声を大にして言わせていただきます。
7月26日に平成20年に起きた秋葉原通り魔事件の被告の死刑執行が行われました。
事件が起きて14年後でした。
私は当時離婚して4年が過ぎ、介護の仕事をして8ヶ月経った頃でした。
当時便まみれでおむつ交換しながら事件のニュースを見ていました。
その年にサザンの無期限(再開するのに5年かかった)活動休止前のライブのチケットのことで頭がいっぱいでした。
結婚3年前のニュージーランド行きでいとこの家に泊まって以来東京はご無沙汰で、秋葉原に行くことも考えていたからです。
しかし、この事件で秋葉原行きは消えました。
チケットは無事取れたもの不安が残りました。
事件の背景にいわゆる就職氷河期で貧乏くじを引き酒鬼薔薇世代であることが大きいのと加害者の母親が毒親気質が強く、禁止事項の多い躾をし、今で言う「教育虐待」があったという。
事件の半年後のクリスマスイブに飯島愛さんが渋谷区の高級マンションで変死体となって発見されました。
彼女が書いたと言われる「プラトニックセックス」には秋葉原の事件の被告同様に父親は禁止事項の多い躾をし、些細な事で手を上げ、世間体を気にする母親に「あなたのため」と追い詰めたと述べています。
実際事が大きくなるのを怖れた彼女の親もが今で言う家族葬という形で葬儀と火葬を済ませたことで本に書かれていたのは事実だったという批判もありました。
SNSで聞いた話では「至って普通の家庭」という。
自分自身が80年代に生きづらさを抱えたまま大人になったのでマイケル・ジャクソンさんの死後「80年代は犠牲の時代」とブログで書くようになりました。
あれから14年が経ち、東日本大震災を機に生きづらい社会が加速し、その背景に発達障害の問題も出ています。
3歳になる姪も言葉がなかなか出ないので小児科で診てもらったところ自閉症スペクトラム障害であることが解りました。
そのとき先生から弟夫婦に言った言葉が「長い目で見てください」「芸術的な才能のある人やアスリートの中には発達障害の傾向が強い人が多い」でした。
「窓ぎわのトットちゃん」で黒柳徹子さんが当時の教育システムに合わなかったということを書いていたし、モデルの栗原類君が発達障害であることをカミングアウトしているし、トム・クルーズは学習障害を持っているし、中森明菜さんや故尾崎豊さんや田村淳さんやベッキーさんのようにHSP(繊細すぎる性格)である人が多いです。
ニトリの創業者の似鳥昭雄氏も発達障害で小学生の頃に自分の名前も漢字で書けなかったという。
私も結婚していたときに義理の弟が自閉症で、旦那がヤングケアラーにならざるを得ない家庭で、きょうだい仲も悪かったです。
その考えを変えたのが元東レ社長の佐々木常夫氏でした。
彼の講演会で結婚していたときに義理の弟の存在を隠す家庭だったと質問したところ「隠してもいずれはばれてしまう。」と言われました。
加藤も愛ちゃんの母親も世間体を異常に気にする人だったといいます。佐々木氏の奥様は長男の自閉症が原因でうつ病になり、入院の繰り返しで家族と協力して家事炊事をこなし、大阪に単身赴任となっても長男の面倒を見に金曜日の新幹線で東京に戻り、月曜日の朝一の新幹線で大阪に戻る生活をしていたと話していました。奥様のうつ病が寛解したのは佐々木氏が東レの社長になったことでした。
亡くなった母親もどちらというと干渉する人でした。そのことが生きづらさを抱え、結婚しても上手く行かない原因でした。私が離婚する1年前に今の家に引っ越したことで穏やかな性格になり、親子関係も良くなりました。
母親の死後、干渉するようになった背景に人間関係で苦悩したことを知り、ショックを受けました。
加藤が生まれた昭和57年は校内暴力が酷くなり、その煽りで子供を頭の先からつま先まで厳しく縛り付ける管理教育になってしまいました。
その経験から「自分は管理教育で抑圧されてもヤンキーにはならなかったし、オウムのようなカルトにもはまらなかったし、引きこもりにもならなかった。」というのを武器にしていました。
それは自分が間違った教育の犠牲者であることをアピールするためでもありました。
大多数はそれと戦いながら生きています。
52歳の誕生日の前にこれだけは言いたかったのです。
私もかかりつけの歯科医の先生が一方的な憎しみを抱えた人間に診察トラブルを理由に殺されました。
最後に全ての人が生きやすい社会になれば池田小の事件み秋葉原の事件も起きなかった。