人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

アンソニー・ホロヴィッツ著「カササギ殺人事件(上・下)」を読む~二重構造ミステリー / 志駕晃「スマホを落としただけなのに」、誉田哲也「ルージュ 硝子の太陽」、小杉健治「父からの手紙」他を買う

2018年11月30日 07時23分38秒 | 日記

30日(金)。えっ もう金曜日‼  と週末になるたびに驚く今日この頃です。本当に1週間が経つのが速く感じます その積み重ねで今日で11月も終わり。皆さまいかがお過ごしでしょうか

第一生命ホールを運営しているトリトンアーツからハガキが届きました 来年3月9日に同ホールで開催される「クァルテット・エクセルシオ ✕ クァルテット奥志賀」公演に出演予定のエクセルシオ第2ヴァイオリン奏者・山田百子さんが 健康上の理由で出演できなくなり、代わりに都響第2ヴァイオリン首席奏者・双紙正哉氏が出演するという内容でした ということは、12月2日(日)にサントリーホール「ブルーローズ」で開かれる「第100回桐朋学園室内楽演奏会」にも出演できないということでしょう こちらは誰を代演に立てるのでしょうか? いずれにしても、山田百子さんの健康が心配ですね

 

     

 

ということで、わが家に来てから今日で1519日目を迎え、女優の赤城春江さんが29日早朝 死去した(享年94歳) というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       「渡る世間は鬼ばかり」だけど 共演者をはじめ みんな別れを「おしん」でいます

     

         

 

昨日、夕食に「豚バラのエリンギ炒め」と「もやし豚汁」を作りました 「豚バラ~」はウーウェン先生、「豚汁」は笠原将弘先生のレシピですが、いずれも簡単で経済的で美味しい料理です

 

     

 

         

 

年間70冊達成を目指して本を5冊買いました 1冊目は志駕晃著「スマホを落としただけなのに」(宝島社文庫)です。映画化もされて話題の本です

 

     

 

2冊目は誉田哲也著「ルージュ 硝子の太陽」(光文社文庫)です 誉田哲也の本は文庫化されるたびに購入し、当ブログでご紹介してきました

 

     

 

3冊目は小杉健治著「父からの手紙」(光文社文庫)です この本は新聞の書評欄で見て買うことにしました

 

     

 

4冊目は真山仁著「当確師」(中公文庫)です 真山仁と言えば「ハゲタカ」シリーズで有名になりましたね

 

     

 

5冊目は大岡昇平著「小林秀雄」(中公文庫)です 「モオツァルト」の小林秀雄に興味が尽きません

 

     

 

         

 

アンソニー・ホロヴィッツ著「カササギ殺人事件(上・下)」(創元推理文庫)を読み終わりました この本は新聞の書評欄で激賞されていたミステリーで、大手書店に買いに行った時は下巻しか在庫がなく、上巻はしばらく待たなければなりませんでした 文庫本のカバーに記載された略歴によると、著者のアンソニー・ホロヴィッツはイギリスを代表する作家で、ヤングアダルト作品「女王陛下の少年スパイ!アレックス」シリーズがベストセラーになり、人気テレビドラマ「刑事フォイル」「バーナビー警部」の脚本を手掛けているそうです

 

     

 

「上巻」の最初の部分を読むと、「名探偵アティカス・ピュントシリーズ 『カササギ殺人事件』 アラン・コンウェイ」という本の「扉」が現われます。つまり、この小説は、アラン・コンウェイという小説家が探偵ピュントを主人公にした『カササギ殺人事件』という題名の推理小説を書いたというスタイルを取っているのです その小説の中で、二人の人物が死亡します 一人はパイ屋敷と呼ばれる准男爵の邸宅で長年家政婦として働いてきたブラキストン夫人です。彼女は、主の留守中に階段の下で首の骨を折って死んでいました 館の出入口はすべて施錠されていました。村では不仲だった息子ロバートが殺したのではないかと囁かれていました。ロバートの婚約者ジョイは名探偵ピュントのもとを訪れ、無責任な噂を打ち消すために村に来てほしいと依頼しますが、断られます。ピュントは不治の病で余命2,3か月と診断されたため新たな依頼は受けられなかったのでした しかし、数日後、同じ村で殺人事件が発生します。ジョイの話の中に引っかかるものがあったため、ピュントは村に向かいます。殺されたのはブラキストン夫人の雇人であるパイ屋敷のサー・マグナス・パイでした

最初に死んだブラキストン夫人はどんなことにも顔を突っ込むタイプの女性だったので、人々から恨みを買うこともありました 一方、マグナス・パイ准男爵は町民が憩いの場としていた小さな杜ディングル・デルの土地を開発業者に売り、新しい家を何軒か建てようとしていたことから、町民の反感を買っていました 誰にも動機はあったのです

そして、最後の1行で「えっ」と絶句します。ブラキストン夫人を殺したとされる人物が明らかにされているのですが、動機がまったく不明です いったいどうなっているんだ と一刻も早く「下巻」を読みたい気持ちを押さえられません

 

     

 

「犯人」と目される人物の動機が知りたいと思って「下巻」を読み始めると、当てが外れます アラン・コンウェイ著「名探偵アティカス・ピュントシリーズ『カササギ殺人事件』」の出版元「クローヴァーリーフ・ブックス」社の内部の話が いきなり展開して面喰います 同社の文芸部門の編集者スーザン・ライランドが登場し、『カササギ殺人事件』の結末部分の原稿が見つからないことから、同社の最高経営責任者チャールズ・クローヴァーに「どうなっているの?」と電話をするシーンから始まります 結末部分がないことから、スーザンは二人の死亡について、容疑者を一人一人挙げていき謎解きをしていきます。そして、夜ラジオを聴いて、著者のアラン・コンウェイが死んだという事実を知ります スーザンはアランからチャールズ宛に書かれた遺書めいた手紙を示されますが、結末部分については直接触れていませんでした アランは自殺したのか、あるいは何らかの理由で殺されたのか、スーザンは小説の中の死亡事件と、目の前の死亡事件の間に立って推理を巡らせていきます そして、ついに小説の結末部分を探り当て、同時にアランの死の真相を突き止めます

以上から分かるように、この小説は二重構造になっています 一つは、名探偵アティカス・ピュントの活躍を描いた部分で、小説家アラン・コンウェイによる『カササギ殺人事件』という謎解きミステリの形式をとる作中作です もう一つは、「名探偵アティカス・ピュントシリーズ」の担当編集者である私(スーザン)が、作者アラン・コンウェイを中心とした出版界やメディア関係者、自身の友人や知人などとの関わりの中でアランの死の謎を追う部分です この二つの物語は密接に絡み合って二つの謎解きが同時並行して進行していきます

ミステリーのベストセラー作家スティーヴン・キングは「本書は、クリスティ作品に匹敵する傑作だ。いや、超えているところさえある」と賛辞を寄せています

上・下巻合わせて740ページを超える大作ですが、時間が経つのを忘れるほど面白い本です 強くお薦めします

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デイヴィス ✕ パユ ✕ ラングラメ ✕ 読売日響でモーツアルト「フルートとハープのための協奏曲」、ジョン・アダムズ「シティ・ノワール」他を聴く / 桐朋学園室内楽演奏会のチケットを取る

2018年11月29日 07時20分23秒 | 日記

29日(木)。わが家に来てから今日で1518日目を迎え、米自動車大手ゼネラル・モーターズ(GM)が北米5工場の操業停止計画を示したことについて、トランプ米大統領は27日、「GMへのすべての補助金カットを検討している」とツイッターに投稿した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       GMだけを差別するなんて常識では出来ない  すべては2年後の大統領選挙のため

 

         

 

昨日、夕食に「野菜と挽肉のドライカレー」を作りました ドライカレーの材料は茄子、玉ねぎ、ピーマン、トマト、豚ひき肉です。フライパンで作りますが、すごく美味しいです

 

     

 

     

 

         

 

コンサート会場で配られるチラシの束に「第100回  桐朋学園室内楽演奏会」のチラシが入っていたので、さっそく同学園のホームページから申し込みました   12月2日(日)午後1時から第1部がサントリーホール「ブルーローズ」で開かれます 桐朋出身者の「クァルテット・エクセルシオ」がゲスト出演し、ベートーヴェン「弦楽四重奏曲第9番ハ長調”ラズモフスキー第3番」を演奏するほか、学生により①チャイコフスキー「ピアノ三重奏曲イ短調”偉大な芸術家の思い出に”」(第1楽章)、②プロコフィエフ「弦楽四重奏曲第2番」、③メンデルスゾーン「弦楽四重奏曲第4番」(第1,3,4楽章)、④ラヴェル「弦楽四重奏曲ヘ長調」(第1,3,4楽章)を演奏します

 

     

 

なお、同日午後6時から第2部(夜の部)が同じ会場で開かれ、ドヴォルザーク「ピアノ五重奏曲第2番」(旧東京クァルテットのメンバー他)、シューベルト「弦楽四重奏曲第14番”死と乙女”」(学生)他が演奏されます

 

         

 

昨夕、サントリーホールで読売日響 第583回定期演奏会を聴きました サントリーホールもクリスマスモードでお出迎えです

 

     

 

プログラムは①スクロヴァチェフスキ「ミュージック・アット・ナイト」、②モーツアルト「フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299」、③ジョン・アダムズ「シティ・ノワール」です ②のフルート独奏はエマニュエル・パユ、ハープ独奏はマリー=ピエール・ラングラメ、指揮はデニス・ラッセル・デイヴィスです

デニス・ラッセル・デイヴィスは1944年生まれのアメリカの指揮者で、現在はチェコ国立ブルノ・フィルの芸術監督及び首席指揮者を務めています

 

     

 

オケはいつもの読響の並びで、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成。コンマスは長原幸太です

1曲目はスクロヴァチェフスキ「ミュージック・アット・ナイト」です スタ二スラフ・スクロヴァチェフスキは1923年ポーランド生まれ。読響第8代常任指揮者を務めましたが 2017年2月に逝去しました 彼は1947年にシマノフスキ記念作曲コンクールで「序曲」が第2位に入賞すると、奨学金を得て2年間パリに留学し、ナディア・ブーランジェに師事します その頃 作曲したのが「ミュージック・アット・ナイト」で、イタリア旅行中の回想に基づいてされた作品です 第1部「アレグロ・ドラマティコ」、第2部「モデラート、ドラマティコ・エ・ルバート」、第3部「アレグロ・ミステリオーソ~ラレンタンド・アル・ラルゴ」、第4部「アレグロ・モルト~ドッピオ・メノ・モッソ」の5部から成りますが、切れ目なく続けて演奏されます

スキンヘッドが決まっているデニス・ラッセル・デイヴィスが登場し、さっそく演奏に入ります 全体を通して聴いた印象は、極めて悲劇性の強い音楽で、24~5歳の頃、スクロヴァチェフスキはこういう音楽を作っていたのか、と驚きます


     


オケの規模が縮小し、小編成になります。2曲目はモーツアルト「フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299」です この曲はモーツアルト(1756-1791)がマンハイム・パリへの求職旅行中の1778年4月に、パリの音楽愛好家のド・キーヌ伯爵から依頼されて作曲した作品です 第1楽章「アレグロ」、第2楽章「アンダンティ―ノ」、第3楽章「ロンド:アレグロ」の3楽章から成ります

ソリストの二人がデイヴィスと共に登場し配置に着きます フルート独奏のエマニュエル・パユは1970年ジュネーヴ生まれで、現在ベルリン・フィルの首席奏者を務めるほかソリストとしても世界的に活躍しています 一方、ハープ独奏のマリー=ピエール・ラングラメはフランス・グルノーブル生まれで、数々の国際コンクールで優勝し、1993年からベルリン・フィルの首席ハープ奏者を務めています

デイヴィスの指揮で第1楽章に入り、軽快なテンポで音楽が流れます 驚くべきは、パユもラングラメも、いとも簡単に演奏しているように見えることです 実際はモーツアルトだけにトンデモなく難しい演奏だと思いますが、演奏の大変さを一切見せず「お茶の子さいさい」といった感じでさらっと演奏して見せます 特に各楽章でのフルートとハープによるカデンツァは聴きもので、素晴らしいと思ったのは、パユの演奏にラングラメがピタリと寄り添って演奏していたことです さすがはベルリン・フィル・コンビです これこそ、指揮者の大友直人氏が語っていた一流の上の「超一流」の演奏です

会場いっぱいの拍手とブラボーに二人は、イベールの「フルートとハープのための間奏曲」を超絶技巧を駆使して演奏し、聴衆を唖然とさせました


     


プログラム後半はジョン・アダムズ「シティ・ノワール」です この曲はジョン・アダムズ(1947~)が2009年に、ベネズエラ出身の指揮者グスターボ・ドゥダメルのロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督就任を記念して作曲した作品です 柴辻純子さんの「プログラム・ノート」によると、彼は作曲にあたり、カリフォルニアの文化と歴史を描いた、南カリフォルニア大学教授で歴史学者のケビン・スターの大著「ドリーム」(全6巻)の中の「1940~50年代のカリフォルニアの戦争と平和」という副題のついた巻(2002)の第8章「1947年、ブラック・ダリア」から着想を得ているとのことです 「ブラック・ダリア」とは、ロサンゼルスで起きた猟奇殺人事件で、著書では1947年を象徴する出来事として挙げられているそうです アダムズは「フィルム・ノワール(犯罪映画)」の題材になるような事件が起きた街のエネルギーや、時代の空気感を音楽に映し出したかった、と述べているとのことです 第1楽章「都市とその分身」、第2楽章「この歌はあなたのために」、第3楽章「ブールバード・ナイト」の3楽章から成ります

全体を通して聴いた印象は、喧騒に満ちた曲想で、サクソフォン、トランペット、トロンボーン、ホルンといった金管楽器がソロとして活躍し、弦楽器群と合わせてシンフォニック・ジャズのような感じを受けます

しかし、正直言って、メロディーが目まぐるしく変化するため 曲についていくのが精一杯で、音楽を楽しむレヴェルまではいきませんでした 何度か繰り返し聴けば作品の良さが分かると思いますが、1回だけでは無理です ただ、今回聴いて思ったのは、アダムズが「ドゥダメルのために」作曲したというのが腑に落ちたということです いかにもドゥダメルが指揮をとって最大限の効果を上げそうな曲想です

ドゥダメル✕ロサンゼルス・フィルは来年3月20日にJ.アダムズの「Must  the  Devil  Have  All  the  Good  Tunes ?」(ピアノ=ユジャ・ワン)とマーラー「交響曲第1番」を、同22日にマーラー「交響曲第9番」をサントリーホールで演奏します 今から楽しみです

 

     

 

ホールからカラヤン広場に出るとクリスマスツリーがお見送りしてくれました

 

     

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新国立オペラでビゼー「カルメン」を観る~ドン・ホセのオレグ・ドルゴフとミカエラの砂川涼子にブラボー!ジンジャー・コスタ=ジャクソンのカルメンをどう評価すべきか?

2018年11月28日 07時21分40秒 | 日記

28日(水)。わが家に来てから今日で1517日目を迎え、俳優の中谷美紀さん(42)が、ウィーン・フィルのヴィオラ奏者、ティロ・フェヒナーさん(50)と結婚したことを27日、所属事務所を通じて発表した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      弦をかついだ? これからの人生を丁々にするのも単調にするのも二人次第だね 

 

         

昨日の夕食は豚骨醤油鍋にしました。材料は、豚バラ肉、鶏肉団子、キャベツ、ネギ、シメジ、ニンジン、ホウレンソウです 寒い夜は鍋料理がいいですね

 

     

 

         

 

昨日、初台の新国立劇場「オペラパレス」でビゼー「カルメン」を観ました 正面玄関ではクリスマスツリーがお出迎えです

 

     

 

私はプルミエ(初日公演)会員なので本来は23日に観るはずでしたが、バッハ・コレギウム・ジャパンの定期演奏会と重なったため 昨日に振り替えました   振替先の席は2階1列19番、つまり2階最前列のセンターブロック左から5つ目で、ほとんど ど真ん中です。これほど良い席で聴くのは初めてです オーケストラ・ピットの中が良く見えます 振り替え手続きの時の電話で、高校生の集団が後方に入るがそれでも良いかと訊かれましたが、その通り、2階センター後方と右サイド、3階席を中心に男女高校生が陣取っていました 今の高校生は羨ましいですね。学校行事の一環としてオペラが観られるのですから

さて、オペラのキャストは、カルメン=ジンジャー・コスタ=ジャクソン、ドン・ホセ=オレグ・ドルゴフ、エスカミーリョ=ティモシー・レナ―、ミカエラ=砂川涼子、スニガ=伊藤貴之、フラスキータ=日比野幸、メルセデス=中島郁子ほか 管弦楽=東京フィル、合唱=新国立劇場合唱団、児童合唱=TOKYO FM少年合唱団、ダンサー=新国立劇場バレエ団、指揮=ジャン=リュック・ダンゴ―、演出=鵜山仁です

私が新国立オペラの「カルメン」を観るのは、2002年、2004年、2007年、2010年、2014年、2017年に次いで今回が7度目です このうち鵜山仁氏の演出で観るのは5度目です。「フィガロの結婚」と共に、もうそろそろ変えて欲しいと、個人的には思っています

 

     

 

スペインのセビリヤのタバコ工場で働くジプシーの魔性の女カルメンは自分に関心を示さない伍長のドン・ホセを誘惑する。ホセにはミカエラという許婚がいたが、カルメンの魅力には勝てず、軍隊を脱走し、ジプシーの密輸団の一味に加わる しかし、飽きっぽいカルメンのホセへの愛は続かず、花形闘牛士エスカミーリョに心を移す そんな中、ミカエラがやってきて田舎に住むホセの母親が危篤だと知らせ、ホセは密輸団を離れる 闘牛の日、ホセは再びカルメンの前に現われ復縁を迫るが、カルメンからキッパリと拒絶される。逆上したホセは短剣でカルメンの胸を突く

 

     

 

ドン・ホセを歌ったオレグ・ドルゴフはロシア生まれで、2014年からモスクワ・ボリショイ劇場のソリストとして活躍しています 伸びのあるテノールで演技力も申し分ありません

エスカミーリョを歌ったティモシー・レナ―はアメリカ生まれで、現在フィラデルフィア・アカデミー・オブ・ヴォーカル・アーツのレジデント・アーティストとして活躍しています 背丈もあり、カッコいい闘牛士にピッタリの風貌で、艶のある魅力的なバリトンを聴かせてくれました

ミカエラを歌った砂川涼子は前回(2017年)に続いての出演ですが、まさに彼女の当たり役と言っても過言ではないでしょう 第1幕のホセとの二重唱、第3幕でホセに向けて歌うアリアを、美しくも力のあるソプラノで歌い上げ、聴衆を魅了しました

さて、問題はタイトルロールのカルメンを歌ったジンジャー・コスタ=ジャクソンをどのように評価したらよいのか、ということです 彼女はイタリア生まれで、メトロポリタン歌劇場リンデマン・ヤングアーティスト・プログラムを修了後、同歌劇場でロッシーニなどを歌い、「カルメン」を得意にしているとのことです

彼女の最初の出番は第1幕で「ハバネラ」を歌うシーンですが、息継ぎの関係か、歌の途中で一瞬声が消えてしまう(ように思える)ところが2度ほどあって、聴いていて「おやっ」と思いました ただ、「セギディーリャ」以降のアリアはスムーズに歌っていました 第2幕でカスタネットを叩いて踊りながら歌う「ジプシーの歌」などは、カスタネットも歌も何と上手いんだろうと感心したくらいです

ただ、「カルメン」としては何か物足りなさを感じます しかし、それは彼女に限りません。これまで新国立オペラでカルメンを歌ってきた歌手で 後々まで強烈に印象に残っているソプラノはいないと言っても過言ではありません  何故 そのように思うのかと冷静に考えてみると、METライブビューイングで観たエリーナ・ガランチャのカルメンが強烈に印象に残っているからだと思います

こう書くと、いかにも新国立オペラの立てるヒロインには魅力がないと誤解されかねませんが、そうではありません   プッチーニ「トスカ」を例に挙げれば、新国立オペラで2度ほどトスカを歌ったノルマ・ファンティー二は、これまで聴いてきたうちで最高のトスカでした   2011年7月のプラハ国立歌劇場来日公演で彼女がトスカを歌った時も聴きに行きました

オペラでもコンサートでも、前に観たり聴いたりした公演と比べてはいけない、白紙の状態で観たり聴いたりすべきだというのが本来のあり方なのだと思います その意味で、今回はガランチャのカルメンを頭から消し去ることが出来ないままジンジャー・コスタ=ジャクソンの歌を聴いたので、冷静に聴くことが出来なかったと反省しています

話は180度変わりますが、「カルメン」を観終わって思うのは、「あの後、どうなるんだろう?」ということです オペラの最後は、ホセがナイフでカルメンの胸を刺し、「逮捕してくれ。俺が殺したんだ。ああ!カルメン!俺のカルメン!」と言って泣き崩れ、幕が降ります。この後、ホセはどうなるのかという疑問です

何故そのような疑問を抱くかと言えば、第3幕冒頭のトランプ占いの場面を思い出すからです フラスキータとメルセデスと共にトランプ占いをやっていたカルメンがカードで運勢を占うと 死が予言されます カルメンは「死よ 最初は私が、次にあの人(ホセ)が死ぬんだわ」と叫びます。占い通り、カルメンが死にました。予言通りだとすれば、次はホセが死ぬはずです。カルメンを刺したナイフで自害するか、謀反の罪で軍隊に処刑されるかといったところでしょう 占いが外れてミカエラと幸せに暮らしましたとさ、チャンチャン では名作「カルメン」が泣きます。ホセには死んでもらいます

 

     

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荻原浩著「ギブ・ミー・ア・チャンス」を読む ~ 「探偵に向かない職業」ほか ユーモアとペーソスに溢れた短編小説集

2018年11月27日 07時20分07秒 | 日記

27日(火)。昨日は映画を観に行こうと思っていたのですが、前の週に映画を7本観て、コンサートを3回聴いたせいか、いささか疲れたので、大人しく過ごすことにしました とはいえ、家でじっとしていることが出来ない性分なので、散歩がてら池袋まで歩いて行き(約35分)ジュンク堂で文庫本コーナーを冷やかして、喫茶店(今どきはカフェというのか?)で新聞2紙と本を読んで帰ってきました

ところで、昨日の日経夕刊「くらしナビ面」のコラム「プロムナード」に作家の荻原浩氏が「先入観を疑え」というテーマでエッセイを書いています 大谷翔平選手がメジャーリーグで新人王を取ったことに関して、

「疑問視する人もいたが、二刀流はやっぱり正解だったということだ 二刀流で起用し続けた栗山監督が語っていた言葉が印象的だった。『先入観は可能を不可能にする』。いい言葉だ

と書いています。さらに相撲界に話を転じ、

「日本人横綱がいないと面白くない、というコメントがマスコミに流れるのはどうかと思う 誰とは言わないが、負けても負けても土俵に引っ張り上げられる日本人横綱も大変だ 伝統芸じゃないんだから

と書いています。ここで俎上に上がっている日本人横綱が稀勢の里であることは明白です 

ということで、わが家に来てから今日で1516日目を迎え、日本相撲協会の諮問機関  横綱審議委員会は26日、福岡市で会合を開き、九州場所で4連敗して途中休場した横綱稀勢の里に対し、横審規則に基づき「激励」することを決議した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      「激励」の次は「注意」、最後は「引退勧告」らしい 今が踏ん張りどころだな!

 

         

 

昨日は夕食を「カレー」にしようか「カレイ」にしようか大いに迷いましたが、最近 魚メインの料理を作っていないので、「カレイの煮つけ」にしました あとは「インゲンのごま和え」と「湯豆腐」です 「カレイ」は池袋ISPのN水産で買った北海道産なのですごく美味しかったです

 

     

 

         

 

冒頭に 日経掲載のエッセイを紹介した荻原浩氏の「ギブ・ミー・ア・チャンス」(文春文庫)を読み終わりました 荻原浩氏は1956年埼玉県生まれ。成城大学経済学部卒業。広告制作会社を経て、コピーライターとして独立。97年「オロロ畑でつかまえて」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー 2016年「海の見える理髪店」で直木賞を受賞しています

 

     

 

この本には次の8つの短編小説が収録されています

「探偵には向かない職業」

「冬燕ひとり旅」

「夜明けはスクリーントーンの彼方」

「アテンションプリーズ・ミー」

「タケぴよインサイドストーリー」

「リリーベル殺人事件」

「押入れの国の王女様」

「ギブ・ミー・ア・チャンス」

このうち、「探偵には向かない職業」は、探偵事務所に就職したものの身体が大きくて、電信柱に隠れて尾行してもすぐにばれてしまう体重153キロの元力士の奮闘ぶりを描いた作品です

「冬燕ひとり旅」は、いつまでもメジャーデビューできず 健康ランドで歌う40代のしがない女性演歌歌手の苦労と新たな決意を描いています

「アテンションプリーズ・ミー」は、海外便のエア・ホステスから地方の特急列車オレンジエクスプレス「みかん娘号」のキャビン・アテンダントに転職した若き真椰子の気苦労を描いた作品です

「タケぴよインサイドストーリー」は、浦浜市のイメージキャラクター「タケぴよ」の縫いぐるみを着て、市の広報のために一肌脱ぐことになった若い職員の表面には出ない苦労を描いています

「ギブ・ミー・ア・チャンス」は、お笑い芸人を夢見る若者と、アパートの同じ階に引っ越してきた若い女性との交流を描いた作品です

どの小説もユーモアとペーソスに溢れていて、荻原浩の読者への並々ならぬサービス精神を感じさせます

とくに印象深いのは、「タケぴよインサイドストーリー」です 小説の終盤に、タケぴよが「全国ゆるキャラ選手権」に出場する場面が出てきます。この選手権は滋賀県のキャンプ場公園で開かれ、エントリーしたゆるキャラが舞台の上で30秒のアピールタイムをこなして、その後、選考委員と、抽選で選ばれた一般審査員の投票が行われ結果が発表されるという設定になっています

折しも少し前の新聞報道等で、かつて「くまもん」が1位に選ばれた「ゆるキャラ グランプリ」のイベントが今年 大阪で開かれた際、事前のインターネット投票で上位の自治体が、万単位のフリーメールのアドレスを取得し、組織票を投じていることが明らかになった というゆゆしき事実が報道されました   それほど「ゆるキャラグランプリ第1位」は魅力があるのか、と疑問に思います   ちなみに「過去5年間の第1位を挙げよ」という問題が出たら、私にはひとつも答えられません。異常な現象だと思います

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東京・春・音楽祭 ムーティ指揮「リゴレット」のチケットを取る / 清水醍輝✕上野学園大学でレスピーギ「交響詩:ローマの噴水」他、沼尻竜典✕桐朋学園大学でホルスト「組曲:惑星」を聴く~音大フェス

2018年11月26日 07時20分11秒 | 日記

26日(月)。わが家に来てから今日で1515日目を迎え、日産自動車元会長のカルロス・ゴーン容疑者の報酬過少記載事件で、ゴーン元会長が退任後「顧問料」などの名目で日産から数十億円を受け取る計画だったことが24日、関係者の話で分かった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

        カリスマ経営者も 今や拘置所の独房の 仮住まい容疑者 となり果ててしまった

 

         

 

昨日は「東京・春・音楽祭2019」のヴェルディ「リゴレット」(4月4日:演奏会形式)のチケット先行発売日だったので1枚取りました 午前10時受付開始だったのでジャストにアクセスしましたが繋がりません 何度か繰り返して10時4分に繋がったので、1階右サイドのA席を押さえました 先日押さえた5日の「さまよえるオランダ人」の隣の席でした

出演はマントヴァ公爵=ジョルダーノ・ルカ、リゴレット=フランチェスコ・ランドルフィ、ジルダ=ヴェネーラ・プロタソヴァほか、管弦楽=東京春祭特別オーケストラ、指揮=リッカルド・ムーティです

実は、4月4日は同じ時間帯に読響名曲シリーズの新年度第1回目のコンサートがあるのですが、演奏者に魅力を感じないので他公演に振り替えます

 

     

 

     

 

         

 

昨日、池袋の東京芸術劇場コンサートホールで「第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2018」第2日目の公演を聴きました

自席は1階E列12番、左ブロック右から2つ目です。会場は9割近く入っている感じです

 

     

 

プログラム前半は、清水醍輝指揮上野学園大学管弦楽団による①レスピーギ:交響詩「ローマの噴水」、②プロコフィエフ:交響組曲「3つのオレンジへの恋」です

演奏に先立って、桐朋学園大学の遠藤真理子さん作曲による「Fanfare2018」が演奏されました   ブラスだけでなく、スネアドラムが加わったのがアクセントになって良かったと思います

レスピーギの交響詩「ローマの噴水」はオットリノ・レスピーギ(1879-1936)が1916年に作曲し、同年に初演された作品です 「ローマの松」(1925年)、「ローマの祭」(1928年)と合わせて「ローマ三部作」として知られています

第1楽章「夜明けのジュリアの谷の噴水」、第2楽章「朝のトリトンの噴水」、第3楽章「昼のトレヴィの噴水」、第4楽章「たそがれのメディチ荘の噴水」の4楽章から成ります

オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、その後ろにコントラバスという並びです コンミスは成田叶さんと志賀きく乃さんが2曲を分担するようです。モダン面を見せるパイプオルガンにも演奏者がスタンバイします。第1ヴァイオリンにどこかで見たことのある人がいると思ったら 都響コンマスの山本友重氏でした   同大学の客員教授を務めている関係での出演でしょう

桐朋学園大学出身で上野学園大学非常勤講師の清水醍輝のタクトで演奏に入ります 全般を通してフルート、オーボエをはじめとする木管楽器群が素晴らしい演奏を展開し、金管楽器、弦楽器を含めて色彩感溢れる演奏を繰り広げました

次の曲に移るにあたり、管楽器奏者の一部が入れ替わりました

2曲目はプロコフィエフの交響組曲「3つのオレンジへの恋」です セルゲイ・プロコフィエフ(1891‐1953)は1919年にカルロ・ゴッツィの寓話劇「3つのオレンジへの恋のおとぎ話」をもとにプロローグと4幕から成る歌劇を作曲しましたが、その中から6曲を編曲し組曲としました 物語は、憂鬱症になった王子が魔女の呪いにかかり、砂漠に3つのオレンジを求めに行き、オレンジの一つから出た二ネッタと結婚するというものです

第1曲「変わり者たち」、第2曲「魔法使いチェリオと魔術師モルガーナのカルタ遊び(地獄の場面)」、第3曲「行進曲」、第4曲「スケルツォ」、第5曲「王子と王女」、第6曲「逃亡」から成ります

全体を通して聴いた印象は、フルート、ファゴットをはじめとする木管楽器の健闘に加えて、金管楽器群が安定した素晴らしい演奏を展開していました この第3曲「行進曲」は その昔持っていた、いくつかのオペラの抜粋版的なレーザーディスクに収録されていて、子どもたちが小さい頃一緒によく観ていたことを思い出します


     

 

プログラム後半は、沼尻竜典指揮桐朋学園大学オーケストラによるホルスト:組曲「惑星」です この曲はグスターヴ・ホルスト(1874-1932)が1914~16年に作曲した管弦楽曲です

第1楽章「火星ー戦争の神」、第2楽章「金星ー平和の神」、第3楽章「水星ー翼のある使いの神」、第4楽章「木星―快楽の神」、第5楽章「金星ー老年の神」、第6楽章「天王星ー魔術の神」、第7楽章「海王星ー神秘の神」の7楽章から成ります

演奏に先立って、上野学園大学の加藤伶作曲による「祝典ファンファーレ」が同大学のブラス・セクションにより華やかに演奏されました

桐朋学園大学のオケは、左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという編成です コンミスは、今年6月の「サントリーホール・チェンバーミュージック・ガーデン」に出演した「トリオ・デルアルテ」のヴァイオリニスト内野佑佳子さんです。2014年の8大学選抜オーケストラのコンミスを務めています パイプオルガン席にも演奏者がスタンバイします。弦楽器65名、管・打楽器46名の合計111名がステージに上がり、舞台裏に女声コーラス24名が控えます 大学を挙げて質と量で勝負する万全の態勢と言えるでしょう

沼尻竜典の指揮で第1楽章「火星ー戦争の神」の演奏が開始されますが、彼はタクトを使用しません タイトル通り「戦争」を感じさせる激しい音楽を聴いていると、映画「スター・ウォーズ」の勇壮なテーマを思い浮かべます 作曲者のジョン・ウィリアムスは、この曲をパクったのではないか、と思うほど曲想が似ています それにしても、弦楽器群のド迫力はどうでしょう 演奏者が多いということを割り引いても、ものすごいエネルギーを感じます さすがは多くの優秀な弦楽奏者をプロの世界に送り出している大学だと納得します

第2楽章「金星ー平和の神」では、コンミスの内野さんとチェロ首席の男子学生のソロが素晴らしい演奏でした 第3楽章「水星ー翼のある使いの神」では、チェレスタとハープの響きが宇宙的な広がりを感じさせました

第4楽章「木星―快楽の神」は「惑星」で一番有名な曲です 平原綾香が歌ったことで有名になった「ジュピター」です ここでは弦楽器に加え、管・打楽器の迫力ある演奏が展開しました 第5楽章「金星ー老年の神」では、コントラバスとパイプオルガンの重低音が客席の椅子をビリビリと振動させます 第6楽章「天王星ー魔術の神」では、ブラス・セクションが気持ちよいほど鳴らしまくります 久しぶりに沼尻竜典の”阿波踊り”のような指揮を見ました 第7楽章「海王星ー神秘の神」は一転、終始 静謐な音楽が続きます   冒頭の管楽器の弱音による演奏は特筆に値します    この楽章でもパイプオルガンの重低音が床を通して椅子に響きます    終盤、ステージ左サイドの扉が開き、舞台裏から女声コーラスが聴こえてきて、どんどんどんどん小さくなって消えていきます

終始 集中力に満ちた熱量の高い、個々人の実力の高さが窺える演奏でした

 

     

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梅田俊明✕東京藝大でバルトーク「管弦楽のための協奏曲」、北原幸男✕武蔵野音大でベートーヴェン「第九交響曲」を聴く~音楽大学オーケストラ・フェスティバル2018

2018年11月25日 07時24分33秒 | 日記

25日(日)。わが家に来てから今日で1514日目を迎え、2025年国際博覧会(万博)を大阪で開くことが23日、パリで開かれた博覧会国際事務局総会で決まった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      2020年の東京五輪 2025年の大阪万博 と浮かれてばかりではいられないと思うよ

 

         

 

昨日、ミューザ川崎で「第9回音楽大学オーケストラ・フェスティバル2018」の第1日目の公演を聴きました

自席は1階C4列29番、センターブロック右から2つ目です 他の会場だと4列目は前過ぎると感じますが、ミューザの場合は舞台が低いのでステージ奥の管楽器奏者の顔も良く見えます 会場は7割くらいの入りでしょうか

 

     

 

プログラム前半は、梅田俊明指揮東京藝大シンフォニーオーケストラによるバルトーク「管弦楽のための協奏曲」です  ベラ・バルトーク(1881-1945)は、ナチス・ドイツと手を組んだ母国ハンガリーを去り、1940年秋にアメリカに亡命しました アメリカでは経済的にも健康面でも苦しい状況が続き 作曲活動を休止していましたが、1943年に入り「管弦楽のための協奏曲」を作曲します 翌1944年が指揮者クーセビツキーのボストン交響楽団首席指揮者就任20周年にあたり、また生誕70周年にもあたるということで、それを記念する意味でバルトークにオーケストラ作品が委嘱されたのです

「管弦楽のための協奏曲」という意味は、特定の独奏楽器は持たず、オーケストラの各パート、各楽器が協奏的な性格を備えているということで、ソロあり重奏あり、合奏ありという形をとるものです 第1楽章「序奏」、第2楽章「対の遊び」、第3楽章「エレジー(悲歌)」、第4楽章「中断された間奏曲」、第5楽章「終曲」の5楽章から成ります

この音大フェスティバルでは演奏に先立って、お互いの大学へのエールを込めてファンファーレが演奏されますが、武蔵野音大2年の田中宏一君 作曲によるファンファーレ「L’Aperitif」が同音大ブラス・メンバーにより華やかに演奏されました

東京藝大のメンバーが入場し、配置に着きます オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並びです コンミスは今年7月度藝大モーニング・コンサートでショスタコーヴィチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」のヴァイオリン独奏を務めた学部4年生・内尾文香さんです

オケを見渡して感じるのは女子学生が圧倒的に多いということです とくにヴァイオリンとヴィオラは男子学生が合わせて3~4人しかいません 管楽器も女性が多いです これが現在の音楽大学の現況ということでしょうか

梅田俊明が登場し早速第1楽章の演奏に入ります この楽章ではフルート、オーボエ、クラリネットといった木管楽器群が素晴らしい演奏を展開しました 第2楽章ではファゴットの演奏が光りました 第3楽章では弦楽器の渾身の演奏が心に迫りました 第4楽章では再度オーボエ、フルートが冴え渡りました この楽章では中盤に、馬が高笑いして いななくような音楽が演奏されますが、そのユーモア溢れる演奏は見事でした 第5楽章は一転、高笑いしていた馬が疾走するかのような軽快な演奏が繰り広げられました この楽章ではトランペット、トロンボーンをはじめとする金管楽器群の活躍が目立ちました 全体的に弦楽器、管楽器、打楽器を問わずレヴェルの高い演奏だったと思います

 

     

 

プログラム後半は北原幸男指揮武蔵野音楽大学管弦楽団・合唱団によるベートーヴェン「交響曲第9番”合唱付き”」です この曲はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770‐1827)がシラーの「歓喜に寄せて」に基づく独唱と合唱を第4楽章に取り入れて1822~24年に作曲し、1824年5月7日ウィーンのケルントナートーア劇場で初演され、プロシア王フリードリヒ・ヴィルヘルム三世に献呈されました

第1楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ・ウン・ポコ・マエストーソ」、第2楽章「モルト・ヴィヴァーチェ」、第3楽章「アダージョ・モルト・エ・カンタービレ」、第4楽章「終曲」の4楽章から成ります

演奏に先立って、東京藝大4年の大脇滉平君の作曲によるファンファーレ「成長の樹」が、東京藝大ブラス・メンバーにより鮮やかに演奏されました

武蔵音大オケのメンバーが入場し配置に着きます オケは左から第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、その後ろにコントラバスという並びです。コンミスは水地久留美さんです このオケも東京藝大ほどではないにしても女子学生が圧倒的に多いです

北原幸男の指揮で第1楽章が開始されます。冒頭、ホルンの音が若干大きすぎるように感じましたが、席が前の方だったせいかも知れません 第1楽章と第2楽章を通じてファゴット、オーボエが冴えていました

第2楽章終了後、男女混声合唱がオケの後方にスタンバイします ソプラノ45人、アルト54人、テノール16人、バス22人、合計137人の大編成です 合唱でも女性陣が圧倒的に多い状況は変わりません 学生オーケストラの宿命でしょうか 次いでソリストの4人、ソプラノ=山口遥輝(はるか)、アルト=杉山由紀、テノール=鈴木俊介、バリトン=井出壮志朗がステージ中央のオケの後方にスタンバイします

北原のタクトで第3楽章の演奏に入ります この楽章ではフルート、クラリネット、ファゴットの演奏が冴えていました 第4楽章に入ると、いよいよソリストと合唱の活躍が期待されますが、ソリストは4人とも素晴らしかったです 4人の歌には何よりも溌剌としたベートーヴェンらしさを感じました 137人の合唱は圧倒的で、武蔵野音大合唱団のレヴェルの高さを証明しました

演奏が終わってJR川崎駅に向かう途中、あの学生たちは数年後に卒業したらどうするのだろうか、と考えてしまいました プロのオーケストラは欠員が出なければ補充しないでしょうし、欠員が出たとしても厳しい実技試験と面接が待っていることでしょう 学校の音楽の先生という道もあるかもしれませんが、やはり定員があるでしょう わが家の娘は4年生美術大学を出ていますが、希望通りの就職は叶わず、まったく職種の異なる仕事に就いています。これは音楽大学出身者も同じような状況ではないかと推察します

ただ、だからと言って、最初から希望も目標も持たず学生生活を送るのは時間の無駄でしかありません 大事なことは、今やるべきことに全力を傾けることだと思います 結果は自分が評価するものではなく他人が評価するものです どんな分野でも、成功する人はあらゆる方向にアンテナを張り、チャンス到来に備えて常に準備を怠らず チャンスを逃しません 後で後悔しないように、今を一生懸命生きてほしいと思います

 

     

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バッハ・コレギウム・ジャパンでJ.S.バッハ「クリスマス・オラトリオ」を聴く~第130回定期演奏会 / モジリアニの人生を描いた「モンパルナスの灯」を観る~バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」も流れる

2018年11月24日 07時34分23秒 | 日記

24日(土)。わが家に来てから今日で1513日目を迎え、政府が来年10月の消費増税の対策として導入するポイント還元制度について、安倍晋三首相は22日、還元率を2%にし、増税後9か月間実施すると表明した というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

      還元とか言ってるけど そのためのコストもかかる 財政再建をどうするつもりか!

 

         

     

昨日、夕食に「クリームシチュー」と「生野菜サラダ」を作りました  寒い時は温かいシチューがいいですね

 

     

 

         

 

昨日は池袋の新文芸坐で上映された「ジェラール・フィリップ特集」の最終日でした ジャック・ベッケル監督によるフランス映画「モンパルナスの灯」(1958年・108分)を観ました これは画家モジリアニの人生を描いた伝記映画です

1917年のモンパルナス。青年モジリアニ(ジェラール・フィリップ)は肺結核に冒され、飲酒の中毒でどん底の生活を送りながら、僅かの知己に支えられながら画業に取り組んでいた ある日彼は、ジャンヌ(アヌーク・エーメ)という画学生に出会い 激しい恋に落ちたが、彼女の父親の反対で二人は引き裂かれ、彼は絶望から昏倒した   画壇で唯一の理解者である画商ズポロフスキー(ジェラール・セティ)は彼を南仏ニースにやり静養させ、ジャンヌも家出してそこへ来る 幸福な半年を過ごしてパリに戻った彼を待ち受けていたのは、彼の絵に対する無理解と屈辱だった 個展は見事に失敗し、貧窮にあえいで、カフェで素描を5フランで売り歩くうち倒れた彼は、運ばれた病院で不帰の人となる それを看取った冷酷な画商モレル(リノ・ヴァンチュラ)は待ち構えていたかのように、彼の家に行きジャンヌを相手にその傑作の数々を買い叩くのだった。ジャンヌに彼の死を告げることもせずに

 

     

 

映画の冒頭、「この映画は史実に基づくが、史実そのものではない」というクレジットが出ます 唯一はっきりしているのは、モジリアニの作品は生前は売れず、失意の中で死んでいったということです ジェラール・フィリップは、この作品でモジリアニを演じた時は35歳でしたが、その翌年の1959年11月25日、奇しくもモジリアニと同じ36歳でこの世を去っています。才能のある人は早死にします

映画の前半で、辻ヴァイオリン弾きがバッハの無伴奏らしき曲を弾くシーンがありましたが、作品名は分かりませんでした また、モジリアニがモデルを前に絵を描いている時、J.S.バッハの教会カンタータ「心と口と行いと生活」BWV147の中の楽曲「主よ、人の望みの喜びよ」が流れていました その当時、ジャンヌと幸せな生活を送っていたモジリアニの心境を反映した穏やかで良い曲です

 

     

 

         

 

昨日、東京オペラシティコンサートホールでバッハ・コレギウム・ジャパンの第130回定期演奏会を聴きました プログラムはJ.S.バッハ「クリスマス・オラトリオ  BWV248」です 出演はソプラノ=ハナ・プラシコヴァ、カウンターテナー=クリント・ファン・デア・リンデ、テノール=ザッカリー・ワイルダー、バス=クリスティアン・イムラ―、管弦楽・合唱=バッハ・コレギウム・ジャパン、指揮=鈴木雅明です

ロビーは早くもクリスマス・イルミネーションです

 

     

 

「クリスマス・オラトリオBWV248」は、ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)が1734年に作曲したカンタータ集です ルカによる福音書、マタイによる福音書など、新約聖書からインスピレーションを得ており、楽曲の合唱曲とアリアの大半と器楽伴奏つきレチタティーボの一部は旧作のカンタータからの転用で、第1部から第4部までの合唱曲やアリアのもとになったのは2つの世俗カンタータ「岐路に立つヘラクレスBWV213」と「太鼓よ轟け、ラッパよ響けBWV214」の音楽です

「クリスマス・オラトリオ」はドイツ語の歌詞により全6部(計64曲)から成ります。クリスマス・シーズン(12月25日~1月6日)に、協会暦に沿ってクリスマス(12月25日)から顕現節(1月6日)のうち、日曜と祭日の計6日間に全6部を1日1部ずつ演奏するものです コンサートでは全6部を休憩を挟んで一度に演奏するのが一般的で、今回の演奏もそれにならっています。この日は以下のプログラム構成により演奏されました

第1部:歓呼せよ、欣喜せよ、さあ、讃えよこの日々を (12月25日)

第2部:そして羊飼いたちがその辺りで (12月26日)

第3部:天統べ給う君、聞き届けたまえ、舌足らずの言を (12月27日)

       ≪ 休  憩 ≫

第4部:ひざまずけ感謝をもって、ひざまずけ賛美をもって (新年)

第5部:誉をおんみに、神よ、歌いまつる (新年後第一日曜日)

第6部:主よ、高ぶる敵ども息まく時 (1月6日)

 

     

 

会場は「マタイ受難曲」の時と同じくらいの入りで、ほぼ満席です 普段もこうだと良いのですが ロビーのプログラム売り場には長蛇の列が出来ていて、ロビーの中ほどに行くのに苦労するほどでした 例によって、私は購入しませんでした

オケはいつもの通り、左サイドにヴァイオリン、ヴォイラ、右サイドに木管楽器、中央に通奏低音(チェロ、オルガンなど)、その後方にソリストを含めた合唱がスタンバイします オルガンはいつもは鈴木優人ですが、この日は大塚直哉が入っています。鈴木ジュニアは別件でしょうか  コンミスは若松夏美です

第1部は左サイドにナチュラル・トランペット3本とティンパニが入り、第1曲の合唱「歓呼の声を放て、喜び踊れ」から大活躍します トランペットとティンパニが入ると華やかで良いですね オーボエの三宮正満、ファゴットの堂坂清高も準備万全です

第2部はトランペットに代わりフルート2本(菅きよみ、前田りり子)が入ります

第3部は再びナチュラル・トランペットとティンパニが入ります

第4部はトランペットの代わりにナチュラル・ホルン2本(福川伸陽=N響、藤田麻理絵=新日フィル)が入ります

第5部は金管楽器は入らずオーボエとファゴットです

第6部は三たびトランペットとティンパニが入ります

 

     

 

プラハ生まれのハナ・プラシコヴァは透明感のあるソプラノです この日もノン・ヴィブラートの美声を会場の隅々まで届けていました

カウンターテナーのクリント・ファン・デア・リンデは声量があり歌唱力も抜群でした

テノールのザッカリー・ワイルダーは一番出番が多く、レチタティーボもアリアもそつなくこなしていました

バスのクリスティアン・イムラ―は良く声が通り、艶のある声が魅力です

特筆すべきは、ソリストや合唱をしっかり支えた金管、木管、通奏低音のメンバーたちです

第一に挙げるべきはオーボエの三宮正満でしょう。歌手にしっかり寄り添って名演奏を繰り広げます

フルートの菅きよみ、ナチュラル・ホルンの福川伸陽、藤田麻理絵の演奏も素晴らしく、ヴァイオリンの若松夏美、高田あずみの二重奏オブリガードも聴きごたえがありました

ナチュラル・トランペットの3人とティンパニも素晴らしい演奏でした

世界に通用する合唱団の素晴らしさは言うまでもありません

15時に開演したバッハ生誕333周年という記念すべき年の「クリスマス・オラトリオ」は18時3分に終了しました

午後6時を過ぎると外はもう夜です。オペラシティ地下の広場には恒例のクリスマス・ツリーが輝いていました この日は「バッハ」と「クリスマス」に縁のある一日でした

 

     

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スタンダール原作、クロード・オータン=ララ監督「赤と黒」(完全版)を観る ~ タイトルの「赤と黒」は軍服と聖職者の服の色か、ルーレットの回転盤の色か?

2018年11月23日 07時20分32秒 | 日記

23日(金・祝)。わが家に来てから今日で1512日目を迎え、サイバーセキュリティ基本法改正案を担当する桜田義孝五輪相は21日の衆院内閣委員会で、普段パソコンを使用していないことが海外でも驚きをもって報じられたことについて、「有名になったんじゃないか」と述べた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       同じ「有名」でも famous ではなく notorious だという自覚があるのかなぁ?

 

         

 

昨日、夕食に「大根と豚バラ肉の南蛮煮」と「大根の葉のお浸し」を作りました 「大根~」は鈴木登紀子先生のレシピですが、初めてにしては上手に出来ました

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でスタンダール原作、クロード・オータン=ララ監督によるフランス・イタリア合作映画「赤と黒」(1954年・192分)を観ました

1820年代の小都市べリエールに暮らす上昇志向の強い聡明な青年ジュリアン・ソレル(ジェラール・フィリップ)は、貧しい家庭に育つが、シェラン司祭の推薦で町長レナール家の家庭教師となる そこで夫人ルイーズ(ダニエル・ダリュー)と恋に落ちたジュリアンだったが、スキャンダルの発覚を恐れて神学校へ進む道を選ぶ そこで、校長のピラール神父から聖職者に向いていないと判断されるものの、才能を買われ、パリの大貴族ラ・モール侯爵(ジャン・メルキュール)の秘書に推薦される 公爵家の令嬢マチルド(アントネッラ・ルアルディ)に見下されたジュリアンは、マチルドを征服しようと心に誓う。マチルドも他の貴族にないジュリアンの才能と情熱に惹かれるようになり、二人は愛し合うようになる やがてマチルドはジュリアンの子を宿し、二人の関係はラ・モール侯爵に知られるが、身分の違いを理由に結婚に反対される しかし、マチルドが家出も辞さない覚悟を見せたため、やむなくジュリアンを陸軍騎兵中尉に取り立てた上で、レナール夫人のところにジュリアンの身元照会を要求する手紙を送る しかし、ジュリアンとの不倫の関係を反省し、贖罪の日々を送っていたレナール夫人は、聴罪司祭に言われるまま「ジュリアン・ソレルは良家の妻や娘を誘惑しては出世の踏み台にしている」と書いて送り返してきたため、侯爵は激怒し、ジュリアンとマチルドとの結婚を取り消す レナール夫人の裏切りに怒ったジュリアンは故郷に帰り、教会で彼女を射殺しようとしたが弾が外れ、彼は逮捕される。牢獄を訪ねたレナール夫人から、手紙が本心からのものではなく、いまだ夫人は自分を愛していることを知ったジュリアンは、死刑を運命として受け入れる

 

     

 

この映画が1954年に日本で初めて公開された時は144分の短縮版でしたが、2009年に主演のジェラール・フィリップの没後50周年を記念してオリジナル(185分)に未公開シーン7分を加えた完全版(192分)が制作されました 今回の上映はこの完全版によるものです。前編と後編の間に10分程度の休憩が入りました

題名の「赤と黒」は、主人公のジュリアンが出世の手段にしようとした軍人(赤)と聖職者(黒)の衣服の色を表しているという説と、ルーレットの回転盤の色を表し、一か八かの出世に賭けようとするジュリアンの人生をギャンブルに例えているという説があります しかし、この点についてスタンダールは何の説明もしていません

幸いこの作品はカラー映画なので 軍服が赤で聖職者の服装が黒であることが分かり、前者の説に説得力を持たせています  しかし、192分の全編を通して映画を観ると、主人公の波乱万丈の人生がギャンブルのように思え、後者の説が説得力を持ちます

後編の冒頭に、ヴィヴァルディのような バッハのような バロックっぽい軽快な管弦楽曲が流れますが、どちらでもないような気もします また、舞踏会のシーンでもワルツのような音楽が流れますが、映画の舞台となった1820年代に活躍していたヨハン・シュトラウス親子=1世(1804-1849)、2世(1825-1899)のいずれでもないようだし、同時代の他の作曲家でもないような気がします どちらもこの映画の音楽担当 ルネ・クロエレックが作曲したものではないかと推測します   「パルムの僧院」同様 モーツアルトの音楽を期待していましたが、どうやら音楽に関しては期待外れだったようです

 

     

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ルネ・クレール監督「悪魔の美しさ」、クロード・オータン=ララ監督「勝負師」(デジタルリマスター版)を観る ~ ドストエフスキーはワーグナーの「タンホイザー」を観たか?

2018年11月22日 07時22分09秒 | 日記

22日(木)。わが家に来てから今日で1511日目を迎え、米紙ワシントン・ポスト紙は19日、トランプ米大統領の長女 イバンカ大統領補佐官が私用メールで政府関係者と100通を超えるやりとりをしていたと報じた というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     危機管理意識のなさは親譲りだな 誰か彼女に私用メールはやめろとイわンカ!?

 

         

 

昨日、夕食に「鶏肉とホウレンソウの卵とじ」と「海老入りダンゴ、豆腐、シメジ、水菜のスープ」を作りました 寒くなってきたので熱燗で温かい料理が食べたいですね

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でジェラール・フィリップ特集のうち「悪魔の美しさ」と「勝負師」の2本立てを観ました

「悪魔の美しさ」はルネ・クレール監督・脚本による1949年フランス映画(白黒・96分)です

老大学教授ファウスト博士(ミシェル・シモン)は悪魔の手下メフィスト(同)に唆され、魂を売り渡す代償として試験的に青年アンリ(ジェラール・フィリップ)の姿に変えられる 青年に戻ったファウストはジプシー一座に入り踊り娘マルグリット(ニコール・べナール)と愛し合い 若さを満喫するが、失踪した老ファウスト(=自分自身)の殺人犯とされ、あわや死刑というところをメフィストがファウスト博士の姿で現われて救われる   その後、アンリはメフィストの意のままに 錬金術の知識を授けられ砂から金を生み出して巨万の富を手に入れる。しかし、アンリ(=ファウスト)は本契約を結ばないことから、メフィストは怒り彼から一切の能力を取り上げてしまう。驚いたアンリは「死んだら魂を売る」という契約にサインをする アンリはジプシー一座の踊り娘マルグリットと再会するが、メフィストは彼女を魔女として糾弾する 彼女を助けようとするアンリにメフィストは契約書をチラつかせるが、城外に落としてしまう 民衆は悪魔に魂を売り渡したファウスト博士の署名を見て、博士の姿をしたメフィストを追いかけ、彼はついにバルコニーから落ちて煙と共に消え去る あとにアンリとマルグリットの幸せな姿があった


     

 

言うまでもなく、この作品はゲーテの「ファウスト」をもとにルネ・クレール監督が独自の解釈で描いた映画です

このブログは、何を書いてよいか分からなくなった時には、いきなり音楽の話題にワープしますが、心の準備はよろしいでしょうか

ファウストと言えば、ベルリオーズの歌劇「ファウストの劫罰」を思い浮かべます 私が唯一観た「ファウストの劫罰」は1999年9月に長野県松本文化会館で開かれた「サイトウ キネン フェスティバル松本」における公演です   キャストは、ファウスト=ジュゼッペ・サッバティー二、メフィストフェレス=ジョセ・ヴァン・ダム、マルガリート=スーザン・グラハム、演奏=小澤征爾指揮サイトウ キネン オーケストラ、演出=ロベール・ルパージュでした

職場の同僚が運転する車で東京から松本まで日帰りの強行軍でした 公演で一番印象に残っているのは、ルパージュによる斬新な演出です 天井から吊るされたロープにダンサーが絡みついてまるでサーカスのようなアクロバティックな演技を見せるのですが、見ている方はハラハラドキドキしました もう一つは 最後のシーンで、マルガリート役のスーザン・グラハムが舞台中央のハシゴを上へ上へと天に昇っていくシーンです。これも、足を滑らせて落ちるんじゃないか とハラハラドキドキしました 一番怖かったのはスーザン・グラハムだったはずです   相当 怖い思いをして さぞかしルパージュのことを恨んだことでしょう

その後、ロベール・ルパージュはMETライブビューイング2010-2011シーズンのワーグナー「ワルキューレ」、2011‐2012シーズンの同「神々の黄昏」でも大掛かりな演出・舞台作りを見せ 大きな話題を呼びました

 

         

 

「勝負師」はクロード・オータン=ララ監督・脚本による1958年フランス・イタリア合作映画(102分)です

青年アレクセイが将軍ザゴリヤンスキー伯爵家の家庭教師としてモスクワからドイツにやってくる そこに、伯母のバープシュカがやってきて、退屈しのぎに賭博場に行きたいと言い出す ルーレットで最初のうちはツキまくっていた彼女だったが、最後には全財産をすってしまう 一方、アレクセイは最後の金貨1枚をかけたのをきっかけに大金を手に入れる。しかし、人生をともにしようとしていた女性は、アレクセイがルーレットに夢中になって約束を守らなかったことを苦にして自ら命を断ってしまう

 

     

 

この作品はドストエフスキー原作「賭博者」を脚色した映画です ルーレットで全財産を失う老女を描いているのに、映画の最後に「賭博はそれほど悪い行為だろうか?  他の商行為と比べて」という言葉がドストエフスキーのサインとともに映し出されたので 矛盾を感じ、原作についてNETで調べてみました   その結果、分かったのはドストエフスキーは相当なギャンブラーだったということです 彼がヨーロッパに旅行した時、行く先々のカジノでルーレットにはまり、帰国のための旅費まで失ってしまったことがあるそうです まさにこの映画の伯母バープシュカの行動そのものです この事実は意外でした

ところで、劇中 伯爵一家がオペラ劇場のボックス席でワーグナーの「タンホイザー」を鑑賞している時、女性が「ワーグナーって退屈ね」と隣人に呼びかけ、「カジノに行こう」と言って皆で席を立つシーンがあります このセリフがドストエフスキーの原作通りだとすれば、当時からワーグナーは「退屈のシンボル」のように思われていたのか、ワーグナーはカジノに勝てないのか、と苦笑してしまいました 因みにドストエフスキー(1821‐1881)とワーグナー(1813-1883)は同時代人です 果たして、ドストエフスキーは現実にワーグナーの「タンホイザー」を観たことがあるだろうか? また、ワーグナーはドストエフスキーの著作を読んだことがあるだろうか? 映画を観終わって、そんなことを考えました

 

     

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クリスチャン=ジャック監督、ジェラール・フィリップ主演「パルムの僧院 完全版」を観る ~ スタンダールと小林秀雄とモーツアルト

2018年11月21日 07時17分35秒 | 日記

21日(水)。わが家に来てから今日で1510日目を迎え、日産自動車の代表取締役会長カルロス・ゴーン容疑者が報酬を約50億円過少に申告したとして、金融商品取引法違反容疑で逮捕された事件で、ゴーン会長が海外の子会社に高級住宅を購入させた上で提供を受けていた疑いがあることが分かった というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                 ニッサンしてCEOになってもらったのに 解任されルノー? Ghosn has gone

 

         

 

昨日、夕食に「豚バラ麻婆茄子」と「湯豆腐」を作りました 「豚バラ~」は cookpad のレシピですが、何度か作ったので味が安定してきました

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でスタンダール原作、クリスチャン=ジャック監督・脚本によるフランス映画「パルムの僧院  完全版」(1947年・白黒・173分)を観ました

ナポレオンを崇拝するイタリア人貴族の青年ファブリス・デル・ドンゴ(ジェラール・フィリップ)はワーテルローの戦いに参加するが、何も出来ないまま重傷を負う ファブリスの叔母で「魔性の女」サンセヴェリーナ侯爵夫人ジーナ(マリア・カザレス)は彼に夢中になり、彼女の愛人で腹黒い首相モスカ伯爵とともに、ファブリスをパルムの宮廷で出世させようと計る しかし、ファブリスはつまらない事件で殺人を犯し、ファルネーゼ塔に幽閉されてしまう そこで監獄長官ファビオ・コンチの娘クレリヤ(ルネ・フォール)と恋に落ちる しかし、彼女はクレサンジ侯と結婚することが決まっていた

 

     

 

この映画を観るのは初めてで、スタンダールの原作を読んだこともないのですが、映画を観る前から一つの予想を立てていました それは劇中、モーツアルトの音楽が必ず使われるということです

映画の序盤ではシューベルトの劇付随音楽「ロザムンデ」の「間奏曲第3番」が流れましたが、中盤のパーティーの場面ではモーツアルトの「ディヴェルティメント第17番ニ長調K.334」の第3楽章「メヌエット」が、終盤では、クレリヤが自宅でモーツアルトの「ピアノソナタ第11番イ長調K.331”トルコ行進曲付き”」の第1楽章「アンダンテ・グラツィオーソ」を演奏するシーンが映し出されました 予想は的中したことになります

なぜ、この作品でモーツアルトの音楽が使われると予想したかというと、原作者のスタンダールがモーツアルトの熱烈な崇拝者であることをクリスチャン・ジャック監督もしくは音楽担当のレンツォ・ロッセリーニは知っていたのではないか、そうであるならきっと 映画の中でモーツアルトの音楽を使うはずだと思ったからです

(もっとも、スタンダールの原作の中にモーツアルトの名前と曲名が書かれていることも考えられますが、私は読んでいないので何とも言えません もし原作を読んだ方がいらっしゃれば、教えていただけると有難いです

後世のクラシック音楽界に多大な影響を及ぼした評論家・小林秀雄は『モオツァルト』の中で次のように書いています

「スタンダアルが、モオツァルトの最初の心酔者、理解者の一人であったという事は、なかなか興味ある事だと思う スタンダアルがモオツァルトに関して書き残した処は、『ハイドン・モオツァルト・メタスタシオ伝』だけであり、それも剽窃問題で喧しい本で、スタンダリアンが納得する作者の真筆という事になると、ほんの僅かばかりの雑然とした印象記になってしまうのであるが、この走り書きめいた短文の中には、『全イタリイの輿論に抗する』余人の追従を許さぬ彼の洞察がばら撒かれている 結末は、取ってつけた様な奇妙な文句で終わっている。『哲学上の観点から考えれば、モオツァルトには、単に至上の作品の作家というよりも、更に驚くべきものがある 偶然が、これほどまでに、天才を言わば裸形にしてみせた事はなかった。このかつてはモオツァルトと名付けられ、今日ではイタリイ人が怪物的存在と呼んでいる驚くべき結合において、肉体の占める分量は、能うる限り少なかった』。僕には、この文章が既に裸形に見える。この文句は、長い間、僕の心のうちにあって、あたかも、無用なものを何一つ纏わぬ、純潔なモオツァルトの主題の様に鳴り、様々な共鳴を呼び覚ました。果てはモオツァルトとスタンダアルとの不思議な和音さえ空想するに至った

私は この文章を読んで、スタンダールは「音楽の神が モーツアルトという人間の体を借りて 名曲の数々を書かせたのではないか。『モーツアルトは天才だ』というのは、そういうことではないのか」と考えている、と解釈しました

映画を観終わって、果たしてスタンダールの頭の中で鳴っていたのはモーツアルトのどんな音楽だったのだろうか、と しばらく考えていました

 

     

 

     

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