今日は母の月命日です。
悲しむ間もなく1ヶ月が過ぎました。
緩和ケアに入ると言われ、2月に入ってから歩けなくなり、病院に行くのも難しいので在宅医療になりました。
ひなまつりの日が夜勤で、大学病院に行った父から「桜が咲くまで持たない」と言われたときはまともに夜勤が出来ませんでした。
部屋にベッドが入り、酸素をつけないと呼吸も出来なくなりました。
トイレにも行けなくなっておむつになりました。
父もピリピリして些細なことで喧嘩になりました。
亡くなる日は洗濯をして後は寝るだけでした。
寝ようとしたら父から大声で呼ばれ、その時には既に息はありませんでした。
亡くなってからも通夜と葬式の打ち合わせと片付けと役所への手続きでバタバタしていました。
私に至っては礼服の高さ(AOKIのサイズマックスは半額クーポン使えません)に泡ふきました。
通夜は姪が暴れまくり、その後の夕食が揚げ物のオンパレードなのと斎場が布団二組しかなく、隣の僧侶控室の机をどかしてエアマットで寝ようとしても寝れず。
告別式当日は胃が痛くなりました。
弟が火葬場まで車を運転しなければならなかったので私が霊柩車に乗りました。
母を荼毘に付してからは肩の荷が降りました。
告別式翌日からは家事炊事と手続きと通院で忙しかったです。
母が亡くなってから職場復帰まで1週間かかりました。
しかし、その間に職員の異動で人が足りなくなったので今月は有給が取れませんでした。
テレビも録画したWOWOWも見る気がありませんでした。
休みの日も洗濯と掃除と今日の夕食どうしよう状態で、父が18時に夕食を食べたい人なので作り置きになり、それを作って片付けるのに20時までかかったというのもありました。
家事の方は父も協力してくれるし、弟からもLINEが来るので安心です。
母の月命日を前に今度は伯母が急死で翌日早番の中通夜に行きました。
今日は月命日で弟が来ると思って休みを取ったら朝から大雨でゆっくり過ごしました
母と仲の良かった近所の人がお線香を持ってお参りに来ました。
ゆっくり見れなかったWOWOWで放送した布袋さんの日本武道館無観客ライブで歌った東日本大震災後に出したシングル「PROMISE」の歌詞に救われました。
歌詞の「君とあの空を見て交わしたのはどんな時でも決してうつむかず真っ直ぐ前を向いて生きていこうという誓いだった」は母が遺した「前向きな生活」「目標を持つ」という言葉そのものだったのかもしれない。
私も父も岡崎の弟一家も前向きにがんばっています!