スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

母、位牌と写真で故郷に帰るその3&頚椎椎間板ヘルニアになってしまいました。

2023年07月31日 13時22分02秒 | いつものお話
新潟の旅ラストです


ホテルの朝食はSDGsの関係で早く食べに行かないと食べたいものが失くなるというわけで急いで着替えて朝食会場(フロントの前)に行ったら弟が先に食べていて、エレベーターで部屋着の父と鉢合わせして、着替えの入った鞄と位牌と写真の入った袋がないというのでフロントに訪ねたら無事ありました。


朝食は隣のベーカリーで焼いたパンが出ていて、食パンが美味しかったです。


あとはビジネス客相手ということもあって、和食が中心でした。


弟は朝食を食べてすぐに一旦母の家でお土産を引き取り、名古屋に向かいました。


私は荷物を車に積み、前のローソンでお土産を少し買いました。


父が来たので車で母の家に行って頂いたお土産引き取り後に何故か中郷IC方面へ。


その前にガソリン給油ということでスタンドに行ったら店員さんが給油してくれる店で、キーホルダー端末が使えないのでクレジットカード支払いでした。


本当は道の駅でゆっくりお土産見たかったのが予定変更で、妙高高原方面に向かっても土産屋がなくて、たまたま入ったJAのマーケットでお酒が買えたのでそれが父の傘寿お祝いになりました。


妙高高原ICから長野県方面に向かいましたが案の定猛スピード…。


安曇野のPAで休憩してもめぼしいお土産はなし。


姥捨SAで休憩したらお土産パラダイスで、めいが私の部屋にあるでかいアルクマのぬいぐるみを強奪しようとしたので小さいぬいぐるみを自分用に買いました。めいにはりんごのぬいぐるみとアルクマのソックスを買い、でかいアルクマのぬいぐるみはめいにあげることにしました。


あんずのソフトクリームを食べていたら父が「もう行く」と言うので慌てて食べて車に戻りました。


姥捨SAから駒ヶ岳SAまでノンストップでした。


お昼はソースかつで、明日の朝ごはん用にソースかつサンドを買いました。


駒ヶ岳SAからも猛スピードで恵那山トンネルを過ぎたら岐阜県に入りました。


恵那山SAで夕食用のお弁当を探しても揚げ物ばかりなのと疲れてぐったりしていました。


土岐ジャンクションから東海循環道に入り、山県ICへ。


降りようとしたらETC専用道だと知らずに入った軽トラのおっさんの料金支払いでモタモタしましたが無事にゲートが開いて一般道へ。


3日ぶりの岐阜は暑かったです。


夕食を買いに県道沿いのスーパーに行き巻き寿司とお蕎麦とお刺身と天ぷらを買ってから自宅へ。


到着後は荷物を下ろすのに時間がかかり
、夕食まで横になっていました。


私は日曜日まで休みでしたが、もう少し新潟に居たかったです。


話はここまでで、ここからが個人的な話です。


休み明けの勤務翌日も休みで、ブロック注射を再度打ちました。


椎間板ヘルニアが悪化する覚悟で茅ヶ崎ライブをエントリーしたら落選でした。


それも5日勤務の後で。


その後で困ったことが起きました。


17日に母のお墓のある岐阜善光寺に行き、猛暑の中で早めにきゅうり封じのご祈祷をしてもらい、かかりつけの接骨院で診てもらいました。


21日に免許の更新に行ってからコストコで買い物予定が身体中が痛くて腰にブロック注射を打ちました。


翌日も連休で、衣類の片付け後にお昼を家で作るのが面倒で安いランチの店に行こうと外出前にトイレに行ったら53歳の誕生日前なのに生理が来たので体調が悪いのはこのせいなのではと思いました。


最悪なことに翌日夜勤だというのに肩も首も痛くめまいもするので夜勤明け後に整形外科に行って首と肩のレントゲン写真撮って、点滴して、首にブロック注射打って受け付けで医療費12750円見て泡吹きました。


夏休みは6月で終わったようなものだし、10月にユーミンのライブがあるし、当選したら11月に布袋寅泰さんのライブがあるのできちんと治さないと行けないです。


昨年の桑田佳祐さんのバンテリンドーム公演は腰痛ベルトして行きました。


今日で53歳になりますが、身体がズタボロになるとは…。


それにくじけずに生きていきたいと思います。


追記・今日はauマンデイ利用で映画見に行きました。頚椎椎間板ヘルニアの影響で耳が痛いので帰りに耳鼻科で診てもらいます。



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肩に小錦ならぬ腰にナイフが刺さっている。

2023年07月21日 22時39分49秒 | いつものお話
新潟行きの話完結前に言いたいことがありまして…。


サザンの茅ヶ崎ライブの先行予約見事に外れました。


当落メールが来る前にカード会社からの決済のメールが来ていないのでもしかするとと思ったらその通りでした。


茅ヶ崎ライブで東京に住むいとこと再会する予定が来年になりました。


茅ヶ崎ライブ発表時、新潟行きでお金を使ったので最初はエントリー断念も考えていましたが、父の年齢を考えて「行けるときに行こう」ということでエントリーしたらこの結果でした…。


仮に当選したら椎間板ヘルニアとメニエール病をきちんと治さなければいけない問題があります。


昨年の8月から更年期の影響と仕事ストレスで体調を崩し、お盆休みもほとんど寝ていました。


本当は今日の連休を利用して免許更新後にコストコで買い物をして翌日にブロック注射の予定が今日になりました。


このブロック注射が厄介で、麻酔とブロック注射と痛みを取る注射をしなければいけないのとお金がかかる以上に注射後はしばらく安静にしなければいけないので朝一で整形外科に行っても半日休みが潰れる。


今日に限っては注射の後で泣いていました。


いつもならお昼をモレラ岐阜近くの喫茶店(安い)で食べ、モレラ岐阜で買い物をしてから帰宅しますが、岐阜大学近くのココイチでお昼を食べて夕食を買って帰宅です。


今日から夏休みでマーサ21のこまねこ展と岐阜県美術館のわかやまけんの世界もミッション・インポッシブルも見たいのに。


昔「肩に小錦が乗っている」と言ってクビになった巨人の外国人投手(ググってください。)ではありませんが椎間板ヘルニアは腰にナイフが突き刺さった状態です。


サザンの毛ガニさんこと野沢秀行さんは椎間板ヘルニアでライブツアーに参加出来ない状態になり、入院中に死にたいと言い出した患者仲間や医師と揉めたことがあったと闘病記に書いてありました。


ブロック注射を始めたころはお金の不安がありました。翌月に車の故障で買い替えが決まったときは死ぬかと思いました。


10月に松任谷由実さんの名古屋公演と当選したら11月終わりに布袋寅泰さんの名古屋公演があるので痛みが出ないようにしたいです。


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母、写真と位牌で故郷に帰るその2。

2023年07月17日 16時47分17秒 | いつものお話
富山と新潟の母の家への旅の話パート2です。


砺波ICから新潟方面に向かうことになりましたが…。


来年の3月(どういう理由なのかは後述)で免許返納なのに父が北陸道を猛スピードで激走。


助手席でびびっていました。


それも天気が悪いのに90キロ超え…。


とりあえず有磯海SAでトイレ休憩したらフードコートが工事中…。


お土産売り場に行ったら富山県繋がりで朝乃山と八村塁選手とドラえもんのグッズがありました。


ドラえもんのぬいぐるみは弟の家にあるのでパス。


ホテルのある道の駅あらいに到着するのが予定より大幅に早くなるので糸魚川ICで降りることに。


それがカーナビのうざい案内との戦いの始まりでした。


道間違えて衝突回避の警告音は出るし…。


おまけに工業地帯ぐるぐる…。


何とか上越妙高方面に向かうことが出来ましたが…。


景色は海海海でBGMがサザンより大江千里さんの「塩屋」が似合いそうでした。


お昼が近くなったので、糸魚川市の道の駅に行ったらレストランの海鮮メニューの値段が高いので断念。


車は上越市に入り、海沿いにある道の駅で海鮮丼を食べ、新潟土産を少し買いました。


海沿いの道から国道に入り、ホテルのある道の駅あらいに向かいました。


26年前と違い、道路が良くなり、大型店が増えました。


道の駅あらいが見え、宿泊するスーパーホテルの入口近くに車を止めたら前のローソンの入口に出張帰りの弟がいたので合流し、ミライースにでかい弟も入って母の家のある中郷区へ。


母の家に到着しましたが、全然変わっていませんでした。


家にはいとこの兄貴の奥さんと母の長兄のおじがいました。


おじは92歳で、おばは認知症で施設にいます。


コロナウイルスの影響で会うことは出来ませんでした。


仏壇に母の写真と位牌を備えて思い出話。


私は外に出て、家の写真をスマホとタブレットで撮影。


自分の母親の墓がお世話になっているお寺の合祀墓なのでお墓を見てこの家がなくなったらどうなるんだろうという気持ちになりました。


母の兄姉が来て、思い出話とスマホに保存した亡くなる10日前の動画を見てもらいました。


母の姉のおばはがんで胃と食道を全切除したという事実もここで知りました。


兄貴の奥さんは郷土料理の笹寿司とたけのこ汁を作っていました。


兄貴と奥さんが買ってきたナルスのお寿司とお刺身とオードブルで宴会スタート。


岐阜みたいに家の近所に仕出し屋がないので家が宴会の場になります。


スタートしたのが16時30分なのとお昼の海鮮丼が響いたのか休憩しないと食べれず。


父に至ってはお酒ガンガン飲んでいました。


行者にんにくの醤油漬けが美味しかったです。


19時30分頃に宴会は終わりましたが、お土産が車に入らなくて翌朝顔を出すと伝え、私の運転で道の駅あらいのホテルへ。


父と私と弟の3人で並んでホテルにチェックインしましたが、ホテルの鍵が暗証番号じゃないと開かないのでスマホで写真撮りました。


部屋に入ってから前のコンビニで飲み物とプリンを買ってから大浴場に行き、早めに寝ました。


それも何回もトイレに起きました。


ホテルの朝ごはんが早く終わるので早起きしたら寒かったです。

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母、写真と位牌で故郷に戻るその1

2023年07月04日 21時48分02秒 | いつものお話
6月21〜23日の富山&新潟お土産話その1です。


令和3年3月17日の夜に母が75歳の誕生日1か月前に亡くなり、19日が友引だったので20日に家族葬となりましたが、隣町に住むおじ(母の兄)以外の
きょうだいは新潟と2番目の兄貴であるおじは群馬県在住でコロナと高齢のため参加出来ませんでした。


仕事でたびたび新潟に行っていた弟が母の家に顔を出すことがありましたが、父と私は行くことが出来ませんでした。


コロナが第5類に入ることとなり、弟の出張に合わせて父と私の新潟行きが決まりました。


当初は1泊2日の予定でホテルは弟が楽天トラベルで申し込んでいました。


希望休も休養日込みで3日の予定が上司が気を利かせて頂き、7日間の休みで2泊3日になりました。


出発6日前に美容院に行ってヘアカラーとカットをしてもらい、給料日だったのでお金を下ろそうと信用金庫(給料用の口座)に行ったらカードがなく、とauPAYカードもない。財布の中を探してもなくて、警察署に届けを出し、失意のままで帰宅して再度財布の中を整理したら1000円札にカードが挟まっていました。


キャリーバッグに荷物を詰め込む気力もありませんでした。


これがなかったら19日は接骨院と産婦人科とブロック注射で、20日は片付けと掃除でした。


19日は接骨院と産婦人科後にお昼食べて職場近くの信金に行って手続きしてお金下ろして職場に顔出ししてお惣菜の買い物でした。


20日はブロック注射後にお昼とガソリン給油と洗車とお惣菜を買って帰宅して荷物詰め込みと掃除でした。


当日は早起きして洗濯と荷物詰め込みでバタバタ状態。9時過ぎに父の運転で山県ICへGO。


ここのICが出来てから高速の運転が楽になりました。


何故父が私の車を運転するのかというと「お前の運転は危ない。」からです。


父の車は平成18年に買ったダイハツのテリオスキッドで、ナビもETCもついておらず、山県ICは一番近いICなのにETC専用なので家からETCをつけることになりました。


来年免許返納なのに飛ばす飛ばすで恐怖でした…。


ひるがの高原SAでトイレ休憩しましたが、そこで腰痛ベルトとワクチン接種証明書を忘れたことに気がつく。慌ててホテルに電話したら大丈夫でした。


ひるがの高原は標高が高いので寒いので上着羽織っていました。


本当は氷見に行く予定が時間がかかるということで白川郷ICで降りて砺波市のホテルまで一般道で行くことに。


降りてからお昼を食べるところがないという問題にぶつかり、富山県に入り、五箇山の合掌造りを見ながらお蕎麦を食べました。


実はそのお店は故志村けんさんと故上島竜兵さんの番組に登場し、お店の人が思い出話をしていました。


五箇山から砺波市に入り、お蕎麦では物足りない私は道の駅でソフトクリーム食べていました。


道を間違えながらも無事ホテルに到着。


チェックインより30分ほど早く到着しましたが、ホテルの人が融通をきかせていただき、予定より早くホテルに入ることが出来ました。


時間があったので見に行きたかった砺波のチューリップ公園に行き、1年中チューリップが見れるチューリップ四季彩館でチューリップを見てチューリップソフトを食べました。


1日に2回もソフトクリーム食べるというのは愛・地球博以来じゃないのかなあ。


帰りにホテル近くのドンキに行ったら店員さんがIC乗車券を知らなかったという衝撃的事実が…。


夜はホテル近くの焼肉屋で食べました。


店が徒歩圏内なので父は富山の地酒ガンガン飲んでいました。


夕食後はホテルの大浴場に行き、部屋に戻ってからゴロゴロしたり、ガイドブックと頂いたパンフレットを見ていました。


富山は民放のテレビ局が3局しかないので困りました。


疲れていたので早く寝ました。


翌朝起きたら雨が降っていて寒かったです。


朝ごはんに特別メニューで焼きそばがあると聞いていたので楽しみにしたら肉じゃがとハンバーグでした。


高速道路の集中工事の時期もあり、工事関係者が多かったです。


時間があったので朝風呂入って来ました。


雨が降る中荷物を詰め込み、砺波ICから新潟県方面に向かいました。


続く。


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母の家がなくなったらどうなるんだろう…。

2023年07月02日 22時33分43秒 | いつものお話
新潟行きの話の前に思ったことを書きます。


新潟に行くのは26年ぶりでしたが、母の実家でスマホとタブレットで写真を撮っているうちにあることを思いました。


お墓の写真を撮っていて「この家が失くなったらどうなるんだろう…。」と。


母のきょうだいも高齢で、母は6人きょうだいの末っ子で、それゆえおじおばのショックは大きかったです。


母と一番上の兄に当たるおじとの年齢差は学年的に16歳も離れています。


きょうだいが高齢ということもあり、母の死後おじから来た手紙には一番下の妹である母が75歳の誕生日1か月前に亡くなったことでショックを受けたと書いてありました。


父の根回しとコロナ下で告別式は参列出来ませんでした。


妙高市に住むおばは食道と胃を切除したと話していて、脳裏に桑田佳祐さんが食道がんの手術で食道を切除したことで後遺症で誤嚥性肺炎のリスクが高くなっていると話していたのを思い出しました。


おじから多量のたけのこをいただき、いとこの兄貴の奥さん(美容師)に聞いても煮物かたけのこ汁と言われたのでレシピで困っていてインターネットでメンマの作り方が載っていて、たけのこの瓶詰め3本消費しましたが、そこで母の実家周辺は岐阜市のように徒歩圏内に喫茶店やスーパーもないので簡単に外食が出来ないという現実を知りました。


妙高市にある道の駅のホテルに宿泊し、翌朝ホテルの前のコンビニ近くで撮った景色は何もありませんでした。


岐阜に戻ってから父と会話していて、母と西新井在住のいとこが新潟に戻らなかった理由のひとつに不便な環境もあると父は言っていました。


9月に西新井在住のいとこと茅ヶ崎ライブと横浜観光を計画していますが、チケットが当たることを祈るのとこれから節約です。


今回は高速料金とガソリン代は私持ちだったのでお土産のお金含めて46000円ほどで済みましたが、ホテル2泊と食事代を入れるとプラス3万前後はかかる。


道の駅で食べた海鮮丼は2000円近くしました…。


高山下呂温泉の時は交通費と宿泊料金とお土産だけで5万近くかかったし、キッチン飛騨はハンバーグだけでも高かった。


岐阜に戻る日に道の駅観光を楽しみにしていたら8時30分で帰ると帰る破目になったので来年はゆっくり観光と言いたいけど、来年サザンのツアーあったらどうすんの…。


ちなみに岐阜から朱鷺メッセでライブ見るより岐阜から東京行って東京ドームでライブ見て新潟行ったほうが安くつくらしい。


最後にTwitterがなくなったら困ります。


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