トジハジ日記

日記代わり、家族への発信用として利用させていただいてます。内容はいろいろですが登山が趣味で、公開は山行記録がメイン。

2023.11.04 天狗党が越えた蝿帽子峠。

2023-11-07 13:30:55 | 日記
越美県境稜線の越山から蝿帽子嶺周回



3日夜に家を出て途中の道の駅でテント泊。

4日、157号線を北上、いろいろあったが何とか7時20分頃にまずは越山を目指して駐車地をスタート。周囲は紅葉真っ盛りで今日も楽しい山歩きができそうな予感がして気分もいたって良し。157号線から河原におり、突き進むも左岸にルートをとったので苦労した。本来は右岸から行くらしい。ところどころ慎重さを要求される堰堤越えがあった。越山頂上に突き上げる尾根にのるための取りつき箇所が明確でなく、しばらくうろうろしたがなんとかそれらしき踏跡を見つけそれをたどっていくと無事に尾根上に到達して一安心。ここまで想定外の1時間半近くもかかってしまった。しかしあとは尾根筋をたどるだけなので時間だけなので何の不安もない。ここは明瞭な登山道などないが踏み跡は比較的はっきりしている。そして急傾斜の尾根を黙々と登っていくと結局2時間余りで越山の頂上についてしまった。頂上付近は広く平らでどこが頂上なのかしばし戸惑う。頂上と思われる方向に進むと運よく越山と書かれた木にかけられた小さなプレートを見つけた。これがなければどこが正確な頂上はわからないくらいだ。プレート付近の小さな切り開きで腰を下ろししばらく休んでから蝿帽子嶺へと向かう。獣道を利用した踏み跡をたどっていく。一か所、主尾根を外して支尾根をたどってしまい時間をロスした。やはり地図で地形を確認しながら進まないといけない。張り出した枝がとても煩わしくなってきて悪態をつき始めると、蝿帽子峠が間もなくの気配がしてきた。気分がいやがうえにも高まってくる。幕末の水戸浪士たちの大集団が越えていった峠だ。そしてついに這法師峠、水戸浪士の道、右下越前大野と真っ赤なペンキで金属板に書かれ標識が突然現れた。思わず感激の声を上げてしまった。今回は周回縦走も目的の一つだが、この場を訪ねることが最大の目的だった。
なかなかこの場は去りがたく、少し大野側への道を歩いたりして、当時の苦労した浪士達に思いをはせながら暫く滞在した。”さらば峠よ”と心の中で別れを告げ、最終目的のピークである蝿帽子嶺へと向かう。すぐそこがピークをおもっていたピークが頂上でなく、これを数回繰り返して12時10分に蝿帽子嶺頂上に到着。頂上の展望は限られていて能郷白山方面だけが開けていた。数十分間、頂上に滞在してから下降開始。少し引き返して赤テープがぶら下がっている下降点から157号線に伸びる尾根を下降する。紅葉があまりにも見事なので何度も撮影のために立ち止まった。情報によると最後に渡渉という難関のようで、いろいろ装備に工夫しているようだが、当方ははなから靴の汚れを急流で落とすつもりでいたので、特別な装備は用意してこなかった。実際にここまでの歩きのままのいでたちで渡ってみると、なんの苦労も危険も感じることなく渡ることができた。むしろ勢いはあるが膝上程度の水量と適度の水温が気持ち良かった。15時少し前に駐車地に到着。充実した8時間近くの山旅の余韻に浸りながら車を運転し帰宅した。


蝿帽子嶺頂上から能郷白山方面

コースタイム、写真など後日掲載

2023.10.18 紅葉の朝日岳から谷川岳へ (馬蹄形縦走)

2023-11-06 16:29:52 | 日記

白毛門付近から望む谷川岳。一ノ倉沢の岩壁に目が行ってしまう。右手奥は苗場山方面。さらに奥は妙高方面。

編集中

人気コースの谷川岳馬蹄形コースは紅葉ベストのタイミングと快晴に恵まれ至福の大展望縦走だった。随分と昔のことになるが谷川岳は一度だけ一の倉沢の衝立岩正面壁を登攀してから通過したことがある。当時日本最難関と評された岩壁を怖いもの知らずの若さに任せてお盆の真夏に登り、今で言うところの熱中症で完登後、フラフラになりながら日没後の稜線を歩いた記憶が今でも鮮明に残っている。この頃は谷川岳頂上であるオキの耳、トマの耳など全く興味もなく、ただ暗闇の中をまさに通過しただけだった。この谷川岳へ岳人100ルートの一つである馬蹄形コースでいつかは再訪したいと思っていた。ちなみに日本XX名山なるものを達成した人は星の数ほどいて、評価に値しないが、岳人100ルートに上げられたコースを踏破するにはあらゆる能力が必要であり、まだ誰も達成していなないだろう。その中の一つが比較的容易なこの馬蹄形縦走だ。今回は約半年振りに心強い若手Y君が付き合ってくれた。

1日目、4時30分、まだ暗いなかをヘッデンをつけて白毛門登山口をスタート。まずはスタートから3時間の急登が待っている。夜が明けてくるといつの倉沢と幽の沢の岩壁が正面に見え始め、特に一の倉沢には幾度となく目がいってしまう。白毛門に7時30分到着。予定通り3時間で登りきると360度近い展望が開け始め、実に気持ちの良い稜線漫歩に変わってきた。紅葉もベストのタイミングだったのようで鮮やかで気分がワクワクしてくる。まずは日本300名山の一つ朝日岳に9時50分到着。こちらの山には全く疎いのでゆっくり休憩しながら自信のない山座同定をしていると後から単独の人が来て360度で展開する山々の名前を教えてくれた。赤城山、榛名山群、妙義山、浅間山方面、妙高、火打、雪を冠った白馬岳、南アルプス、八ヶ岳、燧ケ岳、至仏山、巻機山、苗場、佐武流、鳥甲、武尊山などなど。朝日岳の頂上一帯は広々とした草原、湿原地帯で池塘も点在しのどかな雰囲気のところだ。いつまでものんびりとしたいところだが、今日泊まる予定の蓬ヒュツテは遥か遠くなので、そうもしておれない。単独の人がここから引き返していったのにあわせ重いこしをあげる。ここから先に急登はなく常時、360度の展望がきく稜線歩きなのでうきうき気分だ。進むにつれて見る山々の角度が変わり見飽きることもない。途中、巻機山に続く分岐点を通過。巻機山までは随分と遠そうだが秘境ルートで山歩きの醍醐味が味わえるだろう。清水峠では水が勢いよく出ていたのでゆっくり、たっぷりと水分とエネルギー補給をした。この水場が枯れることがなければスタート時は1.5Lの水で足りるだろう。馬蹄形縦走の稜線はテント泊禁止なのだが、清水峠は避難小屋もあり、平坦地が広く、ここでテント泊する人は多いとおもう。ここから少しの間、急斜面を登りしばらく歩くと本日最後のピークである七つ小屋山に到着。ここからは今日ぐるりと歩いてきた白毛門、笠ヶ岳、朝日岳の堂々とした山塊が正面に聳えて見える。宿泊予定の蓬ヒュッテに15時頃到着。そのまま10分ほど峠を下って水をたっぷり補給し戻った。今日の宿泊者は10名。皆のザックが小さいのに驚いた。一番驚いたのは持参した水が1.5L以下の人ばかり(我々は3L)。峠から水くみに下るのが嫌で管理人に無理やり水を分けさせる人もいたし、とても馬蹄形縦走できそうもない経験のない人もいて、YMAPなどのアプリ地図を見ながら歩けば迷う心配がないので気軽ににどこへでも入り込んでいく人が増えた気がする。我々と逆に時計回りの谷川岳方面から来る人は蓬ヒュツテまでなら比較的短時間で来れるから、ここまで来て考える人もいるそうだ。谷川岳ロープウエイを使用して苦しい登りをカットしてまで馬蹄形縦走にこだわる人もいた。風雪にたえてきた小屋は小さく古くて、一晩寝るだけの規模の小屋だった(料金は安い)。料理もインスタントで質素。しかし、昔の小屋はこんなんだった。今の山ビジネスにとりこまれた贅沢な山小屋よりよほど味がある。今日は幕営許可を小屋管理人にもらい3パーティーが来た。幕営禁止を知りながらビバーク理由で許可がもらえることを知っている確信犯的登山者に管理人も苦笑していた。だがこれもyamapアプリなど山アプリ使用者間での情報によるものだ。yamapなども不適切な情報は制限する仕組みを作らないと自然破壊に協力していることになる。シュラフ持参マスト。

2日目
昨夜はいつものことだがあまり寝れなかったが、今日も好天が約束されているので稜線漫歩が楽しみでしかたがない。ラテをつけて出発。時計周りで馬蹄形コースで朝日岳方面へ向かう人たちも既に出発していた。今日の楽しみの一番は稜線から見下ろす一ノ倉沢の絶壁群を見ること。先回登った時は暗闇で且つ、フラフラだあったので何も見ずに黙々と歩いただけだったのでおおいに悔いが残っていた。まずは武能岳、茂倉岳を目指す。武能岳の頂上近くでラテが不要になってきた。笹ケ原の中の気持ちの良い登りが続く。時々、すっかり馴染みになった山々の展望を楽しみながらのぼること約2時間少々で芝倉岳に到着。ここでゆっくり休むと快調なリズムが狂うので目の前にあるピークの一ノ倉岳で休むことにして自分だけ先行する。一の倉岳に7時35分到着。衝立岩を登って飛び出した稜線がこの一ノ倉避難小屋のあるところだった。当時の記憶がよみがえってきて懐かしい。残念ながら避難小屋の中は乱れ、扉も開けっ放しだった。いよいよここから本日のハイライトであるノゾキという一ノ倉沢の全貌が見える箇所を通過して谷川岳へ向かう。慎重に下りながら身震いするほどのド迫力の頂上に突き上げる滝沢スラブが迫ってくる。一般の人はここを人が登るとということはとても考えもしないのでただの切れ落ちた崖程度にしか感じないだろうが、積雪期の壮絶な記録に精通している自分にはまさに畏敬の念で見上げる岩壁だ。ノゾキでは一ノ倉沢の迫力はあまり感じられなかったが、白く光ったテールリッジが美しかった。衝立岩登攀後に通過した烏帽子岩もよく見えた。双耳峰の谷川岳最高地点のオキノ耳に8時42分到着。標柱にタッチしてすぐにトマノの耳に向かう。3分ほどでトマノ耳に到着し、しばらくの間休みながら、今まで歩いてきたコースの山々を振り返りながら目に焼き付けた。ここからは人々で騒がしい天神コースを避け西黒尾根を下降。一度、過去にこのルートを下っているがこれほど鎖場が続いていたという記憶が全くないのは怖さ知らずの若き日と臆病になった今の自分との違いなのだろう。下垂足で傷み続けている母指球の痛みが耐えられなくなってきたころ、西黒尾根登山口に到着(11時30分)。2日間の至福の半時計回り馬蹄形縦走が終わった。


写真、コースタイムなど後日掲載