人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

原田美枝子主演「青春の殺人者」「絵の中のぼくの村」を観る~トークショーに出演も

2016年02月15日 07時27分51秒 | 日記

15日(月)。東日本大震災の起こった年(2011年)2月15日にこのブログを立ち上げ、今日で丸5年が経ちました。月日の流れは速いものです 最初の1年間は登録読者が2人でしたが、その後 毎日休まず継続してきたこともあってか、年々増え続け、現在では765人に達しています これも当ブログをご覧いただいている皆さまのお陰です。あらためてお礼を申し上げます。これからもtoraブログをご愛読くださるようよろしくお願いいたします 

ということで、わが家に来てから505日目を迎えたモコタロが 口上 を述べます

 

          

            読者が増えたのは ぼくの登場が大きいと思うよ これからもよろしくね!

 

  閑話休題  

 

いつもはテレビを観ないのですが、昨夜たまたまEテレを点けたら午後9時から「クラシック音楽館」を放送していて、シャルル・デュトワの指揮でN響がマーラーの交響曲第3番ニ短調を演奏していました 昨年12月11日にNHKホールで開かれたN響定期演奏会の録画でした。コンマスは昨年4月から1年契約でコンマスになった伊藤亮太郎です。弦楽器を見ると左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという態勢です。デュトワは対向配置はとらなのですね。コンマスの対面にはチェロの首席・向山佳絵子が構えています

画面に大写しになるデュトワの顔を見て「今までの人生の悲喜こもごもが 顔の皺に刻まれているなぁ」と思いました。別の言葉で言えば「デュトワも随分歳をとったなぁ」ということです。ところで、演奏が終わってから デュトワは コンマスより先に向山佳絵子に握手を求めていませんでしたか? よほどデュトワは彼女に信頼を置いているのでしょうね

マーラーの交響曲の中で一番好きなのは第3番です。これまで十数種類のCDを聴き比べてきましたが、マイ・ベストはクラウディオ・アバド指揮ウィーン・フィルによる演奏です。とくに最後の第6楽章は天上の音楽が聴こえます

 

          

 

ところで、昨日はバレンタイン・デーでした。娘からGODIVAのチョコをもらいました 日頃の夕食作りに対する感謝の気持ちでしょうかねぇ?  そういうことにしておこう

 

          

 

  も一度、閑話休題  

 

昨日、池袋の新文芸坐で原田美枝子主演映画「青春の殺人者」と「絵の中のぼくの村」の2本立てを観ました 「青春の殺人者」は、長谷川和彦監督による1976年のデビュー作です。この映画で原田美枝子が日本映画優秀賞を受賞しています

 

          

 

22歳の斉木順(水谷豊)は成田空港近くで親から与えられたスナックを経営している 幼馴染のケイ子(原田美枝子)が店を手伝っている。順の両親は身持ちの悪いケイ子と別れろと迫っている 母親(市原悦子)が外出中に、父親(内田良平)と口論になり刺し殺してしまう そこに母親が帰ってくるが、最初は狼狽えていた母親だったが、時効が来るまで事件を隠して肝を据えて二人で暮らそうと言い出す。そこで、ケイ子と別れろと迫る母親を刺し殺してしまう そして二人を海に沈める。スナックに戻った順はガソリンを撒いて火を付け店を燃やしてしまう しかし、死にきれない順は、そこへ訪ねて来たケイ子とともに外に逃れ、ケイ子から離れた順は一人トラックの荷台に乗り、去っていく

映画の後で「トークショー」があって原田美枝子さんが当時の思い出を次のように語っていました

「当時は17歳の高校生で、学校から帰ってくると電車で成田に行って撮影して、また帰ってきて寝て、起きて学校に行って、というハードな生活をしていた 長谷川監督を含めて、出演者、スタッフの平均年齢が若く何が起こるか分からない雰囲気があった 撮影の終盤などはとにかくお金(制作費)が無くて、弁当も出なかった 最後にスナックが激しく燃えるシーンがあるが、警察にも消防にも無届けで、道路の交通渋滞も消防自動車の出動もシナリオにはなく、ゲリラ的な撮影によるものだった

現在ではとても考えられない撮影風景ですね この時の原田美枝子は17歳というだけあって、初々しさがいっぱいです。どちらかというと 幼いと言った方が相応しいかもしれません 

映画の前半は順が両親を殺すシーンが続くので、気分を悪くした観客が席を立って外に出るということもありました 水谷豊が迫真の演技ですが、もっと恐ろしいのは母親役の市原悦子です。その冷静さがとても怖いです

 

          

 

2本目の「絵の中のぼくの村」は、東陽一監督による1996年の作品です。原田美枝子が日本映画優秀賞を受賞しています

 

          

 

初めて合作する絵本の打ち合わせのため、絵本作家の田島征三が双子の兄・征彦のアトリエを訪ねるところから物語が始まり、二人の思い出が描かれる

昭和23年、高知県の田舎村で、絵が好きで悪戯好きな双子の征三と征彦は、教師をしている母親と、家に滅多に帰らない父親、思春期の姉とともに自然に恵まれた環境の中で暮らしている 川でナマズを取り、ウナギを取るための仕掛けを作り、鳥を取るための罠を作る 時に他人の畑を荒らしたりして母親が農家に詫びに行く事態になる いつも一緒の二人だったが、扁桃腺の手術は別々だった。あの当時の川も村も今では二人が描く絵の中にしかない

この映画で見る原田美枝子は円熟期を迎えた大女優という感じです 落ち着いていて大人の美しさがあります

トークショーで原田美枝子さんは、この映画の思い出を次のように語っていました

「撮影当時、35歳から36歳になる時で、自分自身も映画の役の様に3人の母親という立場だった 監督から出演のオファーをもらってから1週間悩んだが、引き受けることにした 暑いさなか監督からスタッフまで本当に良くやってくれたので、出演して良かったと思っている この作品はベルリン映画祭銀熊賞を受賞し、監督、2人の子役とともに授賞式に出たが、2人の子役がステージに上がると物凄い歓迎の拍手が起こった 子供たちは「グーテンターク」とドイツ語であいさつしたりしたので おさら人気者になった ところで、昭和23年当時の風景を撮るのには苦労があった。映画は1996年、今から20年前の制作だったが、その当時すでに、電柱がない一本道を撮影するのさえ難しかった。そういう風景は探しても見つからなかった

原田美枝子さんのトークショーは14時半から40分間、満席の中、ステージの中央で行われました 青緑のワンピース姿の原田さんに毎日新聞の鈴木隆記者がインタビューする形で進められました 鈴木記者から「女優としての転換期を迎えるような作品があると思う。それまでの役柄とは異なる傾向の役柄をオファーされることがあったと思うが、どういう作品が転換期となったか?」と質問され、

「20代では黒澤明監督の『乱』がそうだったし、30代ではまさに『絵の中のぼくの村』がそうだった 同じような役しかオファーがないということは、本人が変わらないからだと思う。違う役をやりたいのなら、自分自身が変わらなければならないと思う

と語っていたのが印象に残りました

 

          

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2 コメント

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僕も観に行きました (cotta)
2016-03-18 20:51:32
はじめまして。cottaと申します。僕も池袋の新文芸坐で原田美枝子のトークショーを観に行って、その感想をブログに書きました。ブログを読ませていただいて、「ああ、そう言えば(原田さんは)そんなことも語ってってたよなあ」と思うことが多々ありました。「違う役をやりたいのなら、自分自身が変わらなければならないと思う。」というのはホントに印象に残る言葉でしたよね。
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原田美枝子のトークショー (tora)
2016-03-18 20:59:39
cottaさん、はじめまして!コメントありがとうございます。

やっぱり、大女優は”仕事に対する姿勢”が違いますよね。現状に甘んじることなく新しい自分を発掘していく原田美枝子さんは本当に素晴らしい女優さんだと思います
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