明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(300)放射能除染・回復プロジェクトに参加します!(10月20~22日)

2011年10月19日 14時00分00秒 | 明日に向けて(251)~(300)
守田です。(20111019 14:00)

明日、10月20日より22日まで、福島で「放射能除染・回復プロジェクト」に参加
してくることになりました。このプロジェクトは「福島の住民の呼び掛けに応じて
エントロピー学会有志と複数の大学教員らにより始められ、住民と一体となって
進めているプロジェクト」です。詳しい内容が「放射能除染マニュアル」(文責
京都精華大学山田國廣教授)がネットにアップされているので、ご参照ください。
http://entropy.ac/download/yamada.pdf

僕もすでに6月16日に「明日に向けて」でこのプロジェクトについて報じています。
「明日に向けて(154)福島で「放射能除染・回復プロジェクト」が始動中!」
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/c/cf8c2e5a75f2c8d16ffc43de25a5fa0a/1

もともと共感を持って見ていたこのプロジェクトに参加しようと思ったのは、少し
でもお手伝いしたいという気持ちはもちろんですが、プロジェクトが実践的に積み
つつある除染のノウハウを自分もまた身につけ、各地に拡大していきたいと思って
いるからです。

その場合、あらかじめ除染と避難の関係、また除染は可能か否かという点について
論点をまとめておこうと思います。さまざまに論じられている点だからです。
またこのプロジェクトと、行政が主導で行っている除染との違いを明確にしておく
ためでもあります。まず「放射能除染マニュアル」での記述に触れます。



「福島の子供たちは、一刻も早く避難すべき状況にある。一部の子供たちは家族と
ともに自主的に避難している。しかし、まだ多くの子供たちが福島で不安を感じな
がら暮らしており、一刻も早く放射能除染を行なうべきである。「避難」と「除染」
という2つの方法は、互いに矛盾するものではない。子供たちの健康と生命を放射能
の脅威から守るという最も重要で基本的な立場に立つならば、「避難」と「除染」
は相互補完的なものである。ところが、国や福島県は、避難させないことを目的に
“除染”を呼びかけているかのようにみえる。もしそうだとしたら、国や県の姿勢は、
守るべき根本価値を見誤った本末転倒な態度である。
 
福島における子供たちのこのような現状を憂慮した私たちは、「子供たちの放射線
被曝量を可能な限り減らす」ことを目的として「放射能除染・回復プロジェクト」
を立ち上げ、活動を開始した。」


つまり同プロジェクトは、汚染の激しいところからは避難をすべきことを主張し
つつそれでも避難できない人々とその子どもたちがいることにかんがみて、除染
活動に踏み切ったということです。この除染活動は、行政などの取り組みにはるか
に先んじたものであったことも知っていただきたい点です。

国と行政は夏ぐらいになって、避難をおしとどめる観点からも「除染」に取り組み
始めていますが、その際の主力は「高圧洗浄」です。これに対して同プロジェクト
はこの方式は、放射能を移動させ、拡散させているだけであり、除染にならないば
かりか、むしろ被曝を促進すると、批判を行っています。以下、マニュアルよりこ
の点を抜粋します。


「放射能除染において圧力洗浄機を使用することの問題点
1. 圧力洗浄機放水によって除去された放射能は、水の中に溶け込み混合して移動
して場所を変えて新たな汚染場所を生み出すだけであり、除染したことにはならない。
2.圧力洗浄は放射能除染のチャンス(情報)を失くしてしまう。
3.屋根やコンクリートにへばり付いているセシウムは、圧力洗浄では一部しか除去
できない。
4.砂、土壌にへばり付いた放射能を圧力洗浄する場合の問題点。
⇒新たな汚染場所を生み出すだけである。
5.「汚染者負担原則」により、除染された放射性物質は東京電力が引き取る責任が
ある。圧力洗浄は、東京電力の責任をわからなくしてしまうことになる。
6.集団被曝線量の考え方では、集団被曝線量=一人の被曝線量×被曝人口という式
で与えられる。この式では、圧力洗浄によって、一人当たりの被曝量を少なくするこ
とになるが、放射能を薄めて拡散するため被曝人口が増え、集団被曝線量は変わらない
ことになる。よって除染においては「放射能は薄めてはいけない」ということになる。」

・・・詳しくはぜひマニュアルの当該個所(27,28ページ)を読んでいただきたいと
思いますが、同プロジェクトが、「避難」と「除染」を有効にリンクすることを目指
していること、また行政による「高圧洗浄方式」を、除染ではなく拡散だとして批判
していることがつかみとれると思います。


実はこうした高圧浄水器を使った、「福島市による大規模除染」も昨日より開始され、
汚染が高い福島市大波地区の民家から「除染」が開始されました。この日は野田首相
も現場に訪れましたが、住民を含め、多くの人々が集まっている場の建物の屋根で、
高圧洗浄が行われ、放射能を含む水しぶきが舞っているのが、NHKニュースの映像
で流れていました。

僕は野田首相や、政府の要人がマスクをしてないことに、「本当に内部被曝の恐ろし
さを知らないのだ」と思いましたが、ある知人より「パフォーマンスだったのでは?」
と言われて、なるほど、そうかもしれないと思いました。なぜなら作業者は、かなり
厳重な防護を行っていたからです。この場面を捉えたものとは違いますが、民放の
ニュースがネットで見れるので、アドレスを記しておきます。
http://www.youtube.com/watch?v=6P1P5Gm4HdU

高圧洗浄方式による除染は必ず失敗します。放射能を移動させているにすぎないばか
りでなく、拡散させてしまい、除去=つかまえるチャンスを逃してしまうからです。
さらに霧状に舞い散らせることや、下流に流してしまうことで、周りの家、農地など
に放射能を入れてしまうことでも内部被曝を含んだ被曝を拡大してしまいます。膨大
な予算を使って、効果もなく、健康被害の促進ばかりを生む行為が行われつつあり、
ストップをかけていかなければならないと思います。


さてこうした点に踏まえ、ここからは僕の考えをまとめておきます。以降は同プロジェ
クトの見解ではないこと、守田の個人的意見であることに留意してお読みください。

まず除染は可能かどうかという点についてですが、それはどういうところで、どこま
での除染を行うかに依存する問題であるということです。
汚染の激しいところでは、恒久的に住むための除染は無理だと思います。例え個別の
家の放射線量を低減することは可能であったとしても、かなり膨大な労力もかかるし、
膨大な放射能のゴミがでてくるのでその処理も大変です。

しかし可能な地域もたくさんあります。福島だけでなくより広域に見ていくならば、
東京や横浜でも多数のホットスポットが続々と見つかっています。そうしたところでは、
その汚染物質をとりのぞいて、空間線量が平常値に落ち着くのであれば、除染は極めて
有効な手段になります。それが行われない現状では、どのような危険があるのか分から
ないので、子どもたちを避難させることが必要だと思います。ホットスポットにたまった
放射性物質が乾燥して舞い散り、吸い込む危険性が高いからです。もちろん大人にとっ
ても危険です。

横浜でストロンチウムが観測されたのですから、東京の多くの地域でも今後、発見さ
れると思います。その場合、その地点は必ずセシウムの汚染も高いところです。しかし
東京や横浜から大多数の人が避難することは、この先、ほとんど望みえないことだと
思います。なので各地でどんどん市民による計測を進め、ホットスポットを見つけては
対処していき、被曝を減らしていてくことが大事だと思います。

実際には、地域の全体的な線量は高くないけれども、部分的にホットスポットがあると
いう地域から、地域全体の汚染が非常に強い地域までが、グラデュエーションのように
存在しているはずです。まだら模様にといった方が正確かもしれません。なので多くの
地域で除染が有効な手段になると思いますが、除染しても住み続けて良いのかどうかと
いう判断もその都度、問われると思います。

ただしその場合、どこからが避難地域で、どこからがそうではないかという線引も大変
難しいことを踏まえる必要があります。ここには内部被曝の危険性をどのように見積も
るのかという問題も横たわります。僕自身は内部被曝の危険性を、外部被曝と比較する
ならば、同じ線量でも平均で600倍の身体への打撃があると考えるべきだいうヨーロッパ
放射線リスク委員会(ECRR)の考え方が正しいと思っています。しかし現状では
多くの方が、ある線量における内部被曝と外部被曝の身体への影響を同等とみなす国際
放射線防護委員会(ICRP)の考え方に従っています。

そのため僕自身は、内部被曝の危険性をより強く訴え、できるだけ避難を拡大させるこ
とを訴えていますが、そうした認識が一般的ではなく、社会的合意になっていないこと
に留意しながら、話を進めなければならないとも思っています。つまりどこからが避難
すべきところなのかという判断基準そのものが、社会的に定まっていない。現状では
政府による「放射能は怖くないキャンペーン」や、そのバックボーンにあるICRPの
考え方が社会に強い影響を与えています。だから避難しないで良いと考えている人も
多いわけです。

また政府が放射線の危険性を非常に過小に評価している現状では、人々は避難にあたっ
ての資金や、その後の生活保障が受けられません。そのことも大きなネックになってい
ます。さらにそもそも故郷を捨てるのは誰にとっても耐えがたいことであり、そこで失
うものの大きさを考えると、健康被害を差し引いても、移動するよりその場で暮らした
いという判断もまたありうると思います。

その点で避難は義務ではなく権利であることを私たちは忘れてはいけないと思います。
もちろんある地点からは「強制」になります。その場合、居住の権利は奪われる。現状
でも原発近隣の地域はそうなっています。しかしその周りに広がるのは避難の権利のあ
る人々の住まう地域で、その権利が認められていないのが私たちの国の現状です。

それらを考えれば、ある判断基準からは、もはやそこに住むべきではなく、避難すべき
だと考えられたとしても(それが妥当であっても)、なおそこに住むべき人々がいる限
り、その地域での除染(可能な限りの放射線の低減)はなされねばならないと僕は思い
ます。もちろんそれもまた公的補償のもとに行うべきことがらです。避難しない人が
被曝するのもその人たちの責任なのでは断じてない。すべて責任は毒を撒いた東電と
政府にあります。だからそこに残る人がいる限り、除染の努力はされてしかるべきです。


しかしここでもう一つの問題が浮上します。そもそもそんなに広域の除染の経験を、
人類はまだもっていないということです。いや正確にはチェルノブイリでいろいろな知
恵が重ねられてきているはずですが、政府や原子力推進派が、それを受け取り、温め、
発展させることを拒否してきました。それもあって、私たちはあまりに未経験なところ
から出発せざるをえません。

こうした状況を政府や行政にまかせていたら、高圧洗浄方式に明らかなように、またし
ても形だけの除染、形だけの安全宣言、実態としての汚染と健康被害の拡大を招くだけ
です。今後、医療予算に手厚く振り向けざるを得ない貴重な国家予算が、最悪の形で
浪費されてしまう。だから放射線計測を、積極的に市民の側で進める必要があるのと
同じように、除染においても積極的に市民の側で経験を積み、知識を蓄えていく必要が
あります。

これは矢ヶ崎さんに指摘していただいたことなのですが、例えば、東北の農地は、春の
段階で、つまり春以降の作付のために耕す以前の段階で、農地の上の数センチの表土を
剥げば、かなり汚染を低減できた可能性がありました。少なくとも、そうした措置を
なすまで、田畑を耕してはいけないという通告を政府がだすべきでした。しかし安全
宣言ばかりが繰り返される中で、多くの農家の方が、田畑を耕し、農地の深くまで、
放射性物質を梳き込んでしまった。

こうした経験はスリーマイルでもチェルノブイリでも積まれていたはずだ。その蓄積を
日本は怠った。そのため守るべき農地が守れなかったと矢ヶ崎さんは悔しそうに話され
ていました。もちろん当時から矢ヶ崎さんはそのことを主張してまわられたそうですが、
そもそも放射能に対する何の構えもなかった行政に理解できることではなかったの
でした・・・。

これに対して、今回僕が参加する「放射能除染・回復プロジェクト」では、田畑の汚染
の除去、すでに撹拌されてしまった農地でも可能な方法を考案し、実験に踏み切ろうと
しています。アイデアマンである京都精華大学の山田先生の発案です。僕自身がまだ
十分にその方法を飲みこめていないので、説明は割愛しますが、可能なら画期的なこと。
いやそうやって、色々なことにチャレンジしていくのも放射能との大きな闘いだと思い
ます。


なお作業にあたっては、被曝を伴います。内部被曝は厳重に避けるための努力をします
が、γ線による外部被曝は、減らす努力はしても、完全には避けようがないからです。
このため同プロジェクトのマニュアルには、若い方は参加すべきではないと明記されて
います。僕自身は若くないので参加しますが、しかし被曝するのはとても嫌です。怖い
というより東電によって被曝させられるのが悔しくてならない。

それでも僕が赴くのは、私たちの総体としての被曝を低減するためです。何よりも放射
能汚染と闘うための知恵を身につけたい。その点で、同プロジェクトの方々のこれまで
の実践は大きな魅力です。実践知の宝庫です。それに学ぶことで、市民の手に科学を
取り戻していくこと、あるいは実践的な、放射線科学とよぶべきものの確立に貢献して
いきたいと思うのです。

・・・福島からの報告にご期待ください。
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2 コメント

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無理だけはなさらずに (よもぎ)
2011-10-21 13:52:04
お久しぶりです。
さまざまな動きに呆れるばかりで…いささか言葉を失っています。
除染に参加されるとのこと、
守田さんがすべてご承知の上での決意と知りつつも心配です。

3月時点での「大人はまだ大丈夫」とは状況が変わってしまったのを感じています。
このままでは、意識が高く、
これからの世界に必要な人々ほど早く倒れてしまいそうで……

事故の収束がまったくできていない段階で、
しかもそっとしておいたわけでもない場所で、
除染が可能だとはどうしても物理として考えられないんです。
具体的なアイデアを知らないからかもしれませんけれど、
前提がゼロだったわけではないことが軽視され、
その一方で下限の閾値がないことが、言葉だけ一人歩きしてしまったこと、
この2点がどうしても気になっております。

お身体の変調にはくれぐれもお気をつけくださいね。
最初はとても軽微な症状で見過ごされがちと、
これも守田さんは既に重々ご承知と存じておりますけれど。

引くべきときには躊躇なさらないお心構えをお忘れないよう、
心からお願い申し上げます。
返信する
いつも丁寧なコメントをありがとうございます (守田敏也)
2011-10-23 23:36:46
よもぎさん

ご心配ありがとうございます。誰よりもこの問題をよく調べられているよもぎさんの言葉の中にあるいろいろなものが僕の胸の中に入ってきました。

おっしゃる通り、除染はかなり厳しいというのが僕が感じたことです。その上で、だからこそ余計にこれを行政任せにするのはとんでもないという気がしています。なので除染とは何か、何が可能で、何は不可能と断じるべきかを僕なりに見極めたいと思っています。

「引くべきときには躊躇しない心構え」・・・なんとも胸に響く言葉です。福島市にはもの凄くたくさんの方が住んでいます。背を向けられなくなる気持ちと、被曝を避ける合理性との中で葛藤が渦巻きます。

昨夜、福島を発つとき、福島駅西口のバス停前植え込みから1.2マイクロシーベルトの値が出ていました。そこで待つ気になれず、目の前にあったミスタードーナツに入りました。それだけで0.14まで下がりました。

そのミスドにたくさんの親子連れがドーナツを買いに来ていました。中学生のおとなしそうな女の子が、ドーナツを受け取ると、にこっと笑って、ドーナツの箱を抱え、足早にドアから出て行きました。0.8マイクロシーベルトぐらいはでている暗闇の中に、女の子は消えて行きました・・・。
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