今日で平成が終わります。
平成最後の御朱印を岐阜市の金神社でもらおうとしたら雨降りの中いっぱいいました。雨降りの中結婚式が見れたのも感動しました。
柳ケ瀬のドンキで買い物をしてから台湾まぜそばはなびでお昼を食べたらBGMがサザンでした。(個人的には「男達の挽歌」と「クリといつまでも」「悪戯されて」希望。)
その後でタカシマヤの大北海道展で買い物をしてから帰宅。
明日は仕事です。姪が来るので楽しみです。有給を入れて3連休にしたかったけど、人が少ないので断念。
平成元年は高校卒業→社会人でした。高校が女子高で校則が厳しく自由がなかった反動が思いっきり出たのも事実です。
性格的にとがっていたのも事実です。
高校卒業時に運転免許を取ろうとしたら入社式に間に合わなくて、自動車学校を泣く泣く辞めることになり、入社して落ち着いてから再度入校し、交代制の仕事と両立しながら通っていました。
大江千里さんにドハマり、仕事をさぼってコンサートに行き、平成6年の時に横浜スタジアムのコンサートの時に帰りの新幹線の乗車券(今のようにIC乗車券サイズではなかった)を紛失し、岐阜に戻る日に高熱を出してしまったこともありました。
親は見合いしろと言い、私は自由な生活をしたいと思いました。
そんな私の考えを変えるきっかけは平成10年に行ったニュージーランドでした。
結婚したけど、3年で離婚しました。
それからは辛いこともいっぱいあったけど乗り越えました。
平成19年の桑田さんのソロライブがアリーナ1列目だった時は大興奮しました。
平成23年には介護福祉士の資格を取りました。
曲りなりに介護の仕事を頑張っています。
一昨年母がステージ4の大腸がんであることが分かった時は絶望しました。手術しても2年が限界と言われました。
明日その2年を乗り越えることが出来ます。そして1月に生まれた姪も遊びに来ます。
平成の時代はバブルがはじけ、災害が多く、オウムに代表される凶悪な事件も起きました。
自分自身がいわゆる管理教育で抑圧された心の傷を背負って大人になったので「こういう事件が起きるのは管理教育のせいだ」「弱いものイジメする人間は死んでほしい」というルサンチマンの考えをするようになりました。
その考えが中学高校と抑圧された復讐なのではと思うようになったのは母の病気と佐々木常夫氏の言葉でした。
私が結婚していた時に佐々木さん同様に自閉症の弟の存在を隠す家庭だったとカミング・アウトしたら「隠してもいずれはばれる」「正々堂々とすべき」と言われたのは救われました。
最後に令和という時代は平和な時代であってほしいです。