人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

METライブビューイング、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」を観る ~ 当初「オックス」というタイトルだったことを思い出させる演出

2023年05月31日 06時57分31秒 | 日記

31日(水)。月末を迎えたので、恒例により5月の3つの目標の達成状況をご報告します ①クラシック・コンサート=23回(本日夜の読響を含む)、②映画鑑賞=10本、③読書=3冊でした クラシック・コンサートは「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO」の1公演1時間前後のコンサートをそれぞれ1回と数えている関係で多めになっています 3時間を超えるオペラも1回とカウントしているので 同じ扱いです

ということで、わが家に来てから今日で3060日目を迎え、ロシアのプーチン大統領は28日、ウクライナとの国境の州などで相次いでいる事件を受け、治安機関に国境地帯の警備を強化するよう指示した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     これでウクライナ南東部に集中していた侵攻が分散する ロシアの終わりの始まりだ

 

         

 

昨日、夕食に「ビーフシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました 最近、カレーやシチューには牛バラ肉に代えて牛ブロック肉を使っていますが、柔らかく煮込むことができました

 

     

 

         

 

昨日、新宿ピカデリーでMETライブビューイング、リヒャルト・シュトラウス「ばらの騎士」を観ました これは今年4月15日に米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演されたオペラのライブ録画映像です キャストは元帥夫人=リーゼ・ダーヴィドセン、オクタヴィアン=サマンサ・ハンキー(イザベル・レナードの代役)、オックス男爵=ギュンター・グロイスベック、ゾフィー=エリン・モーリー、ファー二ナル=ブライアン・マリガン(マルクス・ブルックの代役)、アンニーナ=キャサリン・ゴルドナー、ヴァルツァッキ=トーマス・エベンシュタイン。管弦楽=メトロポリタン歌劇場管弦楽団、指揮=シモーネ・ヤング、演出=ロバート・カーセンです

 

     

 

「ばらの騎士」はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)が詩人フーゴー・フォン・ホーフマンスタールの台本により1909年から1910年にかけて作曲、1911年1月26日にドレスデン宮廷劇場で初演されました

物語の舞台は18世紀のウィーン(本公演の演出では、20世紀初頭の第一次世界大戦前、つまりリヒャルト・シュトラウスが「ばらの騎士」を作曲した当時のウィーンに時代を移しています)。朝からオックス男爵が元帥夫人の館を訪ねて来て、「ばらの騎士」の紹介を依頼する 「ばらの騎士」は婚約の儀礼として銀のバラを相手方に届ける役割である 元帥夫人は 昨夜も一緒に過ごした愛人のオクタヴィアンを薦める。当のオクタヴィアンが小間使い(マリアンデル)に変装しているとも知らず、男爵は喜んでその提案を受け入れる    男爵が帰った後で、元帥夫人は「時は過ぎていく。自分は老いていく。オクタヴィアンは自分から去っていくだろう。その日は今日か、明日か」と憂鬱な気分に襲われる(以上第1幕)

成り金の市民ファー二ナルの館に、ばらの騎士オクタヴィアンが到着する   館ではオックス男爵の婚約者で、ファー二ナルの娘ゾフィーが待っていた オクタヴィアンとゾフィーは一目見て相手を気に入ってしまう 後からやってきたオックス男爵のあまりの粗暴さを嫌がるゾフィーを見かねたオクタヴィアンは、とうとうオックス男爵に決闘を挑む オックス男爵はかすり傷を負い周囲が騒然とする そんな中、オクタヴィアンを中心にオックスを懲らしめる計画が着々と進められる(以上第2幕)

郊外のゲストハウスに逢引きにやってきた男爵は、それが罠で、元帥夫人邸の小間使いマリアンデルと思い込んでいる相手が、実は女装したオクタヴィアンとは知らない 散々懲らしめられたのになおも抵抗する男爵の前に、元帥夫人が現れ男爵をたしなめる 元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの3人が残される。伯爵夫人にとって とうとうその時が来てしまった 若い幸福な2人を残して、元帥夫人は静かに去っていく(以上第3幕)

 

     

 

本公演は、これまで観てきた「ばらの騎士」と全く違う印象を持ちました オックス男爵を中心にオペラが進行していると思われるほど、オックスは終始忙しく歌いながら動き回り存在感を示します そこで思い出したのは、このオペラは当初「オックス」というタイトルだったということです つまり、リヒャルト・シュトラウスは「ばらの騎士」=オクタヴィアンと同じくらいのウエイトでオックス男爵を考えていたのです カナダ出身のロバート・カーセンのオックス重視の演出は、作曲者の原点に立ち返ったものだと言えるでしょう

そのオックス男爵を歌ったギュンター・グロイスベックは1976年オーストリア生まれのバスです 全編を通して強権的で好色で 実は気の弱い男爵を、高度の身体能力を生かしてテンポの速い演技でこなすとともに、低音の魅力を存分に発揮しました

元帥夫人を歌ったリーゼ・ダーヴィドセンは1987ノルウェー生まれの36歳。METではルネ・フレミングの跡を継ぐ「伯爵夫人」として期待されているソプラノです 豊麗な歌声が魅力ですが、これからが本領発揮だと思います

オクタヴィアンを歌ったサマンサ・ハンキーは、イザベル・レナードの降板により代役を務めることになったメゾソプラノです 米マサチューセッツ州出身で、2017年METナショナル・カウンシル・オーディションで優勝しています 歌唱力・演技力ともに優れています

ゾフィーを歌ったエリン・モーリーは1980年アメリカ・ソルトレイクシティ生まれのソプラノです 幕間の映像で自らピアノを弾きながら第3幕のゾフィーの歌唱を解説していましたが、表現力豊かな歌唱が魅力です

ファー二ナルを歌ったブライアン・マリガンはマルクス・ブルック降板により代役を務めることになったニューヨーク出身のバリトンです ”見栄の塊”のような成り金貴族を見事に歌い演じました

第3幕で歌われる伯爵夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三重唱と、その後のオクタヴィアンとゾフィーの二重唱は、何度聴いても鳥肌ものです オクタヴィアンの愛は伯爵夫人からゾフィーに移り、ゾフィーは新しい愛を獲得し、伯爵夫人は「いつかこの日が来ると覚悟していた」と、自らオクタヴィアンから去っていく・・・そんな3人のそれぞれの感情が三重唱で美しく感動的に歌い上げられます

 

     

 

演出面では、第2幕の冒頭、ファー二ナルの館に大砲2台が堂々と置かれていましたが、これは(この演出では武器商人の)ファー二ナルが貴族の仲間入りをした象徴として置かれていたものだと思います また、第3幕の舞台であるゲストハウスが娼館になっていたのにはビックリしました この辺の演出はぶっ飛んでいました

特筆すべきはシモーネ・ヤング指揮メトロポリタン歌劇場管弦楽団によるウィーン情緒豊かな演奏です 指揮者のシモーネ・ヤングは1961年オーストラリア・シドニー生まれ。ウィーン・フィルを女性として初めて振った指揮者として知られています METには約20年ぶりの登場です

全体的に弦楽セクションの艶のある演奏、ホルンの豊饒な音色の演奏が印象に残りました

         

ところで開演時に、スクリーンの上下と左右の尺寸が異常で、横長につぶれていたようになっており、「これでは観るのに目が疲れるなァ」と思っていたら、上映が一時中断され、係員が登場して「スクリーンの映像の尺寸が正常でないので、修正のうえ上映し直します」とアナウンスして、修正後に導入部から再上映しました この間約10分程度でしたが、すごく長く感じました 上映修了後、会場から外へ出る時に、係員から「どうも申し訳ありませんでした」として、ポップコーン又はドリンク1点と交換できる「引換券」が配布されました ライブコンサートは何が起こるか分かりませんが、映画でも何が起こるか分からないことが分かりました

 

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾高忠明 ✕ アンナ・ヴィ二ツカヤ ✕ 東京都交響楽団でラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」、エルガー「交響曲第2番」他を聴く ~ 都響Bシリーズ公演:今回も補聴器でハウリング?

2023年05月30日 00時40分09秒 | 日記

30日(火)。わが家に来てから今日で3059日目を迎え、6月10日の「時の記念日」を前に、シチズン時計が20~50代の働く男女に生活の様々な場面での待ち時間への意識調査をした結果、5年前と比べてイライラを感じるまでの時間が延びたことが分かった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     延びた時間を利用して3倍速で動画を見るというのが タイパ重視の現代人らしいね

 

         

 

昨日、夕食に「エビの肉巻き」「生野菜とアボカドのサラダ」「白舞茸の味噌汁」を作りました 「エビ~」は前回作った時に焼き時間が長すぎて硬くなってしまったので、今回は控えめにしました。とても美味しく出来ました

 

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールで東京都交響楽団の「第976回 定期演奏会 Bシリーズ」を聴きました プログラムは①ラフマニノフ(レスピーギ編)「絵画的練習曲集」より「海とかもめ作品 39-2」,②同「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43」、③エルガー「交響曲第2番 変ホ長調 作品63」です 演奏は②のピアノ独奏=アンナ・ヴィ二ツカヤ、指揮=尾高忠明です

 

     

 

オケは14型で左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスといういつもの都響の並び。コンマスは矢部達哉です

1曲目はラフマニノフ(レスピーギ編)「絵画的練習曲集 作品39-2」より「海とかもめ」です 「絵画的練習曲集」はセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1916年から翌17年にかけて作曲した9曲から成るピアノ練習曲集で、「海とかもめ」はその第2曲です これをイタリアの作曲家レスピーギが1931年に管弦楽用に編曲しました

尾高の指揮で演奏に入りますが、全体的に聴きやすい曲想で、まるで映画音楽を聴いているような心地よさを感じます これはレスピーギの編曲が巧みだからこそだと思います

2曲目はラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲 作品43」です この曲は1934年に作曲、同年ボルティモアでラフマニノフの独奏、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により初演されました 主題はパガニーニ「24の奇想曲」の第24曲(イ短調)の曲で、序奏、主題と24の変奏から成ります

ピアノ独奏のアンナ・ヴィ二ツカヤはロシアの黒海沿岸で生まれ、10代でハンブルクへ移り、2007年にエリザベート王妃国際コンクールで優勝を果たしました 2009年からハンブルク音楽演劇大学でピアノ科の教授を務めています

尾高の指揮で演奏に入りますが、冒頭から高速テンポによるアグレッシブな演奏が展開し、変幻自在のアンナの演奏に聴き入ってしまいます 彼女は刻々と変化する曲想を楽しんで演奏している様子が窺えます 有名な第18変奏は意外とあっさりと弾き、「聴きどころは、この変装ばかりじゃないのよ」と言わんばかりに第19変奏に移りました 尾高 ✕ 都響はソリストにピタリとつけました

満場の拍手にアンナは、アンコールにラフマニノフ「エチュード『音の絵』作品33-2」を鮮やかに演奏、再び大きな拍手を浴びました

 

     

 

プログラム後半はエルガー「交響曲第2番 変ホ長調 作品63」です この曲はエドワルド・エルガー(1857-1934)が1910年から11年にかけて作曲、1911年5月24日にロンドンで初演されました 1910年5月に崩御した「故エドワード7世国王陛下の思い出」に捧げられました 等松春夫氏のプログラム・ノートによると、「この曲にはエルガーのミューズであったアリス・スチュワート=ウォートリーという女性への密かな思いが込められている」とのことです 第1楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ・エ・ノビルメンテ」、第2楽章「ラルゲット」、第3楽章「ロンド:プレスト」、第4楽章「モデラート・エ・マエストーソ」の4楽章から成ります

正直に告白すると、私はこの曲を聴くのは この演奏が生まれて初めてです モーツアルトはCDとLPを合わせて約1000枚保有しているのに、エルガーは「チェロ協奏曲」と「エニグマ変奏曲」と「愛の挨拶」を含むヴァイオリン小曲集くらいしか持っていないのです この偏った聴き方が私の最大の欠点です したがって、全く予習ができなかったので、ぶっつけ本番で聴きました その上での感想しか書けませんので、悪しからず

尾高の指揮で第1楽章が開始されますが、冒頭からテンションの高い曲だな、と思いました 第2楽章は葬送行進曲調の音楽ですが、それでもテンションが下がりません 第3楽章は実質的にスケルツォですが、またテンションが上がります 第4楽章ではフィナーレが静かに終わるところが良かったと思います   全体的に情報量が多すぎて、私の頭では処理しきれないというのが正直なところです

一度も聴いたことのない50分を優に超える交響曲を聴くというのは、はっきり言って苦痛に近いものがあります それでも、この日の演奏は、過去にエルガーメダルを受賞した尾高氏の熱意が都響の面々に乗り移ったかのような終始集中力に満ちた演奏で、エルガーの「交響曲第2番」が20世紀を代表する名曲であることを示したように思います

終演後、カーテンコールに応えた尾高は、聴衆の拍手を制し、「昔は都響は頻繁に呼んでくれたが、最近はあまり呼んでくれなくなった 今回やっとエルガーの交響曲第2番を指揮することになった。最近 某オーケストラで同じ曲を指揮したが、都響の方が上です」と語り、楽員と聴衆からやんややんやの喝さいを浴びました 

都響に対するリップサービスはいいんですが、都響に負けた「某オーケストラ」とは、昨年この曲を録音した大阪のオケのことだろうか? そうだとしたら、そのオケの人たちが尾高氏の発言を知ったら、どう思うだろうか そんなことを考えると、夜も眠れない(昼寝するしかない)

話は変わりますが、都響は下のチラシをプログラム冊子に挟み込んでいました

 

     

 

都響公演に限らず、いまサントリーホールで問題になっているのは「補聴器」のハウリング問題です 昨夜のコンサートの前半でも補聴器のハウリングが起こっていたようです 1階中央の自席では気がつかなかったので2階席かもしれません ホール側では開演前と休憩時のアナウンスで補聴器のハウリングが起こらないよう注意を促していますが、なかなか止まないようです 上記のチラシの下段に書かれれいるように「本人が気づいていない場合がある」と思われます 近くの客が声をかけた方が良いと思います その際、相手が猟銃やサバイバルナイフを持っていないことを確かめた方が良いと思います 生きづらい世の中になりましたね

 

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「NHK音楽祭2023」先行販売案内届く ~ なぜ座席指定ができない?「チケットぴあ」システム / 販清水ミチコ著「私のテレビ日記」を読む ~ 観察眼を駆使した縦横無尽の日記エッセイ

2023年05月29日 06時41分57秒 | 日記

29日(月)。N響から「NHK音楽祭2023  先行販売の案内」が届きました 下のチラシの通り、今年はイスラエル・フィルが来日し、N響とともにコンサートを開きます

 

     

 

案内の下段に掲載の【申し込み方法・注意事項】を見て、おやっ?と思いました そこには「座席番号・座席位置の指定はできません。座席指定を希望の場合は、6月27日(火)からの一般発売をご利用ください」と書かれているのです

 

     

 

裏面の【インターネット申し込み方法】を見ると、下記の通り「チケットぴあ先行申込サイト」に申し込むことになっていて、「チケットぴあ」から『NHK音楽祭先行販売抽選結果』を登録メールアドレス宛に送信することになっていることが分かります

 

     

 

先日のブログにも書きましたが、N響は新シーズンからのチケット販売サービスを「ぴあ株式会社」と提携することになっています 今回の「NHK音楽祭」もこの一環としてのチケット販売なのでしょう

5月の「ラ・フォル・ジュルネTOKYO」の先行抽選販売も座席指定ができないシステムになっていましたが、記憶に間違いがなければ あれも「チケットぴあ」が絡んでいたのではないかと思います

私が疑問に思うのは、なぜ「チケットぴあ」が絡むシステムでは「先行販売」の段階で座席指定ができないのか、ということです あまりにも「売り手側の都合」が優先され、買い手側の「聴きたい席で聴く」という希望が無視されているのではないか 「座席指定を希望の場合は、6月27日(火)からの一般発売をご利用ください」と、いかにも親切げに書かれていますが、インターネットによる先行申し込み期間の6月1日から同12日までで、条件の良い席は抽選販売のために確保されてしまうことは 誰が考えても明らかです つまり、一般販売の段階ではロクな席は残っていないということです こういう売り手優先の販売方法を続ける限り、コンサート離れを止めることは出来ないでしょう N響もチケットぴあも、再考した方が良いと思います

ということで、わが家に来てから今日で3058日目を迎え、第76回カンヌ国際映画祭授賞式が現地時間27日に行われ、コンペティション部門出品作のヴィム・ヴェンダース監督「パーフェクト・デイズ」で主演を務めた役所広司が男優賞に輝いた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     男優賞・女優賞の区別が無くなるのは時代の趨勢だから 今回の受賞は貴重だと思う

 

         

 

清水ミチコ著「私のテレビ日記」(幻冬舎文庫)を読み終わりました 清水ミチコは岐阜県生まれ。タレント。1986年にライブデビュー    それ以来 テレビ、コンサート、CD制作など多方面で活躍中

 

     

 

本書は雑誌「TV  Bros.」で連載していたエッセイのうち2013年1月から2020年4月の最終回までを収録した単行本(2020年12月刊行・東京ニュース通信社)を文庫化したものです エッセイ自体は1992年から始まったといいますから28年も続いたことになります    本書はその3冊目のエッセイ集とのことです

正直言って、私は清水ミチコさんの ものマネ を一度もまともに見たことがないのですが、文章としては朝日新聞の金曜夕刊に連載のコラム「まあいいさ」を楽しみに読んでいます 28年間もエッセイを書いてきただけに文章はお世辞抜きで上手いです

ミチコさんの文章の魅力の一つは「ひとり突っ込み」です つまり、ピン芸人がボケをかまして、後から自分の言動に突っ込みを入れるスタイルです 例えば、2014年1月のある日のエッセイの最後は次のように書かれています

「私の血縁者、臆病者だらけ。弟は『テレビに出ると軽い鬱になる』とまで言ってました。わかる~(嘘つけ)」

ミチコさんは観察眼が鋭く、面白いことを再現する能力が高いのですが、「あとがき」でその”秘密”を次のように書いています

「そうそう面白いことなど起こらないのが日常ですが、たとえほかの原稿の締め切りが目の前に迫っていたとしても、驚いたことや面白いことがあった日は、(ほかに書かず、ブロス用に取っておく!)と、日々メモしてきました

ポイントは「日々メモしてきました」です 歳とともに忘却力が強くなると、いま起こったことをすぐ忘れてしまいます 私も面白いことがあったり、面白い記事や文章に出会った時は切り抜きをしたりメモをするようにしています

鋭い観察眼ということで言えば、2014年9月のエッセイに次のような話があります

「アイドルの話の流れから、ドランクドラゴン鈴木さんが、何気に『松田の聖子ちゃん』と言ったのがなぜか心に残りました どんな一流スターの名前でも、真ん中に『の』をつけただけで、一瞬にしてダサくなる 光が消えそうになるものなんですね。皆さんにとっての大スターを思い浮かべ、苗字と名前の間に『の』をつけてみてください。どうですか。急に田舎臭くなりましたよね。気をつけたいものです

首相は岸田の文雄。息子は岸田の翔太郎。岸田の馬鹿息子・・・最後のそれ、的を射てるけど「の」の使い方が違うから

ミチコさんがメモに残したと思われる話で、腹を抱えて笑ってしまったのが2014年8月の美容院での次のエピソードです

「雑誌を眺めていると光浦靖子さんからメールが届きました 『今、ヒマですか? 電話してもいいですか?』とあり、すぐ返信。『ヒマじゃない。今、美容院』そしてまた雑誌に戻る私。そしたら電話が鳴りました  携帯を手で覆いながら、小声で「もしもし?」と出たら光浦さんで、開口一番『ほら~、出られるんじゃないですかあ~! やっぱしヒマじゃないですか~!』と鬼の首でも取ったかのように言われました。爆笑 『私のメール、読みました? 今電話されたら困りますよ、っていう意味を込めて書いたんだけど、わからなかったかな?』とイヤミに言うと、『あら~、そうだったんですか?』と笑ってました    完全にナメられてます

2019年7月のエッセイでは”天然”平野レミさんのエピソードを紹介しています

「こないだ番組の料理コーナーを観てたら、DAIGOさんが『大根おろしを作るとき、大根が小さくなると指をケガしちゃいそうです。どうしたらいいですか?』と聞いてました 料理のプロが喜びそうな質問です 『おろし金を逆に置いて擦ってみる』とか、『残りは包丁で刻んで』とか言うのかな しかし、答えたのは平野レミさんで、ズバリさすがでした 『そんなの捨てちゃえばいいんじゃない?』。斬新。テレビで聞いたことない答えに、梅雨の憂さが吹っ飛びました

文庫本の帯に「観察眼を駆使した縦横無尽の日記エッセイ」という売り文句が躍っていますが、捧腹絶倒のエッセイの数々は、みゆきんさんのブログ「みゆきな日々 ~ 2ワンズ&私・年金暮らしのジッちゃんに絶賛親孝行活躍中」と同じくらい面白いです   憂さ晴らししたいあなたには、両方お薦めします

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新国立オペラ、リヒャルト・シュトラウス「サロメ」初日公演を観る ~ これまでの同じ演出による公演だが何かが違う

2023年05月28日 00時10分05秒 | 日記

28日(日)その2.昨日午後、ミューザ川崎を後にして、初台駅に着いたのは13時10分。昼食を取ろうと「丸亀製麺」に行ったら「本日休業」の張り紙が 仕方ないのでコンビニでおにぎり2個と水を買って昼食を済ませ、開演30分前の13時30分に新国立劇場に入りました 私がなぜ急ぐかと言えば、プログラム冊子を事前にできる限り読んでおきたいからです しかもこの日のオペラ「サロメ」は途中休憩がないのでなおさらです 結果的には半分しか読めなかったので、残り半分は帰りの電車の中で読みました

         

ということで、昨日14時から新国立劇場「オペラパレス」でリヒャルト・シュトラウスのオペラ「サロメ」初日公演を観ました キャストはサロメ=アレックス・ペンダチャンスカ、ヘロデ=イアン・ストーレイ、ヘロディアス=ジェニファー・ラーモア、ヨハナーン=トマス・トマソン、ナラボート=鈴木准、ヘロディアスの小姓=加納悦子ほか 管弦楽=東京フィル、指揮=コンスタンティン・トリンクス、演出=アウグスト・エファーディングです

私が新国立オペラ「サロメ」をアウグスト・エファーディングの演出で観るのは2004年、2008年、2011年、2016年に次いで今回が5度目です

 

     

 

オペラ「サロメ」はリヒャルト・シュトラウス(1864-1949)がオスカー・ワイルドの劇をもとに1903年から05年にかけて作曲、1905年にドレスデンで初演されました

物語の舞台は紀元30年頃の領主ヘロデの宮殿。ヘロデの寵愛を一身に受ける義理の娘サロメは、庭の古井戸に幽閉されているヨハナーンに関心を持ち、衛兵隊長ナラボートに彼を連れ出すよう命ずる ヨハナーンはサロメにキスを求められるが、彼は拒否して古井戸に戻る ヘロデから 何でも望みの褒美を与えると舞をせがまれたサロメは、7つのヴェールを裸身にまとい、妖艶な踊りを披露する 舞終えたサロメが要求した褒美はヨハナーンの首だった   逡巡するヘロデだったが約束を守り、ヨハナーンの首が撥ねられ銀の皿に乗せられてサロメに差し出される 死者の唇にキスをするサロメを見たヘロデはサロメを殺すように命じる

 

     

 

【注:以下は 演出に関わるコメントが含まれています】

同じ演出家による「サロメ」公演なので印象はさほど変わらないはずです しかし、今回は何かが違います それは何か

通常の公演は客席の照明が落とされ、指揮者が登場してオーケストラピットに入り、序奏なりの演奏を開始して幕が開きますが、本公演ではまず照明が落とされ、再び照明が点灯すると幕が開き、すでに指揮台にいる指揮者がタクトを振ります こういう演出はたまに見かけます。残忍な内容だけに開幕に拍手は相応しくないという判断でしょうか

ヘロデを歌ったイアン・ストーレイはイギリス生まれのテノールです 声が良く通り、サロメのとてつもない要求を断るに断れないヘロデ王を見事に演じました

ヘロディアス(ヘロデの妻、サロメの実母)を歌ったジェニファー・ラーモアはアメリカ出身のメゾソプラノです 強靭な歌唱力の持ち主で、異常なサロメの母親らしいエキセントリックな役柄を演じ、聴衆を圧倒しました

ヨハナーンを歌ったトマス・トマソンはアイルランド・レイキャビクの音楽学校で学び、英国王立音楽院卒業後にヨーロッパを中心に活躍しているバリトンです 威厳のある洗礼者ヨハネを力強い歌唱で歌い上げ、抜群の存在感を示しました

 

     

 

さて、問題はサロメを歌い演じたアレックス・ペンダチャンスカです ブルガリア・ソフィア生まれのソプラノですが、歌唱力に関しては声も美しく強靭な歌唱で申し分ありません しかし、これまで観てきたサロメ役の歌手と比べ、演技力の点で物足りなさを感じます ひと言で言うと、もっと「サロメ」らしい狂気と妖艶さがほしいということです 特に一番の見どころ「7つのヴェールの踊り」では、トリンクス ✕ 東京フィルの濃厚とも言える妖艶で狂気に満ちた音楽づくりに対し、あまりにも動きが静か過ぎて「どこまでも冷静なサロメ」を感じてしまいます これは彼女自身の責任というより、演出・衣裳・振付の問題かもしれません そう思いながらプログラム冊子を読んでいたら、「登場人物紹介」ページの「サロメ」に「シュトラウスは『理想とするサロメは、イゾルデの声を持つ、16歳の王女である』(!)と非公式に発言した」とあります 16歳の少女に「妖艶で狂気に満ちたサロメ」を求めるのは酷かな、と思い直しました しかし16歳で「どこまでも冷静なサロメ」もないだろうとも思います

特筆すべきはドイツ出身のコンスタンティン・トリンクス指揮東京フィルの演奏です 終始歌手に寄り添いながら緊張感に満ちた素晴らしい演奏を展開しました

 

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅田俊明 ✕ 高木綾子 ✕ 東京交響楽団でモーツアルト「セレナータ・ノットゥルナ」「フルート協奏曲第2番」「交響曲第40番」を聴く ~ 第53回モーツアルト・マチネ

2023年05月28日 00時01分03秒 | 日記

28日(日)その1.わが家に来てから今日で3057日目を迎え、取材中の記者がロシア当局にスパイ容疑をかけられて拘束・起訴された米紙ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)のロシア関連の報道をめぐり、ロシア国営ノーボスチ通信は26日、「WSJが偽情報の発信を続けるのであれば、WSJは(拘束中の)記者の運命に関心がないということだ」とする「モスクワの情報筋」の発言を報じた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     拘束されている記者を人質にしてWSJを脅かしてる  卑劣なプーチン政権のやり口

 

          

 

昨日午前11時からミューザ川崎シンフォニーホールで「第53回 モーツアルト・マチネ」を聴きました プログラムはモーツアルト①セレナード第6番 ニ長調 K.239「セレナータ・ノットゥルナ」、②フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314(285d)、③交響曲第40番ト短調 K.550です 演奏は②のフルート独奏=高木綾子、管弦楽=東京交響楽団、指揮=梅田俊明です

 

     

 

1曲目は「セレナード第6番 ニ長調 K.239『セレナータ・ノットゥルナ』」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が20歳の1776年に作曲しました 第1楽章「行進曲:マエストーソ」、第2楽章「メヌエット」、第3楽章「ロンド:アレグレット」の3楽章から成ります 鉢村優氏のプログラム・ノートには、「タイトルに添えられた『ノットゥルナ』は語義通りには『夜の』を意味するものの、何を指すのか明らかではありません。モーツアルトにとっては”ちょっと変わった”セレナードという程度の意味だったようだ」と書かれています

オケは変則5型で、左から第1ヴァイオリン(5)、第2ヴァイオリン(5)、コントラバス(1)、チェロ(2)、ヴィオラ(4)という並びで、下手にティンパニがスタンバイします コンマスは東京藝大の「藝大フィルハーモニア管弦楽団」コンサートマスターの澤亜樹です

梅田俊明の指揮で第1楽章が開始されます 澤コンマスと第2ヴァイオリン首席の服部亜矢子のデュオとオケとのコンチェルトのような形で軽快な演奏が続きます 清水太のティンパニが心地よいリズムを刻み 演奏にアクセントをつけます 第2楽章では、澤コンマス、服部、チェロ首席の伊藤、ヴィオラ首席の青木による四重奏とオケとの合奏(コンチェルト・グロッソ)により楽しい音楽が展開します 第3楽章に入ると、澤、服部、伊藤、青木、そして清水が、順番にソロの腕前を発揮しますが、清水はティンパニを硬いマレットで叩く傍ら、小柄なハンマー(小槌)で板を叩いていました🔨 マーラーじゃないんですけど 5人のソリストはノリノリで、タイトルのように「乗っとるな」と思いました こんなに楽しい「セレナータ・ノットゥルナ」を聴いたのは初めてです 梅田氏のセンスの良さを感じました

2曲目は「フルート協奏曲第2番 ニ長調 K.314(285d)」です この曲は1778年に作曲されました 原曲は「オーボエ協奏曲 ハ長調 K.271k」です パリのアマチュア・フルート愛好家ド・ジャンの依頼により3曲のフルート協奏曲を作る予定が間に合わず、1曲はオーボエ協奏曲から編曲(ハ長調 ⇒ ニ長調)したのです 第1楽章「アレグロ・アぺルト」、第2楽章「アダージョ・マ・ノン・トロッポ」、第3楽章「ロンド:アレグロ」の3楽章から成ります

フルート独奏の高木綾子は愛知県豊田市出身。東京藝大大学院修了。数々の管楽コンクールで優・入賞しています 現在、東京藝大准教授、洗足学園音楽大学客員教授を務めています

オケは8型に拡大し、管楽器が加わります

梅田の指揮で第1楽章が快速テンポで開始されます 間もなく高木のフルートが入ってきますが、確かな技術に裏付けられた軽快な演奏が続きます 第2楽章は憂いに満ちた演奏が印象的です 第3楽章は一転、愉悦感に満ちたフルートが会場を翔け巡ります 各楽章のカデンツァは鮮やかで聴きごたえがありました 文句なしの素晴らしい演奏でした

実は、この曲は私のクラシック入門曲なのです 今からン十年前、当時 一世を風靡していた「ラジカセ」にFM放送から4つの音楽を録音しました モーツアルト「フルート協奏曲第2番」、ドビュッシー「小組曲」、トワ エ モア「空よ」、C C R(クリーデンス・クリア・ウォーター・リバイバル)「トラベリング・バンド」です  何度も何度も繰り返し聴いて、最後に残ったのがモーツアルトでした    今でも覚えていますが、フルート独奏=宮本明恭(N響首席)、森正指揮NHK交響楽団による演奏でした    これをきっかけに、私はクラシックの世界にのめり込んでいくことになります 第2楽章のアダージョを聴きながら、当時の 若いだけが取り柄のアホな青春時代に思いをはせました

 

     

 

最後の曲は「交響曲第40番ト短調 K.550」です この曲は1788年に3か月間で作曲された第39番から第41番までの3つの交響曲の一つです 第1楽章「モルト・アレグロ」、第2楽章「アンダンテ」、第3楽章「メヌエット:アレグレット」、第4楽章「フィナーレ:アレグロ・アッサイ」の4楽章から成ります もともとクラリネットなしの編成で作曲されましたが、完成後にクラリネットを追加する改訂が行われました。この日の演奏はこの第2稿によります

オケは10型に拡大します ホルンのトップは読響首席の松坂隼の客演のようです

梅田の指揮で演奏に入ります 第1楽章では弦楽器を中心に、涙が追いつけない疾走感溢れる演奏が素晴らしい 第2楽章ではホルンが冴え、弦楽器アンサンブルが美しい 第3楽章では相澤政宏のフルート、葉加瀬太郎、もとい、最上峰行のオーボエ、松坂隼のホルンが素晴らしい 第4楽章は滝から流れ落ちるような切迫感を感じる演奏が展開し、憂いに満ちたアレグロで曲が閉じられました

梅田 ✕ 東響は終始モーツアルトらしい軽快なテンポで演奏、満場の拍手を浴びました

 

     

 

終演は12時20分でした 14時から初台の新国立劇場でオペラ「サロメ」を観るので焦ります ミューザから川崎駅に向かう途中、スマホのヤフー「乗り換え案内」で川崎 ⇒ 初台を検索、品川駅で山手線に乗り換え、さらに新宿駅で京王新線に乗り換えて1つ目の初台で降りるのが最短時間であることが分かりました 開演時間には間に合いそうだが、昼食をとる時間はあるのか?・・と不安を抱えながら初台に向かいました 「その2」に続きます

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城所孝吉氏「『レコ芸』休刊後、録音について語るメディアが必要な理由」 ~ クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」6月号より

2023年05月27日 05時54分53秒 | 日記

27日(土)。第一生命保険が「2022年サラっと一句!わたしの川柳コンクール」(旧サラリーマン川柳コンクール)の上位10句を発表しましたね 約8万5千句の応募の中から、第一生命の社員200人による社内投票で優秀作100句を選出し、その後、約6万人から一般投票があり、順位を決めたとのことです 今回が36回目ですが、応募者や詠まれる内容の多様さを反映し、今回、コンクール名から「サラリーマン」という言葉を取ったが、「サラ川」の愛称で長年親しまれてきたため、新名称でも愛称が変わらないようにしたそうです

現代の世相を反映して、物価高や新型コロナがらみの入賞作が目立ちました

第8位の「送料を 無料にするため ムダ使い」は、身近に対象者がいます 仕掛け人は、世界最大の河川の名前に関係する通販会社・・・アマゾンです

第7位の「パスワード つぶやきながら 入れる父」は、お父さん パスワードの意味がないです

第3位の「店員が 手とり足とり セルフレジ」は、スーパーでよく見かけます 全然合理化になってません

第1位の「また値上げ 節約生活 もう音上げ」は、笑いごとではありません 個人的に一番頭にきているのは電気代の値上げです その主な原因は、ロシアのウクライナ侵攻に伴う世界的なエネルギー事情のひっ迫と、エネルギー価格の急上昇です プーチンの野郎、絶対許さない

ということで、わが家に来てから今日で3056日目を迎え、25日の旧ソ連圏経済ブロック「ユーラシア経済同盟」首脳会議で、ウクライナ侵攻で低下した求心力の回復を目指していたプーチンの思惑に反し、アルメニアとアゼルバイジャンの両首脳が領土問題を巡り大論争を繰り広げ、かえって「勢力圏の亀裂」を露呈させる結果になった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ロシアなんて 国土面積が広いだけで大国気取りしてるけど 考えが甘い小国だよね

 

         

 

昨日、夕食に「蒸しジャガ  タラコバター」「生野菜とアボカドのサラダ」「シメジの味噌汁」を作り、「ヤリイカ」を酢味噌でいただきました 「蒸しジャガ~」は娘の強いリクエストによって作りましたが、癖になる美味しさです

 

     

 

         

 

クラシック音楽情報誌「ぶらあぼ」に連載の城所孝吉氏によるコラム「気分はカプリッチョ」第83回(6月号掲載)は「『レコ芸』休刊後、録音について語るメディアが必要な理由」です

 

     

 

城所孝吉(きどころ たかよし)氏は1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代からドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌、新聞で執筆する 10年間ベルリン・フィルのメディア部門に在籍した後、現在はレコード会社勤務

コラムを超略すると次の通りです

「『レコ芸』が音楽界で担ってきた役割は絶大だった なぜなら同誌が、音楽についての『言説』を作り出す場所だったからである ある演奏がどうであったか、何が優れ、また何が問題であったかを『言語化』することによって初めて、受容できるようになる 『音楽に、言葉はいらない』と言う人がよくいるが、それは誤謬だ。哲学では、『赤いという色は、赤という概念(=言葉)がないと認識できない』ということは常識である。音楽も、それを指し示す言葉の存在によってようやく『扱える』ようになる その際、日本の音楽受容のレヴェルは、国際的に見ても突出して高い 例えば、マーラーの交響曲を耳で諳んじている人の数は、非常に多いだろう。ショパンのバラードやスケルツォのすべての音を把握しているファンも、ごく普通にいる。そのような聴衆は、実は欧米にはほとんど存在しない 例えばドイツなら、ベルリン・フィルハーモニー(約2400人収容)でマーラーの交響曲第9番が演奏された際に、全曲を予め覚えている人の数は、20人にも満たないだろう 日本では、その絶対数ははるかに高いと思われる。それはなぜか。日本が、『録音を聴くことによって音楽を知る』文化を持っているからである ドイツでは、コンサートが日常的かつ安価に聴けるため、一生懸命CDを聴かなくてもライブで体験できる しかし日本では、演奏会が高価であるため、録音が最も実際的で手近な手段なのである そしてCDによって音楽に目覚め、聴き込む人々が、楽曲や現在・過去の演奏についての知識を集める場所が、他ならぬ『レコ芸』であった また、『良い演奏とはなにか』『音楽はどのような基準で聴くのか』についての(相当に濃い、オタク的なまでの)価値観=言説そのものが作られる場所であった 筆者は、日本の音楽界が(世界的に見てもトップである)聴衆の質を保つためには、こうした議論が行われる場所が作られることが必須だと思う 『レコ芸』なき後、そうしたメディアが(特にネット上で)登場し、『音楽をめぐる言説』が培われ続けることを願ってやまない

この記事を読んで、一番意外に思ったのは「ベルリン・フィルでマーラーの交響曲第9番が演奏された際に、全曲を予め覚えている人の数は、20人にも満たないだろう」という箇所です 「えっ、たったそれだけ」という感じです。しかし、城所氏の解説を読むと納得できます 確かに日本ではコンサートのチケット代が高すぎます とくに海外のオケやアーティストの来日公演の場合はとんでもない高額な料金設定になっていて手も足も出ません 私もかつて「CD中心主義」でクラシックを聴いていましたが、その頃は 海外オケの来日公演のチケット代が1万円と聞くと、「CDなら4枚買える」と計算していました    しかもCDなら繰り返し聴けるのでコスパ抜群だし しかし、CD4000枚、LP2000枚(現在は1500枚)になった時点で、これ以上 置き場所がない という危機に直面し、一期一会の「ライブコンサート中心主義」に移行したという経緯があります

一方、日本の聴衆の特性に目を転じると、例えばマーラーやブルックナーの交響曲の場合は、「版」の問題をはじめオタク的な知識を持った聴衆が多く存在していることは確かです 私はクラシック・オタクではありませんが、『レコ芸』はこれらの聴衆のサロン的な「場」を提供してきた側面もあると思います その意味では城所氏の言われる通り、レコ芸に代わる新たなネット・メディアが登場し、『音楽をめぐる言説』が培われ続けるよう願いたいと思います

その一方で、現代は「CDの時代はいつまで続くのか」という問題に直面しています YouTube や他の配信サービスの普及によってCDの売り上げが減少しているというニュースは、もはや旧聞になってしまいました そんな中、「若者を中心に、LPレコードの売り上げが再び伸びている」という話題も出ています    果たして、音楽界はどういう方向に進むのか、まったく予想がつきません 私の場合は、CDを聴くのはコンサートの予習が中心で、自分の足で歩ける限りコンサート通いを続けるつもりです

ということで、今日は午前中 川崎でモーツアルトを聴き、午後 初台でリヒャルト・シュトラウスのオペラを観ます

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ファビオ・ルイージ ✕ 福川伸陽 ✕ NHK交響楽団でモーツアルト「ホルン協奏曲第3番」、ハイドン「交響曲第82番”くま”」、ベートーヴェン「交響曲第6番”田園”」を聴く

2023年05月26日 00時16分25秒 | 日記

26日(金)。わが家に来てから今日で3055日目を迎え、ロシアの民間軍事会社「ワグネル」創設者のプリゴジン氏は24日までに、ウクライナ軍を「組織力が高く、世界最強の軍隊の一つだ」などと称賛する一方、「ロシアの一般家庭では母親が(子供の戦死に)涙を流しているのに、エリートの子どもはぜいたくでのんきな生活を送っている」と批判し、ショイグ国防相らプーチン政権の幹部を名指しでののしり、「国民の分断がロシア国内での革命につながる可能性もある」と述べた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     プリゴジンにも良心のかけらがあるようだから 兵を挙げてクーデター起こしたら?

 

         

 

昨日、夕食に「揚げジャガと鶏肉の炒めもの」「生野菜とアボカドのサラダ」「豆腐とオクラの味噌汁」を作りました 「揚げジャガ~」は最近の新聞の「料理メモ」を見て作ったので初挑戦です レシピには最後に「木の芽をざっと刻んで合える」と書いてありましたが、「木の芽」って何? とにかく、いつも買い物をする池袋のISPには売っていなかったので「木の芽」なしで作り、パセリを振りました とても美味しかったです 料理のコツの一つは、材料が1種類くらいなくても平常心で作ることです

     

 

         

 

昨夜、サントリーホールでN響5月度B定期公演2日目を聴きました プログラムは①ハイドン「交響曲第82番 ハ長調 ”熊”」、②モーツアルト「ホルン協奏曲第3番 変ホ長調 K.447」、③ベートーヴェン「交響曲第6番 ヘ長調 作品68 ”田園”」です 演奏は②のホルン独奏=福川伸陽、指揮=ファビオ・ルイージです

ファビオ・ルイージは1959年イタリア・ジェノヴァ生まれ。デンマーク国立交響楽団首席指揮者、ダラス交響楽団音楽監督を務め、2022年9月からN響首席指揮者を務めています

 

     

 

オケは12型で左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという いつものN響の並び コンマスは郷古廉、その隣は篠崎史紀というダブルコンマス態勢を敷きます。チェロも藤森亮一と辻本玲のダブル首席態勢です    また、ヴィオラのトップには元N響客員首席の川本嘉子がスタンバイします    管楽器を見渡すと、オーボエのトップは読響首席の金子亜未さんが客演しているようです

1曲目はハイドン「交響曲第82番 ハ長調 Ho.I-82”熊”」です この曲はフランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732-1809)が1786年に作曲、1787年に初演されました 交響曲第82番から第87番までの6曲はパリの「コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピック」の依頼で作曲されたもので「パリ交響曲」として総称されています 「熊」という愛称は第4楽章でバグパイプに似た響きが、熊に芸をさせる熊使いの鞭の音を連想させることからきたものです 第1楽章「ヴィヴァーチェ・アッサイ」、第2楽章「アレグレット」、第3楽章「メヌエット ~ トリオ」、第4楽章「フィナーレ:ヴィヴァーチェ」の4楽章から成ります

ルイージが指揮台に上り演奏に入ります   いつも思うのですが、ルイージの音楽づくりはノーブルです。気品が漂っています   これが他の指揮者と大きく異なる点だと思います ハイドンらしい軽快な演奏が続きますが、植松透の硬いマレットにより打ち込まれるティンパニが心地よくリズムを刻みます この曲で聴きどころは、やはり第4楽章です 冒頭の低弦によるバグパイプ風の音楽が印象的です。これは曲中に何度か出てきますが、どう考えても「熊」とは結び付きません ハイドンは100曲以上交響曲を作曲したので、後世の人は何か愛称をつけないとどれがどの曲か区別がつかないので無理して付けたのでしょうね 知らぬはハイドンばかりなり、です 爽快な演奏でした

2曲目はモーツアルト「ホルン協奏曲第3番 変ホ長調 K.447」です この曲はウォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756-1791)が、交流のあった名ホルン奏者ヨーゼフ・ロイトゲープ(1732-1811)の演奏を想定して1787年に作曲した4曲の「ホルン協奏曲」のうち実質的に最後に作曲された作品です 偶然だと思いますが、ロイトゲープはハイドンと同じ年に生まれました 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「ロマンツァ:ラルゲット」、第3楽章「アレグロ」の3楽章から成ります

ホルン独奏の福川伸陽は武蔵野音大卒。日本フィル首席を経て2013年N響に入団、その後主席に就任して活躍し、2021年3月に退団しました   ナチュラルホルンも吹き、バッハ・コレギウム・ジャパンなどでも活躍しています

ルイージの指揮で第1楽章に入ります    福川のホルンは正確無比で安定感抜群です   ホルンってそう簡単ではないと思うのですが、難しさを全く感じさせず余裕で吹いているように思わせます    カデンツァも余裕で吹いていました    第2楽章は独奏ホルンの朗々と奏でるメロディーが美しく響きました    第3楽章は一転、ルイージ ✕ N響の万全のバックに支えられながら愉悦感に満ちた音楽が奏でられました

満場の拍手に福川は、ブリテン「テノール・ホルンと弦楽のためのセレナード」より「プロローグ」をソロで演奏し、再び大きな拍手を浴びました

 

     

 

プログラム後半はベートーヴェン「交響曲第6番 ヘ長調 作品68 ”田園”」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)が1807年から翌08年にかけて作曲、1808年にアン・デア・ウィーン劇場で初演されました 第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ(田舎に着いた時の愉快な気分と目覚め)」、第2楽章「アンダンテ・モルト・モッソ(小川の風景)」、第3楽章「アレグロ(田舎の人々との楽しい集い)」、第4楽章「アレグロ(雷鳴・嵐)」、第5楽章「アレグレット(牧歌~嵐のあとの喜びと感謝)」の5楽章から成ります

ここでこの曲の初演について触れておきたいと思います この曲が初演されたのは1808年12月22日、会場はアン・デア・ウィーン劇場でした この日のプログラムは次の通りでした

①交響曲第5番ヘ長調「田園」(現在の第6番)

②アリア「Ah,perfido作品65」

③ミサ曲ハ長調 作品86より「グロリア」

④ピアノ協奏曲第4番

 【休憩】

⑤交響曲第6番 ハ短調(現在の第5番"運命”)

⑥ミサ曲ハ長調より「サンクトゥス」&「ベネディクトゥス」

⑦合唱幻想曲

交響曲第5番と第6番は番号が逆でしたが、同じ日に初演されました この日の演奏会の記録によると、当日は「暖房もない劇場で、少数の観客が寒さに耐えながら演奏を聴いた」とされています プログラム全体で4時間を超える非常に長いコンサートで、聴衆や演奏者の体力も大きく消耗し、初演は失敗に終わったと言われています

さて、話を現代のサントリーホールに戻します コンマスは篠崎史紀、その隣に郷古廉と入れ替わります

全体を通して、オーボエの金子亜未、フルートの甲斐雅之、クラリネットの伊藤圭を中心とする木管楽器の演奏が冴え渡り、3本もホルンも素晴らしかった ルイージの指揮では、第3楽章から第4楽章に移る際のテンポアップがルイージらしいと思いました

もし、この日のN響メンバーが1808年12月22日のアン・デア・ウィーン劇場にワープして、聴衆を前に「田園交響曲」を演奏したら、寒さを吹き飛ばしてブラボーの嵐が巻き起こったに違いありません

N響の思う壺ですが、恒例のカーテンコール時の”花束贈呈”セレモニーを写メをしてきました ステージ後方のP席を見ると、さかんにフラッシュを炊いて写メしている”恐れを知らぬ不届き者”が何名かいました たぶん、フラッシュを炊かないで写メする方法を知らないのだと思います 誰か教えてあげたらどうですか

     

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福間洸太朗プレイズ「オール・ラフマニノフ・プログラム」を聴く ~ 芸劇ブランチコンサート「第24回 名曲リサイタル・サロン」

2023年05月25日 06時50分57秒 | 日記

25日(木)。わが家に来てから今日で3054日目を迎え、中国の著名な人権派弁護士、余文生氏と妻許艶さんは4月に北京の欧州連合代表部に向かう途中で当局に連行され、その後拘束されていたが、当局が公共秩序騒乱の疑いで正式逮捕したことが23日分かった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     習近平強権政権に逆らう者は 逮捕・勾留されることを示す 国内向けメッセージだ

 

         

 

昨日、夕食に「ホッケの塩焼き」「生野菜サラダ」「アサリの味噌汁」を作りました ホッケは脂が乗って美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、東京芸術劇場コンサートホールで芸劇ブランチコンサート「第24回  名曲リサイタル・サロン 福間洸太朗 ~ オール・ラフマニノフ・プログラム」を聴きました プログラムは①「リラの花」(作曲者による編曲)、②「パガニーニの主題による狂詩曲」より第18変奏、③「幻想的小曲集」より第1番「エレジー」、第2番「前奏曲『鐘』」、第3番「メロディ」、④「前奏曲 作品32」より「第1番 ハ長調」、「第2番 変ロ短調」、「第5番 ト長調」、「第10番 ロ短調」、「第11番 ロ長調」、「第12番 嬰ト短調」、「第13番 変ニ長調」です

 

     

 

1曲目は「リラの花」です この曲はもともとセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が1902年に作曲した「12の歌 作品21」の中の第5曲で、詩人ベケートワの詩に曲をつけた作品です   それをラフマニノフ自身がピアノ用に編曲しました

大きな拍手のなか、福間が登場しピアノに対峙します 曲間のインタビューで福間は、「リラ=ライラックの曲を演奏するので、シャツをライラック(紫色)で合わせてきました」と語り、ナビゲーターの八塩圭子さんを感心させていました 福間の演奏は一音一音の粒立ちがとても美しく、清流の清々しさを感じました

2曲目は「パガニーニの主題による狂詩曲」より「第18変奏」です この狂詩曲は1934年に作曲、同年ボルティモアで初演された「序奏」「主題」と「24の変奏」からなるピアノと管弦楽のための変奏曲です 福間は徐々にスケールが大きくなっていくメロディをシンフォニックに、そしてドラマティックに演奏しました

次は「幻想的小曲集」より第1曲「エレジー」、第2曲「鐘」、第3曲「メロディ」です 「幻想小曲集」は1892年に作曲されました この小曲集は第1曲「エレジー  変ホ短調」、第2曲「前奏曲  嬰ハ短調『鐘』」、第3曲「メロディ  ホ短調」、第4曲「道化師」、第5曲「セレナード  変ロ短調」の5曲から成ります

第1曲「エレジー」ではほの暗い情熱のようなものを感じました 第2曲「鐘」は冒頭の重低音が全曲を支配し重厚感があります 第3曲「メロディ」は穏やかな温かみを感じました

 

     

 

最後の曲は「前奏曲 作品32」より「第1番 ハ長調」「第2番 変ロ短調」「第5番 ト長調」「第10番 ロ短調」「第11番 ロ長調」「第12番 嬰ト短調」「第13番 変ニ長調」です 「前奏曲 作品32」は1910年に作曲されました

演奏前のトークで、福間は「作品32」について次のように解説しました

「前奏曲(プレリュード)集はバッハの「平均律クラヴィーア曲集」全24曲が有名ですが、その後ショパンも『24の前奏曲』を作曲しています ラフマニノフは1892年に『幻想的小曲集』の第2曲として『前奏曲  嬰ハ短調 ”鐘” 』を書き、1901年に『10の前奏曲 作品23』を作曲、さらに1910年に『13の前奏曲 作品32』を書いて、合計『24の前奏曲』を完成させました    これらの24曲はすべて調性が異なります    このうち『鐘』と呼ばれる前奏曲だけが愛称で呼ばれていますが、他の前奏曲にもそれぞれの曲のイメージに合った愛称を考えました    YouTubeに公開していますのでご覧ください

長調 ⇒ 短調 ⇒ 長調 ⇒ 短調・・・と並べたラインアップでしたが、「短調で緊張し、長調で緊張をほぐし」という感じで聴きました 福間は確かな技術に裏付けられた技巧的な演奏により聴衆を魅了しました とくに最後の第13番の演奏はドラマティックで、音楽のスケールと深みを感じました

会場いっぱいの拍手に福間は、アンコールにスクリャービン「左手のためのノクターン」をロマンティックに演奏、再び満場の拍手を浴びました

ラフマニノフとスクリャービンを入れた新譜CDが発売されたばかりということで、終演後のロビーのCD売り場には「CD こうたろう か」という女性客の人だかりができていました

 

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第1回「音楽本大賞」に柳沢英輔さん ~ 朝日の記事から / ユホ・クオスマネン監督「オリ・マキの人生で最も幸せな日」を観る

2023年05月24日 07時00分53秒 | 日記

24日(水)。昨日の朝日朝刊 文化欄に「第1回『音楽本大賞』に柳沢英輔さん」というタイトルによる吉田純子編集委員の記事が載りました 内容は概要以下の通りです

「音楽の多様な聴き方を促す優れた書籍に贈られる『音楽本大賞』の第1回最終選考会が15日に開かれ、大賞に柳沢英輔著『フィールド・レコーディング入門 響きのなかで世界と出会う』(フィルムアート社)が選ばれた 賞金は10万円。同賞は今年、音楽関係の編集者有志4人がクラウドファンディングで資金を集め、創設した 対象は、昨年刊行された音楽関連書籍約300冊。ミュージシャンの横川理彦さんを選考委員長に迎え、選考委員を音楽ライターの小室敬幸さんはじめ4人が務めた

音楽本といっても様々なジャンルがあるので、どういう基準で選ぶのか疑問が浮かびますが、選考委員に新日本フィルの「クラシックへの扉シリーズ 60分ワンコイン講座」の講師としても知られる小室敬幸氏が選ばれていることから、クラシック音楽本もしっかりカバーされていると思われます 「このミステリーがすごい!大賞」や「本屋大賞」など、独自の選考基準で選ばれる賞が目立ちますが、「音楽本」だけに特化した賞制度は初めてかもしれません 6月20日発売の7月号をもって休刊する月刊「レコード芸術」(音楽之友社)のことを考えると、同じ活字媒体を対象とするこの賞制度には、大きく育ってほしいと思います

ということで、わが家に来てから今日で3053日目を迎え、ロシア当局者は22日、ウクライナとの国境付近でウクライナ軍の「破壊工作隊」が越境して攻撃を仕掛けたと主張したが、一方、ウクライナ側で戦うロシア人の軍事組織「自由ロシア軍団」が攻撃を認めた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     ワグネルのプリゴジンのロシア軍批判といい 今回の攻撃といい ロシアは揺らいでる

 

         

 

昨日、夕食に「牛肉の赤ワイン煮込み」「生野菜サラダ」「エリンギと人参のスープ」を作りました 「牛肉~」は、本当は小玉ねぎがほしかったのですが、どこにも売っていなかったので、マッシュルームと人参を一緒に約50分煮込みました。柔らかくて美味しく出来ました

 

     

 

         

 

早稲田松竹でユホ・クオスマネン監督による2016年製作フィンランド・ドイツ・スウェーデン合作映画「オリ・マキの人生で最も幸せな日」(モノクロ・92分)を観ました

1962年夏、パン屋の息子でボクサーのオリ・マキ(ヤルコ・ラハティ)は現在10戦8勝、世界タイトル戦でアメリカ人チャンピオンと闘うチャンスを得る 元チャンピオンでオリのマネージャー(エーロ・ミロノフ)を中心に準備が整い、あとは減量し 集中して試合に臨むだけというタイミングで、オリはライヤ(オーナ・アイロラ)に恋をしてしまう    フィンランド国中がオリに期待する中、スポンサーへの挨拶回り、食事会、写真撮影、映画撮影など周囲が勝手に盛り上がる中、ライヤは遠くの存在になっていくオリに自分の存在意義を失い実家に帰ってしまう ライヤがいたから頑張れたオリはストレスがピークに達し、練習を抜け出してライヤに会いに行ってしまう フィンランド中がオリの勝利に期待する中、ライヤは「私は期待しないから負けてもいい」と言う それを聞いたオリは彼女にプロポーズし、彼女は喜んで受け入れる そしてオリは世界タイトル戦に臨む

 

     

 

【以下、ネタバレ注意】

この映画は、タイトル戦を前に恋に落ちてしまったボクサーの実話をもとに描いた作品です

結局、オリは2ラウンドでノックアウトされてしまいますが、負けた彼の顔は悔しいというよりもサバサバしていて、重い荷を肩から降ろしたように見えました 世界タイトル戦のプレッシャーから解放され、これでライヤと一緒に過ごせるという幸せをつかんだからです 試合のシーンを見る限り、オリはわざと負けたわけではないと思います しかし、頭のどこかで「この試合が終わればすべてのプレッシャーから解放される 大好きなライヤと一緒に過ごせる」と考えていたのではないかと思います

かくして この日は、フィンランド国民にとっては 国の代表ボクサーがチャンピオンに負けた「最悪の日」となり、オリ・マキにとっては「人生で最も幸せな日」になったのです

この作品は2016年の第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門で作品賞を受賞しました

 

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユホ・クオスマネン監督「コンパートメントNo.6」を観る / 「『週3日は外に出て』妻は言った」 ~ 朝日新聞「定年クライシス  居場所はどこに1⃣」を読んで思うこと

2023年05月23日 06時54分08秒 | 日記

23日(火)。21日(日)付の朝日朝刊 リライフ面に「定年クライシス  居場所はどこに1⃣ 『週3日は外に出て』妻は言った」という見出しの記事が載っていました 記事を超略すると次の通りです

「滋賀県に住む70代の男性は、60歳で定年を迎えた後、雇用延長で66歳まで働き、退職してから間もない頃に妻から『昼ご飯、作りたくない。週に3日は外に出てほしい』と言われ、『きつい話だ』と思った しかし、けんかをしても仕方ないので、できるだけ外に出るようにした コンビニで昼食用のおにぎりを2個買い、電車で京都へ。京都御苑や植物園、寺や公園のベンチで昼食をとった そのうち、お金をあまりかけず、外で時間をつぶすことができる方法を見つけた 最寄りのJRの駅から電車に乗り、琵琶湖を1周ぐるりと回って、最寄りの手前の駅で降りる。おにぎりとお茶、小説などを持参し、3時間以上かけて回った 料金は1駅分だけ。『電車はちょうどいい書斎だった』と語る」

この記事を読んで私が真っ先に思ったのは、「作ってくれないなら、自分で作ればいいじゃん この分だといつまで経っても”妻”から自立できないな」ということです

料理を作ったことのない人には「昼ご飯、作りたくない」という気持ちは分からないでしょうね この男性は66歳まで働き、その給料で家族の生活を支えてきたのだから、妻が料理を作るのは”当たり前”だと考え、退職した後も当然そういう生活が続くと考えていたのでしょう しかし、料理をはじめ家事は立派な労働です。でも定年はありません

毎日のように家族の食事を作るのがどんなに大変か・・・作るのはもちろん、メニューを考えるだけでも面倒なのです 私は週5回夕食作りをしていますが、それだけでも苦労しています だから、というわけではありませんが、「妻ばかり頼っていないで、たまには自分で料理を作ったらどうだろう。1人分も2人分も作る手間は同じだから2人分作ってみては」と考えます そうでないと、いつまで経っても妻なしでは何もできないまま 一生を終わるような気がします   最初のうちは土井善晴先生の「一汁一菜」の考え方に基づいて「具だくさん味噌汁」だけでも良いと思います

料理は仕事と同じで「段取り」が大切です それだけに頭を使います 外食より自炊の方が経済的で健康にも良いし、美味く出来れば褒められます 「何を作るか」を決め、新聞や料理本やウェブサイトの料理レシピを見ながら作りますが、必要なのは「食材」と「調理道具」と ちょっとの「やる気」です 料理はたしかに面倒ですが、能動的でクリエイティブな作業。"作る喜び"があります

ということで、わが家に来てから今日で3052日目を迎え、ドイツの警察当局は21日、ベルリンで4月末に開かれたロシア反政権派の会合に出席した亡命ロシア人女性ジャーナリストと活動家の2人に対し、何者かが毒殺を図ろうとした疑いがあるとして捜査を始めたと明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     反体制派指導者ナワリヌイ氏に対する暗殺未遂事件もあるし プーチンは何でもやる

 

         

 

昨日、夕食に「ナスと鶏肉の炒めもの」「生野菜サラダ」「白舞茸の味噌汁」を作りました 「ナスと~」の材料はナス、オクラ、パプリカ、鶏もも肉、キザミ生姜です。豆板醤が少し入っているのでピリ辛で美味しかったです 白舞茸はいつものようにごま油で炒めてから入れましたが、一味違います

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でユホ・クオスマネン監督による2021年製作フィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ合作映画「コンパートメントNo.6」(107分)を観ました

1990年代のモスクワ。フィンランドからの留学生ラウラ(セイディ・ハーラ)は恋人と一緒に世界最北端駅ムルマンスクのペトログリフ(岩面彫刻)を見に行く予定だったが、大学教授の恋人イリーナに突然断られ一人で出発することになる 寝台列車の6号客室に乗り合わせたのはロシア人の炭鉱労働者リョーハ(ユーリー・ボリソフ)だが、ラウラは彼の粗野な言動や無礼な態度にうんざりしてしまう しかし、長い旅を続けているうちに、2人は互いの不器用な優しさや魅力に気づき始める

 

     

 

この映画はフィンランドの作家ロサ・リクソムの小説を映画化したものです

この映画でキーを握っているのは炭鉱労働者リョーハです 彼は酒を飲んで酔っ払っている時はラウラにセクハラまがいの言葉をかけたり、しつこく絡んだりして嫌われますが、シラフに戻ると案外親切な若者で、ムルマンスクまでの道路が封鎖されていて車では行けないと分かると、舟乗りと交渉して舟で一緒に目的地まで行ってくれたりします リョーハを演じたユーリー・ボリソフは坊主頭で鋭い眼をしていて不良そのものにしか見えませんが、この映画には「人は見かけによらぬもの」「人は外見だけで判断してはいけない」というメッセージが隠されているように思います

一方、主人公のラウラを演じたセイディ・ハーラは、女優というよりも普通にその辺にいる女性で、なぜ彼女が主役なのかと疑問に思うほど地味です しかし、その自然な演技力にはリアリティがあります

ラウラと恋人イリーナはレズビアンです。列車が途中駅で停車するたびにラウラがイリーナに電話を入れますが、その都度冷たくあしらわれます 2人で行く予定だったムルマンスクへの旅は、結果的にラウラの傷心旅行になってしまったわけですが、この旅を機会に、ラウラは男性への愛が芽生えたのではないかと思われます

2021年の第74回カンヌ国際映画祭のコンペテション部門でグランプリを受賞しました

 

     

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする