スーパーももちゃんはミスうちゅうかん

サザンファンの介護福祉士です。阪神の糸井選手と同じ誕生日なのでこのタイトルになりました。

世界中の人には幸せになれる権利がある。

2022年08月29日 22時01分54秒 | ももちゃんの読んでくれてありがとう
8月22日に岡田有希子さんが生誕55年を迎えました。29日にはマイケル・ジャクソンさんが生きていれば64歳になっていました。


この日私はツイッターで「世界中の女の子には幸せになれる権利がある」と書きました。


何故私はこのようなことを書いたのかというと、コロナ下で生きづらさをかかえた人が大勢いるという悲しい現実があるからです。


昨年は仕事柄桑田佳祐さんのライブに行けないということもあり、体調を崩してしまい、胃カメラ検査で十二指腸潰瘍が解りました。


今年は8月に入ってから更年期の症状で苦しんでいます。


今年は彼女の生誕55年である以上に三十七回忌で来年はデビュー40周年です。


過去の作品がきちんとした形でCDやDVDや配信で買えるようになるまで長い年月がかかりました。


当時ファンだった人も50歳を過ぎているのである程度お金を持っている人もいれば昨今のシテイポップブームやYou Tubeで彼女の存在を知った人も多いです。


悲しいことに彼女はこの世にはいません。


岡田有希子さんが生まれた昭和42年は前の年が丙午の影響で子供が少なく、特に女の子が生まれると「結婚出来ない」と忌み嫌われていたこともあり、子供の数が多かったです。


別れた旦那の上の妹は昭和42年代の早生まれでしたが、学年的に41年生まれなので「丙午」という差別がありました。


その反面、子供の数が多かったことで競争が激しく、校内暴力が酷くなりました。


事実40年前がそうで、通っていた小学校の隣の中学は地域格差と人間関係のエゴで先生と生徒との関係がギクシャクし、生徒の嫌がらせで自殺した先生の事件で厳しい校則で生徒を抑圧せざるを得なくなりました。


翌年の中学入学で下校帰りに近所の本屋さんから頂いた中1コースだったか中一時代の見本雑誌に学校で起きたトラブルの事例に男子生徒に人格否定されるいじめを受けた女子生徒が保健室のベッドに放火した胸糞悪い話が掲載されているのを見て気分が悪くなったら自分が人格否定され、勉強も部活も人間関係に躓いた。


自分は運良く高校に行けたけど、たとえ底辺校でも行けるだけ幸せだということに気がついたのは結婚してからでした。


旦那の家庭は8歳下の弟が自閉症で子供の頃から我慢を強いられ、弟のためにヤングケアラーにならなければいけない状態でした。妹ふたりは諸事情で高校に進学せず、先にも述べた上の妹はグレてしまいました。


今は落ちこぼれた子や発達障害の子を受け入れてくれる学校がたくさんありますが、有希子さんの年代の場合高校受験を失敗したら私立や滑り止めの学校に行くか働くしかありませんでした。


中島みゆきさんの「ファイト!」はみゆきさんがパーソナリティをしていた深夜放送の投稿に点数が足りなくて公立の高校に行けず経済的に私立にも行くことも出来ないので働くようになったら中卒という差別を受けた話がモチーフになっています。


それも80年代初期の話です。


80年代は高度成長期の空気がまだ残っていて、働けばなんとかなる時代でした。


バブルがはじけてからは大卒でも就職するのが難しくなり、てきぱき仕事が出来る人が優遇され、不器用な人ははじかれてしまいました。


それが一番出ていたのが2000年代初頭で、どこも仕事をするところがなくて派遣会社に登録して隣市の大手家電メーカーの工場でトイレも決まった時間にしか行けない状況で働いても年末には仕事がおしまいでした。


そのツケが秋葉原の通り魔事件です。


当時私は離婚後約3年半でニュース見ながら便まみれでおむつ変えていました。


秋葉原の事件の半年後に都内の高級マンションで飯島愛さんの変死体が見つかりました。


それもクリスマスイブの日です。


この年はアキバの事件や土浦の通り魔事件やや江東区の女性バラバラ殺人や飯島愛さんの孤独死やリーマンショックのような人の尊厳に付いて問いかける出来事が多い年でした。


桑田佳祐さんの「どん底のブルース」で言いたいことの答えがアルバム「ロックンロール・ヒーロー」リリースの6年後に出ました。


私は事件の怒りをブログでぶつけました。


その翌年にはマイケル・ジャクソンが突然亡くなりました。


90年代から亡くなるまで少年への性的虐待などのスキャンダルで彼は亡くなるまでエルヴィス・プレスリー同様に「オワコンから英雄」になりました。


マイケルの突然死から2年後東日本大震災が発生しました。


令和になっても災害が多く、おととしはコロナウイルスで我慢の生活を強いられ、今年はロシアとウクライナの戦争で物が高騰し、昨年母を亡くした我が家も父との二人暮らしも影響が出ました。


私自身も更年期障害の症状に苦しんでいます。


そんな私の心を救ったのが高校3年の時に大ファンになった大江千里さんがある雑誌のインタビューで言っていた「自分がどう生きるかは自分自身が決めること」という言葉でした。


私は千里さんの言葉に頬をぶたれた気分になりました。


事実松田聖子さんも父親に絶対服従の家庭に育ち、彼女を見出したCBSソニーのディレクターだった若松宗雄氏の説得がなかったら大学か短大を卒業して憧れの客室乗務員になれても福岡に戻されていたかもしれない。岡田有希子さんも教育者という家庭環境と当時の管理教育で教師までも抑圧され、教師に従順でお勉強の出来る子が良い子という教育をしなければいけない状態だったので圧力をかけた教師もいたという。


自分の周りも父親に絶対服従の家庭に育ったことで父親の死後に心のバランスを崩してカルト宗教にはまったというのを見ているし、私の友人に一緒に遊びに行った途中で親に内緒で付き合ってを見かけたので私を置いてその人のところに行ってしまいました。その友人も父親に絶対服従でした。


飯島愛さんも自分の本で述べていたように「世間体」のために自分を犠牲にし、自分がどう生きるか自分で決めることが出来ない世代でもあります。


今年の1月に姪が自閉症スペクトラム障害であることが解ったときに父親である弟が言った言葉は「長い目で見て欲しい」というものでありました。


発達障害も生きづらさの象徴と言われていますが、自閉症スペクトラム障害の人の中には半端ない能力を発揮する人がいます。


私は冒頭で「世界中の女の子には幸せになれる権利がある」と言ったのは自分自身が生きづらさをかかえた十代を送ったことが大きいです。最後に訂正します。


「世界中の人には幸せになれる権利がある。」


長文すみませんでした。
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WOWOWの解約考えています。

2022年08月26日 21時59分17秒 | いつものお話
本当は22日に生誕55年の岡田有希子さんの話を書こうと思っていたらあまりにも長いのでこの話。


私事ですが平成21年の1月から加入していたWOWOWを今月いっぱいで解約しようと考えています。


理由はおととし6月の横アリ配信公演の放送以後サザンや桑田佳祐さんのソロライブの放送がないことと、録画しても見る元気がなくなったことです。(言っちゃ悪いが更年期。)


休みも病院でゆっくり過ごせないです。


録画した番組もたまるばかりでブルーレイへのダビングさえ面倒になってしまいました。


それでおととしの特番と「前略、大徳さん」の徳井番付消えました。


ボーナスで容量の多いレコーダー買っても同じことの繰り返しになる可能性大です。


加入したばかりは見たい番組のために希望休みまで取ったくらいです。


でも、サザンや桑田さんのライブの生中継の会場に行くことは出来ませんでした。


サザンや桑田さんの年越しライブのチケットを取るのはケアマネ試験より難しいし、お金がないと横浜アリーナなんて行けません。


昨年の桑田さんのソロライブでさえ放送がなかったのはショックでした。


たぶんWOWOWだとお金がかかってしまうからだと思います。


その桑田さんの配信でさえ時間指定でアーカイブ配信でさえ時間指定だったので見ることさえ困難でした。


矢沢永吉さんの新国立競技場公演も生中継なしなのも大きいです。


WOWOWより配信のほうが放送権のお金も手間もかからないのかもしれません。


来月はその矢沢さんの武道館公演と田原俊彦さんのライブの再放送もあります。


録画してもダビングするだけで終わってしまう可能性大です。


録画しても見る気がないという私のメンタルももコロナの影響が出ています。


これはアミューズの中西社長に言いたいことですが、ライブを見れないファンのこともきちんと考えてて欲しかった。こういうこともファンが減る原因だと思う。





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更年期ってこういうこと?その2

2022年08月18日 22時15分04秒 | いつものお話
前回の話の続きです。


お盆は弟一家が来ました。


来たのが私の夜勤明けで、父と一緒にモレラ岐阜のロピアに行ってコストコ並の量のお惣菜とうなぎを購入。


夜勤で疲れてぐったり状態で片付けをし、桑田さんがコロナウィルス感染でバンドメンバーが代行の夜遊びも聴かずに寝ました。


翌日はお坊さんが来るまで松原アナと大前さんの入籍発表の「前略、大とくさん」見ていました。


お坊さんが来ましたが、姪は案の定あっちこっち行っていました。


お昼は昨日の残りとラーメン作りました。


気分が悪くて夕食の買い出しも出来ない状態でした。


弟も帰宅してお盆は終わりました。


仕事もなんとか終わって昨日今日と連休でした。


昨日待つ覚悟で診てもらったらホルモン剤が出ました。


楽になって汗も多量に出なくなった反面今度は便秘の症状が出ました。


いつになったら楽になるんでしょうか?











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更年期ってこういうこと?その1

2022年08月09日 21時57分22秒 | いつものお話
52歳になりました。


8月になりました。


体調不良のせいでブログの更新が今日になってしまいました!


粗品の呪いのせいではありません。


2年前の9月に突然子宮が痛くなり、そのときに処方された子宮内膜症の薬で生理を止めていました。


そのおかげで楽な生活もでき、下呂温泉にも行けました。


7月31日の誕生日を前に産婦人科の先生から閉経するのでその薬をおしまいにしますと言われました。


薬が終わって1か月後に気分が悪くなってトイレに行ったら出血。


翌日の病院に行こうとしたら発熱の利用者さんのこともあって帰りが遅くなって産婦人科には行けず。


夜勤明けに診てもらったもの「生理が復活した」とのこと。


それからオエオエ状態になり、待つ覚悟で再度診てもらったらカロナール(ロキソニンは十二指腸潰瘍の原因になったので)を貰いました。


痛みが酷いので夕方のミーティングはお休み。


夕食も作れないので各自お弁当あるいはお惣菜。


月曜日の休みも歯医者の治療をキャンセルしたいくらいの痛みでした。


話が長くなるので後半は後日。
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