脳の多様性とジェンダー② 個人差は性差より大きい
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実は、脳の働き方や形について男女の脳の平均を比較すると、そこに差が出る領域は存在します。世間一般に思われているよりはかなりささやかな違いではありますが、そこに「カテゴリー平均の差」は存在しているのです。「なんだやっぱり男女の脳は違うじゃないか」そう思われる方もおられるでしょう。しかしながらそうではないのです。男性と女性の脳の形や働き方に平均差があるからと言って、そのまま「男性は〇〇で、女性は〇〇だ」と言えるわけではないのです。
ここに「平均」という概念の落とし穴があります。
結論から言うと、データの散らばり具合、つまり「個人差」を同時に考えなければいけなません。
イスラエルの神経科学者であるダフナ・ジョエル博士は、とてもエレガントな研究手法を用いることでこの点を鮮やかに描き出しました。
彼女は男女の脳の「平均の差」が出た領域の情報を集め、いわば「脳の男女差リスト」を作成しました。そしてここからがユニークなのですが、実際にたくさんの脳のデータを用いて、その人が「性差の特徴」をどの程度持っているのかをひとり一人確かめたのです。つまり、その人が男性ならば、その人が「男性脳の特徴」とされるデータをどの程度持っているのかを調べたのです。
結果はとてもはっきりしていました。男性脳の特徴だけを持つ男性、女性脳の特徴だけを持つ女性は… ほとんどいなかったのです。
「際だって女性的」な特徴もしくは「際だって男性的」な特徴のみを示す脳の人は少なく、データセットによって1~8%いた。
90%以上人、つまりほとんどの人は男性の特徴と女性の特徴を併せ持つ「モザイク状の脳」の持ち主だったのです。
「男性脳・女性脳」で物を語るということは、全体の10%以下しかいない人のことを、まるで「大多数はそう」だと決めつけて話をしていることになります。これがとても問題のある発想であることはご理解頂けるのではないでしょうか。
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平均の差を個人の理解に当てはめる罠
男性・女性の性差に限らず、何らかのグループのデータを比較してそこに「平均の差」、つまり何らかの傾向がある場合、その差を根拠に個人を説明しようとすることはとてもよくあることです。「〇〇県出身の人は~」「体育会系の人って~」などなど、口にしたことがある人も多いでしょう。しかしながら、こういった説明はよくよく注意しておかないと大きな落とし穴があります。
それは、個人差を無視した偏見に繋がるリスクです。
平均の差はあくまで「グループ全体の性質」を表現しているに過ぎないのです。そのためその性質を個人の説明に使用できるのは「グループ内の個人差(分散)」がとても小さい場合に限られます。一定以上個人差が大きい場合は、グループの差より個人差が勝るのです。このあたりの感覚はダイバーシティを考える上で必須のリテラシーだと思いますが、あまり一般に知られていないのではないでしょうか。
ポイントとなるのは「個人差の軽視」です。これはクロノタイプの問題と全く同じ構造です。次回は、個人差を軽視することの弊害についてもう少し掘り下げて考えてみたいと思います。