎症と説明されていた。
 災難は忘れたころにやってくるもの、大の好物の雑煮を、おかわりして食べた。
耳にたこができていた忠告も、簡単に破ってしまいこのざまだ。
 夜中中苦しかったが、今回も、いつもの常備薬R錠に救われたようだ。朝食は抜いた。

 悪いことは重なるもの、数日車を使わなかったら、このところの寒さにドアが凍ってしまい開かない。
夕方、孫たちのプールへの送迎を頼まれていた。
吹雪の中、延長コードでドライヤーを使ってドアの周囲を暖めた。やっとの事で開いた。とんだ災難だった。

********************************
 きのうはいい日だった。
雪の降る中をたいした用事もないのにわざわざ街へ出た。
体調を保つため、歩くことがいいし、何よりも久しぶりの厳しい寒さの中を黙々と歩きたかったのだ。
 大通りの歩道はそれなりに除雪されていたが、大雪の跡がまだ残り、地面を覆っていた。
 帰りは北からの吹雪が顔に打ち付けた。今の季節らしさを味わう贅沢だと、嬉しくもあった。
 つぼみを沢山付けたサザンカを雪の中から救った。圧雪にもよく折れずにいたものだ。
 思えばこのつかの間の厳寒の季節だ。厳しい寒さに耐えるツバキ、モクレンのつぼみも花開く。
時がくれば、いまうずたかく庭を覆う雪も消え、雪も雨に変わる。
 今でしか見ることが出来ない「しぶき氷」も見たいし、崎川浜に、あの愛おしいコハクチョウに会いにも行かなければ。
今だからこそ、雪を、寒さを楽しいものとしなければと思っている。
********************************

 ともかく、健康でなければ気力もわかない。いつも具合を悪くして知る過ちを繰り返している。困ったものだ。


日記@BlogRanking

今井繁三郎を再発見する

2011-01-03 | Weblog
今日、山形のMさんから新聞コピーが送られてきた。ありがたかった。
山形新聞の「やまがた再発見」で紹介された今井繁三郎についての記事だった。
 Mさんとは、今井美術収蔵館の作品がご縁で知り合った山形の詩人だ。

 その記事を書かれた森繁哉氏をネットで調べたら、有名な舞踏家で、東北芸術工科大学教授だ。
身体芸術論、東北文化論専攻とあり、『東北からの思考 ー地域の再生、日本の再生、そして新たなる協働へ-』の著書がある。
 ふさわしい方による、[風土の人]今井繁三郎を再発見できる記事だと思った。
 この立派なダイジェスト記事に、あらためて人間・今井繁三郎画伯を知ることが出来た。
以下は、記事の見出しと小見出し。
《人間を正しく見続ける》
   『停滞することを極力遠ざけた作家のように、
    今井は死という定点を通過してもなお
    私たちの目の前に出現してくる』(上) 山形新聞 (12月20日付)

《生を耕し続ける 風土の人》
   『今日という日に、全身を向ける
    根を張るように、今井は動くのである。
    生きるのである。』(下) 山形新聞 (12月27日付)

 記事に「上京した今井は絵画研究所で山本鼎らに指導を受けた。」
「山本鼎たちが唱えていた生活芸術と自由画の結びつきをかたくなに実践」とあった。
山本鼎については、美術の大衆化、民衆芸術運動に身を投じた洋画家であることは知っていた。
それは、学生時代を過ごした信州上田に「山本鼎記念館」があったからだ。

 記事を読み終え、改めて手元にある『今井繁三郎作品集』や『泉野』を広げてみた。
 『作品集』に添えられた今井先生の折々のコメントからは、人生の歩みが覗えたし、
 また、今井繁三郎生誕100年、美術収蔵館開館20周年の記念の思い出集『泉野』には、先生の素顔、人となりがよく伝わってきた。
(泉野は、今井が提唱した旧羽黒町の名称である。)
 風土の画家の生き抜いた人生をたどりながら、道も境遇も違うが、今井画伯と同じ明治43年生まれの父の生涯を重ねた。
もちろん誰もが精一杯に生き抜かなければならない時代だったかもしれない、ぬくぬくした我々小人とは比べようもない生き方を思ったりした。
 
 新年早々に、思いがけなく恵まれたMさんからの新聞記事で、またいろいろ学ぶことが出来た。
 そもそもは、もう十数年前、羽黒山参拝の帰り道に今井美術館収蔵館に立ち寄った偶然から始まったことだ。
最近、こうした偶然を、「意味ある偶然」と言うことを知った。
今井美術館から得られたいろいろな「偶然の出会い」から、沢山の大きな喜びを貰ったと思っている。
 

日記@BlogRanking

きゅうくつな幸せ

2011-01-02 | Weblog
k


元旦の天声人語に、小学5年生の詩を読んだ。
《便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。》と結ばれていた。

あたたかいこたつ
 家の家族は五人
 「五角のこたつならいいなあ」
 と、おねえさん
 一番あとからはいる
 かあちゃんは
 私と同じ所
 私はやっぱり
 四角でもいい


我が家は長方形のこたつ、ばーちゃんの座る狭い一方向に、孫たちはばーちゃんを挟んで座る。
眠くなるとばーちゃんの隣に一緒に寝ている。正に、孫たちの《きゅうくつな幸せ》だ。

60数年前、狭い部屋で3人兄弟で過ごした日々を思った。そして、30数年前、それぞれに部屋を持ち育った我が子の贅沢を。
 火鉢に手をかざし、冷たい寝床に湯たんぽを入れて寝た子どものころ、今ぬくぬくした電気の敷毛布にくるまれる孫たち。
家の中でエアコン暖房で過ごす生活、子どもたちにアカギレやヒビはない。
 暮れに女優の高峰秀子さんが亡くなった。
小さいころに『名もなく貧しく美しく』と言う映画を見た覚えがある。
窮屈な、貧しい生活だったが、幸せだった。
年の初めに思う。
そんな「清く貧しく美しい」生活はもう出来ないのだろうか。



 
 ****************************
2011年1月1日付 天声人語
 天気図の曲線が美しく描かれるとき、この国にきびしい寒波が来る。明けて元旦、大雪の新年をお迎えの方も多いことだろう。鉛色の空の下、帰省の道中に難渋された人は、古里の味わいもひとしおだろうと拝察する▼雪屋根の下の団欒(だんらん)を思う。福島県で続く児童詩誌『青い窓』に小学5年の女の子の詩が載っていた。〈あたたかいこたつ/家の家族は五人/「五角のこたつならいいなあ」/と、おねえさん/一番あとからはいる/かあちゃんは/私と同じ所/私はやっぱり/四角でもいい〉▼母さんと肩を寄せ、並んで座る幸せと安心がほのぼのと伝わる。ずいぶん前に書かれたそうだ。詩誌を主宰していた故佐藤浩さんはこの詩に触発されて、自らもこんな一行の詩をつくった。〈きゅうくつな幸せを忘れていました〉▼その「窮屈」を脱ぎ捨ててきたひずみが、この社会を苛(さいな)んでいようか。家族ならぬ「孤族」という小紙連載が、いたたまれぬ人間砂漠を報じている。「孤」をのさばらせず、人肌の体温を世に取り戻す意思を、互いに持ち合いたいものだ▼人間通だった心理学者の故河合隼雄さんによれば、自立とは独りで生きることではない。まして孤立ではない。自立している人とは、適切な依存ができて、そのことをよく自覚している人なのだという▼「こたつ」の詩に例えるなら、5人用に五角形のこたつを設(しつら)えて、互いが見えぬよう仕切りまで立ててきた近年ではなかったか。便利と快適は幸せと同義ではあるまい。「きゅうくつな幸せ」を、新春の空に思ってみる。
 ****************************